杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

天晴れ門前塾の酒蔵出張講座

2009-02-26 10:18:32 | 吟醸王国しずおか

 昨日(25日)は天晴れ門前塾(県内の大学生有志が学外でさまざまな社会人講師に学ぶ自主ゼミ)の学生5人を、青島酒造(喜久醉)と初亀醸造に案内しました。

 

 3月6日に5つのゼミ(講師は私のほかに、キャリアカウンセラーの杉山さん、中山間地の限界集落の再生支援活動をする大国さん、県観光コンベンションの佐野さん、元新聞記者の河合さん)の成果発表会があるというのに、昨年暮れに岡部のイーハトーヴォで試飲&交流会を開いて以来、すっかり怠けてしまって、学生に尻を叩かれる始末(苦笑)。私みたいに、自分の仕事に手一杯で現場を走り回るライターには、ゼミの講師なんて荷が重かったかなぁと後悔しつつも、せっかく静岡の酒について学びたいと手を上げてくれた学生たちに、発表会で恥をかかせるわけにはいきません。とにかく趣旨を理解し、受け入れOKの蔵を駆け足で回ることに。

 

Imgp0548  昨日は朝からあいにくのドシャ降り。青島酒造に着くと、ビニールシートを屋根代わりに設置しての洗米作業が始まっていました。雨降りの洗米作業を観るのはめったになかったので、まず私自身が「おぉーっ」と興奮してしまいました。

 

 

 蔵元杜氏の青島孝さんが、1回目の洗米で浸漬時間を目視判断し、「〇分〇秒」と指示し、洗米前と吸水後の米の重量をチェックして吸水歩合を確認します。本来なら集中しなければImgp0546 ならない作業中なのに、寸暇を惜しんで学生たちに原料米や精米歩合の説明をしたり、浸漬中の米の変化を解説し、その後も酒造工程に従って、蒸し釜、麹室、酒母、もろみ、貯蔵と順に案内してくれました。

 その落ち着きぶりと貫禄さえ感じられる態度に、彼の杜氏としての歩みの確かさを実感しました。ニューヨークから帰って来たばかりの頃は、ほんと、ホワイトカラーのおぼっちゃんだったからなぁ(笑)。

 

 年末、イーハトーヴォで松下明弘さんから米作りの話を聞き、松下米ヴィンテージの試飲をさせてもらった学生は、蔵で黙々と洗米作業やラベル貼りに従事する松下さんを見つけてビックリ。

 そして酒造りを子育てのように愛情豊かに語る青島Imgp0556 さんに大感激したようで、「わたし、ファンになっちゃいました」と目を潤ます子も。

 「こうして間近でお話を聞くと、思い入れが強くなります。お店で喜久醉を見かけたら語りたくなっちゃう」「映像で見るよりやっぱりホンモノは深い!」と素直に喜ぶ学生たちを見ていたら、私の役割とは、自分が偉そうに講釈をしたり映像を見せて終わるのではなく、こうやって現場で感動体験させることに尽きるなと思いました。

 

 

 

 

 お昼をはさんで午後に訪問した初亀醸造では、蔵元社長の橋本謹嗣さんから、蔵の歴史、酒米をとりまく農業の問題、神神社のある岡部が藤枝と合併したことで藤枝全域で酒造のまImgp0576 ちとしてアピールしていく動きなどを、1時間余りたっぷりと“講義”してもらいました。

 

 その後、昭和と平成の建造物が融合した蔵内を見学。外車1台分の高額洗米機やチタン製のタンクなど、最新の機材に学生たちは目がテン状態。「同じ地域の酒蔵でも、まったく違うんですね」と口々にこぼしていました。

 

 

Imgp0568  学生の中には、日本酒がやたら好きな子もいれば、このゼミに参加するまでほとんど呑んだことがないという子もいます。喜久醉では大吟醸と純米吟醸を、初亀ではヤブタから搾られたばかりの新酒をテイスティングさせてもらいましたが、「こんなに強いアルコールは初めて」と恐る恐る舐める子も。コンパや飲み会で呑むのは、呑み放題コースの低アルコール酒やカクテルばかりで、「味や香りがキツイのに、食事と一緒で平気なの?」と橋本さんから質問されていました。彼ら、酒と料理の相性とか食べ合わせなんて、まったく考えたことがないみたいですね。逆に「日本酒みたいにアルコール度が強いお酒はどうやって食事と一緒に飲むんですか?」と聞かれた橋本さん、「日本酒はどんな料理にも合うんですよ」と答えるも、今の学生たちにその実感を伝えるのは容易ではないと、私も傍で感じました。

