杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

國酒を愛する人々

2014-04-28 16:05:43 | しずおか地酒研究会

 あわただしい毎日を送っているうちにGWに突入してしまいました。気がつけばブログ、今月は2回しか更新してませんでした。こういう怠け癖が老化につながるんですね、いかんいかん。

 

 前回、あべのハルカスの東大寺展を紹介しましたが、大阪入りの前日4月18日には兵庫、京都もハシゴしてました。兵庫では灘の酒蔵資料館を4ヶ所(白鶴、菊正宗、櫻正宗、浜福Dsc_0357 鶴)を回り、その足で酒の神様・京都松尾大社へお参り。ちょうどヤマブキが見ごろでした。

 

 

 

 

 

 さらに特別公開していた妙心寺塔頭退蔵院の紅しだれ桜を見て、夜はいつもの興聖寺で坐禅。京都に泊まって翌日あべのハルカスの東大寺展記念パネルディスカッション「神も仏も日本のこころ」へ。まさか東大寺展のパネルディスカッションで松尾大社の男神像が話題に出るとは思わず、ビックリ!!。ちゃんと拝んでおけばよかった・・・と後悔しました(苦笑)。

 

 

 松尾大社ではいつも酒造りに携わる人のお守り「醸造守」や、酒を販売する人のお守り「販酒守」、酒の飲む人のお守り「服酒守」を購入し、酒縁のあった方に差し上げているのですが、今回購入した「服酒守」、ひょんなことから意外な人に差し上げることになりました。

 

 

 

 

 4月22日は東京銀座でトマト料理の達人を取材した後、この春から伊豆の国市の安陪均さん(陶芸家兼料理人)が板長を務めることになった月島の『1と8』という店を陣中見舞い。もんじゃ焼き店が軒を連ねる下町の古い長屋をリユースした、カウンターだけの小さな店ながら、安陪さんらしい客筋の良さもあって大人の小粋な穴場って感じ。「静岡の酒を頑張って売ってくよ~」と張り切る安陪さんに、「販酒守」を進呈しました。

 

 

 当初は日帰りのつもりでしたが、数日前、上川陽子さんの事務所から急遽、23日に開かれる自民党の議員連盟「國酒を愛する議員の会」への参加依頼。ビックリしましたがこれも松尾の神様のお導きかもしれんと、22日夜は東京へ泊まり、翌23日、オバマ大統領来日のピリピリムードの永田町自民党本部へ。総務副大臣職で分刻みのスケジュールをこなす陽子さんを補佐するかたちで、「國酒を愛する議員の会第3回総会」というのに参加させてもらいました。会長は自民党総務会長の野田聖子さんです。

 

 

 

 

 総会では国税庁から酒類の輸出動向について説明がありました。平成25年分の酒類全体(清酒・ビール・ウイスキー・リキュール・焼酎その他蒸留酒・その他ボトルワイン等)の輸出金額は過去最高の251億円。増加率も対前年比121.6%と過去10年で最高の伸びだそうです。輸出の中心は105億2,400万円を占める清酒(前年89億4,600万円)。輸出先は①アメリカ、②韓国、③台湾、④香港、⑤中国、⑥シンガポール、⑦フランス、⑧イギリス、⑨ロシア、⑩オーストラリアという順です。

 

 こういった顕著な輸出の伸びを受け、国税庁でも酒造関係者向けの輸出支援や貿易障壁の撤廃・緩和に向けた働きかけを行なっており、在外公館で日本酒セミナーを実施したり、在日外交官対象の酒蔵ツアーなども活発に開かれていますね。私もささやかながら、一昨年、取材で訪れたドイツ大使館にポケットマネーで磯自慢を差し入れたことがあります(こちらを)。

 

 

