杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

「静岡県の終活と葬儀」刊行

2022-08-25 20:00:08 | 本と雑誌

  2022年も気がつけば立秋を過ぎ、田んぼには稲穂が実り始めています。ここへの訪問もすっかり疎になってしまっていましたが、手間がかかった仕事が一つ二つと片が付き、業務ではない趣味の執筆に向き合う心の余裕も持てるようになりました。・・・といっても仕事のPRで恐縮ですが、どうぞお付き合いくださいませ。

 

 昨年来、取材執筆を続けてきた『静岡県の終活と葬儀』が8月24日に静岡新聞社から刊行されました。発売初日にフェイスブックで紹介したところ、「タイムリーな企画」「すぐにでも参考にしたい」等など好意的な反応をいただき、胸をなで下ろしています。

静岡県内主要書店にて発売中。1500円+税  Amazonでも取り扱っています。こちらからどうぞ。

 

 内容は3章に分け、第1章「生前に準備しておきたいこと」は、終活や相続対策等、専門的な手続きや準備についてファイナンシャルプランナー小野崎一網さんが解説し、私が文章化をサポート。第2章「葬と供養の新しいかたち」は今の葬儀やお墓について、第3章「終活を支え、喪失に寄り添う人々」では死に向き合うときに助けとなる様々な専門家を紹介しました。

 

 実はこの3章立てに落ち着くまで紆余曲折ありました。私が最初に提出した草稿には、一般に出回る終活葬儀ノウハウ本との差別化を意識し、静岡県の葬や供養に関するヒストリー&フォークロアをがっつり書き込んだのです。

 葬や供養がどんどん簡素化される中で、わが地域が刻んできた大切な歴史や習俗がどんどん忘れ去られ、各地の盆祭り等にわずかに残るその記憶も、コロナ禍の影響もあり、風前の灯状態。今、静岡新聞社が出す本ならば、それは記録として残すべきではないかと考えて企画提案し、時間をかけて人を訪ね歩き、文献調査をしました。

 実用書としてわかりやすいものを、という編集方針の変更によって、大半の草稿はお蔵入りになってしまいましたが、調査取材にかけた時間は決して無駄ではないと思っています。

 

 以下は、本書の最後に「おわりに」としてつづった個人の想い。この心境に至ることができたのも、民俗の歴史に向き合い、人ひとり亡くなることの意味、弔いの作法を考える時間が十分に持てたからです。

 当ブログを訪問し、ご縁をいただいた皆さまにとっても、死に方=生き方を見つめ直す一助になればと思っています。ボツになった調査内容はここで少しずつ紹介していきますので、よろしくお願いします。

 


 「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」という禅語をご存知の方も多いと思います。雨の日も風の日も、辛く悲しい日であっても、その日その日を最良の日として生きようという、厳しくも温かい人生へのエール。この禅語を残した唐の名僧・雲門文偃の語録に、「朧月三十日(ろうげつみそか)」という言葉があります。
 朧月三十日は旧暦の大晦日。人生を一年に喩えれば、まさにこの世の納め。誰の人生カレンダーにも漏れなく刻印され、早かれ遅かれ、その日を迎えることになります。年末の大掃除を土壇場になって慌ててやるか、前もって少しずつキレイにしておくかで、大晦日の迎え方もずいぶんと変わってくるでしょう。

 私事になりますが、私の父は2017年の大晦日、正月用の酒肴を買いにバスに乗り、終点の静岡駅に着いた時、座席で眠るように心停止状態で運転手に発見されました。

 病院に駆けつけた私は、汗だくで心臓マッサージをしていた医師より「回復の見込みはないが、マッサージを止める指示ができるのは家族だけ」と告げられ、外出中の母とも連絡が取れないまま、父の心臓を止めるという決断を迫られたのでした。持病があったものの、この日の朝も変わりなく普通に食事をし、他愛もない話をしていた父と、2時間後にこのような別れをするとは、もちろん想像もしていません。


