杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

祝!「英君」静岡県知事賞受賞

2016-03-30 15:31:57 | しずおか地酒研究会

 先の20周年記念講演会でご紹介したとおり、今年の静岡県清酒鑑評会県知事賞(吟醸の部)は「英君」さんでした。

 ここ数年、県&全国の鑑評会出品酒をみるにつけ、英君さんの酒質の良さには目を見張るものがありました。1年前「杯が満ちるまで」の取材で現場に密着したとき、蔵元・杜氏・蔵人の一体感というか風通しのよさが酒質向上につながっているんだなと実感して、「杯が満ちるまで」のトリを飾っていただこうと思いました。

 

 蔵元の望月裕祐さんは、現場では早朝の蒸し米掘りの担当。蒸し上がった酒米を甑(こしき)からスコップで掘り起こして放冷機に移し、あら熱が取れた米を若い蔵人衆がカゴで麹室や仕込み蔵へと運びます。体力が要る作業ですが、皆さん、リズムと呼吸が見事に合っていました。

 

 

 取材したのは、昨年のちょうど大吟醸出品酒の搾りの日。出品酒は杜氏の粒来さんと頭の榛葉さんが、袋吊りで搾ります。

 

 

 

 以下は「杯が満ちるまで」の最終章のトリに書いた英君さんの原稿(草稿)の一部です。

 

蔵元と杜氏が共に刻む酒造の「いろは」

 私は平成10年(1998)の『地酒をもう一杯』執筆時に、県内全蔵元に長時間インタビューを行ない、酒蔵の経営者には社長、教授、エンジニアの3タイプがいることを実感した。中でも県内屈指の学者研究家だと思ったのが『英君』(由比)の故・望月英之介さんだ。

 望月さんは、仕込み水に使う由比川上流の桜野沢の湧水を良水にしようと、10メートルのタンク上から消防用ノズルを改良した霧吹き装置を考案し、上空1500メートルから降る雨水と同じ大きさの水滴にし、地下に溜め、ヤシガラ炭でろ過した。酒の大敵である鉄分が0.01ppmから、0.001ppmになり、この水で仕込んだ2期目の平成10年、全国新酒鑑評会で金賞受賞。受賞直後の取材だったので、望月さんは、この自家製湧水ろ過装置の話を夢中でされていた。そして「百人の飲み手のうち、英君を飲む人がたった一人しかいなくても、その一人を裏切らない酒を造ろうと努力してきた」と自身の哲学を語った。

 英君の代表ラベルにもなっている『いろは』は、縁戚にあたる芹沢介氏(染色家・人間国宝)に初めて全国で金賞を受賞したときの祝いに贈られたものだという。百人中たった一人の飲み手のために惜しまぬ努力とは、まさに酒造りの「いろは」だろうと思った。

 

 現蔵元の望月裕祐さんは、大手菓子メーカーでチョコレートの製品開発を6年経験している。ここで培った消費者向けの製品企画力を活かし、取引先の酒販店や飲食店が主催する試飲会にこまめに顔を出し、飲み手の声に真摯に耳を傾ける。蔵元が、製造開発メーカーの経営者兼開発担当者だと考えれば、大事な仕事である。これを可能にするのは、社員杜氏粒来保彦さん、経験豊富な副杜氏榛葉武さんの存在だろう。

 仕込みの時期、望月さんは毎朝の蒸し米作業で欠かせない掘り出し要員を務める。この作業に一般の見学者を参加させることもあるという。ファンにはたまらない体験サービスだが、昔なら余所者立ち入り禁止の仕込み蔵で働く杜氏や蔵人が、こういうことを容認するとは、いろいろな意味で時代の変化を感じる。

 杜氏の粒来保彦さんは昭和38年(1963)岩手県生まれ。といっても南部杜氏ではなく、岩手でサラリーマン生活を送った後、脱サラしてこの道に。英君に長く勤めていた南部杜氏古川靖憲さんのもとで20年修業し、平成23酒造年度から杜氏職を引き継いだ。副杜氏榛葉武さんは昭和44年(1969)生まれ。開運(掛川)の杜氏榛葉農さんの実兄にあたる。武さんは県内、県外の蔵を1社ずつ経験した後、英君に。別の蔵で会ったときに比べ、一目で「落ち着いたんだな」とわかるほど蔵に溶け込んでいた。

 昭和39年(1964)生まれの望月さんにとって、同世代の杜氏・副杜氏の存在は得難い経営資源である。古川さんが杜氏だった頃、英君では強カプロン酸系酵母を使用していた時期があった。全国新酒鑑評会で入賞するための常套手段だった。「今だから言いますが、カプロン系の香りが高すぎる酵母の酒は飲み疲れする。居酒屋でちびちびやるような酒ではない。静岡酵母や協会9号・14号の酒のほうが間違いなく杯が進む」と望月さん。「平成18年の全国金賞を区切りにして、カプロン系とはきっぱり決別した。静岡酵母一本でいくと決めたらすっきりした」。

 企業経営の“集中と選択”―限られた資源を最大限に無駄なく投下するという理論を当てはめるとしたら、望月さんは「静岡酵母でやる。外から杜氏は呼ばない。自分では造らない」との決断をした。この判断を、同世代の粒来さん、榛葉さんが受け止め、共有し、酒質の軌道修正に努めた結果、おこがましい言い方になるが、英君は、ひと皮向けた酒になったと思う。

