杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

波瀬正吉に捧ぐ。満杯2杯目

2015-12-19 17:10:03 | 地酒

 10月23日に出版した「杯が満ちるまで」が、みなさまのおかげで第2刷となりました。

 無名のローカルライターが、静岡県内の日本酒に限って書いた(1600円と決してお安くない)本が重版になるとは、いまだにピンと来ないのですが、これもそれも、静岡新聞社出版部の“英断”と、書店営業してくださったスタッフのみなさま、1冊1冊店頭で手売りしてくれた掲載店や、一人で何冊も買って他人に薦めてくれた酒友のおかげです。そのベースにあるのは、間違いなく、静岡酒の確かな人気と実力。私はその恩恵にあずかっているだけと恐縮しつつ、本の製作にかかわった方々になんとかご迷惑をかけずに済みそうだ・・・とホッとしております。本当にありがとうございました。

 

 重版の知らせを聞いた今月早々、本で紹介した能登杜氏四天王のお一人、故・波瀬正吉さんの奥様から、能登のカニがドーンと届き、びっくり感激。さっそくお世話になった静岡新聞社の石垣詩野さんにカニ鍋やろう!と声かけし、取材や販促にご協力いただいた酒友のみなさんに緊急メール。12月の日曜招集ということで、声かけした全員に来てもらうことはできませんでしたが、それでも濃ゅ~いメンバー8人が集まりました。

 酒は松下明弘さんが喜久醉純米大吟醸松下米40&50を持参してくださったほか、引退した富山初雄さん(喜久醉前杜氏)がかけもちで醸していた曽我鶴純米大吟醸(昭和63年醸造)、故・滝上秀三さん(初亀元杜氏)が醸した初亀純米吟醸・瓢月(平成15年醸造)、静岡県の酒米誉富士の初年試験醸造酒である富士錦(平成19年醸造)、そして篠田酒店さん持参の開運純米大吟醸 作・波瀬正吉(平成13年醸造)と、貴重なレジェンドの酒を楽しませてもらいました。

 会場の「湧登」は休業日だったため、厨房を借りて参加者がおのおの調理。松下さんがカニをさばいてくれたり、「ダイドコバル」の平井武さんが「湧登」の厨房に立つという珍風景も楽しませてもらいました。結局イチバン働いたのが湧登のご主人山口登志郎さんだったんですけどね(笑)。私の地酒取材に長い間寄り添い、本の出版を後押ししてくれた酒友たちと、本では十分に伝え切れなかった波瀬さんへの思いに対し深い真心をお返しくださった奥様に感謝感激の忘れ得ぬ酒宴になりました。

 

 「杯が満ちるまで」の能登杜氏の章では、ページ数の都合でカットせざるをえなかった波瀬さんのエピソード。元ネタはこの「杯が乾くまで」のブログ記事です。もう7年も経ってしまった当時の情景が、カニ&開運波瀬正吉を味わううちに鮮やかに甦ってきました。「杯が満ちるまで」をきっかけに、「杯が乾くまで」を知った方もいらっしゃると思いますので再掲させていただきます。

 

 

波瀬正吉と呑む贅沢  「杯が乾くまで」2008年2月10日より

 

 (2008年2月)9日午後から10日朝にかけ、『開運』の醸造元・土井酒造場(掛川市大東町)で開催された「花の香楽会~蔵見学&日本酒講座」に飛び入り参加してきました。

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 『花の香』という酒は、明治初期まで旧大東町土方で造られていた地酒で、醸造元の子孫である鷲山恭彦さん(東京学芸大学学長)が、土井酒造場に依頼して昨年、復活させたもの。静岡県の新しい酒米・誉富士と地元産コシヒカリを原料に、地域の有志を中心とした楽会員が、田植えや稲刈りや酒の仕込みや酒器の製作などを体験し、地域の酒文化を再認識する活動をしています。Dsc_0058

 

 会員は、東京学芸大の学生やOBをはじめ、遠州全域から集まる地域おこしや地場産品づ くりの担い手たち。私は事務局杉村政廣さん(酒のすぎむら)から誘われてのオブザーバー参加でしたが、県中遠農林事務所所長の松本芳廣さん、地酒コーディネーター寺田好文さん、掛川駅これっしか処店長の中田繁之さん、旭屋酒店(浜松市)の小林秀俊さんなど顔なじみの面々もいて、すっかりくつろいで楽しく過ごせました。

 古民家のモデルルームのような立派な鷲山家の囲炉裏部屋で、手打ちそばや自然薯、かまど炊きの麦飯に採れたて野菜などを肴に、鷲山さん、土井酒造場の土井清幌社長、杜氏の波瀬正吉さんらを囲み、車座になって夜通し呑んで語り合いました。

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  とりわけ、鷲山さんの教え子でソプラノ歌手として活躍する小田麻子さんが即興で歌ってくれた「ふるさと」に、鷲山さん(真ん中)、土井社長(左)も立ち上がって一緒に歌いだし、波瀬さんが目を閉じてじっと聞き入る姿は、滅多に見られないお宝光景でした。