 

 6日の発表会のために、学生たちは、青島さんと橋本さんに、サインと「ひとこと」をスケッチブックに書いてもらいました。

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 青島さんの端正な文字、橋本さんのちょっぴり遊び心のある文字…それぞれに味があって、私がつねづね彼らに話していた、「お酒というのは、造っている人の気持ちや性格が味になるんだよ」という言葉が、モノのみごとに表現されていました。

 

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 とにもかくにも、急なお願いにもかかわらず、また、直接酒の売上や広報にはつながらない相手にもかかわらず、快く受け入れてくださった青島さん、橋本さんには心から感謝いたします。

 

 28日にはもう1軒、大村屋酒造場(若竹)を訪問し、静大生の先輩でもある副杜氏日比野哲さんに若者目線で語ってもらい、その様子を『吟醸王国しずおか』の映像にも収めようかと思っています。

 

 6日の発表会(18時30分~、県教育会館4階会議室…新静岡センター前)は一般の人も参加できますので、興味があったら、こちらをご覧くださいまし!


いつかちゃん県内発表会

2009-02-25 06:38:58 | 社会・経済

 昨日(24日)はJR静岡駅南口の東海軒会館で、静岡県商工会連合会しずおか・うまいもの創生事業「ふじやまさんちのいつかちゃん」の県内発表会が行われ、県内の百貨店やスーパーなどの流通業者やメディア関係者約100人に試食してもらいました。

 

2009022414240000  

 

 会の段取りがイマイチで、主役である参加5店のちゃんとした紹介がされず、私もネーミングやリーフレットの説明をさせてもらえず、参加者から正面切って意見を聞くタイミングもなく、せっかくの発表会なのにこちらのコンセプトを十分に伝えられずじまい。

 会の前に開いた委員会で、アドバイザーのショコラティエ土屋公二さんが、味や風味や色に関して「よくここまで」と及第点をつけ、「5店が足並みをそろえるのは同業者から見ても大変で、正直、完成できるかどうか懐疑的だったが、みなさんよくやりました」と慰労してくださったのはよかったのですが、肝心の発表会で、参加店の名前や産地を正確に言えないような関係者がお決まり挨拶をするだけで終わったのは、つくづく残念でした。

 

 

 

2009022414180000  このブログでも再三お伝えしたとおり、地元産の生フルーツを加工するのは本当に大変だったと思いますが、そんな裏方の苦労も、出来上がってしまった商品評価には関係なく、参加者は感じたままにあれこれ意見を言います。

 的を射たものもあれば、「甘いなぁ」「値段が高い」「わざわざ探してまで買わないよ」なんてキツイ声も。それが夕方のテレビ静岡のニュースにコメントとして出ちゃって、観た人には「甘すぎて高い」という印象しか残らない映像になっていました…。取材にきた記者も、もうちょっと配慮してくれてもいいのにね。

 2009022413560000 もちろん試作品の試食会ですから批判は真摯に受け止めますが、テイスティングに来たプロなら、どうしたらよくなるのか、もうちょっと建設的な意見を言ってくださいよ~と言いたくなります。…それもこれも、こちらのコンセプトをきちんと伝えられなかったからだと思います。


 せめて、東京のグルメ&ダイニングスタイルショー最終日の終わり際に、いつかちゃん似の2歳の男の子がお母さんもびっくりするほど威勢よく美味しそうに食べてくれた話だけでもしたかったなぁ…。

 

 

 

 

 

このところ映画制作やこの創生事業など無から有を生み出すクリエイティブな仕事が増えたことで、お客さんに初めて“お試し”してもらうときの緊張感や期待感が手に取るようにわかるので、自分がテイスティングをしたりアンケートを求められる場にいたら、真摯にお返事するよう心がけています。欠点があったとしても「もっとこうしてくれたら自分はすぐに買います!」という言い方をするとかね。自分がそうしてほしいと思うことを、他者にするという当たり前のコミュニケーションマナーです。