 父は生前、終活の話を嫌がって、葬儀や墓など諸事一切、決めていなかったため、病院の看護師に渡された葬儀社リストをもとに、過去に親戚が利用したことのある地元業者を選び、自宅までの遺体搬送と寺院の手配をお願いすることに。

 年明け2日の通夜、3日に葬儀火葬と決まりましたが、葬儀社から「料理店が正月休みで祓いの食事が用意できない」とSOS連絡を受け、ダメ元で自分のSNSに「3日昼に仕出し弁当を頼めそうな店を知りませんか?」と投稿したところ、大晦日夜にもかかわらず、多くの友人から情報や弔意が寄せられ、無事、手配が叶いました。

 一般葬か家族葬にするかの判断以前に、正月三が日という時期を考慮し、訃報連絡は近親者のみとしましたが、仕出し弁当SNSを見た友人知人が葬儀社を調べて駆けつけ、懇意にしていた日本酒の蔵元も、元旦から香典返し用の酒の準備をしてくれました。後悔先に立たずの連続でしたが、今振り返ると、あれほど他者の温情を感じた「好日」はなかったでしょう。

 2020年の大晦日、その日本酒の蔵元が突然亡くなりました。海外在住の娘さんがコロナによる帰国後隔離処置に遭い、日を置いての通夜葬儀となりましたが、酒造繁忙期に蔵の大黒柱を失ったご家族や従業員の皆さんの悲嘆・混乱は、我が家とは比べものにならなかったでしょう。

 

 今回の調査取材で、日本に、静岡に、実に豊かな弔いの文化が存在していたことを知り、時代とともに変化する供養のカタチに、専門的知見を活かし、寄り添い支える人々に出合いました。

 父や蔵元が亡くなる前に知っておきたかったと思わずにはいられませんでしたが、執筆を終えた今、改めて、「必ずやってくる自分の大晦日」「大切な人の大晦日」を、悔いのない「好日」にできたら、と心から願います。

 本書が、大晦日前の清掃整理に使える“お役立ちメモ”のような機能を担えたら幸甚です。
 

 

 


時の合間に棲まう鬼

2021-02-02 10:27:49 | 本と雑誌

 今年は、明治30年以来124年ぶりに2月2日が節分ですね。国立天文台暦計算室による”暦のずれ”の影響だそうで、来年は再び2月3日に戻り、2025年から4年ごとに再び2月2日になり、2057年と2058年は2年連続で2月2日になる計算とか。どうしてこういうことになるのか、不思議と言えば不思議です。

 そもそも暦とは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるもの。そして時間とは14世紀にヨーロッパで機械的な時計によって律せられるようになるまで、昼と夜の交代だけが尺度でした。

 今、読んでいる『時間は存在しない』(カルロ・ロヴェッリ著)によると、昼夜の日周リズムは生命体が共通して持つもので、アリストテレスは時間を“昼夜という変化の連続を計測したもの”と考えた。すなわち、変化が無ければ時間は存在しないと。これに対し、ニュートンは、どんな場合にも経過するホンモノの時間は存在するとし、近代物理学を確立させ、さらにアインシュタインが、アリストテレスとニュートンの時間論を統合させたといわれます。しかしこれも量子力学の登場で不確実性の沼に陥っていく…。理論物理学者が書いたこの本は、理系が苦手の門外漢にはちんぷんかんぷんなのですが冒頭で、

「時間の流れは山では速く、低地では遅い(=低地のほうが地球の重心に近いため)」

「みなさんの姉が地球から約4光年離れた恒星にいるとしよう。お姉さんは今何をしていますか?わかるのは4年前にしたことであって、わたしたちの現在は宇宙全体には広がらない」

「遠くにあるのは、わたしたちの過去(今観ることが出来る事柄の前に起きた出来事)だ。そしてまた、わたしたちの未来(「今、ここ」を見ることができるこの瞬間の後に起きた出来事)もある。この二つの間には幅のある「合間」があって、それは過去でも未来でもない。拡張された現在なのだ」