 この時期に蔵の外で、社長と一緒にこんなふうに呑んで過ごせるなんて、「そう滅多にはないよ」と波瀬さんも嬉しそう。土井さんとは40年来の名コンビで「社長とは裸のつきあいができる」と明言します。「真弓ちゃんがうちの蔵に初めて来たのは何年になるね?」と聞かれ、「平成元年の春です」と応えると、「わしは昭和43年だよ」としみじみ。土井社長はこの年に結婚し、当主として蔵を継ぎました。現在の『開運』の名声は、社長と杜氏の二人三脚の努力の賜物に他ありません。

 

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 現在、波瀬さんは75歳。静岡県の杜氏では、『初亀』の滝上秀三さんと並んで最高齢。「能登杜氏には自分より年上の現役がいるし、まだまだ新しい道具や機械も試してみたいし、もっといい方法はないかいつも考えているからなぁ」とツヤツヤした顔で応える姿に、過酷な酒造りの労働がすっかり板につき、身体の一部と化したような職人の背筋の通った生き方を感じました。

 

 波瀬さんのような造り手と向き合うと、日本酒が、いや日本のモノづくりが、労働を尊び、何歳になっても向上しようとする職人の精神に支えられていることをぜひ伝え、残さねばと痛切に思います。

 「花の香楽会」の雰囲気は申し分ありませんでしたが、私にとって、この夜は、波瀬さんと『開運』を酌み交わせたことが何よりの贅沢であり、波瀬さんのふるさと能登での暮らしをぜひ取材させていただきたいとお願いして快諾をいただけたことが、何よりの収穫でした。

 

 

 

 

能登杜氏を支える手 「杯が乾くまで」2008年8月22日より

 

 (2008年8月)20日(水)~21日(木)は石川県珠洲市で行われた能登杜氏組合夏期講習会の撮影に行ってきました。見どころは、「開運」の杜氏・波瀬正吉さん、石川県の地酒「ほまれ」の杜氏・横道俊昭さん、種麹メーカー秋田今野商店の今野宏さんが講師を務める吟醸造り体験発表・討論会。能登杜氏が勤める酒蔵の従業員や杜氏見習いが対象の講習会だけに、ハッキリ言って基礎知識がなければ、いや基礎だけ知っていても現場の体験がなければ付いていけない高度で専門的な内容です。本で読んだ基礎知識プラス、現場で多少見聞きした話ぐらいしか理解していない私にとっては、改めて酒造の世界の深さ・厳しさを実感させられるものでした。

 

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 強カプロン酸系の明利M-310で立てた酒母を、9号酵母の酒母とブレンドするという「ほまれ」の吟醸造りは、たぶん、静岡吟醸とはまったく違う酒なんだろうなぁと聞きながら、論理的に説明する横道さんや講演慣れしてるかのように饒舌に語る今野さんに、若い聴衆者がさかんに質問するのを見て、複雑な思いを抱きました。

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 波瀬さんが「なんといっても麹造りが大事。酵母や麹につねに話しかけている。それが私の酒造り」と、杜氏として一番大切な姿勢を、言葉をかみしめるように語る声は、マイクの位置が悪かったせいか、聞き取りにくく、会場内では「爺さんが何しゃべってるんだかわからないから寝ちゃったよ」なんて雑言を吐く者も。この若造たちは、波瀬正吉の偉大さを知らないのかと思わずムカついてしまいました。確かに波瀬さんの声はカメラのマイクでも拾いづらいほど小さく、壇上の司会者や横に座っていた横道さんが一言マイクの位置を直してあげればいいものを・・・と気にはなっていましたが。

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 積極的に質問するのが若い女性の杜氏・蔵人だったことも印象的でした。横に座っていた「開運」の若き蔵人3人衆―榛葉農さん、山下邦教さん、野口剛さんに、「撮影しているんだから、手をあげて質問してよ」って声をかけたんですが、残念ながら不発。代わりに、3列後ろに 座っていた「初亀」の西原光志さんが果敢に挙手してくれました。

 西原さんは、この春引退した滝上秀三さんの後継者として初亀の次期杜氏に抜擢された人。若い彼の、偉大な杜氏の後を継ぐプレッシャーやチャレンジ精神は一つのドラマになりそうで、杜氏1年目の姿をじっくり追いかけてみるつもりです。 (*現在、西原さんは志太泉の杜氏です)

 

 夜は、波瀬さんのご自宅にお邪魔して、波瀬さんと蔵人3人衆で行う開運全タンクの呑み切り(夏場に熟成具合をチェックする作業)の様子をカメラに収めました。

 呑み切りは8月初旬に、河村先生や名古屋局鑑定官や工業技術センター指導員ら専門家によって行われましたが、その講評を参考にしながらのテイスティング。「先生によって評価が違うな」「この先生の表現は細かいなぁ」「こっちは大雑把だなぁ」と蔵人たちも楽しそうにきき酒します。「これはいDsc_0023 いなぁ」と波瀬さんが唸った酒を、私も思わず呑ませてくれぇと心の中で叫んでしまいましたが、自分がフレーム内に映り込んでしまったら元も子もありません。数が数だけに、あれこれ角度を変えて撮っているうちに、波瀬さんイチオシの酒がどれかわからなくなってしまい、撮影がひと段落した後は、オールチャンポン状態で呑み呆けてしまいました…(反省)。

