杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

大村屋酒造場七夕コンサートのお知らせ

2012-06-27 09:50:47 | 地酒

 なんだかんだで今年も半分が終わります。ホント、早いですねえ~。『若竹』の醸造元・島田の大村屋酒造場さんから、今年も七夕酒蔵コンサートのご案内が届きました。今年は土曜日なので、参加しやすいと思います。コンサート終了後には冷やした樽酒がふるまわれます。参加無料ですよ!

 

 

大村屋酒造場 第16回七夕コンサート

日時 2012年7月7日(土) 18時30分開場、19時開演

 

場所 大村屋酒造場 貯蔵倉 島田市本通1丁目1-8 TEL 0547-37-3058 JR島田駅から徒歩5分 詳しくはこちら

 

内容 大石陽介(バリトン)・大石真喜子(ソプラノ)・馬場祥子(ピアノ)による日本の叙情歌

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 こんな素敵なコンサートを16年も続けている大村屋酒造場の松永今朝二社長の地域貢献への思いを、2011年3月発行の『静岡発!文化の仕掛け人たちの熱き想い~文化を支えるプロジェクトレポート』(静岡県発行)で紹介しました。日本酒の蔵元がなぜ百年以上も事業継続し、地域に必要とされ続けてきたのか、その一端が伝われば、と思います。

 

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大村屋酒造場(島田市)】

民が心待ちにする文化事業を次々に発信、<o:p></o:p>

 「地域と共存共栄する酒蔵」を実践する。<o:p></o:p>

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日本酒の造り酒屋は創業100年以上の歴史を持つ老舗が多く、地域の暮らしの移り変わりとともに発展・継続してきた。島田市の大村屋酒造場は「若竹鬼ころし」「おんな泣かせ」で知られる銘醸。天保3年(1832)に創業し、東海道島田宿の蔵として発展した。島田市唯一の地酒の灯を守っている。それは、地域の人々に支えられ、灯された文化の光でもある。<o:p></o:p>

 

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地元の人々に“地酒の灯を消すな”と背を押され…<o:p></o:p>

 

 大村屋酒造場6代目当主・松永今朝二さんは昭和42年に入社し、義父で5代目当主松永始郎氏(故人)とともに伝統蔵の継承発展に努めてきた。<o:p></o:p>

 

松永さんが入社した当時は、島田市に7軒の酒蔵があったが、地方の酒蔵経営が厳しくなり、島田市内でも廃業が相次ぐ。“最後の砦”となった松永さんを「最後の地酒の灯を消してくれるな」と激励したのは、島田市内の名士の集り「若竹会」だった。

この会で「慶長9年(1604)の大井川の氾濫で消滅した地酒・鬼ころしを復活させよう」と呼びかけ、今では蔵の看板銘柄である「若竹鬼ころし」が誕生。その5年後には、辛口の鬼ころしとは対照的にソフトでまろやかな「おんな泣かせ」が誕生した。粋な酒銘は、若竹会の宴席で島田の芸者さんのひと言だったという。これも静岡県を代表する人気銘柄に成長した。<o:p></o:p>

 

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音楽のまち島田をほうふつとさせる酒蔵コンサート

 

 そんな経緯もあって、松永さんには地元島田への思いがひときわ強く、「地域の皆さんとともに共存共栄するのが地酒の使命」と明言する。<o:p></o:p>

 

 音楽好きの松永さんは10数年前、妻が師事するオルガンの先生に「蔵には独特の音響効果がある。何か演奏してみたら?」と勧められ、貯蔵タンクが並ぶ蔵で室内楽コンサートを企画した。100人が集まり、音楽ホールとはひと味違う、酒蔵に響くクラシックの音色を堪能した。<o:p></o:p>

 

 さらに「島田の七夕に賑わいを復活させたい」という町の声に応え、七夕の日に静岡大学のジャズバンドを招いて酒蔵コンサートを開催。蔵を開放し、生ライブを楽しんでもらった後は、樽詰めの生酒を無料でふるまった。<o:p></o:p>

