杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

南伊豆ジオパークめぐり

2013-01-29 18:46:54 | 環境問題

 1月27日(日)~28日(月)と伊豆の下田に行ってきました。地酒に関する活動や取材が目的でしたが、天候に恵まれたこともあって、空き時間を利用し、爪木崎と石廊崎の灯台周辺をDsc01377
歩いてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 現在、伊豆地域では『伊豆ジオパーク構想』を進展中で、昨年秋に発行された県広報誌『ふじのくに』でも特集記事を作りました。このとき、実際にジオパークとして注目される地点を回る時間がなく、借り物の写真で済ませてしまったのが心残りで、何とか機会をつくって自分で写真を撮りに行きたいなあと思っていたのです。

 

 

 下田の爪木崎も石廊崎も、過去、何度か行ったことがありましたが、ジオパークという視点で観ると、なんだかまったく違った世界に感じました。

 

 

 

 

 

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 これは、爪木崎灯台の周辺に広がる俵磯。不思議な岩体です。

 

 伊豆半島というのは、今から約2千万年前、太平洋の海底火山群がフィリピン海プレートで移動し、日本列島に衝突して降起したといわれます。伊東の城ヶ崎海岸や大室山、西伊豆の黄金崎や堂ヶ島、天城山や浄連の滝、そして伊豆の代名詞でもある数々の名湯や名水は、このような成り立ちが生み出したものなんですね。

 

 爪木崎の不思議な俵磯も同じ。火山の地下から上昇したマグマが、海底で噴火を起こさず、地層のすきまに入り込んで固まってしまうことがあります。そうして出来た岩体を「シル」と言うそうですが、俵磯のシルは六角柱状になっていて、マグマが冷えるときに体積収縮で割れ目が出来ました。これを「柱状節理」と称します。

 

 

 以前から、不思議な岩だな~と思っていましたが、こうやって地質学的特徴を知ったうえで観ると、「身近にこんなスゴイ地学の標本があったのか、子どもの頃から知っていたら地理や自然科学が得意科目になっていたかも」・・・なんて思っちゃいました。

 

 

 

 

 

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 こちらは田牛海岸にある竜宮窟。海岸には何度か行ったことがあるけれど、「竜宮窟」のショボい看板(失礼!)を気に留めることはまったくありませんでした。暗い石段を下ると、自然の浸食が創り出したなんとも美しい空間が広がっていました。

 

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スケールは違うけど、昨夏に訪れたグランドキャニオンやアンテロープキャニオンの造形美を思い出し、ここもジオパークとしての解説看板をしっかり作れば、人気観光スポットに生まれ変わるかも、と感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ジオパーク」とは、ギリシャ語で大地を意味する「ジオ」とパーク(公園)をつなげた言葉。1990年代にヨーロッパで生まれた造語です。

 

 

 

 

1819世紀、資源開発を目的に発展した地質学が、20世紀後半、“自然遺産を暮らしに生かす”という視点で再認識され始めたんですが、一般市民も、自分たちが暮らす地域の地形や地質の特徴を科学的に学び、観光や地域づくりに生かし、経済的に保全継続させそうと動き出します。対象となる自然を「ジオパーク」と呼び始めたこの活動は、やがて地球規模に広がって、2004年、ユネスコ支援のもとで世界ジオパークネットワークが発足。これまでに世界26カ国92ヵ所が「世界ジオパーク」に認定されています。

 

 

 

 

 

世界遺産と違うのは、地元が自主的に、経済的に保全継続できるしくみづくりが重視される、という点です。観光や地域づくりにいかに活かせるか、がポイントなんですね。

 

 日本ではジオパーク構想に近い活動に取り組んでいた糸魚川(新潟)と島原半島(長崎)他が中心となって、日本ジオパーク委員会が立ち上がりました。2008年12月に、洞爺湖有珠山、糸魚川、島原半島、アポイ岳、南アルプス中央構造線エリア、山陰海岸、室戸の7地域が日本ジオパークに認定。その後、数が増え、2012年9月24日に伊豆半島を含む5ヶ所が加わり、これまでに25ヶ所が認定を受けました。うち、糸魚川、島原半島、山陰海岸、室戸岬、洞爺湖有珠山の5ヶ所が世界ジオパークに認定されています。

