杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

駿河茶禅の会京都禅寺ツアー(その2)

2016-05-12 16:55:07 | 駿河茶禅の会

 GWの駿河茶禅の会京都禅寺ツアーレポートの続きです。

 7日夜は大徳寺や船岡山に近い【紫野しおん庵】という京町家を1棟借りし、歩いてすぐの船岡温泉(国有形文化財の銭湯)で汗を流し、向かいの酒場でビールを飲み、しおん庵に戻ってまた飲んで、いい年齢のおっさんおばさんが修学旅行のようにはしゃぎ尽しました(笑)。しおん庵は銭湯&居酒屋は目の前だし、朝は7時から開いているパン屋さんがすぐ近くだし、家族やグループで泊まるのにもってこいでした!

 

 8日は9時15分から見学予約をしていた大徳寺聚光院を訪問しました。ご存知・千利休の菩提寺で、会で訪問するのは2回目。表千家7代如心斎が、千利休150回忌の際に寄進したと伝わる三畳の茶室「閑隠席」(重要文化財)を改めて鑑賞し、如心斎が利休の目指した禅の厳しい教えを大切に再現したことを実感。茶庭の井戸に織部焼の滑車が付けられていたのも発見でした。

 今回は、今年創建450年を迎えることから、寺宝の国宝・狩野永徳の障壁画が特別公開中ということで、ガイド付きでじっくり見学しました。ホンモノは京都国立博物館に寄託され、いつもは複製画の展示である狩野永徳と父・松栄の本堂障壁画46面(全て国宝)が9年ぶりに里帰りし、‟お寺の襖絵”という本来あるべき姿で鑑賞できたのです。描かれた花鳥が中央のご本尊のほうに向いているとか、ち密に大画面効果を考えた奥行きある作風だったことは、博物館の平面展示ではピンと来ないし、複製画とホンモノの違いは素人にもわかる。この障壁画は、昭和54年(1979)にパリのルーブル美術館からモナリザを借りたとき、そのお返しにフランスで展示されたそう。モナリザと同等の価値、というわけです。

 

  2013年に落慶した新しい書院には、現代日本画のトップランナー千住博画伯の障壁画『滝』が奉納され、初公開されました。「時の流れを象徴するモチーフ」を表現した鮮やかな青&白い滝の見事なコントラスト。青の襖の前に黒の着物姿の男性が、白の襖の前に色鮮やかな着物姿の女性が座ると抜群のカラーセッションになる、というわけです。千住画伯は、狩野永徳の国宝障壁画に並べて観られるこの作品を生み出すのに16年格闘したそう。「この青は宇宙から見た地球をイメージしたもの。さすがの永徳でも見たことのない色だろう」と構想したとか。トップアーティスト同士の450年越しのバトルを垣間見た思いでした!

 院内は撮影不可でしたので、こちらのサイトを参照してください。

 

 

 七条まで移動し、智積院会館「桔梗」で湯葉料理のランチ。その後、京都国立博物館で開催中の特別展【禅ー心とかたち】を鑑賞しました。実は13時30分から地下講堂で始まる相国寺僧侶の「声明ー禅の祈り」を聴くつもりで、私一人、整理券を人数分取りに行ったら、券は一人につき1枚しか渡せないと言われてしまい、大慌て。しかも190席のうち残り40枚ぐらいしかなく、目の前で次から次へ来館した人に渡っていく。静岡から来た禅の勉強会のツアーだと話したところ、担当の女性スタッフが上に掛け合ってくれたのですがやはりNG。食事中の参加者にSOS電話をし、食事が済んだ人から駆けつけてもらったんですが、結果的に2人が取れずじまい。完全に事前確認し忘れた自分のミスで、2人には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 その女性スタッフが整理券の残りが少なくなるにつれ、「私までドキドキしてきちゃいました…」と一言。お名前はうかがいませんでしたが、何気ないその一言に救われた思いでした。ほんとに感謝です。

 

 肝心の展覧会は、整理券のことであたふたして集合時間や場所を伝え忘れたりして、落ち着いて観ることができなかったものの、パンフレットの表紙にもなっている国宝の雪舟筆「慧可断臂図」(洞窟で坐禅中の達磨に、弟子入りを乞うため、自分の臂を切って差し出す慧可)だけはしっかり凝視。