 一般見学者が蔵の中で仕込み体験できるのも、2人の支えがあってのことだろう。「面白いからあれやろう、これやってみようと、彼らのほうから積極的に提案し、動いてくれる。本当に風通しがよくなりました」。そう言いながら、彼らの仕込み作業をスマホに撮り、せっせとSNSに投稿する望月さん。試飲会で出会った一人ひとりの客の顔を思い浮かべ、自社杜氏への信頼感を愚直に伝えているのだろうと思った。

 私は毎年欠かさず、東広島で開催される全国新酒鑑評会に参加し、静岡県の出品酒をいの一番に試飲している。平成27年(2015)5月27日に開かれた鑑評会では、あいかわらず強カプロン系の香り全開の会場でホッとしたのが静岡県コーナーであり、英君は、静岡酵母らしい酢酸イソアミル系のさわやかな香りと静かな余韻をきちんと表現していた。入賞は逃したが、間違いなく「杯が進む」酒だろうと実感した。

 蔵元と杜氏が歩みをそろえ、静岡らしい酒質の向上に汗を流す―30余年前に吟醸王国建設を始めた先達の「いろは」を、彼らはしっかり受け継いでいる。時代を共有する我らも、次の世代の飲み手に静岡の酒の味をしっかり伝えていかねば、と思う。

 

 自分にとっても感慨深い英君受賞をお祝いする会を急きょ、4月18日(月)にJR清水駅近くの店で開催することにしました。蔵元の望月さん、杜氏の粒来さん、蔵人の榛葉さんはじめオールキャストを囲んで、酒造りのディープな話を楽しみたいと思います。

 参加希望者は鈴木までメールでお問合せください! mayusuzu1011@gmail.com


しずおか地酒研究会20周年記念講演会「造り手・売り手・飲み手が切り拓いた静岡地酒・新時代」(その3)

2016-03-24 20:34:29 | しずおか地酒研究会

 3月15日のしずおか地酒研究会20周年記念講演会「造り手・売り手・飲み手が切り拓いた静岡地酒・新時代」、後半は松崎晴雄さんと、「正雪」蔵元で静岡県酒造組合会長望月正隆さんの対談です。

 

 

(鈴木)今日はお二人とも、静岡県清酒鑑評会の審査を終えたばかりで駆けつけてくださいました。会場の皆さんも気になっていると思いますので、まずは審査結果から教えていただけますか?

 

(望月)本日、静岡県沼津工業技術研究所で静岡県清酒鑑評会の審査会が開かれました。吟醸酒の部は英君酒造が県知事賞。純米の部は富士錦酒造が県知事賞を受賞しました。今期は非常に気候の安定しない年で、みなさん酒造りに苦労されたと思います。米が溶けやすい傾向にあり、それを防ぐために造りをコントロールし、どうかすると味が薄くなってしまうという傾向もあったかと思いますが、そのような状況を踏まえ、審査員をお務めいただいた松崎さんからお話いただこうと思います。

 

 

(松崎)今年は原料米がよく溶けるというのが全国的な傾向でもありました。その結果、味が出過ぎるといいますか、静岡も、例年に比べると、“甘溶け”し、甘みが浮いているという印象でした。本来、静岡の酒はスカッと爽やかで切れ上がった感触でしたが、その意味では例年よりも重かった。しかし変なクセがついて、明確に減点されるという酒はなかったように思います。審査は一審・二審・三審と繰り返して絞り込んでいきます。最後に残った酒はタイプの違うもので審査に悩みました。静岡酵母の特徴がよく出ていた酒でもなかったように思いますが、そんな中でも自分なりにバランスがいいと思った酒を選ばせていただきました。

 

(望月)通常、鑑評会では最初の一審あたりだと差が出ることもあるのですが、今年は最初から大きな差はありませんでしたね。

 

(松崎)今、従来のように職人杜氏が雇用されている蔵はどれくらいですか?正雪さんは(南部杜氏の)山影さんですよね。

 

(望月)そうですね、世代交代して蔵元や社員が杜氏になるケースも増えていますが、静岡県では全国に比べると(従来のように杜氏を雇用する蔵は)まだ多いほうだと思います。

 

(松崎)昔、この会で「静岡県は杜氏の交差点だ」とお話したことがあるんですが、静岡には全国からさまざまな流派の杜氏さんが来られていましたね。岩手の南部杜氏、石川の能登杜氏、新潟の越後杜氏、広島杜氏、地元の志太杜氏と、なかなかこれだけバラエティに富んだ県も珍しいと思います。

 

(望月)世代交代していますが、開運、志太泉は能登杜氏ですね。

 

(松崎)世代交代していても、静岡吟醸のスタイルが継承されているというのは静岡の特徴かなと思います。

 

(望月)昭和61年の大量入賞時には南部、能登、新潟、広島、志太と5つぐらいの流派の杜氏さんが静岡酵母に取り組んで、各流派の杜氏さんに静岡吟醸のスタイルが確立されました。それが若い世代に引き継がれていったというのが、静岡を特徴付けたひとつの要因だと思います。

 

(松崎)静岡へ招かれた杜氏さんたちが叡智を傾け、創り上げた酒質といっていいでしょうね。志太杜氏だけで確立されたわけでもなく、数の多い南部杜氏が引っ張った技術、というわけでもない。

 

(望月)そうですね。

 

(松崎)今、首都圏では静岡県の酒は非常に人気が高いのですが、首都圏以外の地域での静岡酒の人気はどうでしょうか?

 

(望月)関西、たとえば大阪や京都はもともと地場の酒(灘・伏見)が強い地域ですが、現在は味も香りも強いタイプの今風の酒が人気です。しかし関西の素材を生かした薄味の料理にどうも合わない、ということに気がつき始めたようで、静岡のような食中酒タイプが見直されつつあります。

 

(松崎)北海道や九州はどうですか?