 

 

 

 伊豆半島では1990年代から静岡大学の小山真人教授が地質学的特性に着目したジオパーク的構想を提唱し、2000年以降、伊東市を中心に講座やフィールドワークを継続的に行ってきました。

 

 08年に日本ジオパーク委員会が発足した後、09年の県議会で川勝知事が「伊豆ジオパーク構想」を初めて表明し、ジオパークという言葉が広く注目されるようになります。

 

知事の提言を受け、伊豆半島の6市6町が足並みを揃え、各地でジオパーク認定に向けた研究会や調査活動が本格的にスタート。11年3月には伊豆地域13市町・県・観光協会・企業・大学等が結集し、『伊豆半島ジオパーク推進協議会』が発足。協議会発足からわずか1年半で、日本ジオパークの認定を受けました。

 

 

これから目指すは、もちろん世界ジオパーク認定。世界への推薦は各国1年あたり2件までという制限があるため、推進委員会では1314年度にかけてしっかりと実績を積み、国内推薦を勝ち取り、15年度の世界認定を目指して活動中です。

 

 

 

 

 小山教授がまとめた「伊豆ジオパーク構想提案書」の序文には、川端康成のこんな言葉が紹介されています。

 

 

 「伊豆半島全体は一つの大きい公園である。一つの大きな遊歩場である。つまり、伊豆は半島のいたるところに自然の恵みがあり、美しさの変化がある。」

 

 

「面積の小さいとは逆に海岸線が駿河遠江二国の和よりも長いのと、火山の上に火山が重なって出来た地質の複雑さとは、伊豆の風景が変化に富む所以(ゆえん)であろう。」(川端康成 『日本地理大系』第6巻、昭和6年2月より)。

 

 

 

小山教授曰く、「川端康成は、地形・地質の多様さ・複雑さが、伊豆独特の自然の美しさの原因であることを見抜いていた。とくに、“火山の上に火山が重なって出来た”という表現は、伊豆の大地の本質を見据えたものであり、現代の専門家も脱帽せざるをえない。“伊豆半島全体が一つの大きい公園である”も卓見である」とのこと。

 

 

 

 

 

 

 

つねづね、優れた文学者とは、優れた観察者であり、分析家であり、ものごとを感覚ばかりでなく、きちんと論理的にとらえる頭脳の持ち主ではないかと思っていましたが、この一文を読んで改めて実感しました。

 

 

 

 

 

 

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石廊崎の先端にある祠と、その背景に見つけた風力発電の風車(ちょっと写真では見づらいですが、右下写真の中央の稜線の上に風車が数基立っています)。

Dsc01379オパークの象徴的な場所に、感性と知性が同居する、見様によっては実に不思議な風景です。

 

 

 

これが21世紀なんだなあと妙にしんみりしちゃいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊豆ジオパーク構想については、こちらのサイトをご参照ください。

 

 

 

 

 


ニュービジネス協議会で『正雪』蔵元トーク開催!

2013-01-24 10:02:37 | しずおか地酒研究会

 私が広報を請け負う(社)静岡県ニュービジネス協議会では、県中部地区の会員向けの勉強会「NBサロン中部」を開催しています。勉強会といっても、ビール片手に呑みながら食べながらのざっくばらんなサロンです。今月のサロンでは、協議会副会長で、CAD設計のパイオニア・㈱アルモニコス(浜松市中区)の秋山雅弘社長にイノベーションとニュービジネスについて深遠なお話をうかがいました。

 

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 モノづくり企業のコア・コンピタンス(企業の中核となる力)とは、いい商品を早く安く市場に提供すること。価値(value)と品質(quolity)をアップする=商品性向上と、物流(delivery)と価格(cost)をカットする=生産性向上を、同時に実現させるということです。デジタルの本質的利点とは、無限大のデータを、ゼロに限りなく近いスピードで処理・伝達できる力ですから、これからの時代、他社・他国と競い合って生き残るためにはどうしたって可能な部分はデジタル化せざるを得ないのでしょう。

 

 