 

 

 黙々と撮影をするカメラマンと私に、さかんに気を遣って、「うちの畑で獲れたから」とスイカを切ってくれたり、この時期に食べられるなんて夢のような本ズワイガニのボイルを1匹ドンとふるまってくれた奥様の波瀬豊子さん。50年を超える波瀬さんの酒造り人生を陰で支え、50年間、一度も正月を一緒に過ごしたことがないという家庭生活に愚痴一つこぼさず、3人の子を立派に育て上げ、今も1年のうち8か月を静岡で過ごす波瀬さんの留守をひとりで守って、畑仕事に従事するその姿に、ニッポン女性の母性の強さと逞しさを、まぶしいほどに感じました。

 

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 翌朝は、波瀬さんをさしおいて、豊子さんの畑仕事の撮影を敢行。農業後継者が減り、放置された畑が多い中、豊子さんが手をかけた畑には、イモやネギやスイカがみずみずしく育っています。

 「スイカは近所の老人ホームに届けて喜ばれてるんだよ」「売り物にならないネギは父ちゃんのところ(土井酒造場)へ送ってやるんだ。刻んで醤油かけてご飯に乗せて食べると美味いんだよ」・・・。75歳の波瀬さんを支える72歳の豊子さんの泥だらけの手が、化粧品のテレビコマーシャルで「杜氏の手が白いのは・・・」なんて女優が宣伝するよりも美しく気高く見えました。

(*このとき波瀬さん宅で呑みきりをした蔵人の榛葉農さんが、現在、開運の杜氏を務めています)

 


軌道修正できる道

2015-12-09 22:06:54 | 日記・エッセイ・コラム

 金星探査機「あかつき」が、金星の軌道投入に再チャレンジして見事に成功したというニュース。科学に疎い私でも、久々に爽快な感動を覚えました。3年前、静岡県ニュービジネス協議会西部部会のセミナーで、「はやぶさ」の成功談を解説してくれたNECの小笠原雅弘さんから「はやぶさの帰還はあかつきのプロジェクトチームを勇気付けた」と聞き、宇宙に関するニュースを耳にするたびに、あかつきの動向が気になっていたのです。

 前回ブログで紹介したとおり、上川陽子さんのラジオ番組100回記念で、コンピュータを自分で一から造る面白さを子どもたちに教える福野泰介さんのお話をうかがいました。生まれたときからPCゲームやスマホが身近にある世代は、機器がどういうしくみで動いているのか考える動機も機会も持てないでいる。それは、とてももったいないことだと。

 ジャンルは全く異なりますが、私は酒が、米と水と微生物だけでどうしてあんな美味しい飲み物になるのか、考える機会を得る事ができて、ライター人生の軌道をちゃんと歩けている、と実感しています。なにかひとつ、関心を持った物や事象についてトコトン考え、真理に手が届くまであきらめずに追究する・・・こういう体験は、なにかの壁にぶちあたったとき、人を“軌道修正”させてくれるように思います。

 上川さんがラジオで新入社員や新入生に向けて、こんな呼びかけをされたことがあります。「社会に出てからの道にはさまざまな難関があると思いますが、ある沸点に到達すると、関門はパン!とはじける。その沸点は、あきらめずに努力し続けた人だけが到達できるのです」。

 今の私には、社会人デビューした頃のように自分の可能性にワクワクするようなパワーはありませんが、挫折しそうになったとき、できない理由を並べてあきらめの軌道に自らを追い込むことはしたくないな・・・。上川さんの言葉と、あかつきのニュースを照らし合わせ、ふとそんな熱い思いがこみ上げてきました。

 

 以下に、3年前のセミナーを紹介したブログ記事を再掲しますね。

 

「はやぶさが遺したもの」

 (2012年)2月21日夜、静岡県ニュービジネス協議会西部部会のトップセミナーで、NEC航空宇宙システムシニアエキスパートの小笠原雅弘さんの講演会がありました。小笠原さんは1985年に初めてハレーすい星へ旅した「さきがけ」、スイングバイ技術を修得した「ひてん」、月のハイビジョン映像を地球に送り届けた「かぐや」、そしてチーム「はやぶさ」のメンバーとして、感動の地球帰還を成功させた、日本の太陽系探査衛星のスペシャリストです。

 

 
 理系エンジニアの人の話を聴くのはとても好きなんですが、物理や科学や生物の成績がまるでダメ子だった自分には、小笠原さんのお話をコンパクトに取材記事にまとめるなんて今から受験勉強をしろと言われるようなもの・・・ 講演会場へ向かう前に、浜松駅近くのシネコンで映画『はやぶさ~遥かなる帰還』を観て、なんとなく予習した気分になって、自分の気持ちを、理解しきれずともせめて前向きにお話を楽しんで聴けるような状態に持って行って、会場入りしました(苦手な分野の取材の時は、「せめて気持ちを作って臨む」だけでも違うんです・・・)。

 

 会場入りして小笠原さんに「今、映画を観てきたばかりです~」とご挨拶したとき、小笠原さんの上司が、映画ではピエール瀧さんが演じた人で、本人は似ても似つかぬ容姿(笑)で、「渡辺謙さんはじめ、映画に登場する役者さんはモデルの人物とは見た目にギャップのある人を敢えて選んだみたいですねえ」と愉快そうに話してくれました。