という事実を突きつけられ、観測技術のない時代に地球が丸く自転していることを知った哲学者や冒険家のように、時間に対しても、常識を疑い、先入観を捨てて思索する世界があることを知りました。

 自分の理解レベルを超えた物理学の本なのに、こういう記述に惹かれて何度も読み返しています。

「自分のまわりで経過する時間の速度は、自分がどこにいるのか、どのような速さで動いているのかによって変わってくる。時間は、質量に近いほうが、そして速く動いたほうが遅くなる。二つの出来事をつなぐ時間は一つではなく、さまざまであり得る。」

「わたしたちは物語なのだ。両眼の後ろにある直径20センチメートルの入り組んだ部分に収められた物語であり、この世界の事物の混じり合い(と再度の混じり合い)によって遺された痕跡が描いた線。」

「記憶と呼ばれるこの広がりとわたしたちの連続的な予測の過程が組み合わさったとき、わたしたちは時間を時間と感じ、自分を自分だと感じる。どうか考えてみていただきたい。わたしたちが内省する際に、空間や物がないところにいる自分は簡単に想像できても、時間のないところにいる自分を想像できるものなのかを。」

「時間は、本質的に記憶と予測でできた脳の持ち主であるわたしたちヒトの、この世界との相互作用の形であり、わたしたちのアイデンティティーの源なのだ。」

 

 

 節分の話から逸れてしまいましたが、季節の分け目に邪気が入らないよう鬼払いをする風習は、平安時代の宮中行事「追儺」に由来し、豆(魔滅)をまく風習は室町時代から、といわれます。

 もともと病気を起こす死霊や悪霊を 鬼(キ)といい、日本では“おに”と呼びました。目に見えないので 隠(おん)が“おに”になったとも。現代の法医学でも死後、人体が腐敗する過程を「青鬼現象」、腐敗ガスによる膨張過程を「赤鬼現象」、乾燥状態を「黒鬼現象」、白骨化したのを「白鬼現象」と言うそうです。

 私は高校生の頃愛読した井上靖のこの詩がなぜか無性に好きで、「鬼は外」というかけ声に多少の違和感を持ち続けていました。変換できない難字ばかりなので手書きしてみました。読みづらいと思いますがご容赦ください。

 

 鬼を忌むべき存在に仕立てたのは日本人の脳に刷り込まれた物語でしょうが、一方で、漢字を作った中国では星に鬼の名を与え、井上靖が両者を同族と謳った感性を、とても美しいと思う。

 カルロ・ロヴェッリは巻末で

「この世界そのものと自分たちがそこに見ているものとのほんとうの関係は、じつはほとんどわかっていない。自分たちに見えているのがほんのわずかであることはわかっている。物質の原子の構造も空間が曲がっている様子も見えない。わたしたちは矛盾のない世界を見ているが、それは自分たちと宇宙との相互作用をもとに推定したものであって、わたしたちは途方もなく愚かな脳にも処理できるように、過度に単純化した言葉でまとめられたものなのだ」

と締めくくっています。この本には聖書の言葉や古代詩が数多く引用されており、数式をいじるだけではなく哲学や文学や脳科学の言葉も駆使し、時間の根源に迫ろうとしている物理学者の姿勢もまた、とても美しく感じます。

 暦や時計の数字に気を揉む日常の中、節分とは何か、鬼とは何者か…混沌とした思索の藪にさまうこの時間を、今は大切にしようと思っています。


『世紀の遺書』の死生観

2020-08-06 10:41:00 | 本と雑誌

 前々回の記事で紹介した戦犯死刑囚の遺言集『世紀の遺書』の続きです。701編の遺書遺稿の多くは、軍人としての矜持や残された家族への思いが綴られたものですが、中には、死を目の前にした人間の思考を冷静に書き解いた哲学的な文章がいくつかありました。

 もはや“戦犯死刑囚”という存在のない(=存在してはならない)現代社会において、自分の死ぬ日が予め決まっている人間が何を書き残したのか、自分だったら何を書き残すだろうか、とても重くて深い思索にとらわれ、この本を読み始めてからここ数日、眠れない夜が続いています。