 モノづくり現場では、ベテラン職人のスキルが“暗黙知”として共有されてきました。ゆえに、経験者の退職や引退が問題になっています。秋山さんは、「暗黙知を形式知にしていくしかないが、これは見方を変えれば、コンピュータソフトウエアのつくりかたとまったく同じ」と解説します。ソフトウエアを自前でつくるなんて無理だよ・・・と素人には思えますが、今まで感覚的にやってきたことを数字や言葉に置き換える、ということですよね。“形式知”って、なんとなく味気ない言葉のように聞こえますが、これをしていかないと歴史は残せない・・・と最近つくづく感じます。

 

 昨年夏のアリゾナ旅行で、活字や写真や映像の記録をいっさい残さず、デザインまたは口承で伝えることを旨とするホピ族の文化に接したときは、文化の希少性や独自性を保つためにはそういうことも必要だろうと思いましたが、現代人の暮らしを支える産業の発展には、誰もが共有できるマニュアルが必要不可欠な、そんな時代になったんですね・・・。

 

 

 さて、2月18日に予定している次回のNBサロン中部では、私がコーディネーターとなって、2012静岡県清酒鑑評会県知事賞受賞の『正雪』醸造元・㈱神沢川酒造場の望月正隆社長をお招きし、日本酒業界の動向、静岡酒の最新事情、老舗企業経営の秘訣などについてお話いただくことになりました。

 

 造り手・売り手・飲み手の交流を目的としたしずおか地酒研究会のサロンとは違い、企業経営者向けの真面目なビジネス講座ですが、興味のある方はニュービジネス協議会会員以外でも参加できますので、ふるってお申込ください。 

 

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第169回NBサロンのご案内<o:p></o:p>

 

 

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 新春の候、皆様には益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は当協議会の事業に格別のご支援、ご協力を賜わり厚くお礼申し上げます。

 月のNBサロンは、機関紙編集の鈴木真弓さんをナビゲーターに『正雪』の醸造元・㈱神沢川酒造場の望月 正隆様をお迎え致しますこの時期は日本酒の酒蔵がも活気に満ちる時期、旬な話題、企業の戦略、老舗企業経営の秘訣などお話など頂く予定です。ご多忙中の処かと存じますが、ご出席の程ご案内いたします。

 

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    ◆ 日  時 18日(月)18:00~19:45 

 場  所  TOKAIインターネツトサロン(静岡市葵区常磐町12-8 )

 

 講  師  ㈱神沢川酒造場 代表取締役 望月 正隆 様<o:p></o:p>

 

           しずおか地酒研究会 主宰 鈴木 真弓 様<o:p></o:p>

 

 演  題『 静岡の地酒最前線!2012静岡県知事賞「正雪」の蔵元に聞く』 

 

 

 

 

             参加費@1,000

 

次回予告 日()18:00~1945<o:p></o:p>

 

       会場 TOKAIインターネツト・サロン( TOKAIビル 1F )<o:p></o:p>

 

      講師 副会長 日本大学国際関係学部 教授 千谷 基雄 様

 

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  参加申込/()静岡県ニュービジネス協議会 FAX054-653-4988

 E-mailoffice-nb@snbc.or.jp

 

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 第169回 NBサロン 18日(月) 

企業名                    <o:p></o:p>

 

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役職名               氏 名            <o:p></o:p> 

 

13()までに申し込みください。<o:p></o:p>

 

 

 なお、2月22日(金)には、西部部会のセミナーで、私が敬愛する樹木医・塚本こなみ先生の講演会(会場/浜松アクトシティコンベンションセンター会議室)が予定されています。4月の浜松フラワーパーク理事長就任を機に、こなみさんが地元でどんな花を咲かせるのか楽しみです! また追って詳細をご案内します。

 

 ニュービジネス協議会は、ライオンズやJCとは違い、しばりの少ない、フレキシブルな異業種交流団体で、個人やシニアや学生でも参加OK。これを機会に入会していただけると、広報担当&講座コーディネーターとして顔が立ちます。ぜひともよろしくお願いいたします。協議会のHPはこちらを。


バラとトルコギキョウに見る静岡県の花卉栽培技術の高さ

2013-01-23 14:50:55 | 農業

 報告が遅れましたが、昨年末、JA静岡経済連発行の情報誌『スマイル』48号が発行されました。今回はバラとトルコギキョウの特集です。

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 中でも書き応えがあったのが、専門家に聞く【スマイルマイスター】のコーナー。元静岡県農業試験場で花卉栽培技術のスペシャリストとして活躍された、水戸喜平さんの解説です。酒の世界でいう、河村傳兵衛先生みたいな方ですね。