 一方、国交省からは国際空港における日本酒キャンペーン活動の報告がありました。平成25年10月から26年3月まで国内4空港(成田、羽田、中部、関西)で開かれたキャンペーンでは、延べ428社の蔵元が参加し、約8万人の外国人旅客が3万4千本強を購入したそうです。アンケートでは73%が「試飲で購入を決めた」と答えました。私もささやかながら、5年前に羽田空港内の東急ホテルでフライト関係者対象に喜久醉の試飲会と吟醸王国しずおか試写を行なったことがあります(こちらを)。今だったらいろんな補助金がもらえたかもしれないですね(苦笑)、ちょっと取り組みが早すぎたかなあ・・・。

 

 

 

 

 日本酒造組合中央会からは、平成26年4月から継続スタートした「ニッポンを飲もう!日本の酒キャンペーン」の概要説明、輸出する酒類に原産国が日本酒であることを示す統一マークの使用推奨、福島県酒造組合が発売する日本酒「衆議院」の紹介、酒造用原料米に関する新たな米政策の説明がありました。「衆議院」ってインパクトある酒銘ですよね(笑)、復興支Imgp0171 援で企画された酒で、国会議事堂、衆議院第一議員会館、第二議員会館の3ヶ所限定発売だそうです。

 

 

 

 

 新たな米政策。日本酒の需要がひところの右肩下がりから平成22年度以降横ばいに転じ、近年は特定名称酒の出荷量が増加していることから、26年度からは山田錦などの酒造好適米の生産を、主食用米の需給調整の対象枠から外し、柔軟に運用できるようになったようです。

 

 

 

 

 枠内分の生産についても、29年度産まで10アールあたり7500円の助成金がもらえるように。さらに酒造用という戦略的作物に対する助成(2万円/10アール)、複数年契約による追加助成(1,2万円/10アール)、産地交付金(都道府県等が決定)など酒米生産の環境が少しずつ整ってきたもよう。酒造家出身の議員さんや米どころ酒どころ選出の議員さんが次々と発言する中、陽子さんもすかさず挙手し、「静岡県でもぜひとも富士山世界遺産登録の好機を活かし、各施策が「誉富士」の生産増量の追い風になってほしい」と発言してくれました。

 

 

 

 

 

Imgp0173  総会の後のきき酒会では、全国の酒造組合から提供された銘柄がズラリそろいました。気になる静岡県からは、「正雪」「開運」「花の舞」が出品されており、開運を自慢げに試飲している元磐田市議の宮澤博行代議士と思わず乾杯しました。

 

 宏池会パーティー出席のため早々に退室した陽子さんから、野田聖子会長に、当日初取引だった静岡の新茶を渡すよう依頼されていた私は、関係者から次々と挨拶を受ける野田会長への声掛けタイミングに必死。ようやく挨拶ができ、カバンの中にあった松尾大社の「服酒守」を、新茶に添えて進呈しました。

 

 

 

Imgp0176  ・・・購入したときは、まさかこういう方の手に渡ろうとは想像もしなかった松尾さまのお守りですが、松尾の男神が「國酒を愛する議員の会」の女性会長のもとに自ら進んで行かれた、と思えば、なんとなくスッキリした気分(笑)。このあと、東京プリンスホテルでの宏池会パーティーに私も加えていただき、会場に【地酒コーナー】があるのを目ざとくみつけ、「滝上」「臥龍梅」「金明」と3つも静岡県産があるのに大満足しました。

 

 

 私が東京プリンスでハシゴ酒していた頃、安部さんとオバマさんは「すきやばし次郎」で日本酒に舌鼓を打っていたわけですが、静岡県出身の小野二郎さん、どんな地酒をチョイスしたのかな・・・。 


神仏~コスモスからカオスへ回帰

2014-04-20 15:36:46 | 仏教

 4月18~19日と神戸・大阪・京都をハシゴしてきました。

 この春は杜氏さんの技能を考える機会が多かったので、神戸では灘の酒蔵資料館を4ヶ所ハシゴし、伝統的な酒造り職人の技や作業工程をじっくり“復習”してきました。4月から連載再開した日刊いーしずの地酒コラム【杯は眠らない】にて後日紹介します。