 

 

 

 

 フロアには、5店の代表的な銘菓の試食コーナーも設けられ、日本茶インストラクターの土屋裕子さんと吉積恵子さんがお茶の接待を担当してくれました。過去プログで紹介したツル屋製菓店のモザイクロール、扇子家のみそまんじゅうde秀クリーム、入河屋のみかん最中など、お気に入りのスイーツに久しぶりに再会し、参加者にも勧めたら、みなさん大喜び。この事業の真の目的は、参加5店の販路開拓支援なので、5店の新しいファンが増えるきっかけになったのなら、いつかちゃんの役目もひとつ果たせたわけです。

 

 

 

2009022413540000  会が終わり、スタッフで残りものを試食していたら、料理研究家でもある吉積さんが「みなさん甘い甘いと言っていたようだけど、自然の甘みで口に優しい。いい原料を使っているって伝わってきますよ」と専門家らしい感想を声をよせてくれました。

 「今日はゼリーが主役だから」と日本茶の一煎目と二煎目をブレンドさせて味をおとなしめに整えてくれた土屋さんも、「日本茶とフルーツゼリーって意外に合いますね。いつかちゃんのパッケージに日本茶のティーバッグを付けたら静岡らしさがふくらむかも」なんて斬新な提案をしてくれました。

 

 

 ・・・やっぱり、味にかかわる仕事をしているプロには、新しい視点に気づかせてくれるこういう声を期待しちゃうし、実際、ありがたいですよね。無から有を生み出す苦労を経験した人や、新しいことに挑戦する人ほど、同じような挑戦者への理解や共感があって、アドバイスにも厚みと温かみがあります。私はそれを、『吟醸王国しずおか』パイロット版試写の時につくづく実感しました。映像制作のプロでも、酒の専門家や愛好者でも、まっとうな仕事をしている人ほどアドバイスが的確で、こちらのやる気と負けん気を掘り起こしてくれます。

 

 

 

 さまざまな意見や反応に一喜一憂した試食会でしたが、ショコラティエ土屋さんの総括コメントと、日本茶インストラクター土屋さんと吉積さんの茶のもてなしは、クリエーターの創作苦労に敬意を払った実にプロらしい態度で、5店の菓子職人さんたちの励みになったと思います。


究極の東洋思想

2009-02-24 10:06:37 | ニュービジネス協議会

 昨日(23日)は(社)静岡県ニュービジネス協議会西部部会のトップセミナーで、浜松アクトシティ研修センターに大日本報徳社の榛村純一社長をお招きし、現代によみがえる二宮尊徳の教えについてじっくりうかがいました。

 

 

 

 私にとっては、昨年9月27日、掛川市の大日本報徳社で開催された文化財シンポジウムで、榛村社長から、「二宮尊徳が、今、中国の知識階級から孔子よりも注目されている思想家だ」という新しい見解をうかがって以来。

 

 

 ニュービジネス協議会西部部会役員の経営者が幹線道路沿いにある自社オフィスの前に二宮金次郎の負薪読書像を設置したことが、協議会内で話題になり、榛村社長をお招きすることになりました。静岡県の経済情報誌VEGAで尊徳特集が組まれたり、昨日も協議会会長のTOKAI鴇田会長やテレビ静岡の曽根社長など、静岡からもそうそうたるメンバーがかけつけるなど、ビジネス界ではちょっとしたブームみたいです。

 

 

 

 

 

Imgp0542  08年9月27日のブログにも書いたとおり、尊徳の教えが現代人に通じる大きな理由とは、「経済のない道徳は寝言」「道徳のない経済は犯罪」という理念を、江戸時代の農民出身の尊徳が実践したということ。今の中国人が、道徳がつねに尊く経済を下に見る孔子より、道徳と経済を同等に論じた尊徳に惹かれるのも、自然かもしれません。

 

 