 

(望月)北海道は特殊な市場で、札幌のような都市部ですと地方からの単身赴任者が多く、地酒の情報量が多い。地酒は東京の有力な酒販店さんから入ってくることが多いため、これから地場の酒販店さんが力をつけていくというところでしょうか。その中でも静岡の酒は伸びていくという気がします。南のほうはどうでしょうか。静岡の酒は私たちが思うほどまだまだ知られていないと思うので、いろいろなところへ出向いて行って、静岡の酒を知っていただく努力を我々もしなければ、と思っています。

 

(松崎)土地柄みたいなものに対するイメージといいますか、静岡の場合は富士山がありお茶がありで、酒は?となると、まだまだ弱いところがあるかもしれません。

 

(望月)酒が出来るのは米どころや寒いところというイメージですからね。静岡はお米に関しては完全な消費県です。米もとれない温暖なところでなぜ酒か?というイメージのギャップはあるかもしれません。

 

(松崎)そのギャップで苦労されたことはありませんか?

 

(望月)そんなこともあって、東京で静岡県地酒まつりというのを20年近く続けているんですが、先日、長野県酒造組合の会長さんとお話しする機会があり、長野県は毎年東京と大阪で1000人規模の大試飲会を開催していると聞きました。静岡はまだまだだなあと思いました。

 

(松崎)酒米のほうはどうですか?

 

(望月)平成17年から「誉富士」という米を作っています。3年前から静系95という試作種にも取り組んでいます。

 

(松崎)思うんですが、静岡酵母に合う米というのもあると思います。たとえば「五百万石」という米はすっきりきれいな味に仕上がりますが、他の酵母で造ると薄っ辛くて個性がない酒になる。しかし静岡酵母で造ると持ち前の繊細さが上手に表現できる、そんな気がします。逆に「雄町」という米はボテッと味のある甘くて酸もある酒になるので、香りの強い酵母を使うと重くなり過ぎる。かえって静岡酵母を使うと抑えが効いてきれいな酒に仕上がる。すなわち、静岡酵母は万能酵母ではないかと思えてくるのです。米との相性というものをどうお考えですか?

 

(望月)うちは「雄町」だけ他の酵母を使っていました。「誉富士」はタンク1本しか造っていないのですが、若い杜氏の勉強のために造っています。静岡酵母との相性は非常にいいですね。

 

(松崎)「山田錦」の存在感があまりにも大きく、数多くの蔵が使っているため、膨大な仕込み経過データも蓄積されています。それに匹敵するくらい他の米のデータが取れればよいのですが、各地域で新しい酒造好適米が登場したり、昔の品種を復活させたりと、米の選択肢が広がるのは非常に良いことではないかと思います。静岡でもそのような取組みが進み、目指す酒質によって米や酵母を使い分ける“設計”が出来るんじゃないかと。

 

(望月)自分の蔵の話で恐縮ですが、誉富士は誉富士、山田錦は山田錦の使い方があると思っています。同じ精米歩合と同じ仕込み方法で米の違いを表現する、という蔵もいらっしゃいますが、私どもでは仕込みにあわせた米や精米歩合の選択というものを考えます。

 

(松崎)いろいろな蔵元のいろいろな米の酒を試飲していると、どんな米を使っていも、最終的にはその蔵の味になるんですね。正雪さんもそういう蔵ですね。さらにいえば静岡酵母を使っている蔵は「静岡の酒」になる。

 

(望月)静岡の酒が「静岡の酒」というカテゴリーで語られるようになったのは、そのようなカタチがあるからだと思います。本日の審査の前にも、審査員の先生方から「きれいで爽やかで調和の取れた酒を選びましょう」というコンセンサスをいただいたのは、まさにそのカタチです。

 

(松崎)そのようなアイデンティティを保つのは難しい。主観的なことですから口で言うほど簡単ではないですね。「きれい」も「調和」も、人によって捉え方が違ってきます。その中で30年間、静岡酵母の特徴を保持し続け、静岡タイプの酒が見直されているというのは素晴らしいと思います。

 

(望月)本日の審査に来られた若い技師の先生から「吟醸酒って甘いですよね」と言われてビックリしました。我々の世代はきれいな辛口だと教えられた。今の香味の強い酒で教育を受けていらっしゃる先生方とは違うんですね。30年前の静岡のカタチは評価としては古いのかもしれませんが、これが静岡の特徴だと言えると思います。

 

(松崎)ワインやチーズ、スコッチやコニャックのように産地がそのままブランドになる産地呼称というのを日本酒の世界でも進めようという動きがありますが。

 

(望月)日本酒はカテゴリーとしては「清酒」。海外でも生産出来ます。海外産の清酒を日本に持ってきても「日本酒」という名前では売れませんが、別の海外に持っていく分には問題ありません。大吟醸も、日本国内の製造区分では当てはまらない大吟醸が中国あたりで造られて、それがアメリカへ持っていかれているというケースもある。それを飲んだアメリカ人は「日本酒、大吟醸ってこんなものか」と思うでしょう。そのためにも地理的表示を重視し、日本酒は日本で造られた清酒であると国際的に認めていただこうと運動をしているところです。

 

(松崎)その意味では「静岡吟醸」という言葉は非常にしっくりきますね。こういう酒だとイメージさせる産地呼称の中でも最有力候補ではないかと思います。

 

(望月)国のほうは、まず先に「日本酒」の定義を決めよう、世界に認めてもらおうと動いています。

 