 

 また、4年前の渋谷Bunkamuraの白隠展以来、ひさしぶりに白隠禅師「富士大名行列図」(解説はこちらを)に再会できて大感激でした。

 

 芳澤勝弘先生が、白隠画の最高傑作とおっしゃるこの絵、白隠さんの意図が分からなければ、ただの富士山風景画でしょう。先生がなぜ最高傑作とおっしゃったのかが多少なりとも咀嚼できるまでになったこの4年ほどの白隠勉強を振り返り、私自身は胸一杯になりました。ほかのインパクトある白隠画に比べ、足を止めて観入る人の数は多くはなかったけれど、当会の参加者も「こういう大きな展覧会で見ると、白隠さんや富士山を見慣れた我々が、いかにすごいお宝のそばに暮らしているかがわかるね」と目を輝かせていました。

 

 出入り口で皆を待っていたら、見たことのないゆるキャラのフォトセッションが始まりました。左側のトラは京都国立博物館の公式キャラクター「虎形琳ノ丞(通称トラりん)」、右の埴輪みたいなのは東京国立博物館の公式キャラクター「東 博(あずまひろし:通称トーハクくん)」だそうです。白隠さんの達磨像の前だと達磨像までゆるキャラに見えちゃいます(笑)。

 

  禅展は京都では5月22日まで、東京では10月18日から11月27日まで開催されますので、ぜひお運びください。公式サイトはこちらです。

 

 全員そろって博物館を出たのが15時40分ころ。最後に東福寺で特別公開されている法堂&禅堂を訪ねる予定だったのが、拝観受付が16時までと気づき、またまた大慌てでタクシーに分乗して移動し、ギリギリセーフ。

 紅葉の名所で知られる東福寺。静岡市民にとっては地元出身の聖一国師が建立した禅宗大本山としておなじみですが、今回特別公開された法堂は、高さ25.5メートル、間口41.4メートルの堂々たる仏殿。創建当初は15メートルの釈迦仏像が安置され、脇侍の観音・弥勒両菩薩像は7.5メートルもあり、新しい大仏さんのお寺として喧伝されたそうです。造営したのは鎌倉時代の摂政関白・九条道家。現在の建物は昭和9年に再建された、昭和の木造建築としては最大級の建造物です。

 天井には京都画壇の巨匠・堂本印象がたった17日間で書き上げたという蒼龍図があります。龍は仏教を守護する八部衆で、「龍神」ともいわれ、本山の多くでは法堂(はっとう)の天井に龍が描かれています。法堂は仏法を大衆に説く場所であり、龍が法の雨(仏法の教え)を降らすといわれ、火災から寺を守るという意味も込められているんですね。

 法堂の柱のひとつに、日蓮柱という刻印がありました。禅宗の寺に日蓮宗の寄贈柱?と不思議でしたが、なんでも日蓮上人が他宗から迫害を受けたときに聖一国師に助けてもらったそうで、国師が東福寺建立の際、柱を一本寄贈されたそうな。昭和の再建時にも日蓮宗の門徒が寄付されたとのこと。宗教戦争が止まない国ではあり得ないエピソードですね。閉門時間16時30分とあって、30分足らずの拝観ながら、無理して駆けつけてよかったです。特別拝観は5月22日まで。詳しくはこちらを。

 

 東福寺駅で解散し、残った9人で伏見まで移動し、今年3月にオープンした地酒屋台村【伏水酒蔵小路】で打ち上げ。ビールと焼き鳥で胃袋を落ち着かせた後、京都伏見の17蔵を一挙に試飲できる世界初の17蔵試飲セットを一気飲みしました。飲む前にソルマックをサービスで出してくれるところが粋でした(笑)。

 

 茶禅をテーマに、ふだんはなかなか観られない国宝や特別名勝を巡った2日間。私が単純に、自分で観たいところに皆さんを巻き込んだだけかもしれませんが、同じ視線で楽しみを共有してくれた仲間の存在を、改めて心強く感じます。