 北京大学の研究者と話した榛村社長は、「北京五輪と上海万博が終わった後、2010年以降の中国では、もしかしたら内乱が起きるかもしれない。それほど都市部(ごく一部の沿岸地帯)と農村の経済格差は酷いという。行き過ぎた市場経済にブレーキをかける意味で道徳観が見直されているが、道徳ばかりを重んじる孔子にはいまさら戻れないと彼らは思っている」「彼らが見出したのは、アジアの中で唯一植民地にならず、短期間で近代化を成し遂げ、今もG7でアジア唯一の参加国である日本の経済成長の象徴であった豊田佐吉や松下幸之助の思想の源泉。それが報徳思想だった」といいます。

 「孔子の思想は素晴らしいが、ある意味、日本の象徴天皇のような存在。一神教であるキリスト教やイスラム教では世界が平和にならない。報徳思想こそ、辺境文化に花開いた究極の東洋思想」とまで評価されているそうです。

 

 

 

 

 

 その二宮尊徳。どんな人かといえば、小田原の農家の生まれで、14歳で父を、16歳で母を亡くし、酒匂川の洪水で田畑を2度も失い、貧窮のどん底を味わいました。薪を背負う読書像は「農家の倅だって字が読めるようになりたい、学問を身につけたい」と、薪を売りに各地を歩いた道中に時間を惜しんで本を読んでいた14歳頃の姿。百姓の倅が勉強なんかする必要はないというのが常識で、金次郎が夜、明かりをつけて本を読んでいたときも、叔父から「油代がもったいない」と非難され、自分で菜の花を栽培して菜種油をつくった、なんて逸話もある時代です。

 

 

 農家だから労働だけでいいとか、学問は裕福な家の専売特許、という当時の常識にとらわれず、彼の脳裏には、はじめから、勤労と勉強は同等に大事で、一生続けていくものだという強い思いがあったようです。それは、家族を失い、身分の違いや農村の貧しさに翻弄され、幼い頃からさまざまな「格差」に直面してきた彼の生きるよすがだったろうと思います。

 

 

 

Imgp0540  彼は「積小為大(小さな積み重ねがやがて大きなものになる)」を実践し、荒れた田畑を立て直し、その手腕が認められて、今でいう、土地改良コンサルタント→地域おこしプランナーとして活躍しました。

 本来なら3000石の収益が見込める土地なのに2000石しか上がらない村では、首長に「3000石上がるように指導しますから、かわりに増益した1000石分は百姓に還元してください。それが条件です」と談判し、OKの地域だけ指導するという徹底ぶり。藩主や支配階級の武士にも「農民のやる気を起こせば豊かになる。すべては人民の勤耕である」と言いきかせたわけです。

 

 

 

 藩が豊かになるのは殿様の功績ではなく人民の力だという、民主主義の原点のような思想を、江戸時代に広めたというのはスゴイこと。本来ならば吉田松陰や坂本竜馬を超えるような偉大な思想家として評価されるべきところ、若くして非業の死を遂げたヒーローたちに比べ、幕府に登用され、長生きをした尊徳は人気がなく、明治以降の富国強兵政策に“利用”されてしまったことで、今もって、正当に評価されずにいるようです。

 負薪読書像は、少年の頃から勤労(身体)と勉学(頭脳)を同等に実践した金次郎の姿に打たれた全国の小中学校の指導者たちが自主的に設置したもので、軍部の強制でもなく、文部省から補助金が出たわけでもなく、偉人の少年像が銅像になった世界でもまれな像なのですが、戦後、次々に姿を消しました。

 

 

 榛村社長も、文科省の審議会等で、報徳思想の重要性をたびたび訴えては、若い役人に白い眼で見られてきたそうですが、最近になって中国から再評価されるようになったとたん、態度が変わったとか。「日本は、黒船の時代から、外圧がないとCHANGEできない国です」と苦笑されます。

 

 

 

 

 「報徳思想」という言葉はちょっと古くて、誤解されることも多いようですが、「報徳の根本は、社会や自然から受けた恩恵に素直に感謝するということ。農村に活気を与え、いい環境を次の世代に推譲という意味ではスローライフと言い換えることもできる」と榛村社長。亡くなった筑紫哲也さんとも意気投合し、スローライフの伝道に努めてきました。

 

 

 