 (松崎)SAKEがグローバルになった今こそ、SAKEとはこういうものだ、吟醸とはこういう意味があるものだ、これこそが静岡吟醸だと打ち出す意義があるのでは、と思います。

 

(望月)静岡の酒を世界に発信できるよう努力していきたいと思います。

 

(松崎)今、海外への輸出が好調だといわれますが、日本酒全体の生産量に比べたら輸出される酒は2%をちょっと超えたぐらいでしょう。これが10%を超えたとき需給バランスが崩れるのではないかと懸念されます。いい酒ほど“爆買い”の対象になるでしょうけど、いい酒は大量に造れない。我々日本人が美味しい酒を呑めなくなってしまっても困りますね。

 

 

(鈴木)残り10分ほどになりましたので、質問時間に充てたいと思います。初めてお酒のセミナーに参加された方にとっては専門的な内容だったと思いますので、どうぞご遠慮なくご質問ください。

 

(質問者)蔵元はコンテストで賞を取るために造るのか、売上を伸ばすために造るのか、どちらでしょう?

 

(望月)コンクールで賞をいただくのはありがたいことですし、それが励みになることもあります。日本酒の採点法というのは減点方式なんですね。各審査員がそれぞれの酒に1点から3点まで点数を付ける。点数が高いほど「難点がたくさんある」という評価になるのです。今日の審査会では20度の室温の中で品温15℃の状態で審査しました。ふだん呑むときはもう少し低い温度だと思うんですが、15℃という温度だと、“アラ”が見えてくる。こういう欠点があり、何が起因しているか、造りのこの工程でこういうことをしてしまったからではないかと、技術者が技術を高めるために欠点とその要因を洗い出していく・・・それが鑑評会の審査です。その意味では売上を伸ばすためのコンテストではないのですが、受賞が結果的に市販酒にフィードバックされるため、市販のための賞、ということになってしまうかもしれません。

(質問者)磯自慢が北海道洞爺湖サミットの乾杯酒に選ばれました。外国人に日本酒の美味しさが解るのだろうか、と思いましたが・・・?

 

(望月)まもなく伊勢志摩サミットですね、どの酒が選ばれるんだろうと注目されているところですが、以前のサミットや宮中晩餐会で乾杯酒といえばワインでした。明治維新以降、西洋スタイルを取り入れて以来、そうなっただろうと思われますが、賓客をもてなすのに地元の酒が大事であると考えた演出家・・・私どもにとっては非常にありがたい存在ですが、そのような働きかけがあってサミットで日本酒が使われるようになったのだと思います。今、全国各自治体で「日本酒で乾杯条例」の制定が進んでおり、残念ながら静岡はまだですが、そのような環境に変わりつつあると思います。

 

(質問者)体調によって酒の味って変わるように感じます。先生はふだんどのように体調というか舌の管理をされているんでしょうか? 年齢とともに変わってくるということもありませんか?

 

(松崎)特別な鍛錬をしているということはありませんが、年間を通してかなりの量のきき酒をしています。量をこなすというのもひとつの鍛錬かもしれませんね。全国各地の鑑評会の審査にいくときは、各地域で審査基準が違ってきますので、それに合わせる柔軟性も必要になります。そのためにも量をこなすということは必要です。年齢的な面でいえば、齢をとるにつけ、苦味の違いのようなものが分かってきたように思います。日本酒を呑み始めた頃はただ単に飲みやすい酒がいいと思っていましたが、経験を重ねるうちに複雑な味わいを理解できるようになりました。よく酒が呑めない人のほうが酒の味は分かるといいますが、そんなことはありません。ある程度の量を飲んで経験を重ねた人のほうが理解できると思っています。

 

(質問者)今日の午前中、オーストラリアから一時帰国された和久田哲也シェフのお話を聞きました。オーストラリアでもメジャーな店では日本酒を扱っているそうで、浜松ご出身の和久田シェフも静岡の酒を愛飲されていらっしゃるようです。日本酒のカテゴリーとして難しいと思うのは、ワインはぶどうから出来ているので本質的にブドウの生産者がワインの生産者であり、ぶどうの産地がワインの産地になる。しかし日本酒の場合は米の産地イコール酒の産地ではありませんね。静岡には誉富士がありますが兵庫の山田錦も多く使われます。お茶でいえばどちらかといえば産地イコールブランドになっていますが、お酒の場合はどうなるんでしょうか。他県産の米と協会酵母で醸した酒を「地酒だ」と説明するのが難しいような気がします。どのような形で日本酒をカテゴライズし、国酒として売っていけばよいのでしょうか。

 

(望月)ワインのぶどうと日本酒の米との違いは、移動が出来るかできないかだと思います。ぶどうは長時間貯蔵や移動をさせるのは難しいですが、米は可能です。さきほど静岡県は米の消費県だと言いましたが、静岡県民が県産米しか食べられないとしたら4ヶ月で枯渇する。そういう県はたくさんあります。米は日本にとって何百年もの間、地方から都市部へ流通され、かつては通貨として扱われた。ワインのぶどうとは同等には語れません。では地酒とは何だろうといわれたら、私は水だ、と応えます。日本酒の原料の85%は水です。その地域の人々がふだん使っている水です。そこに価値があるのではないかと思う。海外で造られた清酒が売れている現実は確かにありますが、日本で造られている日本酒との違いはしっかり認めていただかねばと思っています。

 

