すべての宗教は人の死からはじまり、その霊魂の処遇と霊魂との交流を中心課題とし、そこから信仰も哲学も、芸術、芸能も文学も発生したものと、私は信じている。これが「文化」の起源であって、一方に衣食住や生産技術、法律、国家、政治、経済等の「文明」があって、人類は進化した。
この「文明」なるものは古きを捨てて新しい文明を飽くことなく追求するのに対して、「文化」はつねに始源を顧み、原始にあこがれ、人間精神の原点をもとめて止まない。「死」はまさしく文化の原点である。 ~『葬と供養』 P672より
私が五来重氏の1200ページにも及ぶ大著【葬と供養】に惹かれたのは、図書館の新刊コーナーで何気なく手にとって、パラパラとめくり、偶然、この一文に出くわしたからでした。
私自身は昔から歴史が好きで、大学でも歴史を学び、卒業後は博物館の学芸員か歴史本を出版する仕事に就きたいと思っていたのですが、縁あって静岡のタウン誌ライターになり、バブルの恩恵にあずかってフリーとなり、企業の求人広告をはじめ、行政やベンチャー企業団体の広報業務を通して、“古きを捨てて新しき文明を飽くことなく追求する”人々をずーっと間近に見て来ました。
3年前、ベンチャー企業団体の仲間で始めた「茶道に学ぶ経営哲学研究会」は、文化への邂逅が動機でした。初めの頃は20人近く集まり、次第に10人以下に定着し、最近では常連が自分の知人やパートナーを伴って来るようになり、ふたたび参加者が増え始めました。会員が入れ替わる姿を見つめながら、「文明」を追いかける人たちは、目新しいものや活動にすぐに飛びつくけど、飽きるのも早い。でも「文化」を顧みようとする人はブレないんだなあと実感しました。文化の原点が「死」というブレようのないものだから、なんですね。
3年前、茶禅講座を始め、2年前から寺のバイトを始め、今年、こういう本に出合ったというのは、「文化」としっかり向き合いなさい=ブレない生き方をしなさい、という天命ではないか、と思い始めています。
さて、お寺のバイトで緊張するのは、なんといっても訃報の第一報をもらうときです。大事なお身内を亡くした直後にかけてこられるお電話ですから、受け答えの文言や声のトーン等、慣れないうちは本当に気を遣いました。
今は電話一本で済む話ですが、【葬と供養】によると、本来、お寺への告知は「寺行き」といって二人一組の使者が米を持参してうかがうものだそうです。米には死者の霊が憑いていて、どこかに浮遊しないよう、寺という聖地でいったん鎮まってもらう、という鎮魂儀礼。誰かが息を引き取ると、同時に霊がお寺に来るので、男の仏さまなら本堂で、女の仏さまなら台所で音がし、和尚さんは「寺行きが来るな」と察するんだとか。ちょっとオカルトチックな話ですが、和尚さんにはそういう感性を持ってほしい、なんて思いますね。
昔は弔問客も香典として米を持参しました。香典は正しくは「香奠」と書きます。奠とは酒樽を台にのせた文字で、神さまに供物を捧げるという意味。神祭式で榊の枝を会葬者全員が棺に捧げたことから、仏教でも、米や銭を贈る以前に、香花を捧げたのではないかと五来氏。そして、香りのつよい木を捧げたのは、原始日本の風葬が起源ではないかということです。
仏教葬では、香奠として集まった米を、死者の功徳として人々に施しました。これが「布施」本来の意味だそうです。葬式費用に当てるのではなく布施に向けるのが宗教本来のすがた、というわけです。
五来氏が分析する香奠の目的とは、①死者に対する香花の手向け、②死者の滅罪のための布施、接待、③葬を手伝う地域、講組の人々の食料―の3つ。
中でも重要なのは②で、地域によっては来る人一人残らず腹いっぱい食事をしてもらっていたそう。何杯も卑しくお代わりする貪欲な村人を歓迎するのも、死者の生前の罪を消す功徳と。これは、インドで阿育王が始めた「無遮大会」という大布施会が原点のようです。
“遮ること無し”というお代わり自由の無料食事サービスで、国の経済が傾くほどの規模だったといわれ、さすがに毎年はできず、5年に1度行なわれたそうです。日本でも天皇の病気平癒祈願や忌日のたびに行なわれました。
残念ながら、現代の葬儀では「香典返し」にその片鱗が少々残るぐらいで、社会福祉という本来目的はほとんど失われました。
「こういう宗教的意味を僧侶自身が説明できなくなり、布施がゆがんだものになり、香奠の概念も不明になった」と五来氏。本来目的を顧みるならば、香奠の一部を地域福祉に寄付することを義務化するしかないのか・・・なんて思ってしまいます。
人ひとりの死は、地域社会を巻き込んで無遮の布施を行なって滅罪功徳で報いるほど大きく深く重いもの。死をそれだけ畏れ、真摯に向き合った文化を日本は育ててきました。
葬式のあり方自体、さまざまに議論されているだけに、どうせ考えるんだったら、「文化の原点を顧みる」視点を持った上で議論したいものですね。