 今秋開催の国民文化祭しずおか2009では、11月3日掛川市生涯学習センターで、中国から研究家を招いて報徳思想についてのシンポジウムを開催する予定。

 二宮尊徳の再評価が、日本の閉塞した今の社会にどんなCHANGEをもたらすのか、ちょっと注目です。


一生を凝縮した一日(おとな編)

2009-02-22 12:13:15 | 映画

 20日(金)午後は静岡へ戻って、(独)中小企業基盤整備機構が開催する中小企業会計啓発・普及セミナーを取材しました。私が広報を担当する(社)静岡県ニュービジネス協議会が、静岡市内での開催を請け負って運営にあたったのですが、経済状況の厳しい中小企業の経理担当者に「会計を生かした経営力の高め方」をレクチャーするのに、なぜか会場はホテルでなければダメとのお達しだそうで、ニュービジネス協議会でもめったに使わないホテルアソシア静岡の小宴会場。会場は立派でも、講演・会議用の会場じゃないのでプロジェクターやAV機材がなく、ホワイトボードで手書きの講義を余儀なくされた講師の先生は、ずいぶんやりにくそうでした。なんて不効率なんでしょうね!?

 

Imgp0536  講義の中心になったのは、経済オンチの私でも聞いたことのある「貸借対照表」「損益計算書」、そして「キャッシュフロー計算書」の重要性。

  

すべての商売を現金で行い、儲けとお金が一致している。

ものを売ってもすべて未回収(売掛金)で、仕入代金が支払えないので、借金して支払った。儲かっても手元にお金がない。

ものを売ってすべて現金回収し、仕入代金は掛のまま残している(買掛金)ので、儲け以上にお金が手元にある。

 

という3つのケースがあるとします。

 「貸借対照表」は経営に必要な道具(資産)をどうやって準備(調達)したかがわかる一覧表なので、①のように必要な道具はなるべく自前で準備したほうがいいし、借金して道具をそろえると、道具をつかって利益が出てもまず借金返済を優先せざるをえない。③のように借金返済まで猶予があればいいけど、今の日本の中小企業はほとんどが②の状態で、儲かっているのにお金がない=黒字倒産もあり、なんですね。

 

 「損益計算書」は道具を使ってどうやって儲けたのかを一覧にしたもので、儲けの中身が売上高総利益中心だと、粗利が大きく売り上げが多い商売上手の会社。営業利益中心なら社員のコストパフォーマンスが高く管理がうまい会社、経常利益中心ならば在庫が少なく過剰投資もなく借金の少ない会社、と判断できるわけです。

 

 「キャッシュフロー計算書」は両者をつなぐ決算書で、儲かって増えたおかねがどこへ行ったのか、損をして減ったお金をどこから補充してきたのか、お金の流れがわかる一覧表。

 この3つの決算書を、何期かさかのぼって見比べることによって、「もっと上手に道具(資産)を使わなきゃならないな」「新しい道具が必要だけど過去に買った道具の借金も返さなきゃ」「儲かり商品を供給してくれた仕入先には長くおつきあいしてもらうためにも、ちゃんと払うものを払うべき時期に払わなきゃ。そのための金がつねに必要だ」などなど、どんな取引でお金が増減したかがちゃんと見えてきて、この先の経営戦略が立てやすくなる、というわけです。

 

 

 中小企業基盤整備機構では、パソコン初心者でもかんたんに入力できて、売上等の集計ができる表計算ソフト「会計ふきゅうソフト」を無料配布しています。自分にはあんまり縁がないと思っていましたが、映画制作などで、この先ちゃんとした会計報告書も必要になるので、一生懸命トライしています。関心のある方はこちらをダウンロードしてみてください。

 

 

 

Photo  夜は、シズオカ文化クラブの第158回定例会「映画にみる昭和の静岡」に参加しました。マビック静岡市視聴覚センターなどで映画解説を担当する小澤正人さん(映画愛好グループ「映画狂室」「銀幕倶楽部」代表)が、銀幕全盛期の1950年代後半~60年代の日本映画で、静岡でロケした作品を紹介し、フィルムに残る当時の静岡の街の風景を懐かしもうという企画です。

 

 