(松崎)水は大事ですね。ワインの場合、ぶどうの特性が9割がたですから、産地の個性が出やすいし、産地呼称も利用しやすい。日本酒の場合、その土地で育まれた造り方や味わい方、気候や歴史といったものが、その土地の味わいになっていくのではないかと、抽象的な表現で恐縮ですがそう思います。実際、海外で造られた日本酒を飲むと、やはりどこか違うなと感じます。もちろん水が違うし、造り方も未完成な部分があると思いますが、技術的なこと―テクニック云々よりもモノづくりに対する職業観や価値観といった目に見えないバランス的なものが面白い個性につながっているような気がします。どちらかといえば同じ醸造酒でもワインよりビールに近いのではないでしょうか。クラフトビールは世界でも造られていますし、アメリカのIPA(India Pale Ale)に近いと感じます。その土地に培われた地の技というものが地酒の味だ、といえるのではないでしょうか。

 

(鈴木)ありがとうございました。残念ながらお時間となってしまいました。この続きはぜひ二次会のほうでよろしくお願いします。(了)

 


しずおか地酒研究会20周年記念講演会「造り手・売り手・飲み手が切り拓いた静岡地酒・新時代」(その2)

2016-03-22 14:51:48 | しずおか地酒研究会

 3月15日開催のしずおか地酒研究会20周年記念講演会「造り手・売り手・飲み手が切り拓いた静岡地酒・新時代」(講師/松崎晴雄氏)のつづきです。

 

 日本酒の長い歴史の中の、わずか30年ほどの出来事ですが、静岡県は日本酒の産地の見方を変えた大きな存在であり、静岡の酒は長い歴史の中で大きな役割を果たしたといえるでしょう。ではこの先、静岡の酒はどうなっていくのでしょうか。

 今、日本酒がブームになっているといわれ、各メディアでさかんに取り上げられています。その中で静岡の特性は、30年前と変わらず、すっきりした飲み口でリンゴやバナナのようなフルーティーな香りの軽快な味わいを踏襲していますが、今のトレンドは香りがパイナップルやトロピカルフルーツのような芳醇なタイプで、味もどっしりした酒です。日本酒全体の味の傾向も甘口になってきていますね。食生活の多様化でスパイシーや脂っこい調味料を多用するようになり、アルコール類も酸の強いワインや梅酒が食中酒として好まれるようになっています。一方、刺身や豆腐のように和食本来の素材を生かした薄味の料理に合うのは、静岡のように端正できれいな酒です。その意味で、和食が見直されているように、静岡の酒も再評価されているのでは、と思っております。

 

 具体的にいいますと、最近では静岡酵母と同じような特徴を持つ金沢酵母(協会14号)、オーソドックスな9号酵母系―メロンやデリシャスリンゴ系の香りが特徴の酵母を使う若手の蔵元も増えていますね。(人気の)秋田の「新政」は白麹(注)のような特殊な造りをしていますが、香りの華やかな酒とは一線を画す路線を目指していますね。もともと協会6号酵母が生まれた蔵ですし、自社の特徴を大事にされています。醸造哲学的なものもしっかりお持ちですね。

 

 日本酒の世界では杜氏さんがどんどん高齢化し、なんとかしなければということで若い蔵元が杜氏を継いだり、社員を杜氏に抜擢するケースが増えてきました。その中には「自分はこういう酒を造りたいんだ」という自己主張、自己メッセージを強く打ち出ち、新たなブランドを立ち上げたり、従来の酒銘を横文字表記にしたりという工夫も見られます。そのような蔵元が注目され、彼らの多くが香りの華やかな、無ろ過で出すような強いタイプの酒を好んで造っていたのが、ここ2~3年、若手の新しい造り手の中にも、従来の9号系、金沢、静岡タイプの酒を志向する人が出てきています。おそらく、香りの華やかな甘い酒が巷に増え過ぎて、どれを飲んでも変わり映えがしないという状況への反動なのではないかと思われます。

 

(左)1999年開催のしずおか地酒公開地酒塾「異郷人が好む静岡の酒」での松崎氏&ジョン・ゴントナー氏(SAKEジャーナリスト)、(右)2011年開催のしずおか地酒研究会&東京・日本酒市民講座の交流企画・静岡県農林技術研究所で酒米「誉富士」開発最前線を視察

 

 最近では、“食中酒”という言葉を若い造り手さんも積極的に使うようになりました。酒そのものを飲ませるというよりも、時間をかけて料理を味わいながら飲むというスタイルを大事にするようになった。静岡の酒が30年かけて取り組んできたことが、最近、酒造りを始めた若い人にとっても、新鮮な感動を与えているのです。世の酒の嗜好も、辛口⇒甘口⇒大甘口、そして今、ふたたび若干辛口へと移り変わってきています。

 30年前の静岡の挑戦は、過去の出来事ではありません。つねに日本酒は時代や環境に伴って少しずつ進化していますので、静岡の酒の特徴を見直すことは、日本全国の新しい酒を見直すことにつながるのでは、と思っております。

 

 今、海外でも日本酒ブームだといわれますが、外国の人たちにとっては日本酒の飲み方そのものの情報が少ないようですし、まだまだ日本各地の地酒の違いなども分かりにくい状況です。静岡の酒はどういう特徴かと聞かれたら、まずは静岡が比較的温暖で水のおいしい地域であること、海の幸や山の幸に恵まれた食の宝庫であること等を伝えることから始めるのが肝要でしょう。そしてワインのテロワールのように「そういう土地だから、こういう酒になる」と物語を語る。日本は狭い島国ですが、自然が豊かで多様性があり、地域ごとの特徴があります。江戸時代の幕藩体制下で”お国柄”というものも豊かに育まれ、地域の特徴を生かした名産品、特産品も生まれました。