 禅語の、

 三人同行、必有一智

(この世界に朋友ほど善きものがあるだろうか。修行の道を歩む修行者同士は「道友」として互いに切磋琢磨する仲間。そういうときお互いは友であるとともに、お互いにとっての師でさえある)

が身に沁みた2日間でした。


駿河茶禅の会京都禅寺ツアー(その1)

2016-05-09 21:48:07 | 駿河茶禅の会

 今年のGWラスト2DAYS(5月7・8日)は、新緑目映い京都へ、駿河茶禅の会の皆さん21人を素人アテンドしながら行ってきました。京都国立博物館で開催中の【禅ー心とかたち】にちなみ、通常非公開の禅宗大本山塔頭寺院が特別公開されているので、巡れるだけ巡ろうと、今年の年明けから計画していたのです。しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー企画と同時並行につき何度も混乱し、加えて茶道の師匠望月静雄先生が急に不参加となり、生徒だけのお遊びツアーになってしまいましたが、なんとか無事催行できました。

 

 7日は10時前に京都駅に集合し、JR嵯峨野線に乗って嵐山へ。ちょうど1週間前に放送されたブラタモリで紹介された渡月橋や天龍寺を散策しました。天龍寺の百花苑は先月、枝垂桜が満開の時期に下見に来た時とはうってかわって一面、新緑の洪水。その中に色鮮やかな初夏の和花がキラキラと輝き、茶室に飾ったらさぞ美しいだろうと心躍る思いがしました。自分ちに茶室はないけど(苦笑)。

 

  お昼は天龍寺直営の篩月で精進料理をいただきました。簡素な食事を想像していたら、あにはからんや、ずっしり食べ応えのある一汁一飯五菜(写真の膳に賀茂茄子田楽&果物がプラス)。どれもさすがに手間暇かけた皿ばかりでした。我々は予約をしましたが、少人数なら予約なしでもOKみたいで、ファミリーやカップルの海外観光客がひっきりなしに入ってきました。貸し切り満席の日が何日かあるようですので、ご利用の際はサイトで確認してみてください。

 

 嵐電を乗り継いで次に向かった大本山は妙心寺。塔頭の大法院でお抹茶をいただきました。ここは春と秋に限定公開されていて、紅葉の時期が有名のようですが、この季節も清涼感たっぷり。お茶をいただいた客殿の前には、枯山水が多い禅寺の中では珍しい露地庭園(茶庭)が広がります。

 大法院は江戸時代の寛永二年(1612)、信州松代藩主だった真田信之(大河ドラマで大泉洋演じるお兄ちゃん)の孫・長姫が、信之の遺命により菩提寺として妙心寺山内に創建した塔頭です。長姫は妙心寺百七十五世・絶江紹堤(ぜっこうしょうだい)禅師に禅を学んでいたことから、その法嗣にあたる淡道宗廉(たんどうそうれん)を開祖とし、院号は真田信之の法名「大法院殿徹岩一明大居士」より命名。松代藩主真田家からは毎年五十石が施入され、藩寺として保護されたとのこと。今でも長野県民の参拝者が多いそうです。

 墓所には真田信之の墓と、幕末に吉田松陰や坂本龍馬を育てた佐久間象山(1811~64)の墓もあります。象山は松代藩主の儒臣で、元治元年(1864)に京都三条木屋町で攘夷派の熊本藩士・河上彦斎らに暗殺された後、ここに墓が造られました。真田信之と佐久間象山の墓を一緒に拝めるなんて、歴史好き&大河ドラマファンなら見逃せませんね!