 

 

 

Dsc_0367  大阪では話題の新スポット・あべのハルカスに行ってきました。物見遊山には違いありませんが、一番の目的は、あべのハルカス美術館の開館記念『東大寺展』と、19日午後に開かれた記念シンポジウム【神も仏も日本のこころ】の聴講です。

 

 講師は宗教学者の山折哲雄氏。パネリストに、筒井寛昭氏(華厳宗管長・東大寺第221世別当)、松長有慶氏(高野山真言宗管長・金剛峰寺第412世座主)。日本の宗教学界の最高峰ともいえる頭脳が、日本一のタワービルに新設された美術館で神道と仏教を語り合うなんて、なんともスリリングな企画! 山折氏の基調講演は30分、3人の鼎談は70分。案の定、この時間で語り尽くせなかったであろう深い深~いお話でした。

 

 

 

 

 日本人の宗教観って「神社に初詣に行き、教会で結婚式をし、寺で葬式をする」と揶揄されるように、混沌としてチャランポラン、と言われたりします。イスラムやカトリックなど宗教に厳格な国の人々から見たら、確かにそうかもしれません。最近では観光で来日するイスラム圏の人々が日本滞在中にアラーに祈りを捧げる場所が少なく、イスラム教徒向けのおもてなしサービスが急務だ、なんてニュースもありましたしね。

 

 しかし、物事というのは、角度を変えて視る、複眼で見ると、いろいろな評価ができるものです。

 山折氏は「外来宗教(仏教)と土着宗教(神道)がこれほど平和に融合した国は世界に例がない。しかも神仏が共存しているという実感は平安時代から認識されていた」と解説。筒井氏も「日本の神道は、地震・津波・火山爆発など人間の力ではどうしようもない自然への畏敬や自然共生の思想が原点。そこに、インド中国から仏教が伝わり、人が学ぶことで社会を変えることができると聖徳太子が解釈したように、人間の力で変わるという思想が加わった。“変わらない”と“変わる”が日本人の思想の両輪となった。日本は、この2極を矛盾なく持ち続ける世界でも類い稀な国」と評価。

 

 松長氏は、来日したダライ・ラマ氏が「石にも仏性がある」と考える日本人が理解できなかったようだが、最近ではそれが(神道と融合した)日本の仏教だと納得したというエピソードを紹介。筒井氏も「本当は神仏が融合した日本独自の新しい宗教になってもよかったが、それぞれのよさを大切にしてきた」と“日本のこころ”を説きます。こういうお話を聞くと、日本のチャランポランな宗教観に、ノーベル平和賞並みの価値を感じるから不思議です。

 

 

 

 面白かったのは、仏教が神道に与えた影響について。日本の神様は姿かたちが見えない存在でしたが、仏教に仏像という分かりやすいシンボルがあって人々を魅了する状況に危機感?を持ち、神像がさかんに造られたそうです。

 

 最初は菩薩像に近く、次第に神官のいでたちのような姿になり、熊野の速玉大神坐像は老人のようなお姿(大阪市立美術館で開催中の「山の神仏展」で公開中です)。山折氏は「仏像の若若しい肉体美に対抗し、神に一番近い人間=翁を模したのでは」と解釈。酒の神様でお馴染みの京都松尾大社の男神坐像(重要文化財)は足を坐禅のように組んでおり、上半身が神、下半身が仏というまさにミックスブレンドなお姿。これが平安時代の神像の特徴だそうです。

 ちょうど1年前、東京国立博物館の『大神社展』で拝顔したとき(こちらを)は、へぇ~お酒の松尾さまってこういうお姿なんだ~って感心しただけでしたが、山折氏の解説を聞くと、有難味が一層深まってきますね。松尾大社のHPで確認してみてください。

 

 