 

ステージ設営も七夕飾りもすべて社員の手作り。最近ではテノール歌手の加藤信行さん、中鉢聡さん、ザルツブルクのモーツァルテウム管弦楽団首席ホルン奏者シュヴァイガー氏といったビッグネームもやってくる。松永さんの「出演料は出せないけど酒はたっぷり飲ませるよ」が口説き文句だといい、アーティスト自身も酒蔵の空間に魅力を感じ、手弁当で参加するという。<o:p></o:p>

 

 聴衆は年々増えて今では400人を超え、蔵の中に入りきれない人が路上で演奏に耳を傾けるということも。「島田市はもともと音楽好きの市民が多く、静岡市に市民会館が出来る前は、県下で唯一NHK交響楽団の演奏会が島田市民会館で開かれていた。音楽が身近にあった街なんです」と松永さん。今年で14回目を数える七夕酒蔵コンサートは、島田市の夏の風物詩になった。<o:p></o:p>

 

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NY三ツ星フレンチレストランの地酒パーティーをきっかけに<o:p></o:p>

 

 松永さんは日本酒の蔵元として島田の食文化振興にも努めている。1999年、ニューヨークの三ツ星フレンチレストランで開かれた日本酒パーティーに招待されたとき、「若竹鬼ころし」がフレンチ料理と見事にマッチし、NYの食通たちに喜ばれる姿に感激する。NYナンバーワンの呼び声高いワインソムリエとシェフが事前に島田までやってきて蔵できき酒するなど準備も万全だった。

 「海外で島田の地酒がこれだけのもてなしを受けているのに、自分たちは地元では何もしていない」と実感した松永さんは、帰国後、蔵に隣接する大井神社宮美殿の調理長と協働で【島田の食と地酒を楽しむ会】を企画した。<o:p></o:p>

 

翌年からは酒米作りで縁のある島田市初倉地区の農家、大井川奥のヤマメ養殖業者にも声を掛け、食事の合間に生産者の苦労話や地域の自然の価値などを解説してもらうなど、地産地消をテーマにした食文化の会に発展した。5000円のチケットは受付直後に定員満員となり、今では抽選制にせざるをえないほどの人気ぶりだ。<o:p></o:p>

 

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親子で体験学習、「お米とお酒の学校」開催<o:p></o:p>

 

 2005年からは親子対象の食育活動【お米とお酒の学校】を始めた。初倉の農家の協力で、5月に酒米の田植えをし、9月に稲刈り、3月に酒蔵工場見学を行う。

 子どもたちは田植えや稲刈り時に農家から米作りや田んぼの生態系などを聞き、バケツにひと株ずつ稲を持ち帰る。田んぼには自分の名前の立て札が立っているので、下校途中に様子を見に行くことも。田植えの日は午後、かかしづくりの体験。稲刈りの日は島田市金谷の伝統の志戸呂焼き工房で茶碗やぐい飲みづくりの体験。お酒が完成する3月にはオリジナルラベルをデザインして酒瓶に貼る。

 そんな稲作体験が、親子のコミュニケーションづくり、地域農業や酒造り・陶芸等のモノづくり文化を学ぶ好機にもつながっている。<o:p></o:p>

 

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酒蔵2階の文化発信基地「若竹サロン」<o:p></o:p>

 

 本社2階フロアは、貸しギャラリーとして市民に開放している。ここで2カ月に1度のペースで文化交流会「若竹サロン」を開催し、地元で活躍する学識経験者、経済人、文化人等を講師に招いてさまざまなトークときき酒を楽しんでもらう。蔵を支えてくれた「若竹会」の伝統がそこに息づいている。ギャラリーは、若い陶芸家や書家たちの作品発表の場にも活用している。<o:p></o:p>

 

 これら事業は参加者から費用をとらないか、必要最小限の実費しかとらず、企画や運営はすべて松永さんと社員でまかなっている。「スポンサーをつけたり補助金をもらったりすると、いろいろ制約が出てくるから」と苦笑いする松永さんだが、会社の“持ち出し分”は広報活動の範疇をゆうに超えている。

