今日(30日)の静岡新聞静岡中部版に、「清水区のNPOが主催し、10月19日に朝鮮通信使の衣装で清見寺付近を行列で練り歩くイベント“アンニョンハセヨ朝鮮通信使”開催」という小さな記事を見つけました。昨年は朝鮮通信使400年記念行事が各地で盛り上がり、私も映像作品『朝鮮通信使』の制作にたずさわることができましたが、今年は、竹島問題等の影響で、各地の行事が中止や縮小になったと聞き、複雑な思いがしていました。地域のNPOが主催する小さな行事でも、こういう記事にはホッとさせられます。
と同時に、静岡市内で開催される朝鮮通信使関連のイベントで、静岡市が製作した『朝鮮通信使』鑑賞の場がなぜ作られないのか、残念でなりません。せっかく作った映画も、未だに公で鑑賞される場がほとんどないのが実情です。
昨日は、京都の高麗美術館から開館20周年記念特別展『鄭詔文のまなざし―朝鮮文化への想い』のポスターと案内が届きました。鄭詔文氏は日本に散在する朝鮮古美術品を蒐集し、日本の中の朝鮮文化の発見に65年の人生を費やした高麗美術館の創設者。「これらの物は日本へ来るまでに様々な悲しい出来事があったに違いない。所有者の無知と弱みに付け込んで捨て値同然で買われたり、文化財発掘の名のもとに掘り出され、日本にそっと持ち帰られたり。私は日本だけを責めるのではない。植民地とは洋の東西を問わず、そのような目に遭わされるもの。ともかくこれらの物は、日本へ運ばれてからも流転の果て、ようやく母国人たる私のもとへやって来た」とし、古美術蒐集が公に知られる在日朝鮮人では唯一人、自身のコレクションをもとに独立した美術館を建てたのでした。
こういう美術館と、引き続いて縁をつないでいられる幸せをしみじみ噛みしめます。
今日は、藤枝ライオンズクラブから『朝鮮通信使』鑑賞会の開催と解説依頼の通知が届きました。作品の存在を知っているライオンズメンバーの社長さんが、かねてからライオンズの例会で鑑賞したいと声をかけてくれていたのでした。本当にありがたい話です。
朝鮮通信使の本格的な映像化は、通信使研究の開拓者である故・辛基秀(シン・ギス)氏が自費を投じて製作した30年前のフィルム映画以来。韓国朝鮮系の団体や全国各地で長年研究活動をしてきた人々にとっては待望の映像作品であると同時に、この分野ではさほど実績のない静岡市がいきなり映画を作ったと聞いて、どんなシロモノか観てやろうという思いもあったでしょう。07年5月19日に清水テルサで開かれた完成披露上映会は、朝鮮通信使縁地連絡協議会が主催する全国交流大会に合わせて行われ、各地の関係者が手ぐすね引いて見守る中での初お披露目となりました。
制作スタッフの中で、全国の関係者の顔も思惑も一番よく知る立場にあった私は、上映中は2階の隅の席で息を殺し、画面ではなく観客の反応ばかり見て、エンドロールが終了し、拍手が沸き起こっても眼を伏せたまま、しばらく顔が上げられずにいました。
場内が明るくなり、監修者である京都造形芸術大の仲尾宏先生と、鞆の浦の池田一彦先生を見つけると、一目散に駆け寄って感想を聞き、両先生から「短時間でよくあれだけ丁寧に作ったね」と及第点をもらうとホッと肩の荷が下りました。辛基秀氏の長女・理華さんには「DVDにしたら絶対に売れますよ」と太鼓判をもらい、高麗美術館の片山真理子さんからも「よく頑張りましたね~、すごくよかったですよ~!」とハグしてもらい、涙ぐんでしまいました。
その後、全国から問い合わせが相次ぎ、DVD化後も入手を希望する声が殺到し、韓国KBS放送からも映像を使わせてほしいという話が来ました。この作品は静岡市内の公立学校の歴史教材ビデオとして作ったため、市も大いに戸惑ったようです。
公費で作り、公立の教育施設への寄贈を目的とした以上、外部への市販や放映はできません。正確にいえば、作品で使った文化財や史料の撮影申請をした際は、有料上映や市販または放映を目的にするか否かを必ず問われたため、「上映会は無料で行い、DVD化後は教材として教育施設へ無料配布します」という条件で市長名で申請したのです。
大半の史料所有先は、申請をし直せば市販も放映も不可能ではなかったのですが、一か所だけ、この条件でなければ使用許可がもらえない所有先がありました。それが、朝鮮通信使の再現行列イメージシーンで、林隆三さんのバックで黒子が持つ「人型」のモデルに使った兵庫県尼崎市教育委員会所管の「通信使駿州行列図屏風」でした。