 「ピエール瀧さんは静岡出身ですよ」と応えたら、「それはいいことを聞いた、今日の講演のネタに使わせてもらいます」とクイック返答。こういう切り返しのよさが、理系の人と話すときの楽しみなんですね。

 

 小笠原さんの講演は、さすがNECだけあって映像やパワーポイントを活かして大変解りやすく、また、航空エンジニアという職人さんは、宇宙少年のように夢や冒険心を熱く持っているんだ・・・と伝わってくる素敵な講演でした。これから映画『はやぶさ』をご覧になる方にも参考になりそうな点だけ(ちょっとネタバレも含みますが)書きますね。

 

 はやぶさの形は、太陽電池パネルが|‐○‐|とアルファベットのHのように連結されています。パネルの端から端までの長さが5.7メートル、総重量は510kgで、軽自動車よりも軽いんです。それまでの人工衛星はゆうに600kgを超えていたんですが、これでは3億キロ彼方のイトカワまで飛ぶのにメタボ過ぎるということで、ネジの材質やら板の厚みやらまでトコトン軽量化しました。おぉ、これぞ日本の技術だ~と聴いていてワクワクしました。ちなみに、はやぶさの形って当初の設計ではー○ーだったそうで、少しでもストロークを短くしたほうが飛行中のバランスが取りやすいということで、H型にしたようです。

 

 映画を観ていてわかりにくかった「スイングバイ」という技術。はやぶさは2003年5月に打ち上がって、太陽の軌道を1周回って2004年5月にもう一度地球の近くまで戻ってきているんですね。地球自身が太陽の周りを1秒間に34kmの速度で回っているので、その軌道速度に乗っかると、+4㎞/秒速くなるそうです。歩いている人が途中から走行中の電車に飛び乗ったような感じでしょうか。少しでもエネルギーロスの少ない飛行を目指して開発されたんですね。

 

 映画でも面白いなあと思ったのは、イトカワに落とすターゲットマーカーを「お手玉」から発想したというところ。小笠原さんはこの部分の開発にも関わっておられ、詳しく解説してくれました。

 なにせ、イトカワは宇宙空間をプカプカ浮いている直径500mぐらいの岩石で、表面は直径20mもある岩石がゴロゴロしている。なんとか平べったいところを見つけて球を落として、パッと飛び散った表面のチリや破片をパッとつかまえて持ち帰る=サンプルリターンというのが、はやぶさの最重要ミッションです。でもイトカワの重力は地球の10万分の1でほぼ無重力状態。表面でハネ返らず、ある程度留まってサンプルキャッチできるターゲットマーカーを、どうやって作るのか、無重力下での物体の動きを地球上では想像し切れず、おもちゃのスライムみたいなもので実験したりして、「我々は“井の中の蛙というか、“1Gの中の蛙”でした」と小笠原さんは振り返ります。

 

 技術者の直感で「お手玉」を思い付き、江東区の町工場(映画では山崎努さんの工場がモデル)にファックスを送って、薄いアルミ製の球体を試作品に作ってもらいました。「本当にハネ返らないのか?」という疑問を払拭するために、飛行機を急降下させて無重力に近い状態でのべ12回、3年にわたって実証実験を重ねたそうです。小笠原さんは「技術者には、妄想でもいいから“直感”が大事」と強調されていました。・・・なんだかこのエピソードだけでも1本の映画になりそうですね。

 

 その後、さまざまなトラブルに見舞われながらも、プロダクトマネージャー川口さんの「はやぶさの目的地は地球」「地球へ帰そう」の一言でチームは団結しました。小笠原さんは、「いろんな人がいろんなことを言ったが、プロマネのあの一言は今でも忘れられない」そうです。「リーダーは、たった一言、心に残る言葉があればいい」と実感を込めておられました。

 

 最後にイオンエンジン全停止という最大の危機を迎え、映画では政府(JAXA)と民間(NEC)出身の2人の技術者が対立したような描き方でした。ま、そこで最終的に渡辺謙さんが主役らしく「全責任は私が取る」とカッコよくおさめるんですが、実際は技術者2人が最後まであきらめずに食らいついて、周囲が引っ張られたそうです。

 「抵抗するのが一人で残り全員があきらめモードだったら無理だったと思う。2人だったから前進できた」と小笠原さん。・・・うん、すごく現実味があるなあ。いろんなことで四面楚歌になるとき、1人ならくじけちゃいそうなところ、誰か1人でも賛成してくれると馬力が出るし、反対する人も一応聞いてみるか、という気になってくれそうですよね。映画的に見せ場を作りたかったのかもしれないけど、あそこはあまりいじらずに、2人の団結力を見せてほしかったと、まあ後から実際の裏話を聞いて思った次第です・・・

 

 はやぶさの技術的な功績は、①イオンエンジンの性能の凄さ、②ハイレベルな自律航法、③小さな球を打ちこんで採集に成功したこと、④サンプルを守り切ったカプセルの性能の凄さーだそうですが、やはり映画のキャッチコピーにもあるとおり、「あきらめないこと」に尽きると思います。