 今回は、ぜひ記憶しておきたい遺稿を2つ、紹介させていただこうと思います。

 

 最初は、ビルマのラングーンにて昭和21年11月9日に刑死した松岡憲郎さん(32)の刑死直前の遺稿。松岡さんは鹿児島県ご出身、早稲田大学卒業、元官吏・憲兵大尉です。

 

死の予言者

 「死の予言者」は死をどんな風に考へて居るだらうかとは、誰しも疑問に思つてゐるだらう。(中略)

 一日も長く生きたいが、しかし私の生命の鍵を握る者に延命を乞ふ気持は全くない。私の生命は木の葉が落ちるのと少しも変らない。桜の花が散るのと全然同様なのである。太陽が西に沈むのと少しも変らないと私は思ふ。私は絞首台に昇れと言はれた時に堂々と昇り、そして呼吸が止り心臓が停止した時が、私の天から与へられた生命の終焉であると考へてゐる。延命を乞ふ意志は全くない。私の自然の生命を自ら早く断つ気持も全然ないのが私の現在の心境だ。(中略)

 私達はこの世に生をうけるまで誰しも十ヶ月近く母親のお腹の中に御厄介になつてゐたのだが、母親のお腹の中の様子を知つてゐる者は一人もゐない。体験してゐながら知らない私達なのである。まして経験したことのない死、死んでから先のことなど解る筈がない。だがオギャーと声をあげて呼吸を始める時と、呼吸が止まって死に入る時は全然同一のものであると思ふ。そして私の死の世界は、丁度私の母のお腹の世界と同じようなものであると、私は考へてゐる。

 あの慈愛に溢れる母、そのやさしい母のお腹に帰る私なのである。恐怖もなく不安もない母のお腹に帰る私は、温い母の慈愛に存分にひたることが出来るのである。年老いた母のお腹から生れて来ることが不可能ならば、妹か、子か、または姪か誰かのお腹から生れて来るのだ・・・・・。

 私の肉体は亡ぶ。これは自然の法則だ。木の葉が落ち花が散る。これも自然である自然に帰ることを意味する。死とは自然に帰ることだ。人は生れようと思つて生れた者はないはづである。これは自然である。人は自然にその生命を終始する。従つて生も死も自然であるべきである。自然でなければならない。結局生れることは死ぬことであり、死ぬことは生れることになると思ふ。(中略)

 終戦となつた以上、一方的戦犯とかで処刑されることも仕方のない話である。大なる時代の潮、この流れに逆ふことは出来ない小さな存在の私なのである。私個人の立場からいへば、私は戦犯としての処刑によつて自然に帰るのだ。

 従つて死を予期できない人と、「死の予言者」である私とは、何等変つたことはないのである。ただこの死を予期し得たことに、むしろ私は喜びを見出して居るのである。

 私は今日まで三十二年数ヶ月の月日を送つてきたが、判決を受けてからの今日のごとく、尊い一分一秒を送つたことはかつてなかつた。今日の一日は過去の三十余年にも勝る尊い一日である。今日の一日は将来の十年、二十年、百年にも勝る尊い一日なのではなからうか。

 自然は美しい、自然は清い、自然は澄んでゐる、自然はやさしい、自然は強い、自然は恵み深い、見れば見る程、眺めれば眺める程、美しく尊く深いものは自然だ。この数日私は自然を眺めよう。そして自然に帰らう。そしてまた御奉公するのだ。御恩に報いるのだ。ああ、私は幸福である。

『世紀の遺書』304Pより抜粋

 

 

 もうひとつはシンガポールのチャンギーで昭和22年1月21日に刑死した広田栄治さん(28)。和歌山県ご出身で箕島商業学校卒業の元商人・陸軍大尉です。

 

俺が死んだら

 俺が死んだら一枚の毛布にくるまつて誰がにかつがれて、予め掘られた一米四角の深さ二米ぐらいの穴の中に入れられる。静かな読経の声を合図に上から土をかけられ埋められて終ふ。新しい墓が此処に完成する。上の方で色々な感情を持つた人達が何か他の話に切変へて、がやゝ話合って三々五々と其処を去って行く。それから俺が一人になる。全くの一人者になる。