 その原動力は、数々の催しを通して、地域住民から寄せられる「自分たちが住む町に誇りが持てる、ぜひ続けてほしい」という声。「酒蔵が地域に存在する意義もそこにあります」と力を込める。(文・鈴木真弓)<o:p></o:p>

 


郵便局の風景印

2012-06-25 09:32:36 | 歴史

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 6月21日(木)夜、シズオカ文化クラブさんの定例会『郵便局から文化を発信します!~静岡市内59局長自慢の“わが町名所”ご紹介』に参加しました。静岡中央郵便局3階会議室に、文化クラブ会員ほか、市内27の郵便局長さんと、観光ボランティア駿河ウェイブの会員さんあわせて70人余りが集まって、郵政民営化以降の現状と、市内59局の『風景印』について興味深いお話をうかがいました。

 

 

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講座の前は、中央郵便局の仕分け作業を見学させてもらったり、シズオカ文化クラブさんが企画した東海軒の『慶喜弁当』をいただいたりして、学校の社会科見学みたいなノリで楽しかったです! 左下のノリ巻き、葵の御紋のデザインですって

 

 郵便局の『風景印』ってご存知でしたか? 観光地の郵便局から出された手紙で、確かに洒落たデザインの日付けスタンプが押されているの、見たことあるんですが、町の郵便局すべてに、その町の歴史や名物を象った風景印があるって初めて知りました。1931年に風景印の制度が制定されて、第1号は富士山頂の郵便局だったそうで、静岡県内の郵便局は、風景印デザインに富士山を使うのが定番になったみたいですね。

 

 

 

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 実家に近く、幼い頃から一番馴染みのあった太田町郵便局。風景印は寛永通宝&富士山&駿河湾をデザインしたものです。現在の太田町一帯には、江戸時代、銭座があって沓谷銭と呼ばれる寛永通宝が作られていたんですね。…昔、小学校で教えられたような記憶がありました。

 

 

 

 

 

 横田郵便局のデザインはゴチャゴチャして判りにくいんですが、清水寺の千手観音像をモチーフにしたよう。久能郵便局は、東照宮と石垣いちご、日向郵便局は、聖一国師生誕地碑にお茶摘み風景・・・こんなふうに、各郵便局がご当地自慢をデザイン化していました。これを、沓谷郵便局の海野隆年局長がImg095
音頭をとって『静岡市郵便局ガイド』としてマップにまとめました。沓谷局の風景印をちゃっかり表紙に使ってますね

 

 

 

 

 『風景印』は切手の上に押す正規の日付スタンプなので、切手を買わないと押してもらえません。そこが、ただの記念スタンプとは違うところですが、遠隔地へ手紙やはがきを出す時、郵便局の窓口で「風景印を押してください」と言えば、風景印付きで出すことができるし、「静岡市郵便局ガイド」のマップに50円切手を貼って窓口に申し出れば、押してもらえます。

 

 

 手紙や年賀状を書く機会が年々減ってきている昨今、こういうしくみがあることをもっとアピールして、手紙は文化であり、郵便局は地域文化の発信基地であることを市民に理解してもらうって大事だなあと思いました。

 

 

 

 

 講座の後は、郵便局が力を入れるお中元ギフトのハムや和菓子やジュースの抽選会があって、こだわりリンゴジュースが当たりました

 民営化して何かとご苦労も多いと思いますが、昔に比べたら、ずいぶんサービスがよくなったと実感しています。郵便局さん、頑張ってください


中日新聞環境特集「豊かな暮らしと廃棄物は表裏一体」

2012-06-23 19:22:20 | 環境問題

 本日(23日)付けの中日新聞朝刊の環境特集で、産業廃棄物問題の記事を書きました。

 震災ガレキ処理で改めてクローズアップされている廃棄物処理という社会の負の問題。今はどちらかというと、産業Imgp0004
廃棄物よりも一般ごみの不法投棄のほうが深刻なようで、処理業者の方々の本音をオフレコで聞いたうえで、広告特集記事(=スポンサーの校正チェックが入る記事)としてギリギリの表現に挑戦してみました。一部、ソフトな表現に直された部分もありますが、一般ごみの“排出者”である我々市民が、少しでも多くの方に考えるきっかけになれば。