  

 現在、金星探査機「あかつき」が、金星の軌道突入時にエンジン全停止というアクシデントに見舞われ、姿勢制御用エンジンで再チャレンジしているところで、あかつきのスタッフは、はやぶさの功績を間近に見ているだけに、小笠原さんは「彼らはまったくあきらめていない」と頼もしそうに語ります。

 2014年には「はやぶさ2」が、小惑星1999JUSという水や炭素系有機物がありそうな惑星を目指して出発する予定だそうです。事業仕分けで予算が削られ、そっちの面で苦労されているそうですが、日本人の技術力とあきらめない強靭な精神力を最大限に発揮させるこういう舞台を縮小させないでほしいと、切に感じますね。 

 

 歴史好きの私は、未来を考えたり研究したりする人とはあまり縁がないけど、歴史を創ってきた人は間違いなく現状で縮こまらず、未来を志向し、壁を打ち破ってきた人だということぐらいは理解できる、と実感した講演会でした。


かみかわ陽子ラジオシェイク放送100回!

2015-12-01 09:36:34 | 国際・政治

 静岡コミュニティエフエム=FM-Hi(76.9)で、2011年4月からスタートした【かみかわ陽子ラジオシェイク】が、2015年12月1日のオンエアで100回目の節目を迎えます。当初は月1回、途中から月2回、毎月第1・第3火曜日の18時30分から19時までの放送です。平日夕方の隔週放送ということで、オンタイムに聴いていただける方は限られるかもしれませんが、とにもかくにも、100回も続けてこられたなんてビックリです。

 

 放送開始当時は東日本大震災の直後。しかも民主党政権下で上川陽子さんは落選中という厳しい状況下でのスタートでした。私は、陽子さんが静岡へ戻って政治家を志した頃に出会い、広報のお手伝いをしてきたご縁でラジオの台本制作とMCをおおせつかったものの、しゃべりはまったくの素人で、当初は台本をまったくの棒読み(苦笑)。お忙しい陽子さんは収録直前に台本にサラッと目を通し、あとは完全にご自分の言葉で流暢におしゃべるになる。さすが政治家だと舌を巻く一方で、陽子さんの自在なしゃべりに付いていけず、本当に悪戦苦闘しました。

 この4年間で陽子さんは衆議院議員に返り咲き、総務副大臣、厚生労働委員会委員長、そして法務大臣と、めまぐるしく役職が変わり、ラジオで話すテーマもそのつど変わりました。表立った公職以外にも、さまざまな議連活動や地元静岡での活動にも触れようと、テーマは実に多岐にわたりました。一般のリスナーに、会話だけでわかりやすく伝えるにはどうしたらいいか。30分のトーク番組として全体をどう構成させ、またインタビュアーとしてどのタイミングでどういう質問をすべきか、ライターとして毎回毎回の真剣勝負。収録後は、なんだかボクシングの試合を闘ったような疲労感でグッタリです。

 陽子さんのHPには、ラジオシェイクのトーク内容を書き起こして紹介するコーナーがあるのですが、50回を過ぎた頃から、だんだん台本どおりのトークにはならず、その場で丁丁発止をするようになり、自分自身、オンエアが聴けない機会も多く、書き起こしがしにくくなってしまいました。HPのラジオシェイクコーナーの更新をさぼっていたところ、まもなく100回になるということで、これはいかん!と尻に火がつき、事務所から録音CDをお借りして、この1週間ぐらいで未更新の40数回分をいっきに書き起こしました。おかげでキーボード叩き過ぎによる右手激痛がぶり返し、眼はショボショボ。早く仕事部屋から脱出してぇ~と心内で叫びながらも、懲りずにこうしてブログ書きしてます(苦笑)。

 今日100回目の放送では、特別ゲストに福井県鯖江市のITベンチャー・㈱jig.jpの福野泰介さんをお招きしました。コンピュータを自分で組み立てる面白さを子どもに教えるIT教育の分野で注目されている若手起業家です。先日、静岡ホビーショーのために来静されたついでにスタジオに来ていただきました。福野さんのブログに静岡での様子が紹介されていましたのでぜひこちらを。

 なお、ラジオシェイクはFM-HiのHP(こちら)からインターネットラジオで聴けますので、毎月第1・第3火曜18時30分から、ぜひよろしくお願いします!

 

 

 ここでは、ここ最近のオンエアで私が印象に残った回の書き起こしを紹介します。ちょっと長くなりますが、地元有権者にも知られる機会の少ない上川陽子さんの地道な政治活動について、少しでもご理解を深めていただければ。

 

かみかわ陽子ラジオシェイク 第62回「新国立公文書館建設と平和祈念展示資料館」 ~ 2014年5月6日オンエア

 (上川)リスナーのみなさん、こんばんは。上川陽子です。 

(鈴木)コピーライターの鈴木真弓です。どうぞよろしくお願いいたします。今日は陽子さんが力を注いでおられる公文書管理についてお聞きしようと思います。2月下旬に新しい議連を立ち上げたそうですね。

