杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

『私だけの日本酒』と『杯は眠らない』読み比べ

2023-05-01 19:13:59 | しずおか地酒研究会

 『杯は眠らない』を刊行し、1カ月が経ちます。自分の原稿が掲載された媒体がどれだけ読まれたのか or 売れたのか、深く考えることなく原稿料をもらって終わり、の繰り返しだった職業ライター人生で、初めて作った自費出版本を自分で売り歩くという初めてづくしの怒濤の1カ月。今まで使ったことのない筋肉を酷使し、筋肉痛になったような時間でした。

 

 なぜこのタイミングで自費出版を?と聞かれることが多かったので、「還暦記念に」「終活の本を書いた後だったので」「信頼している編集者が独立起業したので」等の理由を挙げてきましたが、もう一つ大きなモチベーションになったのは、私の周辺で、自分の意思で本を作る人が増えてきたことです。

 業務で請け負う取材や執筆の多くは、一定の条件や制約が課せられ、仕上げた原稿が時には原型を留めないほど改変されることも多々あり、若い頃はいちいち落ち込んでいたものの、最近では「先方が好きに直せばいい、原稿料さえもらえれば」とふてぶてしく割り切ることも。ただ、そんな仕事ばかり続くと、多少独りよがりに見える内容でも自由闊達に書いたものを自腹を切って本にしている人たちがまぶしくトコトン羨ましくなるものです。文章を書いて本にして読んでもらうって本当はこんなふうにワクワクできるものなんだよな・・・って。

 そんな、ワクワクさせてくれた本の一つに、2023年3月に発刊されたばかりの『私だけの日本酒~南部杜氏多田信男の仕事』(アルスロンガ社刊 1,700円+税)があります。

 

『杯は眠らない』でも表紙絵をはじめ何カ所もその名を登場させた、磯自慢の杜氏・多田信男さんの半生を、ご本人のオーラルヒストリーとしてまとめたノンフィクションで、著者は元朝日新聞政治部記者の及川智洋さん。1966年岩手県北上市の出身で、2016年に朝日新聞を退社し、現在は法政大学で政治学の教鞭を取る気鋭の政治学者ですが、朝日を退社した当時、同郷に多田信男さんという”国酒”を醸す名杜氏がいることを知り、しかも多田さんの娘さんと小学校の同級生だったことも判明し、独立後の最初の取材テーマとして取り組まれたそう。2016年当時、私も多田さんから「相談に乗ってやってくれ」と及川さんを紹介され、年に数回インタビューを受けたり取材アドバイスをする等、及川さんの執筆活動を側面支援させてもらいました。

 政治学の研究と並行の取材執筆作業ゆえ、結果的に6年という歳月を要したわけですが、時折、草稿を読ませてもらっては、「ここまで多田さんに密着取材できるのはさすが百戦錬磨の政治記者」とか「自分だったらこう書くな」等などド直球の刺激を受けた私。さまざまなタイミングが重なり、同時期の出版となりました。

…といっても、私はオフセット印刷による紙媒体の自費出版で、及川さんの本はちゃんとした出版社(アルスロンガ社)より刊行され、Amazon他、大手書籍サイトで扱われる電子書籍メインのオンデマンド版。書店に一緒に並べて売ってもらうことはかなわず、磯自慢酒造の寺岡社長が「これ、セット売りできないの?」と残念がってくれました(苦笑)。

 

 いちライターの個人ブログや過去記事まとめの『杯は眠らない』とは違い、『私だけの日本酒』は一人の職人杜氏の半生をじっくり聞き書きし、その周辺取材や関係者インタビューで構成された、極めて客観性の高い人物評伝になっています。とくに関係者インタビューでは、私も『杯は~』で磯自慢酒造の名パートナーと紹介したはせがわ酒店の長谷川浩一さん、山形県工業技術センターの小関敏彦先生の証言は必見。他、松崎晴雄さん、八重樫次幸さん(初亀杜氏)が酒造技術の継承について。私も多田さんと河村傳兵衛先生の関係性についてちょろっと話をさせていただきました。

 全体として、業界人向けのハイレベルな内容ですが、多田信男という不世出の名杜氏の証言を、しっかり記録として残すというのは日本酒業界にとって非常に価値ある出版事業だと思います。磯自慢ファンはもとより、静岡地酒にかかわる造り手・売り手・飲み手も必読でしょう。

 売り先が少ない私の本と違い、『私だけの日本酒』はAmazon(こちら)で電子版もオンデマンド版もすぐに購入できますので、ぜひクリックしてみてください!

 

 なお、来る6月3日(土)17時~20時、藤枝駅南口の『ダイドコバル』にて、及川さんと私の “日本酒ブックバル” を開催します。2人の取材裏話を聞いていただきながら、磯自慢はじめ静岡銘酒とダイドコバルの酒肴料理を味わっていただきたいと思っています。会費は8000円。若干席ご用意できますので参加希望の方がいらしたら鈴木のメールまでご連絡ください(満席になった場合はご容赦ください)。mayusuzu1011@gmail.com