 

 

 

 

廃棄物処理の現状と課題「豊かな暮らしと廃棄物は表裏一体」<o:p></o:p>

 

昨年の3・11以降、日本人が直面したエネルギーやゴミ・廃棄物の問題は、今のライフスタイルの見直しを迫る、大きく切実なものとなった。ゴミを減らし、資源や物資を大切に使う循環型社会のしくみづくりに必要なものは何か。廃棄物処理の最前線に立つ静岡県産業廃棄物協会の活動を岩間雄一副会長に解説してもらった。<o:p></o:p>

 

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 産業廃棄物の定義<o:p></o:p>

  モノを作れば、使えば、必ず生まれる廃棄物。モノに満ち溢れた豊かな生活とは、同じ量の廃棄物と表裏一体であることを、私たち生活者は時折、見過ごすことがある。

 廃棄物とは、家庭から出される一般ゴミやし尿と、会社・工場・商店など事業活動にともなって出た事業ゴミに大きく分けられる。事業ゴミのうち、がれきや廃油や汚泥など法令で定められた20種が『産業廃棄物』と定義され、事業者に処理責任が課せられている。処理の形としては、事業者自らが行うケース、処理業者に委託するケース、行政機関が公共サービスとして処理するケースがある。<o:p></o:p>

 

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 静岡県産業廃棄物協会―廃棄物の入口(排出業者)と出口(処理業者)と排出業者が同居する稀有な団体<o:p></o:p>

  「適正な廃棄物処理は、健全な社会の発展に不可欠である」という理念のもと、昭和50年に設立した静岡県産業廃棄物協会。産業廃棄物の処理事業者と、排出事業者を合わせた計1140社が加盟している。<o:p></o:p>

  実は排出(入口)と処理(出口)双方の業者が“同居”する団体は全国的にも珍しい。静岡県産業廃棄物協会は、平成3年の法改正で排出業者の責任が強化された時、全国に先駆けて排出業者の入会を受け入れた。岩間副会長は「多種多様な製造業が拠点を置くモノづくり県静岡では、廃棄物への対応は相対する両者が同じベクトルで取り組む必要があるとの強い共通認識があった」と振り返る。<o:p></o:p>

 

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 社会に不可欠な公益事業<o:p></o:p>

  先月、利根川水系の浄水場で水質基準値を超えるホルムアルデヒドが検出され、関東広域で水道が止まるというアクシデントが発生。今月7日に「原因物質が十分に処理されずに放流されたと強く推定される」との最終的な調査結果が群馬・埼玉両県と高崎市から発表された。<o:p></o:p>

  原因物質が法規制の対象外だったため、原因物質を含む廃液の処理を委託した金属加工メーカーに法的責任はなく、委託を受けた処理業者の処理方法に問題があったとし、文書で再発防止を求めるのみとなった。<o:p></o:p>

  この事例は、排出業者と処理業者の連携ミスや責任の所在の曖昧さ等、廃棄物処理が抱える問題を如実に示す結果となった。「廃棄物処理は自己処理が原則。業者に委託する場合は信頼できるかどうか少なくとも年に1回は処理現場を点検するぐらいの意識が必要」と岩間副会長は指摘する。<o:p></o:p>

 