 静岡県の爽やかな酒質は、日本では高知、宮城、石川あたりが近いものの、県を挙げてこのような特徴を打ち出した県は他にありません。静岡吟醸が生まれた30年前の頃を知っている人間としては、もっともっと次の世代に伝えていく責務があると思います。

 とにかく、静岡の酒は静岡の土地で味わうのが一番大事です。もっとみなさんと盃を重ねてまいりたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。(つづく)

 (注)麹には、黄麹(おもに日本酒用)、黒麹(おもに伝統的な焼酎用)、白麹(おもに焼酎用)の3種類あり、最近ではあえて白麹や黒麹を日本酒に使う試みが注目をされています。従来の黄麹で作られた麹米は甘栗のような香りがしますが、白麹にはクエン酸が含まれるためレモンのような香りがします。


しずおか地酒研究会20周年記念講演会「造り手・売り手・飲み手が切り拓いた静岡地酒・新時代」(その1)

2016-03-19 10:48:17 | しずおか地酒研究会

 3月15日、静岡県男女共同参画センターあざれあの大会議室にて、しずおか地酒研究会の20周年アニバーサリー記念講演会を開催しました。試飲のない講演だけの会にもかかわらず、蔵元、酒米生産者、酒販店、飲食店、一般消費者など多種多様な方々102人が集まってくださいました。開催にご尽力いただいた方々に心よりお礼申し上げると同時に、年度末の平日夜に、呑めなくてもいいから酒の話を聴きたいと、これだけの方々が集まるとは驚きの一語。会場の不思議な熱気を、来ていただけなかった酒類関係者にお伝えしたかったと思いました。本当にありがとうございました。

 

 講師の松崎晴雄さんは、毎年、静岡県清酒鑑評会の審査員としてこの時期、静岡へいらっしゃるということで、会でも審査の様子をうかがいながら、今年の静岡の酒の傾向、全国の新酒の傾向などをうかがうサロンを毎年定例開催してきました。いつもは参加者20~30人ぐらいの、和気あいあいとしたサロン形式でやっていますが、今年は20周年ということで、20年前の発会式をやった思い出の「あざれあ」で、少し多めに50~60人ぐらいお呼びできたらいいなあとちょっと背伸びしちゃいました。昨年からフェイスブックで募集をするようにしたところ、SNSの威力というか、酒でつながる人のネットワークってスゴイですね、60人はあっという間に集まり、キャンセル待ちの問合せが連日届くようになり、もう少し広い部屋(20年間の写真映像を上映するためスクリーン&プロジェクター完備の部屋)を探したところ、あの広い会議室になってしまい、しからば思い切って、入室可能な人数を募集してみようと、大風呂敷を広げてしまったのでした(苦笑)。

 

 松崎さんは当日、静岡県沼津工業技術研究所で開催される静岡県清酒鑑評会の審査を終え、その足で静岡まで来てくださることになっていたので、あまりご負担をおかけしたくないという思いもあり、「初参加の人も増えるかもしれませんが、常連さんが楽しみにしてますのでいつもと同じ調子でやってください」とお願いしていました。しかし、想定を超えた規模になってしまって、オペレーションに行き届かない点もあり、ご参加の皆さまのご期待に応えられなかったのでは、と後悔しております。

 

 しずおか地酒研究会は、一応、【研究会】と名乗っている以上、何らかのテーマを設けて情報や知識を共有しようという活動です。これは、私自身が学びたい気持ちでやっていること。試飲だけではなく、一歩踏み込んで学んでみたいという気持ちのある同志が増えれば嬉しいな・・・という思いで続けてきました。気楽に試飲を楽しむ、酒肴を味わう一般の酒の会とは少し毛色が違うということで、遠慮する人、反感を持つ人も少なくないでしょう。実際、今回の参加者にも内容に不満足で「居酒屋の酒の会を見習ったほうがいい」という感想の方もいらっしゃいました。20年前、河村傳兵衛先生や永谷正治先生といった専門技術者の高度な講話を、一般素人が必死に食らいついて学んだ頃とは時代が違うんだな・・・と少々落ち込みました。

 それでも、広い会議室の席が前から順に埋まり、多くの方々がほんとうに真剣に聴講してくださり、日本酒が再認識されている、地酒の情報や知識を得たいという人が確実に増えている・・・そんな手応えを実感しました。開会の挨拶に続いて、20年間の活動写真をつなげた映像を観ていただいたのですが、初めてお会いする一般の方が、休憩中、「あの映像を観ていたら涙が出てきた」と仰ってくださったのです。今回いただいたそのような酒縁を、必ず次につなげていかなくては・・・そんな思いにかられました。

 

 前置きが長くなりましたが、いつものように講演会の内容を数回に分けてご紹介します。前にもどこかで書きましたが、ライターが主宰する酒の会のよさは、すぐに講演録を書記化できること! 昔のように短時間で書き起こしが出来なくなってしまって、少々お時間をいただきますが、よろしくおつきあいくださいませ。なお、写真は参加者の平尾正志さんから提供していただきました。本当にありがとうございました。

 

 

記念講演 造り手・売り手・飲み手が切り拓いた静岡地酒・新時代 (文責/鈴木真弓)

講師/松崎晴雄氏(日本酒研究家・日本酒輸出協会理事長・静岡県清酒鑑評会審査員)

(講師プロフィール)