 司葉子・宝田明主演の「花の慕情」(1958年・東宝)では、華道の家元を継ぐ司葉子と、その弟の事故死に関係していた宝田明が周囲の反対の中、互いの愛情を確かめ合うシーンに、当時の駿府公園と宝台橋付近が使われていました。駿府公園のロケでは開館まもない駿府会館や児童会館、白いカラーのセーラー服―たぶん英和女学院の生徒が公園内を歩く姿も映っていました。

 

 駿府公園の内堀は、今のようにきれいに整っていなくて、石積みの形状が生々しく、「あぁ、ここはほんとに人の手で築いた城跡だったんだ」とリアルに伝わってきます。周辺にさえぎる建物がないので、富士山がスカーっと見えます。2人の会話シーンのバックにちらっと映ったレンガ造りの裁判所も、ヨーロッパの街のように絵になっていて、静岡ってこんなに美しい街だったのか…とびっくりしました。

 

 井川ダム建設時に溺れた潜水夫の救出大作戦を描いた「九時間の恐怖」(1957年・大映)では、実際に現場で救出にあたった静岡県警、中部電力、間組などが全面協力。路面電車が走っていた県庁前や県警本部周辺もリアルな舞台になっていました。この作品はセミドキュメンタリータッチを狙ったようで、いわゆるスター俳優は使わず、大映東京製作所俳優部に所属する俳優147人が総出演したそうです。

 

 宇津井健主演の刑事サスペンス「東海道非常警戒」(1960年・新東宝)では、当時の静岡駅が、石原裕次郎主演のアクション映画「泣かせるぜ」(1965年・日活)では清水港と次郎長通りが、新藤兼人監督の「第五福竜丸」(1959年)では焼津港や焼津市役所がロケで使われました。

 

 62年生まれの私には、どれもなんとな~くの記憶しかないのですが、シズオカ文化クラブの会員さんは、この頃青春時代を謳歌した団塊世代が中心なので、映像に食い入るように見入っては歓声を上げ、「司葉子を駿府公園に見に行ったのよ~」「実は井川ダムのエキストラで出ていたんだ」なんて人もいました。

 

 青春時代を過ごした故郷の街が、こんなに美しい姿でフィルムに残っていて、それを振り返って愉しむことのできる今のシニアのみなさんは幸せだな、と思います。映画が最大の娯楽で、映画館で過ごす時間がイコール青春の思い出になっているんですものね。

 

 

 この日、いろんな世代―子育て現役世代を支援する人々、厳しい経営環境の中で少しでも活路を見出そうとする中小企業経営者や経理担当の人々、激動の昭和~平成50年余を駆け抜けて今はおだやかに暮らす人々の表情に触れて、人ひとり、どんな時代に青春や子育てや働き盛りにぶち当たるかって大きいなぁとしみじみ思いました。

 自分が生まれた昭和30年代後半から物心ついた昭和50年代前半までは社会に勢いがあった時代でしたが、20代前半は今思うと異常なバブル時代で、ライターで自立し始めたときは“失われた10年”が始まり、じっと踏ん張ってライターとしてステップアップできるかと思ったらこの景気。

 

 一度、ちゃんと人生の「貸借対照表」と「損益計算書」をつくって、夢や目標の達成度を“キャッシュフロー計算”してみる必要があるかな、なんて思います。

 


一生を凝縮した一日(子ども編)

2009-02-21 12:15:56 | NPO

 一生を凝縮した一日…なんて、ちょっと大げさなタイトルですが、昨日(20日)は、子ども、大人、シニアがかかわる場を順に3ヶ所取材し、それぞれの世代の生き方にふれているうちに、なんだか人一人分生き切った気分になってしまいました。

 

 

 まず午前中は浜松で、地域の子育て情報のウェブサイトを浜松市と協働で運営するNPO法人はままつ子育てネットワークぴっぴを訪問しました。

 転勤で浜松へやってきた原田博子さんが、育児の悩みや問題を共有できる仲間づくりや必要な地域の子育て情報収集のために04年に立ち上げた組織。運営するホームページは当事者同士ならではの“知りたい”“つながりたい”気持ちをベースにしたわかりやすい内容で、利用者はもちろんのこと、行政からも高く評価されています。行政が発信する育児支援情報って、いかにもお役人が机上の上で書いたって感じのおカタイものが多いんですが、ぴっぴのホームページは当事者が作っているから本当にわかりやすくて、子育てに縁のない私が見ても楽しいんですね。