(上川)私がライフワークとして取り組んでいる公文書管理。この一環として、国立公文書館の新館建設を目指す超党派の議員連盟『世界に誇る国民本位の新たな国立公文書館の建設を実現する議員連盟』を立ち上げました。会長は谷垣禎一法務大臣にお願いしました。

(鈴木)日本の公文書館は欧米に比べると手狭で活用しにくい、というお話、このラジオシェイクでも何度かうかがいましたが、いよいよ建て替えですね。

(上川) 昨年私も国会に復帰し、公文書館建設問題が宙に浮いていた状態だと知り、予算を付けるよう政府に要請する活動を具体化させたところです。最終的に4700万円の予算を得て、新しい公文書館建設のための調査を行い、超党派で推進母体を作る事になったのです。

(鈴木)静岡新聞の報道で、この議連の発起人に、上川陽子(自民、衆院静岡1区)、大口善徳(公明、衆院比例東海)、榛葉賀津也(民主、参院静岡選挙区)の3氏が名を連ねた、とありました。本当に超党派の活動なんだなと嬉しく思いました。

 (上川) 超党派で立ち上げるということにあたっては、関心を持っていただいた先生方に発起人になっていただくことができました。3月には公文書館ツアーも実施しました。憲法の原本、終戦の勅書といった大変重要な歴史的文書も残っていますので、なんとか国民の皆さんに活用しやすい施設にしたいと考えています。議連としては、新館建設のほか、外交史料館や宮内庁の公文書館などに分散して所蔵されている公文書についても、デジタル素材として閲覧できるような機能を持った新館建設を目指しています。

(鈴木)私は毎年、奈良の正倉院展を楽しみに観に行くのですが、正倉院は図書館、博物館、公文書館をひとまとめにしたようなすごい施設です。奈良時代にあれだけのナショナルアーカイブを造り、中国大陸や朝鮮半島ではとっくに失われた貴重な文物が1300年経た今も当時の原型のまま残っている。専門家がきちんと管理しているからです。もちろん今の国の公文書館とは内容や目的は違いますが、ぜひ21世紀の正倉院を造るぐらいの気構えで挑んでほしいですね。

(上川)通常、近代国家の定義の中に、図書館、博物館、公文書館がバランスよく配置されているということがあります。ぜひ公文書館を正倉院並みのナショナルアーカイブスにしていきたいと思います。

(鈴木)陽子さんが以前訪問されたヨーロッパの公文書館は、宮殿のような建物だったそうですね。日本の公文書館も、日本の歴史と伝統を感じさせる建物にしてほしいなと思います。

 (上川)現在、国立公文書館の本体は北の丸公園にあり、つくばに分館があります。本館も分館も書庫が満杯状態で、各省庁から集まる重要文書を収容できなくなる可能性があります。それほど時間的余裕はないんですね。谷垣会長からは具体的に新館建設の道筋をつけていくのが重要だとおっしゃっていただきました。外交資料館や宮内庁資料館に分散した資料もありますので、それらとネットワークできる機能も考えています。

 (鈴木)どんな建物になるかわかりませんが、21世紀の正倉院になってほしいなと思います。

             ♪            

(上川)ところで真弓さんは「平和祈念展示資料館」という施設をご存知ですか? 

(鈴木)いえ、戦争に関する施設ですか?

(上川)平成12年に設立した国の施設で、総務省が民間に運営を委託しているんです。場所は東京・新宿住友ビル48階です。展示しているのは太平洋戦争に関する資料で、戦前の国内外の政治・経済状況から始まり、アジア・太平洋全域における戦線拡大の様子、「赤紙」による召集から軍隊生活、さらには終戦後の引き揚げやシベリア抑留などに至るまで、その過酷な実態等が様々な実物資料、グラフィック、映像、ジオラマなどでわかりやすく紹介しています。

(鈴木)今まで行ったことのある戦争資料館といえば、広島の原爆資料館ぐらいでしょうか。新宿の高層ビルの中にそういう施設があるとは知りませんでした。

(上川)広島の原爆資料館が、原爆の恐ろしさや被爆者の悲劇を通して平和の尊さを伝えるものだとしたら、この資料館は、戦地に赴いた人々の、戦争が終わってからも労苦(苦しくつらい)体験をされた、兵士、戦後強制抑留者、海外からの引揚者の3つの労苦を通し、平和を祈る施設といえるでしょう。多くの方々がご自宅で大事にされていた遺品類を寄贈されたのです。祈念資料館の【祈念】は、祈り念じると書く【祈念】です。総務副大臣として2月に初めて訪問させてもらいましたが、戦争経験者と思われる年齢の方がお2人いらっしゃって、じっと食い入るようにご覧になっていました。

(鈴木)とくに印象に残った展示は?

(上川)それぞれの場面で、聞いていたものと、ホンモノとでは印象が違うと思いました。赤紙といっても薄いピンク色だったんですが、これを実際に手にされた方はどんな思いだったんだろうと。私が1月に訪問したウズベキスタンでの、シベリア抑留者によるナヴォイ劇場建設の記録もありました。現地を見てきたばかりでしたので、目が釘付けになりました。展示コーナーには袖のない防寒外套というのがあって、シベリアの冬は零下30~40度になるのですが、この外套の持ち主は飢えに耐えかね、現地の労働者が持っていたパンと外套の袖を交換したんだそうです。本当に見ていてつらかったですね。当時を懸命に生きた日本人一人ひとりの貴重な記憶や記録を次の世代につないでいく責任を強く感じました。

 (鈴木)ウズベキスタンのナヴォイ劇場建設のお話、以前、ラジオシェイクでうかがったとき、ひときわ心に残りました。もう一度紹介していただけますか?