 院内には土方稲領(ひじかたとうれい)が描いた襖絵「叭叭鳥図(ははちょうず)」があります。叭叭鳥は中国に生息するカラスに似た鳥で、九官鳥のように人の声を真似る鳥だそうです。稲領が描いた叭叭鳥図は鳥100羽が梅の老木に群がり飛ぶ様子が描かれ、禅語の「長空鳥任飛(自らの心境のまま、自由自在の有様)」を表現したそうです。また佐久間象山筆の「常賞」という字も掲げられています。


 妙心寺からJR花園駅⇒JR二条駅⇒地下鉄烏丸御池と乗り継いで、次に訪ねたのは三条釜屋にある大西清右衛門美術館。この地で約四百年にわたって茶の湯の釜を作り続ける千家十職の釜師・大西家の伝統と技に触れました。


 幕末の大老で茶人でもあった井伊直弼は『茶湯一会集』の中で「釜は一室の主人公に比し、道具の数に入らずと古来云い伝え、此の釜一口にて一会の位も定まるほどの事なれば、よくよく穿鑿をとぐべし」と記していたそうですが、なるほど、目利きの茶人が好みそうな切子釜、提灯釜、達磨釜などユニークな形状の釜がズラリ。釜の形状のルーツは、①煮炊き用の鍋や釜など生活用具から発展したもの、②大陸の影響をうけたもの、③宗教の道具から影響をうけたものに分けられるそうで、とくに宗教の影響としては経典を保存する経筒、仏事で使用する香水壺や護摩炉釜、九輪(仏塔の最上部にある九つの宝輪)などからデザインや製法のヒントを得たようです。

 いずれは錆びて朽ち果てる鉄を原料にし、鋳型の技術、彫刻の技術、槌起や彫金の技術、熱処理や漆の技術など複雑で難度の高い加工を必要とする上に、茶人からハイレベルな要求があるのか、はたまた職人としてのプライドからか、さらに凝りに凝った意匠にこだわる職人たちの心意気。これが、数百年経て〈侘び味〉〈やつれ〉と言われる独特の味わいに生まれ変わるのでしょう。西欧には鉄器に対するこういった価値観はないそうです。

 お茶の道具は、使い手からみると、戦国時代は権力者のシンボルに、江戸時代は財産替わりに利用され、侘茶の精神とは違う世界のように感じていましたが、道具の作り手からすれば、技を究めるひとつの精神修養にも思えます。

 利休百首の中に

「茶はさびて 心はあつくもてなせよ 道具はいつも有合にせよ」

「釜一つ あれば茶の湯はなるものを 数の道具をもつは愚な」

という歌があり、その一方で、

「かず多くある道具をも押しかくし 無きがまねする人も愚な」という歌もあります。

 誠心からもてなせば道具は高価なものや珍器でなくても有り合わせのもので十分。道具ではなく心で点てよと言いつつ、たくさん道具を持っていながら、さも持っていないような顔をするのは愚かだ、持っているなら十分活用せよと言うこと。確かに、道具の良し悪しや数に囚われるというのは、禅が戒める執着心の表れ、とも言えますね。釜、茶碗、棗、茶杓等々、種々の道具を用いる茶道では、道具の数だけ心も試されるのかもしれません。(つづく)


 

 


しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー第2弾「ZEN to SAKE ~白隠禅師の松蔭寺と白隠正宗酒蔵訪問」

2016-05-01 16:59:18 | しずおか地酒研究会

 このブログでも再三紹介しているとおり、私は日本酒と同じぐらい、いやセーラー服を着ていた頃から歴史や仏教が好きで、地酒の取材をライフワークにしてからも、酒の味わいや、味わうスタイルの追求もさることながら、地酒が育まれてきた地域の歴史や文化を正しく理解し、後世に伝える仕事が出来たらなあと願ってきました。

 今年1年間、予定している地酒研20周年アニバーサリー企画でも、地酒ファンに歴史の面白さを、歴史ファンに地酒の魅力を相互に伝える機会をつくろうと、まずは4月29日、実験的なツアーを開催しました。タイトルはずばり「ZEN to SAKE~白隠禅師の松蔭寺&白隠正宗蔵元訪問」。以下は会員に宛てた企画趣旨です。

 

◆当会設立20周年アニバーサリー企画第2弾は、「駿河に過ぎたるもの二つあり、富士のお山と原の白隠」と謳われた白隠禅師のふる里・沼津の「白隠正宗」高嶋酒造を訪問します。