 専門的な内容で難しくて、何度も校正をお願いした労作ですが、それだけに、書いた内容がしっかりアタマに入り、いい勉強になりました。

 

 静岡県がなぜバラの有数産地になったのか、今、市場でひっぱりだこという静岡県産トルコギキョウの人気の秘密などを、できるだけ簡易な言葉でまとめてみました。ぜひご一読ください。

 

 

 なお、スマイル本誌は、JA各支店やファーマーズマーケットで無料配布中です。見つけたらぜひお持ち帰りください。バラやトルコギキョウの花束があたるクイズコーナーもありますよ!

 

 

 

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海の向こうからやってきた花を日本に根付かせた<o:p></o:p>

 静岡県のバラとトルコギキョウ栽培<o:p></o:p>

 

花の女王・バラと、これに迫る人気のトルコギキョウ。静岡県はともに日本屈指の栽培技術と生産量を誇る花の主産地です。今回は県の花卉栽培における技術普及にかかわった水戸喜平さんに、両品目の栽培の歩みを振り返って解説してもらいます。<o:p></o:p>

解説/水戸喜平さん(元静岡県農業試験場花卉専門技術員)

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バラ<o:p></o:p>

 

 日本のバラ栽培は、明治維新後に西洋文明が入ってきたとき、富裕層を中心に観賞用のガーデンローズとして東京・横浜一帯から始まり、温暖な栽培適地・千葉県房総半島や静岡県伊豆半島あたりに広まりました。県内では趣味の園芸家からブームに火が付き、大正時代に本格的な露地切花栽培がスタート。戦前・昭和初期には国内のバラ切花生産の3分の1を占めるまでになります。当時の主産地は静岡市の谷津山周辺・長沼~瓦場一帯。中でも曲金の小林鑑一氏は関東大震災の年(大正12年)、神奈川県でバラの温室栽培技術を習得し、静岡市の切花バラ生産の先駆者となりました。<o:p></o:p>

 

戦後は伊豆、庵原、駒越(三保)、島田、浜松はじめ県内全域で切花バラ栽培が始まります。私は昭和41年から農業試験場(現県農林技術研究所)で花卉の栽培技術研究に携わってきました。折からの高度経済成長期、暮らしの洋風化とともにギフトやブライダル市場から洋花の需要が高まり、日本的なキクから、カーネーションやバラ等が主役に躍り出た時代です。清水庵原地区のみかん産地では、みかんの幼木が成木になるまでの約10年間、畝間にバラを植える生産者もいました。彼らはその後、みかんからバラへと本格的に切り替え、生産者が増え、全国有数の産地になっていきました。<o:p></o:p>

 

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昭和40年代は農業政策と工業技術の発展によって大型のビニールハウスによる周年栽培が進みました。掛川では早くから個々の生産者が団結して温室生産団地を形成し、果樹の共同選果場や野菜の共同出荷場にならってバラ専門の共選・共販体制を整えました。<o:p></o:p>

 

平成に入ると、品種の需要も多様化します。高度経済成長期やバブル景気の時代は、ブライダルやイベント等の大口需要に影響されてきたのが、少しずつ小口の家庭消費も増加し、バラなら何でもよいという時代ではなくなりました。各産地はJAがマーケティングを担当し、消費者ニーズに合った品種を検討し、共販体制で特色ある産地形成に努めました。<o:p></o:p>

 

バラは、日本ばら切花協会という生産者の全国組織を持ち、生産者間の情報交換や技術研鑽が活発です。「日ばら協会」は静岡県が発祥地で、全国会員はピーク時、1500人を超え、現在は半減していますが、それでも静岡県の会員数は他県に比べれば突出しています。<o:p></o:p>

 

長年培ってきた栽培技術と“信頼される産地化”への取り組みは、時代が変わろうとゆるぎないと思っています。<o:p></o:p>

 

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トルコギキョウ<o:p></o:p>

 

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 トルコギキョウは北米ロッキー山脈南部の草原が原産です。日本には昭和初期にアメリカから伝わりました。<o:p></o:p>

 