1960年横浜市生まれ。上智大学外国語学部イスパニア語科卒業後、(株)西武百貨店にて食品・和洋酒売り場、バイヤーを担当。1997年酒類ジャーナリスト、コンサルタントとして独立。現在、有限会社デリカネットワークサービス(DNS)代表取締役、日本酒輸出協会(SEA)会長、吟醸酒研究機構世話人。自ら主宰する「日本酒市民講座」、うらかすみ「日本酒塾」など数多くの日本酒セミナー講師を歴任。純粋日本酒協会・きき酒コンテストで30回にわたり名人の表彰を受け、永久名人に認定される。「新版・日本酒ガイドブック Tastes of 1635」(柴田書店)「日本酒のテキスト」(同友館)、「新銘酒紀行」(あすなろ社)など著書多数。

 

 

 

 本日はしずおか地酒研究会20周年おめでとうございます。ちょうど20年前といいますと、私が西武百貨店を退社する前年でした(1997年退社)。静岡で地酒の普及活動をしている女性がいると聞きまして、96年10月に浜松で開催されたしずおか地酒研究会のシンポジウム(女性と地酒の素敵なカンケイ)に初めて参加させていただき、年末にこの会場(あざれあ)で開催された交流会(年忘れお酒菜Party)にもうかがいました。一般の人に日本酒の深い魅力を伝えようとされている姿に感銘を受けまして、私自身、独立後に『日本酒市民講座』という会を立ち上げました。まさに、そのきっかけとなったのが、しずおか地酒研究会です。その意味でも、鈴木さんはじめ、この会に集まってこられる皆さんには本当に感謝しており、20周年の節目にお招きいただき、非常に光栄に思っております。

  

(左)松崎さんが初参加された1996年10月開催の「女性と地酒の素敵なカンケイ」、(右)96年12月、あざれあで開催の「年忘れお酒菜Party~山田錦玄米試食会)

 

 今年は静岡県の酒にとっても節目の年であります。今から30年前の1986年(昭和61年)に、全国新酒鑑評会で静岡県の吟醸酒が10蔵金賞を受賞し、一躍脚光を浴びました。その頃からの静岡の酒を振り返りながら、今、そしてこれからの静岡の酒、日本酒についてお話しようと思います。

 

 実は私は学生の頃から日本酒に興味を持ち、大学を卒業してからも何か日本酒に関わる仕事がしたいと思っておりました。1983年頃でしたか、当時、酒オタクな学生だった私は、大学サークルで伊東に合宿に行き、学生でも買える地元の酒(二級酒)を探したんです。当時、伊豆の酒販店で扱っていたのは灘や伏見など大手銘柄ばかりでしたが、その中にひとつだけ、御殿場の三島屋本店という蔵が造っていた「富士自慢」と言う酒が、非常に軽やかで、すいすいペロッと呑めてしまったのです。翌日は二日酔いで苦労しましたが(苦笑)、20歳そこそこの学生にとってはさわやかですっきり、呑みやすい酒でした。

 次に静岡の酒に出合ったのは、社会に出て2年目の1984年の夏でした。東京町田の酒屋さんで毎月、いろいろな県の地酒を呑む会をやっていまして、酒屋さんのほうで各蔵から20~30蔵から計2本ずつ、50~60本を飲み比べる、という会でした。そのとき、出合ったのが國香一級酒。中身は大吟醸並みのフルーティーでさわやかな酒で、一級のラベルなのに、なぜこんなに香りがするんだろうと驚きました。磯自慢の吟醸と本醸造も呑んだのですが、軽くてすっきり、透明感のある、今まで呑んだ酒とはぜんぜん違うという印象でした。その2年後に静岡県が全国新酒鑑評会で大量入賞した、というわけです。

 

 全国新酒鑑評会は今年で105回を迎える国内最大の酒の品評会で、全国から1000社弱が出品し、うち220品ほどが金賞をとります。昭和の終わり頃は、出品点数700、金賞は100~120品ぐらいでしょうか。そのうちの10品を静岡が占めたということで、今まで無名の産地だっただけに非常に大きく注目されました。そのころから吟醸酒ブームが始まっており、地方の地酒―新潟、秋田、山形、広島、高知といった酒どころの銘柄が東京でも知名度の高い存在でしたが、その一角に静岡が入ってきて、日本酒業界がざわめき始めたのです。

 

 國香、磯自慢を知っていた私は、10品という受賞数には驚きましたが、静岡県の躍進は意外というよりも「来るべきときが来た」という印象でした。当時はバブルに入る少し前。その10年ぐらい前から灘や伏見の大手メーカーの三倍増醸酒(戦後の米不足の時代に作っていた添加酒)や桶買い(地方蔵から酒を買い取る)に対するアンチテーゼということで、地方の酒が少しずつ見直されてきました。酒造りに対し、コスト的な優位性よりも、原材料や製法へのこだわりに着目する時代になっていった。結果、できるだけ醸造アルコール添加量を抑えた本醸造や、まったく添加しない純米酒への注目が集まった。ちょうどそのような時代に吟醸酒ブームというのが起こったわけです。

 吟醸酒というのは、今では当たり前に市販されていますが、当時はコンテストに出す特別仕様酒という位置づけで、蔵元で市販化されているケースはレアでした。しかし吟醸酒というのは香りが華やかで口当たりもよく、今まで飲んだ酒との違いが一目瞭然です。こだわりぬいた原材料と高度な製法で造ればこういう酒が出来るのか、と。静岡県はその中でも、普通酒、本醸造(当時で一級酒・二級酒クラス)の酒でも吟醸酒並みの酒質で、吟醸造りのノウハウがすべての酒に行き届いているのかと想像しました。私自身、社会に出て吟醸酒が買えるような年齢になったとき、静岡県の吟醸酒に出合い、今でも印象深く思っています。

 