 神道が仏教に与えた影響として、なるほど!と思ったのは、仏像の“秘仏化”です。仏像とは本来、ほとけの教えを大衆に解りやすく説くため、目に見えるシンボルとして造ったはずなのに、大衆に見せないようにするというのは、日本の仏教に、目に見えない神のごとくお守りする、という思想が芽生えた証拠だということ。

 好例が、お水取りで名高い東大寺二月堂の本尊十一面観音像で、12~13世紀以来、東大寺の僧侶を含め、誰一人見たことがないという秘仏中の秘仏。長野の善光寺本尊も誰も見たことがない秘仏で、身代わりの前立本尊が7年に1度御開帳されますね。

 

 山折氏は「ひょっとして厨子の中には何も入っていないかもしれないが、目に見えない=ゼロほど強大なものはない、という日本の神道の考え方を活かし、本尊を永久保存しようとする日本人の優れた知恵。人類史上、誇れる知恵と言ってもよい」と解説しました。 

 

 

 

 私が今、バイトで通っているお寺にも、60年に1度しか開帳されないという薬師如来像があり、朝、厨子の前にお供物をお納めするときは、いつも、「どんなお姿なんだろう」「こっそり開けたら天罰が下るのかなあ」「生きているうちに御開帳の年にめぐり合う人はラッキーだなあ」と子どもみたいにドギマギしてしまうのですが、御開帳というしくみは、そんな心境にさせる効果があるって、しみじみわかります。これが、神道の影響だとは、目からウロコでした。

 

 

 

 松長氏のお話で心に残ったのは、【カオスとコスモス】の解釈でした。カオスは〈混沌〉、コスモスはふだんあまり意識しませんでしたが、本来は〈秩序〉を意味するそうです。世界大百科事典でこのように解説されていました。

 

 【コスモスとは整然たる秩序としての世界を表すギリシア語で,その反意語は,世界の生成以前の混沌を表すカオス。このコスモスという語は,今日では一般に,価値的な観点と融合した,あるいはまだそれから全面的には脱却していない近代以前の世界像を指すのに用いられる。この語は元来〈整頓〉〈装飾〉〈秩序〉を意味する言葉で,英語cosmeticが化粧品の意であることにうかがえるように,女性が服飾や化粧で装いを凝らした状態や,軍隊や社会の規律や秩序を表現するために使われたが,後に自然界の秩序立った様相を示すのに転用され,ついには〈世界の秩序〉あるいは秩序の貫徹した〈世界〉そのものを意味する語へと変貌を遂げていった。】

 

 

 欧米は、カオス=混沌の社会から、秩序だったコスモス社会への発展こそが文明の進化であると疑わずにきました。第三国で起きる混沌とした政治状況にはつねに過敏ともいえる反応を示し、世界の秩序を旗印に介入します。「そこにはカオスに対する恐怖心がある。カオスにはすべてを白紙に戻してしまうエネルギーがある」と山折氏。ふと、STAP細胞論文取り下げに抵抗する小保方晴子さんのことが頭に浮かびました。「白紙に戻されることへの恐怖心は、欧米のコスモス価値観に拠るものなんだろう」と。

 

 

 それはさておき、松長氏は「奈良平安期、カオスの中にあった日本の宗教は、鎌倉期になってコスモス化された」と興味深い解説をされました。奈良平安期は仏教寺院が大学の役割を果たしたように学問として究めようとする一方、修験道を究めた役行者のようなカリスマも存在したまさに混沌とした時代でした。

 山に神が宿る、山そのものが神であるという古代神道は、日本土着の山岳信仰であり、山川草木や石ころにまで魂が宿るという思想はインド仏教にはなく、ダライラマが理解できなかったのも無理はありません。

 