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 平成24年4月、公益社団化<o:p></o:p>

  静岡県産業廃棄物協会が手がける事業は、<o:p></o:p>

 ①公益目的事業<o:p></o:p>

 ・不法投棄防止活動事業<o:p></o:p>

 ・不法投棄情報収集事業<o:p></o:p>

 ・災害復興支援事業<o:p></o:p>

 ②適正処理啓蒙事業<o:p></o:p>

 ・産廃処理施設視察会の実施<o:p></o:p>

 ・展示会等出展事業<o:p></o:p>

 ③能力開発支援事業<o:p></o:p>

 ④産廃技術ニュース発行<o:p></o:p>

 ⑤協会機関誌の発行<o:p></o:p>

 等、公益性の高い事業を行っている。<o:p></o:p>

  昭和52年に社団法人化した同協会は、平成24年4月1日、「公益社団法人静岡県産業廃棄物協会」に移行した。<o:p></o:p>

 全国各都道府県にある産廃協会のうち、一般社団ではなく公益社団に移行したのは8道県のみ。公益社団への移行はハードルも高いが(注1)、組織としての社会的信用性も当然高くなる。協会幹部も「当協会が、公益目的事業を遂行できる基盤がしっかりあるという証明」と自信を示した。公益社団化初年度の今年は、不法投棄の問題や一般への啓蒙活動に厚みをもたせている。<o:p></o:p>

 

(注1)平成18年の法改正で、公益法人は、①一般社団法人及び一般財団法人、②公益社団法人及び公益財団法人の2つに改組された。②の認定には、主たる目的とする公益目的事業費比率を50%以上とし、その事業を行うために必要な経理的基礎および技術的能力を持つこと、すべての関係者に特別の利益を与えないことなどがある。税制に関しては、公益目的事業として認定された事業は収益事業から除外される等の優遇措置がある。<o:p></o:p>

 

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 浜松市と不法投棄防止協定を締結<o:p></o:p>

  今年3月、協会は浜松市と「廃棄物の不法投棄等の防止に向けた協定」を締結した。従前より不法投棄防止にかかわる協力関係にあった協会が市と正式に協定を結ぶことにより、連携をより強固で円滑なものにし「美しいまち浜松」の創造を目指すこととなった。<o:p></o:p>

  その一環として6月8日、浜松市北区三ケ日町大崎一帯で実施された回収作業には、59人の協会員と自治会10人、市職員12人の計81人が参加。協会浜松支部がアームロール5台、ユニック6台、小型重機2台を提供し、不法投棄された15トンあまりの廃棄物を回収した。4トントラック14台分に相当する量である。<o:p></o:p>

 

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 増加する一般ごみの不法投棄<o:p></o:p>

  今回、回収した廃棄物の中には浜名湖のマリンレジャー客が投棄したと思われるレジャーごみや生活ごみも目立った。場所は「車で運びやすく、捨ててもすぐに自分の視界から見えなくなるところ」という。<o:p></o:p>

  このように現在、顕在化している廃棄物問題の主役は、産業廃棄物から一般廃棄物(生活ごみ、廃タイヤ、廃家電等)へと移っている。昨年度から廃棄物処理法の一部が改正され、不法投棄や不適正処理への対策、最終処分場の環境汚染対策、廃棄物の循環的利用の促進等が強化された。協会の法令遵守への働きかけも奏功し、県内では大規模は産業廃棄物の不法投棄は減少傾向にある。<o:p></o:p>

  一方、生活ごみや廃家電といった一般廃棄物の扱いは、法というよりも一般市民のモラルに依るところが大きい。岩間副会長は「産業廃棄物は入口(排出業者)と出口(処理業者)の努力によって減らすことができた。一般ごみも同じ。自分が出すごみには自己責任を持つという意識を、家庭や職場で保持してほしい」と力を込める。<o:p></o:p>

 

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 御前崎中学の“亀バックホーム作戦”をサポート<o:p></o:p>

  協会では日頃から廃棄物処理事業への理解や啓蒙にも努めており、県内7支部ごとに、地域の小・中・高校で環境教育プログラム事業を実施中だ。今年度は協会中遠支部が中心となって、御前崎市牧之原市学校組合立御前崎中学校全生徒(約450 名)を対象に行った。<o:p></o:p>