トルコギキョウという名前は、ふっくらした花の形がトルコ人のターバンに似ている、イスラムのモスクに似ている、紫の花の色がトルコ石やキキョウに似ている等と諸説ありますが、キキョウではなく、リンドウ科ユーストマ属の花。欧米では学名のユーストマ、旧名のリシアンサスが一般的な呼び名です。<o:p></o:p>

 

欧米では品種改良が進まなかったトルコギキョウは、日本の育種栽培技術によって復活します。当初は紫色の品種しかなかったものを、昭和40年代あたりから静岡県磐田市の鈴木政一さんをはじめ、長野県、千葉県等の生産者の育種によって改良が進み、種苗会社も参戦して短期間に数多くの優秀なF1(雑種強勢)品種が誕生しました。<o:p></o:p>

 

県内では昭和60年以降、静岡大学農学部の大川清教授が提唱した低温育苗技術と県農業試験場(当時)、農林大学校、花卉園芸組合連合会(通称・花卉連)の研究会、農林事務所普及員の協力により、冬季の暖地栽培技術が定着します。この間、10年にわたり、大川先生、花卉専技(注)、花卉連で国内のトルコギキョウの文字情報を資料文献集として冊子化し、全国に情報提供しました。静岡市の石川正雄さんは大川教授から直接指導を受け、平成3年、最も伝統があるといわれる花の品評会『関東東海花の展覧会』で、トルコギキョウでは初めて農林水産大臣賞を受賞しました。<o:p></o:p>

 

トルコギキョウは育苗技術、栽培技術、そして販売体制が短期間に一気に整い、産地化に成功した日本でも稀有な花です。静岡県の代表品目のひとつとして今後の発展が大いに期待できるでしょう。<o:p></o:p>

 

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全国の花卉(全体)生産額ランキング/2010年度<o:p></o:p>

 ①愛知県 ②千葉県・福岡県 ④静岡県<o:p></o:p>

 

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バラ生産額ランキング/同<o:p></o:p>

  愛知県 ②静岡県 ③福岡県<o:p></o:p>

 

トルコギキョウ生産額ランキング/同<o:p></o:p>

 ①長野県 ②福岡県 ③静岡県<o:p></o:p>

 

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(注)花卉専技……県行政、普及、試験研究の各職種やJA等の団体と花卉に関する技術的なサポートや連携をし、スムーズに業務が遂行できるようにする県職員の役職通称名(現在は廃止)。<o:p></o:p>

 


『杯は眠らない』スタート

2013-01-18 23:16:19 | しずおか地酒研究会

 今週(1月13日~)はバイト先のお寺で、『大般若経会』という重要な法会があったため、ずっとお寺に籠もって準備のお手伝いをしていました。お寺や仏教が好きだといっても、こういう大きな法要儀式を裏から体験するというのは初めてで、知らないことだらけでビックリドッキリ。お寺から一歩も外へ出ないのに、スマホの歩数計を見ると一日1万歩以上歩いていて、ひどく疲れたけど面白い一週間でした。

 

 

 ネットから遠ざかっていたこの一週間のうちに、ネット上で新しい地酒コラムの連載が始まりました。eしずおかのコラムサイト『日刊いーしずの執筆者に加えていただけたのです。

 

 タイトルはずばり『杯は眠らない』。おかしなタイトルだと思われるでしょうが、初回はタイトルの由来から書き出していますので、ぜひこちらをご覧ください。

 

 

 eしずおかを運営する静岡オンラインの海野尚史社長は、私が駆け出しライターのころ、初めて雑誌で地酒の連載を持たせてくれた恩人です。海野さんは当時、静岡オンラインの前身・フィールドノート社を立ち上げ、『静岡アウトドアガイド』という情報誌を発行していました。この雑誌で1995年から『静岡の地酒を楽しむ』という連載を持たせていただいたわけですが、今のようにネットを使って誰もが自由に瞬時に情報発信できる時代ではなく、書店売りする印刷物に情報を載せることのハードルの高さといったら、今の若い書き手には想像できないかもしれません。当時、無名の駆け出しライターが、自分の好きなジャンルの記事を署名入りで書かせてもらえたというのは、今思えばとても大きな財産でした。

 

 