作者も年代も不明で、どれだけ価値のあるものかわかりませんでしたが、富士山や清見寺と思われる建物が描かれ、街道沿いに並ぶ庶民の表情も細かく描かれた行列図で、プロデューサーの上田紘司さんは当初からメインに使おうと張り切っていました。
興津の商工会に原寸大の復元絵があるというので視察に行ったところ、ポジフィルムから印刷し、屏風の大きさに拡大コピーしたもので、残念ながらハイビジョン映像に使える状態ではありませんでした。上田さんは実物の屏風を撮らせてほしいと尼崎市に依頼しましたが、「元の所有者が許可しない」の一点張り。やむなくポジフィルムの使用許可を取ったものの、「対象を限定した無料上映会と教育用に寄贈する以外は使わせない」ときびしい条件を突きつけてきました。山本起也監督が自ら尼崎に乗り込んで撮影交渉しようとしましたが、尼崎側から拒否され、「人型」制作スケジュールのタイムリミットもあって、ポジの代用で我慢するはめに。
写真から起こした映像とはいえ、この図のおかげで、通信使の到着を待ちわびた江戸時代の一般庶民の熱気を伝えることができましたが、これが結果的に現代の一般庶民への公開の道を閉ざすことになったのですから、なんとも皮肉な話です。
作品は5月に清水で1回だけ公式上映され、その後DVD化されて、市内公立学校や協力自治体と史料所蔵者等に贈呈されたものの、静岡市民の多くは作品の存在すら知らずにいるでしょう。静岡市側でこの作品を積極的にアピールすることも、ほとんどありませんでした。
業を煮やした私は、静岡新聞編集委員の川村美智さんに頼んで取材してもらったり、中日新聞、時事通信、NHK静岡の各局長に頼んで在静12社のマスコミ支局長と市長が的懇談会を行う席でDVDを配布する根回しをしました。
07年9月に東京で、10月に彦根で行われた朝鮮通信使シンポジウムにも自費で赴いて、受付の横に机を置かせてもらい、自分のノートパソコンでDVDの再生画面を流し、チラシをまいて無料上映会の開催を呼びかけました。多くの人が関心をよせ、「5月に清水テルサで観て感動した」「自分の仲間にぜひ観せたい」と声をかけてくれました。関西のある大学教授からは「静岡市に、DVDを講義で使わせてほしいと再三問い合わせたが何の返事もない」と苦情を言われ、頭を下げ、自分が持っているDVDを貸出しました。
隣のテーブルでは朝鮮通信使の専門書籍で知られる明石書店の編集者が、仲尾先生や金両基先生の著書を売りまくっています。このDVDもせめて実費販売できたら、どんなに静岡市のシティセールスに役立つだろう…ニーズがあるのに、なぜ市は市税を投じたプロジェクトを生かそうとしないんだろうと地団駄を踏みました。
それから一年。下請けライターが一人でやるプロモーションなんてたかが知れています。
過去ブログで紹介したとおり、2月にしずおかコンテンツバレーのイベントで林隆三さんを招いて1回だけ上映会が行われましたが、公式にはそれ1回のみ。作品を知ってもらう場が広がる気配は一向にありません。
ただし、一人で奔走したことは無駄骨にはならず、私自身は、たくさんの縁と、新しい映像制作への挑戦という大きな財産を得ることができました。
10月に彦根でご一緒した縁地連のマドンナ的存在である小田切裕子さんとは、今も通信使行事の情報交換をする間柄。東京の某一流企業のキャリアウーマンでありながら、観光で訪れた対馬で朝鮮通信使行列に参加したことがきっかけでこの世界にハマったという小田切さんは、専門家や研究者とは違い、私のような一般人の目線で通信使を語ってくれるありがたい“先輩”です。
久しぶりに鑑賞の機会を得た『朝鮮通信使』。藤枝は史料探しや撮影で苦労し、かなり時間をかけた(実際に使われた映像はごくわずかですが)、思い出深い街。その街を支える企業家の皆さんに観ていただけるのは大変光栄なこと。時間をかけ、苦労した町だからこそ、こちらも思い入れがあるというものです。
ぜひ清見寺近辺の方にも観賞会の機会を作っていただきたいと思うのですが、清水地区は清見寺の存在があまりにも大きく、興津の屏風絵の件もプロデューサーが仕切っていたので自分が交渉等で苦労したという経験がなく、どうも気持ちが入っていきません・・・。それが鑑賞の機会のなさにつながっているのかも。「思い」というのは、やっぱり、不思議と、伝染するんですね。