 カオス的な状況に思想的な裏づけを求めたのが仏教であり、鎌倉以降、コスモス化(理論体系化)が進みましたが、針や櫛など日用雑貨にまで魂があると考え、いまだに供養する日本の風習を西洋人が見たら、ハァ~?って感じかもしれません。一方で、「最近、三霊山(熊野、吉野、高野)に多くの外国人がやってくるようになった。彼らはどこかでカオス的なものを求めているのではないか」と松長氏。山折氏は「熊野と比較される世界遺産のスペイン巡礼サンティアゴ・デ・コンポステーラは、広大な平原に一本道が続く平坦な道。一方、日本の霊山道はクネクネと曲がりくねったカオス的な道が多く、精神的にもきつい。嫌が上でも自分の内面と向き合わなければならなくなる。そんなカオス的な状況に一度、自らを落とし込んで、自分を見つめ直すということを、人は求めているのではないか」と解説しました。

 

 

 

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 まったくレベルの違う話ですが、最近、この、あべのハルカスとか、東京のコレド日本橋とかスカイツリータウン・ソラマチとか話題の新スポットを歩いてみて、理路整然とセンスよくデザインされた商業空間になんとな~く馴染めず(しかも似たような店ばかり)、大阪では昔から好きだった阪神百貨店地下の粉もん立ち食いコーナーにわざわざ寄ったり、昔ながらの雑然とした古い商店街を歩いてホッとしたりする。私レベルでは、これも、コスモスからカオスへの回帰かなあと・・・笑。

 

 

 

 お3人のお話、日本人の思想や精神を考えるうえで非常に重要なメッセージがたくさんありましたが、私レベルで解説するには限界ですのでこの辺で。あべのハルカス美術館開催中の東大寺展(こちらを)は5月18日まで。大阪市立美術館「紀伊山地の霊場と参詣道世界遺産登録10周年記念・山の神仏」(こちら)は6月1日まで開催中です。GWの予定にぜひ!

 

 


しずおか地酒サロン「酒造り職人レジェンドvsフロンティア」

2014-04-09 12:51:43 | しずおか地酒研究会

 毎春、松崎晴雄さんを迎えてのしずおか地酒サロンを、今年も4月4日に開催しました。今回は「杜氏の流派と継承」がテーマ。私が敬愛する磯自慢の杜氏・多田信男さん、喜久醉の蔵元杜氏・青島孝さん、若竹の杜氏・日比野哲さんという現役レジェンド&フロンティアの杜氏さんたちも来てくれました。

 まずは松崎さんのお話をじっくりお読みくださいませ。

 

 

 

 

 しずおか地酒サロン 「松崎晴雄さんの日本酒トレンド解説~酒造り職人レジェンドVSフロンティア~杜氏の流派を見つめ直して」

 

みなさまこんばんは。例年、この時期は静岡県清酒鑑評会の審査に呼ばれておりましたが、今年はスペインとドイツで商談会があり、審査会はパスさせていただきました。新旧代表する名杜氏さんを前に私なんぞがお話しするのはおこがましいのですが、酒の仕事に携わって30年ほどとなり、見てきた杜氏さんの姿や最近の造り手の変化、酒造り全体の最近の動向などをお話できればと思っています。 

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そもそもこの話を鈴木さんからうかがったのは、静岡県が、杜氏の流派が多い県だったという理由もあります。

ちょうど25年ぐらい前、全国新酒鑑評会で静岡県が一躍脚光を浴びたとき、5流派ぐらいが技を競い合っていたと思います。これは全国的にも非常に珍しいことで、確か南部、越後、能登、志太、広島の5流派。「花の舞」「士魂」が確か広島でしたね。静岡県が地理的にも東西の交差点という位置だったのが大きかったと思います。

 

ちょうど吟醸酒がブームになっていた頃で、吟醸酒を造って金賞を獲れる杜氏という職人の存在が注目を集めました。今では当たり前の蔵元杜氏や地元採用の社員杜氏というのは稀な例で、平均年齢60歳半ばの伝統的な杜氏集団が活躍しており、後継者不足の問題も少しずつ持ち上がってきていました。

 

 