 06年には日本経済新聞社主催「日経地域情報化大賞2006」の準大賞にあたる日経新聞社賞を、08年には「内閣府バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰」の大臣表彰奨励賞を受賞されています。

 

 

 

Photo  お会いする前は、原田さんって、てっきりIT関係のお仕事をされていた方だと思っていたのですが、「いえいえ全然、転勤族で関西や九州で暮らし、第一子を産んだ大分県のまちは、周囲が高齢者ばかりで、自分にも子どもにも友だちができなかったという経験がベースなんです」と原田さん(写真中央)。

 

 浜松に移住してから近所の公民館の育児サークルや、育児・障害者・シニアにかかわるNPO団体に積極的に参加し、自分ができること、必要とされていることに目覚めたといいます。「気がつくと、周囲にはIT技術や情報収集能力を持ちながら、育児休業中で復帰の機会を待ち望む優秀な女性が集まっていた。私に特別なスキルがあったわけではないんですよ」と自然体で語ります。

 

 ぴっぴが評価されるのは、NPO団体が壁を感じがちな行政との協働をスムーズにこなす点にもあります。原田さんは「お役所と自分たちの間には壁があって当然。なかなか乗り越えられなくても、つねに乗り越えようと努力することが大切」とし、市の担当者とは2週間ごとにプロジェクト会議を開き、他のセクションとコラボする際も、「下請け業者扱いされないためにも」、市民協働とは何ぞや~から丁寧に話し合う努力を重ねているそうです。

 この原田さんの行動力、県外出身者ならでは、かもしれません。外から来た人、外の経験を経た人だから見えてくる地域の壁や問題点。あるいはその地域の特徴や魅力。浜松市民にとって原田さんは「外の人」で、行政にとってNPOも「(お役所の常識の)外の人」ですから、そういう人を排除するのではなく、上手に受け入れ、活かすのも、ある種の地域力なんだと思います。

 

 

 

 

 ところで、シングルの私には母親の気持ちは机上で想像するしかありませんが、自分の幼児期を思い起こせば、育児中の母親の精神状態って本当に大事だと思えてきます。

 

 私は3歳になるまで、両親、祖父母、叔父と叔母の大人6人に囲まれ、一家の初孫として大事に育てられましたが、母は伊豆修善寺の田舎育ちで、環境の違う都市部の公務員一家に嫁ぎ、舅・姑・小舅たちと同居することになり、周囲に心許せる身内や友人がいない孤独感もあったのではと想像します。

 私の、年長者や地位の高い人には物怖じしない生意気な性格や、一方で身近な人のちょっとした声や反応にオドオドする小心さ、辛さを表に上手に吐き出せない不器用さは、幼児期の生活環境と母の心理状態が影響しているのかもしれません。

 

 3歳の誕生日を過ぎて2ヶ月後に妹が生まれ、その1年後に弟が生まれ、幼稚園に上がってからは祖母に送り迎えをしてもらった記憶しかありません。母は年子で生まれた妹弟の育児に忙殺されていたのでしょう。

 その中でも、妹は、長子の私や、長男として可愛がられたすぐ下の弟に比べ、母の愛情を独占できない寂しさを幼心に感じていたと想像します。大人たちを困らせる問題児になり、やがてそれが並はずれた行動力となって、空港勤務→主婦→海外移住→30代で一から看護師を目指し、今は米国オクラホマ州で、全米の看護師の中でも1割しかいないスペシャリスト(麻酔看護師)として逞しく生活しています。小さい頃は、目を離すとよく迷子になり、学校の先生からも「この子は放っておけばどこかにすっ飛んでしまう勢いがある」と言われ、本当に家族の目の届かない地球の裏側へ飛んで行ってしまいました。

 

 母親が、子どもが3歳ぐらいまでの時期に、どんな精神状態だったかは、子どものその後の性格や生き方を左右するんですね、本当に。だからこそ、原田さんたちの行動にも価値があるのだと実感します。

 続きはまた明日。