 海野さんは、フィールドノート社を静岡オンラインへとうまく転換され、県内最大のブログサイト『eしずおか』や、フリーペーパー『womo』等、新規事業を次々と成功させました。恩人である海野さんの成功を嬉しく思う一方で、自分のようなアナログ世代の職業ライターの出番はなくなった、と、思っていましたが、私が『吟醸王国しずおか』の制作でメディアにちらほら取り上げられた頃からご縁が復活し、自主映画製作という無謀な冒険に温かいエールをくれました。

 

 

 2年前、(社)静岡県ニュービジネス協議会で茶道に学ぶ経営哲学研究会を立ち上げたとき、文化活動に興味がありそうな知人何人かにも案内を送ったところ、思いがけず、海野さんが「実はきっかけがあれば茶道を勉強したかった」と入会してくれました。同じく茶道研に入会してくれた平野斗紀子さんとも定期的に会って話をするようになり、そのうちに平野さんがコミュニティ新聞『たまらん』を発行したことをきっかけに日刊いーしずのコラムを書くことになり、次いで私も書かせてもらうことになった、という次第です。

 

 

 私は、大恩のある平野さんと海野さんが、茶道を通じて絆を深め、自分がその恩恵をふたたび授かってコラムニストに加えていただけたことに感謝の意味を込め、昨年の年末、青島酒造と磯自慢酒造の新酒仕込み見学に招待しました。この見学には、日本酒の記事を書きたいのでアドバイスがほしいと言って来た若手ライターや、日本酒を海外に情報発信する貴重な活動をしている東京在住の通訳・プランナーさんも誘いました。地酒の魅力を伝える書き手や語り部を増やしていくこと、新しいフィールドを持つ次の世代にバトンタッチすることが、アナログ世代のご奉公なんだろうと思ったのです。若いとき、分不相応かもしれないけど、大きなチャンスをもらえたことがどんなに励みになったか、それを思い返すと、自分を頼ってくれる同志や後輩がいる限り、できるだけのことをしようと。

 

 ・・・フリーランサーの中には、もらったチャンスを踏み台に、ひたすら貪欲に自分を売り込んで、チャンスをくれた人のことをたんなる踏み台程度にしか考えない人もいます。自分もそうだったかもしれないし、フリーで生きていくには他人を踏み台にするなんて日常茶飯事なのかもしれませんが、表現の場を与えてもらってナンボの世界、与えられた幸運に感謝の気持ちを失ったら人間としてどうなのよって、最近、自戒を込めつつしみじみ思うのです。こういう心境になれたって坐禅や寺の裏方仕事の経験が奏功したのか、それとも単に歳をとった証拠か・・・(苦笑)。

 

 

 とにもかくにも、多くの人にチャンスをもらい、書かせてもらえる場を与えられて初めて存在価値を自覚できるフリーライターという職業の原点を見つめなおす、そんな仰々しい?覚悟で始めたコラム。ノーギャラですが、海野さんには、職業ライターとして恥ずかしくないレベルのものを書かせてもらいますと、自分で自分の首を絞めるような宣言をしてしまいました。海野さんは「またスズキさんと一緒に仕事が出来てうれしいですよ」と笑顔で応えてくれました。

 

 連載開始にあたり、海野さんとサシで対談したインタビューもこちらで紹介してもらってますので、よかったらご一読ください。

 

 


白隠展を観て

2013-01-11 10:10:01 | 白隠禅師

 正月早々、風邪をひき、1週間以上グジュグジュしています。うがいに手洗い、細心の注意を払っていてもどこかで菌を拾ってきちゃって、菌を追っ払う体力が昔のようにはすぐに戻らない。・・・まったくやっかいな季節です。

 

 

 

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 昨日は取材で上京し、ついでに観たかった渋谷Bunkamuraでの『白隠展』に足を延ばしました(公式サイトはこちら)。

 

 白隠禅師(1685~1768)の書画は、折につけて観ているのですが、白隠作品だけを100点以上もまとめて観たのは初めて。有名な半身達磨図や布袋さんをはじめ、観たこともあるものもないものも含め、白隠さんが若かりし頃から亡くなる直前まで、年齢に応じて変化する画風が一堂に会し、本当に見応えがありました。もっとも白隠さんが生涯で残した書画は1万点以上だそうですから、ほんの一部に過ぎないんですが・・・、とにかく、これらがプロの画家ではなく、禅僧が布教のために、まったく独学で描いたものだということに改めて圧倒されました。