(上川)戦争が終わってシベリアに抑留された方の中で、ウズベキスタンの街の復興のため、労働者として駆り出された人々がいました。ナヴォイ劇場はボリショイ劇場と並ぶ国を代表する劇場で、日本人の強制労働者は建設に当たって一切手を抜くことなく、立派な劇場を建設しました。このことをウズベキスタンの人々は大変尊敬しているのです。大きな地震があったときもこの劇場だけがびくともしなかったと。私たちの先輩方が国のほこりを守って行動されたことが、今の日本外交の礎になっていることを忘れず、次の世代に伝えねば、と感じました。

 (鈴木)平和祈念資料館、グラフィックや映像資料も充実しているようですね。

 (上川)抑留者の証言ビデオがかなり残っており、生きた記録として大切にされています。お元気なうちに証言を残そうとされたことは、これから公文書館の建設に向け、大いに参考になりました。

 (鈴木)映像というのは一度に大勢の人にわかりやすく情報を伝えることが出来ます。ナヴォイ劇場のエピソードなどは映画化してもいいくらいですよね。

 (上川)ウズベキスタンに行ったとき、ちょうどナヴォイ劇場の内装工事を行なっていました。完成時には日本人のこともスポットがあたるといいなと思います。

 

 

かみかわ陽子ラジオシェイク 第89回 「世界経済フォーラムラテンアメリカ会議、法務省矯正支援官」 ~2015年6月15日オンエア

 (上川)こんばんは。上川陽子です。今夜もお電話で失礼いたします。今日はまず、前回の放送で途中だったゴールデンウィークの海外視察についてお話させてください。

(鈴木)前回はカナダでのテロ対策の視察で入国管理上の仕組みを視察されたお話でした。今日はメキシコについてうかがいましょう。

(上川)メキシコは5月5日から実質2日間半の滞在でしたが、世界経済フォーラム・ラテンアメリカ会議に参加しました。カナダのオタワからシカゴ経由でメキシコに入りました。

(鈴木)世界経済フォーラムって1月にスイスのダボスで開かれる「ダボス会議」で知られていますよね。先月でしたか、事務局から 2015年の旅行・観光競争力ランキングが発表され、日本は世界141か国・地域の中で第9位になったと話題になりました。

(上川)前回2013年の14位から順位を上げ、2007年の調査開始以来、過去最高の順位です。とくに「客の待遇」の項目で首位。鉄道網の整備や衛生状態、飲用水へのアクセスなどで順位が高く、円安の恩恵もあってホテル料金が71位から36位へと大幅に改善しました。さらに今回から安全面の評価に「テロ発生率の低さ」と「殺人事件の発生率の低さ」が加わり、それぞれ1位と2位です。これらが総合順位を押し上げたんじゃないでしょうか。

(鈴木)法務大臣としても誇らしい評価ではないでしょうか?

(上川)そうなんです。今回招かれた世界経済フォーラム・ラテンアメリカ会議でも、ずばり治安がテーマでしたので、治安の良い日本から学ぼうと招聘されたわけです。

(鈴木)世界経済フォーラムってスイス以外でも開かれるんですね?

 (上川)世界経済フォーラムはスイスのダボスで開かれる年次総会に加え、東アジアやラテンアメリカなど数ヶ所で地域会議を開催し、中国やアラブ首長国連邦においても別途の年次総会を開催しています。会議だけではなくさまざまな研究報告書を発表し、メンバーたちが各業界に関連したイニシアティブに関わるなどの活動を行っています。先月の旅行・観光競争力ランキングの発表もその一環ですね。

(鈴木)なるほど。今回陽子さんは治安以外のセッションにも参加されたんですか?

 (上川)今回のラテンアメリカ会議では、治安をめぐるセッション、女性セッション、IGWELトップ会談という3つのセッションに招かれました。各セッションには民間NGO等も参加し、自由闊達な議論がなされます。さらにコアの会議には世界トップレベルの経済学者や各国リーダーが少数集まるのですが、そちらにも今回初めて参加させていただきました。

(鈴木)大忙しでしたね。

 (上川)それ以外にもさまざまな会談をこなし、マスコミ取材も受けました。世界経済フォーラムの役割は何か等、さまざまなインタビューを受けたんですよ。それらは紙媒体や電子レポートとして世界に発信されます。

 (鈴木)陽子さんが地球の裏側で日本を代表してそのようなメッセージを発信されていることを、日本国内ではなかなか伝えられませんので、世界のメディアのレポートを期待したいところです。

 (上川)ラテンアメリカ地域の持続的な発展の観点から、将来的な社会あるいは国家の安全、また治安という点について議論したいという意向があり、日本は犯罪率が低いということ、また国民に信頼される確固たる司法制度が実現しているという実態に注目され、日本の経験を聞きたいというのが招待の理由でした。非常に驚きを持って聞いていただきました。

 メキシコを中心に、中南米はものすごい勢いで経済発展しています。日本の自動車メーカーも、製品輸出のみならず、現地に生産拠点をもうけ、北米に売っていこうというシフトに変わりつつあります。そうなりますと、日本人がビジネストリップする機会も増えますし、現地での治安問題にも取り組まなければなりません。現地の生産工場を持っていくということは、雇用の創出や技術の移転ということで、現地では大いに歓迎されます。治安の問題を払拭すべく、日本の信頼される司法制度を参考にしたい、ということが、招待の理由の一つでした。

(鈴木)他に参加されたセッションとは、どういうものでしたか?