大手の月桂冠などは6つの蔵を持っており、それぞれ別々の流派の杜氏を雇用していました。南部、秋田、越前、丹波、但馬、広島と各地から杜氏を招聘し、技術を競い合わせていたのです。当時、全国には25流派ほどあり、杜氏組合活動も活発でした。中には組合員数名という小さな流派もありましたが、ちゃんとした組合活動を行っていました。その頃、全国には2000以上の酒蔵があり、酒造りに従事する職人は、杜氏・蔵人も含め、全国で総勢70008000名いたと思われます。

 

伝統的な杜氏は、地元でチームを編成して酒蔵に雇用されます。大手ですと1チーム10人以上、小さいところでも4~5名で造りに来るというのが一般的です。そして彼ら使命は、蔵の意向に沿って酒を造るということでした。野球にたとえると、フロントのオーナー(蔵元)から現場を任される監督が杜氏で、実際に現場でチームを指揮するわけです。蔵にはさまざまな事情があり、蔵が求める酒質があります。これをいかに汲み取っていい酒を造るかが杜氏の使命だったと言えます。

 

 

さらに昔の江戸や明治の時代、杜氏に求められたのは高いアルコールをちゃんと出すということでした。昔の造りでは、途中で酒にならずに腐ってしまうケースも少なくなかったため、健全に発酵させ、1718度ぐらいのアルコールを出す、腐敗しないタフな酒に仕上げるというのが第一義でした。この、しっかりとしたアルコールの酒を造るという使命は、明治~大正~戦前~戦後まで連綿と続きました。

 

今、杜氏が置かれた状況を見ますと、日本酒が多品種化し、吟醸酒や純米酒ほか、もともと地元の趣向性に合った酒など多様化するアイテムにどう適応していくかが、杜氏に求められているように思われます。

愛飲家が集まる酒の会などでは、よく「杜氏は自分の造りたい酒を造っているんじゃないか」という声をききます。当然、杜氏さんご自身の中には、自分が理想とする酒、得意とする造り方があると思いますが、まずは、蔵の意向に沿って、自分の技術を活かすか。毎年、米の状態も違いますし、蔵が変われば新しい環境に慣れなければならない。対応力や応用力が求められるのも杜氏の技量です。

 

 

今、実際に酒造りの流派というのは見えづらくなっています。30年ほど前ですと、流派の違いというのはかなり鮮明でした。

たとえば米の蒸し方、麹の造り方、酒母のたて方・・・いわゆる原料処理の工程(発酵過程の前段階)で、かなり杜氏の流派に特徴がありました。

もちろん今でも南部流や能登流でポイントになる部分があろうかと思いますが、ここ1020年ぐらいで、どちらかというと、酵母の違いや、全国に普及した山田錦中心の吟醸造りマニュアル等が、杜氏の流派を超えてスタンダードになりつつある。新しい酵母や酒米を使った技術の共有化が、地域や杜氏組合の中で研究されることによって、昔ながらの本来の流派というものが、あまり表に出てこなくなってきたように思います。突き詰めて言えば、どんな米を使い、どんな酒を造るかが、新たな杜氏の流派になったのです。

 

 

 

(日本最大の杜氏集団である)南部流が生まれた東北は、飯米の産地で、酒造好適米はあまり入ってこない地域でした。トヨニシキ、ササニシキといった一般米を酒造りに活かすというのが南部杜氏の使命で、この土台のもとでに各蔵の特徴を活かした酒造りが発達したのです。

 

 毎年、南部杜氏自醸酒鑑評会が、全国鑑評会の前に行われ、毎年300点ぐらいが出品されます。会場では酒蔵別に全国北から順番に並んでおり、順に試飲していくと、同じ南部杜氏の酒でも地域ごとの特徴というのをまず感じます。東北には東北らしさ、北陸には北陸、関西なら関西、静岡なら静岡酵母の特徴を感じるような酒になっている。造りの原料処理の違いが主流だった杜氏の流派の特徴が、今の酒造りの動向やマニュアル化によって変化し、昔ほど差を感じなくなったというのが正直なところです。