 二日目には皮膚の色が紫色に変色するだろう。三日、四日と経つと又黄色に変色して、そろそろ腐敗し始めるだらう。其の中に蛆が俺の体を我が世の春と喰い始めるだらう。一ヶ月も経てば今迄の俺の肉は完全になくなつて上に乗つている土が少々凹んで骨の間に詰るだらう。そうなればもう俺だか解らなくなつて単に人間の白骨といふ丈になる。そして相当永い期間此の儘でいるだらう。

 これで俺は完全に此の世と縁が切れてしまつたのだらうか。否何か此の世に残つている様な気がする。もう死んで終つた俺の母が時々夢に出るような事がある。死んでしまつた人の遺した書物を読んで此の人が未だ生きてゐる人だらうかと錯覚を起す事がある。だから俺でも何か地球の片隅につながつてゐると考える。又それを確信する。唯人間の記憶力が足りないから日々うとくなる丈だと思ふ。若し残るとすれば何が残るのだらう。それは魂だと霊だと皆んな云つてゐる。魂や霊ならばどんな魂や霊になればいゝのだらうか、未だ俺は誰にも聞いて見ない。聞けば笑はれるに決つてゐるから仕方がないから一人で考へてみた。憂鬱な顔をした人の所へ俺の霊が行けば爽快な気分になる。喧嘩をしている人達の間に俺の霊が行けば仲直りする。悪事を計らんとする者の側に行けばザン悔すると云ふ様な霊になり度いと思つてゐる。そして総ての人達に毎夜々々楽しい夢を見せたいと考へてゐる。昭二二、一、一九

『世紀の遺書』411pより

 

 

 


『世紀の遺書』を読んで

2020-07-31 11:47:12 | 本と雑誌

 気がつけば8月。5月のSTAY HOME時に読書に没頭したその反動か、かすみ目が進み、眼科に行ったら初期の白内障&ドライアイだと。コロナ禍の影響で外取材の仕事が減った分、資料まとめや音源書き起こしなど地味なデスクワークが続く中、空いた時間は極力眼を休ませ、近場の低山を歩いたりジムへ通うなど下半身強化に努めました。老化は『足』と『眼』から来る…!と痛感する毎日です。

 そんなこんなで、仕事に関係のない本を読む時間がほとんどなかった中、久しぶりに夢中になって読みふけ、「生きてるうちに出会ってよかった!」と思えた一冊がこれ。

 

 『世紀の遺書』。太平洋戦争で刑死となった1068人のうち、遺族会が集めた701編の遺書を一冊にまとめ、昭和28年(1953)に初版発行されたものです。復刻版が昭和59年に発行されていますが入手困難で、古書市場では高額取引されています。図書館では静岡市立蒲原図書館に1冊蔵書されていたので、蒲原までひとっ走りして借りてきました。

 

 死刑になった戦犯ときけば、巣鴨プリズンで絞首刑になったA級戦犯だけを想像しがちですが、1068人は政治的責任者(A級)、直接の暴行者(C級)とその責任長上官(B級)に分けられ、処刑は巣鴨だけでなく上海、マニラ、グアムなど50ヵ所にも及ぶ外地で執行されたそう。中には台湾出身者(24人)、朝鮮半島出身者(21人)、自決者(35人)、執行前病死者(93人)も含まれます。

 この方々が刑死の直前に、便せん、包装紙、トイレットペーパー、書物の余白などにペンや墨、あるいは血で書き残した手紙や日記や辞世の句。死を目前にした人がこれほど多数書き残した遺書集は世界にも例がないそうです。750ページにも及ぶ大著で、すべてに目を通すには時間がかかるので、今回は、この本に出会うきっかけとなった上野千里さんの手紙と遺詠を紹介したいと思います。

 