(上川)女性のリーダーシップに関するセッションに参加し、本当にリーダーの中のリーダーという方々と議論することができました。10人ぐらいのメンバーで、自国における女性活動の問題について、類似性や違いを洗い出してみました。ラテンアメリカの場合、性別による役割分別が根強いという感があります、日本にも同様の問題があって、ワーク・ライフバランスに取り組みながら、社会全体の風土を変えていこうと取り組んできました。現地は日本の20年ぐらい前の状況かなという印象でした。それでもそれぞれの分野、それぞれの国々の中で苦労することは似ていて、みな同じように頑張っていて、「そうそう、そうよね」と共感できることもたくさんありました。

(鈴木)今、ものすごい高度な女子会トーク、みたいなものをイメージしました(笑)。 

(上川)そうですね。ネットでこれからもつながっていこうと、メールアドレスを交換して帰ってきました。国籍が違っていても、抱えている悩みは同じなんですね。日本ではとにかく政治的なリーダーシップをとって動いていることをアピールしてきました。この秋、日本で女性リーダーを集めた国際サミットを予定していますので、ぜひ来ていただきたいとお声かけしました。

(鈴木)その報告も楽しみにしております。

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(鈴木)さて、後半は私も芸能ニュースで観て関心を持ったのですが、エグザイルのアツシさんや浜崎あゆみさんといった著名な芸能人が「法務省矯正支援官」に委嘱されたというニュースについてうかがいます。

(上川)さる4月22日に法務省において「法務省矯正支援官」の委嘱式が開催され、芸能人11組に任命いたしました。アツシさん、石田純一さん、桂才賀さん、コロッケさん、清水宏保さん、貴乃花光司さん、高橋みなみさん、夏川りみさん、浜崎あゆみさん、Paix²(ペペ)さん、MAXさんです。これは、全国の矯正施設の慰問を55年も続けていらっしゃる杉良太郎さんの呼びかけで実現したものです。

(鈴木)杉良太郎さんがそういう活動をされていることは芸能ニュースで知っていましたが、55年も続けていらっしゃったんですか。

(上川)杉さんは法務省にとってなくてはならない方で、今は「特別矯正監」になっていただいています。お一人だけなんですよ。 

(鈴木)確か、エグザイルのアツシさんが北海道の網走刑務所を訪問され、アツシさんの歌のおかげで自殺を思い止まったというファンからの手紙を引用され、涙ぐみながら熱唱されたシーンをニュースで拝見しました。おそらく聞いていらした受刑者の皆さんの心にも訴えるものがあったのではないかと思いました。矯正支援官という制度は今回新たに作られたのですね? 

(上川)法務省の仕事の一つに、犯罪や非行をした人の改善更生及び円滑な社会復帰を促進するというものがあります。刑事施設や少年院でさまざま再犯防止のための施策を推進しているんですが、犯罪や非行が繰り返されないようにするためには、犯罪や非行をした本人が過ちを悔い改め、自らの問題を解消するなど、その立ち直りに向けた自助努力が必要です。国がそのための指導監督を徹底して行うべきことは言うまでもないところですが、同時に、犯罪や非行をした人を社会から排除・孤立させるのではなく、再び受け入れることが自然にできる社会を構築していくことも必要です。これが法務省の基本的な考えで、「犯罪に戻らない・戻さない」を合言葉にしています。

(鈴木)陽子さんが再三おっしゃっているキーワードですね。 

(上川)そうです。このような観点で、杉さんが55年も活動を続けていらっしゃって、立ち直りの応援団として大きな役割を果たしていただきました。刑務所や少年院に直接出向いて直接声をかけることが有益だということから、多くの芸能人のお仲間にお声かけをくださったのです。

(鈴木)実際にお会いになった支援官の皆さんは、どんな印象でしたか?

(上川)委嘱式の部屋に入ってびっくりしたんですが、みなさん全員、制服でビシッと並んでおられたのです。刑務に実際に携わる人と同じ気持ちで向き合うという意志を表明していただいたんですね。本来ならばそれぞれのパフォーマンスに応じた衣装をお持ちだったと思うのですが、刑務官の制服を着ていただいたということが、非常に嬉しかったですね。まずこういう仕事が大切であることを知って、実際に行動していくことの価値を実感していただいたのではないでしょうか。今後、各施設の訪問活動をはじめ、矯正展でのテープカット等にも参加していただく予定です。

(鈴木)芸能人の活動として話題になりがちですが、この制度が本来の目的を遂げ、よりよい社会づくりに寄与することを祈っております。