 

 

現状では、全国に1300ほどある酒蔵で、冬の間だけ酒造りに入る従来の杜氏さんから、蔵元自身が兼任したり社員が造るようになり、その割合は半々ぐらいになっていると思われます。杜氏が来ている蔵でも、昔のように杜氏が地元でチームを編成して来るのではなく、杜氏だけ来て、後は地元の社員がカバーするというスタイル。純粋に杜氏の流派だけで造っている酒蔵は、正確なところはわかりませんが、おそらく3分の14分の1ぐらいでしょうか。東北など杜氏出身地に近いところには、かろうじて残っていますが、都市部ではかなり自社杜氏化が進んでいるようです。

 

では従来型の杜氏と、今の若い杜氏との大きな違いは何でしょうか。私はやはり、造りの根本といいますか、生活の根本の違いにあるように思います。

従来の杜氏さんというのは、専業農家の方が多く、冬の間、農業が出来ない時期に酒造りに入るというスタイル。夏場は米を作り、冬は酒を造る。一年中なんらかの形で米にたずさわっており、米に対する愛着といいますか、米の知識や米を大切にする思いが大きい。農業は自然相手の生業ですから、酒に対しても、予期せぬ状況に対応する能力があります。意識しているか否か別にし、経験や勘、センスといったものがベースにあると思います。 

 

一方、今の若手は大学で醸造学を学んだり研究機関で研修を受けた理論派が多く、蔵元杜氏では経営者らしく、酒の販売や企画力といった営業的なセンスを持ち合わせている人も多い。酒に対するベースがやはり違います。どちらがいい・わるいではなく、そういうベースの違いが酒質に表現されてくるように思います。

 ここ1020年で増えてきたそういう若手は、どちらかといえば自己実現といいますか、自分のスタイルやメッセージ性を酒に投影し、同世代の人たちに飲んでもらおうというモチベーションを持っている。昔ながらの、蔵の意向に沿って、地域性や経験智をベースに造るという杜氏とは違う取り組み方です。

 

 

 

最近、華やかでインパクトのある酒が増えてきたというのは、新型酵母や新型好適米が増えただけでなく、新しい造り手たちが、自分たちで新しい酒を発信するんだという意識がベースにあるように思います。その意味では根本の違いが非常に大きい。蔵元杜氏の酒は、ときにハッとさせられる酒もあれば、うん?という酒もありますが、若い造り手の酒は総じて、山廃にしても吟醸にしても、そつなく、器用に造る平均点以上の酒が多いと思います。

 

今後、若い造り手たちがどのように経験を積んでいくのか。(喜久醉の)青島さんのように米作りから取り組む蔵元杜氏もいますし、あと1020年して今の若手がどんな酒を造るようになるのか、楽しみではあります。

 

 

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最後に、私自身が今まで出会った印象的な杜氏さんをご紹介したいと思います。

大学在学中、東京八王子の「桑乃都」という小さな酒蔵の直営居酒屋でアルバイトをしており、体験的に酒造りに行かせてもらったことがあります。

「桑乃都」では越後杜氏と蔵人総勢56人で造っていました。蔵の中で印象的だったのは、そこが、杜氏さんたちの生活の場であるということ。代々続く蔵元の歴史や伝統とは別に、働く人々の生活感というものを醸し出していました。杜氏さんたちが休憩中、コタツに入ってテレビを見ながら談笑している姿は、たとえば一般的な製造業の現場ではあまり見られなかったものでした。

 

忘れ得ぬ杜氏さんといえば、広島の「賀茂泉」の故・増田幸夫さんです。20数年前にお会いしたのですが、静岡酒とは対照的に、非常に濃醇な純米酒を造る人です。いろいろな話をうかがう中、「なんといっても健全に三段仕込みをするんだ」という言葉が印象的でした。要は、3回に分けて仕込む基本をしっかり守るということ。発酵の中で豊かな旨味を出す純米酒、というものを大切にしておられました。