 

 

 

 

 先日、NHKのEテレ『日曜美術館』で特集をやっていたとき、司会者2人が白隠さんの存在すら知らなかったと話していて、ちょっとビックリしましたが、よくよく考えてみると、白隠さんって本職の画家じゃないから美術史ではほとんど取り上げられないし、白隠さんが活躍した18世紀=江戸中期は世の中が大きく動いたって時代じゃないから歴史年表に顔を出すということもない。臨済宗の中では出世を拒否して生涯市井に生きた人だから、京都にゆかりの寺や立派なお墓があるわけでもない。私は幸いなことに静岡で生まれ育って多少なりとも佛教に興味があったから知っていただけで、一般には、よっぽど禅宗に興味がなければ誰?って存在なんですよね・・・。

 

 

 

 

 たぶん、この展覧会も仏画に興味のある通の人しか来ないのかなあと思っていたら、会場は大賑わい!若者や女性も多くて、平日なのにこの人気は何だ!?とビックリでした。そもそもBunkamura主催で白隠展をやるっていうのが面白いマッチングだし、テレビやアート誌の特集効果もあったかも。出展作品にはさすが白隠さんのお膝元・静岡県内の寺院所蔵のものが多く(私が今、バイトに通っているお寺さんからも出品されています!)、ちょっぴり誇らしげでした。

 

 

 

 

 今回の展覧会でとりわけ心に残ったのは、初期(30代)に描いた達磨像が、か細く、薄く、神経質な表情だったこと。40代で描いた達磨も、若干、線は太くなっているものの、どことなく懐疑的な眼をしていました。それが晩年の作品になると、私たちがよく目にする迫力満点の大らかでユーモラスな達磨になる。確か、ピカソも初期の作品はわりと大人しくて真面目な作風だったのが、年齢を重ねるに連れてだんだん弾けてきたけど、そんな感じかな。誰かがに書いていたけど、ピカソに白隠画を見せたかったなあ~としみじみ思いました。

 

 

 

 

 白隠さんが描く観音さまは、みな同じような、下ぶくれの中年女性のようなお顔。図録の解説では、実母をイメージしているのでは、とのことでした。布袋さん、お福さん、すたすた坊主にもモデルがいたのかなあ(自画像との説もあるが)と想像すると愉しいですね。

 私が好きな『動中工夫勝静中百千億倍』の書もありました(こちらの過去記事もぜひ)。意味もさることながら、掛け軸の縦長のレイアウトを効果的に使ったデザインセンスに、改めて唸ります。

 

 

 

 

 

 あらためて、白隠さんの素晴らしさとは、釈迦、達磨、菩薩など佛教世界のみならず、七福神や三国志の英雄や動物など庶民的なモチーフを使い、解る人には深い教えを、一般庶民には親しみやすさを与えてくれること。これはとても難しいことだと思います。

 

 

 自分もモノを伝えるライターの端くれなんで、「難しいことを、易しい表現で伝えること」がいかに難しいか日々痛感しています。その道の専門家を取材すると、専門用語でしか話してくれない人が多くて、取材時にいちいち確認し、自分の理解の範疇で、できるだけ平易な表現に“翻訳”するのですが、書いた原稿を専門家に見せると、やたら直され、専門用語をそのまま使う羽目になって、欄外の注釈がどんどん増える。・・・つい最近もそんな経験をしたばかりです。

 専門家といわれる人の多くは、自分の名前が出た原稿なり作品を、同じ専門家か自分より上の専門家がどう見るか、しか気にしないようです。専門的になればなるほど視野が狭くなってしまうのは仕方ないのかもしれませんが、そう考えると、白隠さんの時代に、〈権威〉から一線を画して、民衆教化に徹することができるって本当にすごいことです。

 

 

 

 残念ながら楽しみにしていた『朝鮮曲馬』(朝鮮通信使の馬上才=曲芸を描いた作品)が出展されていなかったので、作品入れ替えの後期に出来たらもう一度行ってみたいと思います。2月24日まで渋谷BunkamuraB1階ミュージアムで開催中(期間中無休)。詳しくはこちらを。