◆近年とみに人気うなぎのぼりの白隠正宗。ANAの国際線ビジネスクラス機内食にも採用されるなどブランド力は国内外に浸透しています。既成概念にとらわれず、新たな米や酵母や製法にも果敢に挑戦する若き蔵元杜氏・高嶋一孝さんの酒造りに熱い注目が集まっています。

◆酒銘となった白隠禅師(1685~1768)は、禅宗において500年に一人といわれる中興の祖。ジョン・レノンもスティーブ・ジョブスも心酔したZENを確立させた功労者です。とはいえ、実際にどのような功績を遺されたのかよく知らない・・・という静岡県民は少なくないと思います。

◆今年から来年にかけ、白隠禅師遠忌250年の記念行事が全国各地の博物館や宗門施設で行なわれます。当会でも蔵元見学に加え、白隠禅師が生涯を過ごした松蔭寺で年に1度開かれる寺宝展を鑑賞し、専門家の解説を聞きながら、白隠禅師の人となりに触れてみたいと思います。

◆当日は、寺宝の白隠禅画(通常非公開)が“虫干し”され、全国から白隠ファンが詰め掛けます。白隠正宗のラベルに描かれたおなじみの達磨像(真筆)も間近に鑑賞できます。

◆現在、高嶋酒造の井戸から汲み上げる仕込み水は、白隠禅師が生きておられた250300年前に富士山に降り積もった雪が地下を浸透し、湧き出た雪解け水だといわれます。沼津の原から世界に発信するZENSAKEのクロスオーバーを、しかと体感しましょう!


 募集後すぐに定員20名が満席となったものの、地酒研の会員さんはやっぱり蔵元見学がお目当てだろうなぁ、私の個人的な趣味に付き合わせる独りよがりな企画かもなぁと一抹の不安。4月29日当日は13時に原駅に集合してもらい、まずは松蔭寺を訪問しました。

 

 白隠禅画についてはここ数年、にわか勉強を始めたばかりで、天下の松蔭寺で弁を立てるほどのスキルはまったくないため、駿河白隠塾の運営委員としてお世話になっている県観光政策課の久保田豪さんに白隠禅画の解説をお願いしました。


 久保田さんは県の職員ながら、歴史や仏教の知識は玄人はだし。昨年、プラザヴェルデ開館1周年記念「国際白隠フォーラム」を仕掛けた人で、そのまんま歴史番組のコメンテーターになれるぐらいトークも玄人はだし。「難しい禅の話はそこそこでいいから早く蔵元に連れていってくれよ~」と内心思っていただろう(笑)参加者も、いつの間にか久保田解説に聞き入り、我々以外の一般のお客さんも便乗し、ゆうに30人を超える聴衆が久保田さんの白隠禅画トークに魅了されました。


 当日は松蔭寺の本堂で、所蔵の白隠書画30数点が鴨居から吊るされ、「南無地獄大菩薩」「すたすた坊主」「出山釈迦像」「布袋隻手音声」といった白隠ファンお馴染みの傑作がズラリ。国立博物館級の名品が目と鼻の先で凝視できるのですから、ファンにはたまらない唯一無二の展覧会です。堂内撮影禁止ゆえ、文字報告だけになりますがお許しください。

*白隠画については2012年に渋谷Bunkamuraミュージアムで開かれた白隠展の動画が花園大学国際禅学研究所のサイト(こちら)で閲覧できますので参考にしてみてください。

 

 参加者が目を引いたのは、やはり、白隠正宗のラベルに使われた達磨像。白隠さんが描かれる達磨像に必ずといってよいほど書かれる賛『見性成仏(けんしょうじょうぶつ)』を、この機会に地酒ファンにも覚えてほしいと、久保田さんにしっかり解説してもらいました。

 元は、禅語『直視人心 見性成仏』。心の根っこをずばり指し示し、人が誰でも持っている仏性に目覚めなさい、という意味です(詳しくは禅宗のネット解説(こちら)を)。カッと目を見開き、睨み付けるような厳しいお顔の達磨大師ですが、仏は外にいる誰かではなく、あなた自身の内側にいるんですよ、と励まし、勇気づけてくれているんです。