 当時は、今のようにインターネットが発達した時代ではありませんでしたので、業界紙や日本酒のムック本を買って情報を入手していました。吟醸酒を扱う飲食店もまだまだ少なかったですね。静岡県の酒では「開運」が代表格とされ、「磯自慢」「満寿一」「初亀」あたりが吟醸酒を牽引する蔵として知られていました。

 

 今は廃業してしまいましたが料理人御用達の雑誌「四季の味」を発行していた鎌倉書房から、「四季の味特選―名酒と肴」という雑誌が出版されていました。その中で、読売新聞の記者だったジャーナリストの小桧山俊さんが「静岡吟醸」という記事を寄稿されていました。昭和61年の全国新酒鑑評会で金賞を受賞した10蔵の紹介と、静岡酵母を開発された河村傳兵衛先生の紹介でした。それを読んで私も血湧き肉踊る思いといいますか、無名の産地が全国のコンテストを席巻したことに、実に爽快な気分でした。しかもただ単に偶然、いい酵母が出来て賞が獲れた、というわけではなく、産地振興のための大きな戦略があったという。長い間、河村先生や各蔵元が研究を重ね、静岡らしい酒質とは何かを追求したのです。

 

 静岡県は交通も物流も便利な土地です。県外の大手メーカーが参入しやすく、大手の問屋が大手メーカー酒を安く大量に仕入れて売るため、なかなか地元のメーカーが育ちにくいという土地柄でもありました。そういう地域で、静岡酵母による独自の吟醸スタイルを確立し、一過性ではなく、地酒の特性としてしっかり定着できるようにと考えた。実際に市販酒である普通酒や本醸造クラスにも、そのノウハウを活かした。そのように指導された河村先生と蔵元さん方が、地域に合った自分たちの酒のスタイルというものを表現しようと努力された。静岡のそのような取組みが、後々、全国各県に浸透するようになりました。

 

 吟醸酒用の酵母では、熊本の「香露」から発見されたという協会9号酵母がメジャーな存在でした。「香露」は熊本県内のメーカーが出資して造った熊本県酒造研究所という会社の銘柄です。一方、静岡酵母は、県の工業技術センターが開発した酵母です。純粋に県の研究機関が開発し、県の名前が付いた酵母というのはそれまで例がありませんでした。その後、山形県や長野県でも同様の取組みが始まりましたが、県独自に酵母を開発し、香りの良い吟醸酒を造って産地特性を発信していくというスタイルを確立したのは静岡県でしょう。日本酒の歴史に一つの流れを作った大きな存在であるといえます。(つづく)

 

*全国新酒鑑評会や酵母については、過去の松崎サロンを参照してください。

http://blog.goo.ne.jp/mayumiakane1962/e/88217761e2ac5a8d2c80a49a313dc662

http://blog.goo.ne.jp/mayumiakane1962/e/45ad7d11919c517e6d4dcc748ea518ff

 

 

*日本酒の製法、酵母については、こちらの独立行政法人酒類総合研究所の会報誌「お酒のはなし」で分かりやすく解説しています。http://www.nrib.go.jp/sake/pdf/SeishuNo01.pdf

http://www.nrib.go.jp/sake/pdf/SeishuNo02.pdf


しずおか地酒研究会、20年目の決意

2016-03-13 19:30:27 | しずおか地酒研究会

 本日(3月13日)付けの静岡新聞25面に「しずおか地酒研究会20年」を紹介していただきました。一昨日から家を空けていたため、夕方帰宅して紙面を確認し、取材してくれた記者の温かい言葉にほっこりしました。取材協力してくださった松崎晴雄さん、湧登の山口さんには心よりお礼申し上げます。

 

 3月15日の20周年記念講演会に登壇していただく【正雪】蔵元の望月正隆さん、杜氏の山影純悦さんにも写真取材協力していただきました。山影さんは「麹作業をしているからぜひ中で」とわざわざ麹室に招き入れてくださって、酒造りの要である麹造りと、その要となる洗米作業の重要性を、記者と私にとくと語ってくださいました。掲載紙面では山影さんのお名前がなかったので、ここで改めてお礼申し上げます。

 

 

 こちらは20年前の発足を紹介していただいた静岡新聞記事。20年前の発会式の参加者は、蔵元、酒販店、メディア関係者がほとんどでした。会の存在を「造り手には、飲み手の声を直接聞く場に」「売り手は、造り手への理解を深める場に」、そして「地元メディアの皆さんには地酒が魅力的な取材テーマであることを知っていただく場に」と願い続けた20年だったと思います。20年後にこうしてまた取材していただけたというのは、その願いがささやかながらひとつカタチになったかな、とほっこり。

 

 20年前には「地酒エッセーの募集」「消費実態調査」「ネット発信」「県酒造史編纂」「地酒の肴コンテスト」等など、今となっては夢物語のようなプランを列挙してしまいましたが、20年経た今、造り手自身が広報の重要性をしっかり認識して、積極的に情報発信するようになり、試飲会や交流イベントは売り手(酒販店、飲食店)がプロのスキルを存分に活かし、実効性ある企画を展開しています。市民団体であるこの会がこの先、どんなことで貢献できるのかをよく考え、ニュートラルな立場だからこそ出来うる事をこれからも地道にコツコツ続けていこうと思います。

 

 なお紙面で紹介していただいた3月15日の20周年記念講演会、すでにお申込いただいた100名あまりの方々は一般の飲み手中心で、ご職業も実に多種多様。初参加者や女性が多く、20年前の顔ぶれとの違いをしみじみ実感しております。残席20ほどになりましたので、参加希望の方はできましたら14日中に鈴木のメールまでお名前、ご職業をお知らせください。

mayusuzu1011@gmail.com