 駿河茶禅の会の7月例会で、会場をお借りした清水の禅叢寺のご住職に「このお寺には清水で唯一、戦火から焼け残って市の重要文化財に指定された白隠禅師の扁額があり、お盆やお施餓鬼の時期でもあるので、戦争やいのちについてのお説教を」とお願いしたところ、上野千里さんの詩を紹介してくださいました。

 上野千里さんは栃木県ご出身の元海軍軍医中佐。昭和24年3月31日にグアム島で刑死されました。享年43歳。『世紀の遺書』には妻の好枝さんに充てた手紙の中で、刑死に至った経緯が記されていました。

 トラック島基地に軍医として駐留していた昭和19年、米軍の空襲を受け、当時収容していた米軍捕虜5人のうち3人即死で2人重症。上野さんはこの2人を上官から「片付けよ」と命ぜられたものの、医者としての良心に従って外科手術を行って救命しようとします。手術が終了する直前に総員集合命令がかかり、上野さんが手術室を離れた隙に部下が患者2人を他の場所へ移し、処刑してしまったのです。「片付けよ」という命令が撤回されていなかったのですから部下の行動はやむを得ません。

 敗戦後の審判で、上野さんは上司に逆らって手術を断行したことを伏せ、捕虜を斬った部下の上官として自ら責任を認め、刑死の断を受けました。手紙では部下に対する思いを、

「彼らは我が子我が弟のごとくなついてくれました。未だかつて私は私の部下から唯の一度もそむかれたことがなかった。それ故に私も亦、小さき我が一つの身を以て、ひとりトラック島の部下に限らず私の部下であったすべての人々、否、私を愛してくださったすべての人々に応えるのです」

とつづり、上司に対しては、

「いつかそんな日が来ましたら微笑みつつ五人の子どもたちに語ってください、"お父さんは多数の部下のために司令に利用されたおどけものとして笑って死にました”と。しかしどうか上司の名を知りましてもそれを記憶するような不必要な散財はお慎み下さい。私は好んで人身攻撃を致すのでもなく、又私一個の不幸を云い立てているのでもありません。寧ろか弱き人間としての上司の苦吏にははた眼にも同情に余りあるものを感じ続けて参りました」

とあります。

 そして、

「私は人間の理性の限界を偽り多き彼らの職業武士道の姿を目の当たりにまざまざと見せつけられて唯淋しく苦笑せねばならなかったのです。過去の日本のすべてを憎悪する人があるなら、それは全くの誤りです。しかし二度と繰り返してはならぬ過ちもたしかに少なくありませんでした。みんなは徒に他言に迷われることなくすべてをあくまで冷静に判断して下さい。斯る職業武士道の古智が生み出した巧言に乗って悲惨な戦争に迷い込まれた国民自身も潔く自らを省みる必要があるのではないでしょうか」

と締めくくってあります。刑死を目前にしても、人はここまで理性的になれるのかと胸を衝かれます。

 

 こういう上野さんが、最期に残された「遺詠」を、禅叢寺のご住職が読み上げられ、参加者は目を潤ませて聴き入りました。文面からして、残された5人のお子様方に託したメッセージのようです。受け取られたご家族のお辛さは想像だにできませんが、このような言葉を残されたお父様を、心から誇りに思われたのではないでしょうか。

 まもなく終戦75年。いのちの重みを、別の意味で考えさせられるコロナ禍の夏、何度も読み返そうと、このブログに書き写してみました。ぜひご一読ください。

 

みんなに

悲しみのつきぬところにこそ

かすかな喜びの芽生えの声がある

熱い涙のその珠にこそ

あの虹の七色は映え宿る。

 

人の世の苦しみに泣いたおかげで

人の世の楽しみにも心から笑える

打たれ踏まれて唇を噛んだおかげで

生れて来たことの尊さがしみじみわかる。

 

醜い世の中に思はず立ちあぐんでも

見てごらんほらあんなに青い空を

みんなが何も持つていないと人が嘲つても

みんな知つているもつと美しい本当に尊いものを。

 