4月の廃棄物セミナーでは、会員企業の社員が講師となってごみ問題やリサイクル事例等を紹介した。5月には、御前崎マリンパーク海岸で同校が行った清掃活動“亀バックホーム作戦”に協力。重機等を提供し、燃えるごみ約1460キログラム、金属くず60キログラム、その他(廃タイヤ・ビン類等)1200キログラムの回収をサポート。廃棄物セミナーでごみ問題について理解を得ていた生徒たちは、リサイクル可能な廃棄物を海亀の棲息地に投棄する“愚行”に心を痛めていた。<o:p></o:p>

 

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 電子マニフェストの推進<o:p></o:p>

  協会では廃棄物の減量化に向け、県が奨励する3R運動(注2)を事業所にも広く呼び掛け、研修会を各地で開催している。<o:p></o:p>

  また廃棄物を適正に処理するために有効な「電子マニフェスト」の加盟登録を事業所に呼び掛け、静岡県は平成23年度までに、東京都、神奈川県に次いで全国3位の登録件数(6232件)となった。27年度までに8000件を目指している。<o:p></o:p>

  岩間副会長が所属する協会の医療廃棄物部では、医療施設への電子マニフェストの導入を積極的に呼び掛け、部会員のほとんどが導入している。その一方で導入が遅れている一部の医療機関には、処理業者の立場から導入をお願いしている。岩間副会長は「静岡の電子マニフェスト導入は全国的なモデルケースとして注目されている。会員企業に趣旨を徹底させたい」と気を引き締める。<o:p></o:p>

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<o:p> </o:p>(注2)3R運動=ゴミを出にくくする(Reduce)、再使用(Reuse)、再生利用(Recycle)を呼び掛ける。<o:p></o:p>

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  「モノを造ればゴミが出るのは当たり前。健全で豊かな暮らしとは、廃棄物と表裏一体であることを忘れないでほしい」と真摯に語る協会スタッフ。毎年8月には協会7支部で小学生を対象にした施設見学会「ぼくらはさんぱい探偵団」を実施しており、今年も準備に余念がない。

 子どもの意識が変われば親の意識も変わり、地域や職場での行動にもつながってくる。公益社団化した協会の使命もそこにある。<o:p></o:p>

 (文・鈴木真弓)<o:p></o:p>

 


鞆の浦、「日東第一形勝」を守る意味

2012-06-22 12:18:16 | 朝鮮通信使

 今朝になって、このブログに「鞆の浦」で検索して来る方が急に増えたので、何かあったのかなと思ったら、facebookの書き込みで、「埋め立て計画中止」が決定したとのこと。改めて毎日新聞ウェブ版のこちらの記事で確認しました。

 

 

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 宮崎駿監督が『崖の上のポニョ』の構想を練った地として知られる広島県福山市鞆ですが、私にとっては、やっぱり、なんといっても2007年に制作した『朝鮮通信使』の舞台。

 徳川家康大御所四百年祭の記念事業で静岡市が製作した映画なのに、駿府公園や久能山東照宮よりも時間をかけてロケをして、実際に使った映像も長くて、たぶん気分を害した人もいたと思いますが(苦笑)、山本起也監督も私も、それだけ思いを込めずにいられなかった、美しくて素朴な港町でした。

 

 

 

 

 もし機会があったらふたたび上映会をやってほしいのですが、鞆の浦のトワイライト~夜景に、林隆三さんの詩的なナレーションがかぶり、プロモーション映像としても見応えがあると思います(こちらを参照)。

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 鞆の浦で、取材やロケ時に出会った町の人々も、本当に素朴で温かな方々でした。このブログを書き始めた2007年暮れから、そんな方々との交流をたびたび紹介させてもらいました(こちらを)。

 

 宮崎監督が滞在した家のことも聞いていましたが、宮崎アニメをほとんど観たことのない私にとっては、特別関心が湧いたわけでもなく、そImg_3399
れよりも、保命酒の醸造元や、坂本龍馬のいろは丸事件史跡のほうが興味深かった・・・。