 このラベルの白隠正宗特別純米誉富士を飲むとき、私は「誰かの評価ではなく、自分自身が心底、美味しいと思える呑み方で味わおう」と勝手に解釈しながらいただいています。後で訪ねた高嶋さんが、図らずも「冷でも常温でも燗でも、どんな呑み方でもちゃんと呑める酒を造りたい」「そのためにも、吟醸造りと同等に酒質を磨く努力を怠らない」と語っていましたが、造り手が目指すそのような酒の本質をしっかり理解し、感じられる呑み手でありたいと思うのです。

 この酒は今年6月まで、ANAの国際線ビジネスクラスの機内食に採用されています。大吟醸や生もと・山廃のような特殊な造りではなく、日常酒として愛飲される純米クラスの酒が、ANA社内で全国の銘酒100品をセレクトした中から選ばれた2品のひとつだったと聞いて、溜飲が下がる思いがしました。

 


 松蔭寺を後にし、旧東海道をブラ歩きしながら、高嶋酒造へ到着。すでに造りは終了し、連休休みに入っていて、高嶋さんお一人でお出迎え。日本の酒蔵では一番旧型と思われる精米機や、県内唯一の縦型ヤエガキ式上槽機(写真は昨年1月の上槽作業中に撮ったもの)、高嶋さんが発案したパストライザー(加熱殺菌機)など珍しい酒造機械の解説に、メカ好きの男性会員が熱心に聞き入っていました。私はパストライザーの上にディスプレイされたミニフィギュアに思わずクスッ。

 釜場と洗い場のそばには、湧き水が流れる音が絶え間なく響く水槽があり、その上にしめ縄がさりげなく吊るされていました。酒蔵にとって水質・水温・水量が大きく変化することなく年間を通して湧き出づることがいかに重要か、「仕込みはもちろん、米洗い、道具洗いにも半端のない量の水を使うから」と高嶋さんも強調します。高嶋酒造のこの水は約300年前に富士山頂に降り積もった雪が地中で自然にろ過されて湧き出たものといわれます。前述の企画趣旨にも書いたように、白隠さんが生きておられたころに降った雪、ということ。日本酒の歴史は約2000年、臨済禅師が日本に禅宗を伝えて約1200年・・・長い長い時間軸の中で、こういう偶然に立ち会えるというのは、ある意味、とても幸せなことですね。



 


 見学&試飲を終え、白隠正宗をお土産に買って帰りたいという参加者リクエストに応えるべく、電車で沼津まで移動し、駅前の松浦酒店で爆買い。ちょうど連休中のサービスイベントとして、店頭でちょい呑みが出来るということで、ベアードビールで乾杯しました。まだ陽が明るいうちから駅前の大通りに机と椅子を出して堂々と呑めるなんて、この上ないサービスです!


 ツアーの〆は地酒本「杯が満ちるまで」で紹介した『くいもんや一歩』。カウンター10席の店に20人無理やり押し込めた全然くつろげない、すし詰め状態の宴会でした(苦笑)が、酒縁を結ぶのに程よい密着感だったんじゃないかな。ちょうど一歩で盛り上がっていた時間、沼津は大雨に見舞われていたようですが、まったく気が付きませんでした。


 


 二次会はオーセンティックバーFRANKに移り、ゆったり座ってじっくり酒談義。別の酒の会に参加していた高嶋さんも合流してくれて、終電ギリギリまで楽しく過ごしました。

 半日のツアーながら、これだけ盛り沢山のプログラムが組めたのは、沼津に日本屈指の禅文化と酒文化が根付いているおかげです。このことを再認識できただけでも、まあまあ企画として初志貫徹できたかなと独りよがりの自己満足に浸っています(笑)。


 静岡には東海道の歴史があり、街道沿いに酒蔵も多く点在していますので、いろいろなツアー企画が可能ですね。次回は夏ごろ、今度は日本酒の源流を訪ねる奈良・京都の酒造聖地巡礼を予定しています。会員限定でのご案内になるかもしれませんが、ぜひとも有意義なツアーにし、いずれ酒と歴史と文化を訪ねるガイドブックとしてまとめられたらいいなあ、なんて思います。出版関係の皆さま、よろしくお願いします!