愛とまことと太陽に時々雨さえあれば

あとはそんなにほしくない

丈夫なからだとほんの少しのパンがあれば

上機嫌でニコニコ歩きたい。

 

それから力いつぱい働こう

そうして決して不平は云わずに

何時も相手の身になつて物事を考えよう

いくらつらくても決してひるまずに。

 

どこかに不幸な人がいたら

どんなことでも力になつて上げよう

もしすつかり自分を忘れてしてあげられたら

もうそれできつと嬉しくてたまらないだろう。

 

うつ向いていればいつ迄たつても暗い空

上を向いて思ひ切つて笑つてごらん

さびしくてどうしても自分が惨めに見えたら

さあもつと不幸な無数の人々の事を考えてごらん。

 

道はどんなに遠くてもお互いにいたわりあい

みんな手をとり合つて歩いて行こう

悲しい時は共に泣き楽しい時は共に笑い

肩を組み合つて神のみ栄えをたたえよう。

 

朝お日様が昇る時は

あいさつに今日もやりますと叫びたい

夕べお日様が沈む時は

夕焼雲をじつと見つけて坐っていたい。

 

心に何時もささやかな夢を抱いて

小鳥の様にそつと眠り

ひまがあつたら古い詩集をひもといて

ひとり静かに思いにふけりたい。

 

幸せは自分の力で見出そうよ

真珠のような涙と太陽の様な笑いの中に

今日もあしたも進んで行こうよ

きつといつの日か振り返って静かに微笑めるように。

 

偽つて生きるよりは偽られて死に

偽つて得るよりは偽り得ずに失えと。

天国からじつと見守っているお父さんに

手を振つてみんな答えておくれ「おう」と。

 

何度転んでもまた起き上がればいい

なーんだこれしきのことでと笑いながら

さあ みんな朗かに元気いつぱい

さわやかな空気を胸に大きく吸いながら。

 

『世紀の遺書』復刻版(講談社) 732P~737Pより抜粋

 

 

 

 

 

 

 


ブックカバーチャレンジの出会い

2020-05-20 17:14:10 | 本と雑誌

 Facebookのユーザーは、STAY HOME 期間中、体験された方も多いと思います。7日間ブックカバーチャレンジ。読書文化を盛り上げるため、7日間毎日1冊好きな本の表紙を投稿し(内容説明はしない)、ついでにFB友だちを一人指名しチャレンジを依頼するというもの。あくまでもSNS上の “余興” で、罰則規定があるわけではないので、依頼が来てもスルーしてもいいし、7日間続けなくてもいいし、1冊ずつじゃなくてもいいし、内容を紹介しちゃってもいいし、友だちを招待する・しないは自由だし・・・等々、チャレンジしている人の投稿を見ると、結構自由に解釈しながら楽しんでいるようです。

 私のところへは5月1日に依頼が来て、せっかく ”縛り” がある余興ならば、ちゃんと守ってやるのも面白いと思い、ルールにのっとって7日間チャレンジを楽しみました。ただ、本を選んだ理由と感想をひと言ぐらい付けておかないと、読んでくれる人に不誠実だろうと考え、クドクドしない範囲でコメントを付け、一人ずつ紹介するFB友だちは、選んだ本に何らかのつながりがありそうな人を選ばせてもらいました。

 本と友だちを組み合わせる難しさは、このチャレンジ最大の楽しさでもあり、紹介したい本があっても友だちが見つからない or この人を紹介したいと思ってもふさわしい本がないという(自分で勝手に作った)ジレンマにやきもきしながらも、このブログで書評記事を書くときには体験できない、読書と交友関係の “棚卸し” ができたように思います。

 そしてこのチャレンジ最大のご褒美は、自分とは接点のなかった本との出会い。自分が紹介した7人のFB友だちが各々紹介した7冊の本は、そのジャンルさえ自分では触手することがなかった新発見の本がたくさんありました。