 

 

 

 

 埋め立て問題の深刻さを知ったのは、2008年になってから。ご縁が出来た朝鮮通信使研究家の方々と交流を続けているうちに、町を二分する論争に発展していることを知り、あるときは、賛成反対の町民が同席する酒宴に偶然参加して、本音をぶつけ合う場面にも出くわしました(こちらを参照)。

 

 

 軽自動車でも対向車とすれ違うのが大変な、細くて坂の多い道。自分も実際にロケ車を動かしてみて、その不便さを実感しました。江戸時代の町の区画がそのまま残っているというのは、確かに今の住民の方々にとっては住みづらいし、外の住人から、景観を守れと言われる地元の人々の心情も解る気がします。

 

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 自然や伝統を守ることと利便性を追求することを、どうやって擦り合わせたらいいのか、さらに広げれば、従来の資本主義経済の価値観が行き詰ったその先に、どんな新しい社会を望むべきなのか、自分の頭では予想のカケラもつかず、いろんな本を読んで答えを探っているところでした。

 それだけに、今朝のこのニュースはとても心に響くものがありました。そして、こういうニュースを、ブログやfacebookによって知ったというのも、私にとっては感慨深いものがありました・・・。

 

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 朝鮮通信使が『日東第一形勝』と絶賛した鞆の浦。この景観を現代の人々が守り伝える意味は、単に“景観を守る”以上に深遠なものに違いありません。


18世紀、イギリスの緑茶品評

2012-06-20 08:56:48 | 農業

 夕べ(19日)FM-Hiでオンエアだった『かみかわ陽子ラジオシェイク』でイギリスのお茶の歴史について少し触れました。

 

 

 台本を書く時、参考にしたのが、以前、県知事対談でお会いした角山榮先生の、川勝知事とのやりとり(こちらを参照、全文はこちらをダウンロード)と、先生の名著『茶の世界史~緑茶の文化と紅茶の社Img094
会』(中央公論新書)
。イギリスにお茶が入ってきたのは17世紀、東インド会社から輸入したものですが、当初は紅茶じゃなくて緑茶が主だったそうです。イギリス=紅茶と思いこんでいたので、先生の本でこれを知ったときは、目からウロコでした。

 

 

 1771年、エジンバラで発行された『ブリタニカ』初版で、商人がお茶を選ぶ基準が記述されていて、これがまたお茶の品評としては大変興味深いものでした。昨日のオンエアでも代読させてもらいました。

 

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「茶を扱う商人は、茶の色、香味、葉の大きさの違いによって、おびただしい茶の種類を区別している。普通の緑茶は、葉がやや小さくてシワがあり、よく乾燥して葉が巻き込んだような形をしている。色は薄黒いグリーンで、味はやや渋く、香りは快適である。

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   良質の緑茶は、葉が大きくてあまりシワがなく、乾燥中に葉がほとんど巻き込まないようにつくられている。色はブルーグリーンに近い薄い色で、実に何とも言えない素晴らしい香りがする。普通の緑茶よりも渋い味がするが、それでもはるかに心地よい味である。<o:p></o:p>

 

一方、ボヘア(紅茶の種類)は、他のいずれのものよりずっと小さな葉からできている。色は他の種類よりいっそう濃い色をしており、ときには黒味がかっている。同じく香りも味もよいが、味は甘さと渋さが混じり合ったような味である。緑茶はすべてどことなく、すみれの香りがするのに対し、ボヘアのほうはなにかバラの香りがする」。<o:p></o:p>

 

 

 

 

 緑茶も、あるいは日本酒も、味や香りの表現次第では、もっともっと魅力を伝えられると思いました。お茶専門店や地酒専門店、喫茶店や酒場は、もちろん店構えやサービスが大切だと思うけど、商品の特徴をちゃんと表現できるプロの売り手が増えて欲しいし、そういう人に気軽に会える店が増えて欲しい。18世紀の商人に負けるな!