賀茂泉は吟醸酒、普通酒、低アルコール酒など多品種に造っており、それぞれに個性がありますが、それもこの杜氏さんの功績だろうと思います。

 

広島杜氏でもうお一人挙げたいのは、今でも現役の名杜氏である、香川の「綾菊」の国重弘明さんです。一つの蔵で一人の杜氏が13年連続全国で金賞という、未だに破られていない記録の持ち主ですね。私がお会いしたのは昭和62年で、その前年まで13年連続受賞でした。

 

当時、吟醸を唎かせてもらったとき、「どうです?あまりよくないでしょ?」と聞かれ、確かに少し重くてキレが足りないような気もしましたが、吟醸の出来立てはこんな感じだろうし、なんといっても13年連続金賞の名杜氏ですから、最終的にはきれいに仕上げるだろうと思っていました。そんな初対面の私にいきなり、「よくないでしょ?」と聞いてくるとは、まるですべてを達観した仙人のようで、ゾクッとした覚えがあります。

昔ながらの伝統蔵ながら当時からコンピュータを導入し、蔵の中を案内してくれたときも最新の技術をあれこれ紹介してくれました。口調は穏やかでしたが、目つきは非常に鋭い方でしたね。その後、2~3度お会いし、飲んだときは、穏やかで温かい人柄が解りましたが、一般米「オオセト」で連続金賞受賞するなど、酒造りを自分なりに科学的に研究し、つねに向上しようとする努力家でした。

 

綾菊を訪ねた昭和62年は、4~5日間かけて四国の酒蔵を回りました。綾菊に行く前に立ち寄ったのが、愛媛の「小冨士」という小さな酒蔵でした。当時は珍しい蔵元杜氏の蔵だったのです。甘くて濃い酒が多い四国の中では異色の、淡麗超辛口タイプにこだわっていましたね。

 

 

15年ほど前、能登半島で杜氏サミットというのが開かれました。全国の杜氏組合の組合長ほか多くの酒造関係者が集まり、杜氏の将来性を話し合う中で、当然のごとく杜氏の高齢化という問題が持ち上がり、「杜氏の技術保存は杜氏集団として、また個々の杜氏が努めていくものだが、まずは酒造会社が蔵の技術として残す努力をしてもらいたい」という結論だったと記憶しています。

 

奇しくも今、従来の杜氏が造る酒よりも、蔵元杜氏が造る酒のウエートがどんどん増え、一つの潮流が出来上がっていますが、若い造り手が自己実現として、「自分でこういう酒を造りたい」というのは、蔵の技術保存とは違う意味合いのようにも思います。蔵の持つ本来の酒質や長い間築かれてきた蔵の味というものを踏まえた上で、新しさを発信すべきではないかと。嗜好品ですから「~べきだ」などと表現するのはおかしいかもしれませんが、そんな気もしています。

 

せっかく日本に一千社以上の酒蔵があり、地域性や歴史があるわけですから、もう一度掘り下げながら、今まで日本酒を飲んだことのない人たちに向けて発信していってほしいと思います。なぜ酒を造るのか、飲み手にも感じてもらえるような酒を造ってほしいと思いますね。

 

 

 

海外でも日本酒のミニ・ブルワリーというのが増えています。いろいろな造り手が、日本から酵母を取り寄せたり、あるいは自然酵母や山廃造りなどに果敢に挑戦する蔵もあります。海外の日本酒製造量は微々たるものですが、今後、日本酒の認知度が広がるにつれ、海外でも酒造りを目指す人が増えてきたとき、技術だけではない、造りへの姿勢や考え方が問われる時代になるように思います。

従来の杜氏さんたちが築き上げてきたものが、10~20年後、残っているかどうかわかりませんが、どんな新しい環境の中でも、伝統や歴史を検証していくことは大切ではないかと思っています。

(文責/鈴木真弓)