 もちろん、そういう出会いを求めて、好みが近そうな友人はあえて選ばなかったということもありますが、年齢を重ね、同じジャンルの似たような傾向の本ばかり選んで、それが結局自分の思考を一定方向に硬直させていることに気づかされます。便利だからとネットでばかり買うと、似た傾向の本を薦められるという功罪もありますね。

 本は、膨大なジャンルから自由に選択できる、なんの縛りもない知のフロンティア。自由に回遊できる書店や図書館をもっとしっかり利用しなくてはいけません。

 

 こちらが私に知の新たなフロンティアを拓いてくれた友人のオススメ本。7人×7冊の中から、とりあえず友人1人につき1冊ずつ、すぐに手に入った&借りられたものを紹介します。

 

 最初に紹介した友人(先輩記者)が、最初に紹介した本が『夢見る帝国図書館』。しゃれてる題名だなあと思ったら、帝国図書館って終戦の年から2年余り実在した占領下の「オキュパイト・ジャパンの帝国図書館」だったんですね。図書館を擬人化させる構成が素晴らしかった。

 絵本作家のヨシタケシンスケさんは、子どものいない私にはまったく未知の存在。『ころべばいいのに』の内容は、おそろしく含蓄のある対人交際術でした。紹介してくれたのは、認定NPO法人の代表者で障害を持つ子どもたちを我が子同様に支え続ける肝っ玉母ちゃんみたいな素敵な女性です。

 洋書の翻訳本もふだんほとんど触手しないジャンル。『フィネガンズ・ウェイク』を紹介した友人(編集者)は、無人島に持って行く1冊としてすすめる翻訳文学の金字塔と絶賛ですが、言葉だけでぶっ飛んだ感覚って、初めて陀羅尼経を音読したときを思い出しました。言葉を理解するのではなく感じる感覚。作者はもちろん、これを日本語に翻訳した人の頭の中ものぞいてみたい。

『心臓を貫かれて』は紹介してくれた友人(翻訳家)が「訳者の村上春樹さんが、翻訳してきた作家にはだいだい会ってきたけど、ギルモアだけはあんなに辛い話を読んだ後に会うことが出来なかったと語っていた、凄みのある本」と薦めてくれました。

『七〇歳からの挑戦ー電力の鬼・松永安左エ門』は、茶人松永耳庵としても名高い電力王松永安左エ門の評伝。この本を紹介してくれた友人(酒匠・料理人)のご主人が、耳庵の書生として茶道文化を学んでいたというご縁。安左エ門は60歳で茶の世界に入り、論語の「六〇にして耳順う(したがう)」から耳庵と号するようになり、71歳のとき終戦を迎え、「これから俺の戦争の始まりだ」と私財をなげうち、戦後の電気事業再編に尽くしました。こういうかっこいいお爺さん、いないですよねえ・・・。

 今から30年ぐらい前、平成の米騒動が起きる直前に、井上ひさしが『コメの話』を書いていたとは新発見。読書家で自著もある友人(米農家)が薦めてくれました。「工業国はどこもしっかりとした農業国だという大鉄則がある」というくだりを読んで、モノづくり県を自認している静岡県はコメをちゃんと作っているのだろうかと不安になりました。

 珈琲豆ハンターの友人が薦めた『サツマイモの世界・世界のサツマイモ』。筆者山川理氏は静岡市出身のサツマイモ博士です。日本は世界のサツマイモの生産量の1%ぐらいしか占めていませんが、機能性研究は日本発祥かつ最先端。山川先生は九州農業試験場でフルーティーで淡麗な焼酎ができる新品種ジョイホワイトを開発して宮崎の「山猫」「ひとり歩き」を、有色サツマイモ系新品種を数種開発して鹿児島の「赤霧島」「茜霧島」を大ヒットさせた功労者だそうです。静岡市出身でそんな御仁がいらっしゃったのかとビックリ!

 

 上記7冊を紹介してくれた7人以外にも、FB上でユニークな本の存在を教えてくれた方々に、心から感謝します。

 私が紹介した7冊と、候補に選んでギリギリまで迷った7冊は、ここでも追々紹介させていただきますね。