杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

地域資源の魅力を伝える

2008-06-29 12:58:09 | 吟醸王国しずおか

Img_3239  27日(金)は、午前中は静岡県商工会連合会の平成20年度地域資源全国展開プロジェクト「しずおか・うまいもの創生事業実行委員会」会議。昨年度、開発した静岡の酒と肴のギフトセット『つまんでごろーじ』に続き、アドバイザーとしてお手伝いをすることになったのです。

 

 

  28日付け静岡新聞政経欄の報道でご存知の方も多いと思いますが、今年度は県産フルーツを使ったチョコレート商品。対象フルーツは土肥の白びわ、富士川のキウイ、牧之原のいちご、袋井のメロン、三ケ日のみかんで、これをそれぞれのご当地の製菓業者5軒が、新しいチョコ菓子に変身させようというわけです。白びわは生産量が少ない上に、繊維質が少なく融けやすいとか、うんしゅうみかんはもともと水分が多い等など、チョコ菓子にするには難問山積のよう。最後は「誰もがカンタンに作れないからこそ挑戦しがいがある」と各業者さんとも意欲を示してくれました。私は「各業者さんがそれぞれ工夫して発売したとしても、全国あまたある創作菓子の中で注目を集めるのは難しいが、それが5つも揃ってセットになっていたら、すごいと思う。静岡という地域の底力を示せるんじゃないか」とアドバイスしました。

 

 会議の内容とは別に、興味深かったのは、異なるキャリアの人間が集まって何か新しいことをやろうとするとき、必ず「できないこと」を挙げる人がいるということ。『吟醸王国しずおか』映像製作委員会でも同じです。ここ数日来、映画づくりをサポートしてくれる人のことを「よくない噂を聞いたから」と耳打ちする人も出てきました。確かめようにも「噂の元は明かせない」というので、真偽の確かめようがありません…。

 

 

 リスク回避を前提にするなら、できない理由やよくない噂を重視し、切り捨てるか、距離を置くのが常套かもしれません。しかし「できない」「よくない」には原因があるはずですから、解決する意思があれば、「画期的な開発」「よき協力者」になる可能性も出てきます。

 

 

 縁あって、一緒に新しいことを始める仲間です。しかも静岡という狭い地域でそれなりに実績を積んできた人たちで、静岡の地域資源の魅力を伝えようというまっとうな目的の元に集まった仲間です。そこに多くの課題があったとしても、乗り越えるのが成功の条件だと腹をくくり、ポジティブに取り組んでいきたい。前々回のブログに紹介した松本育夫さんの「一に気力、二に目的、三に行動」という言葉を改めて噛み締めます。過去、多くの歴史書を読み、また多くのベンチャー経営者の取材やインタビューをして、挫折や裏切りや失敗から立ち直った経験談を直接教わったことが、少しは自分のポジティブ感を鍛えてくれているのかもしれません。

 

 

 

 

 午後は、静岡県産品愛用運動推進協議会のホームページ『静岡こだわりの逸品ガイド』の仕事で、ひさしぶりに料理研究家の仁科悳代(のりよ)先生のキッチンをお訪ねしました。先生にシリーズでご指導いただく“しずおかの味創作クッキング”の取材です。

 

 

 今回は「かつおのさっぱり和え」「焼きかぼちゃのわさびドレッシング」「あじのしそ梅はさみ揚げ」「豆腐の駿河湾焼き」の4品。詳しいレシピはホームページ掲載までお待ちいただくとして、どれもが“目からうろこ”の絶品メニュー。

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 とくに「焼きかぼちゃ~」は、冷蔵庫にストックされがちなラッキョウをたくさん使って、焼いたかぼちゃにトッピングするのですが、ラッキョウの酢がかぼちゃの甘みをさらに引き出し、熱々でも冷やしてもバツグン!の美味しさでした。かぼちゃとラッキョウを組み合わせる発想なんて、素人にはなかなか出てきませんよね。

 

 先生からは、今回もタメになる台所知識を伝授していただきました。家事の達人にはジョーシキかもしれませんが、料理下手の自分にとっては、これも目からうろこのネタばかり。さっそく試してみました~!

①暑い季節は、ご飯を炊くとき、梅干の種を2~3粒入れて炊くとスえない。

②ミニトマトを買ったら、ヘタをすべてとってから保存しておく。ヘタから雑菌が入るので。

③一つのフライパンで同時にいくつかのものを焼くとき、フライパン中央部が一番熱くなっているので、真ん中には最後に乗せる。

④生しいたけを焼くときは、石づきも捨てずに、左右に切り開いて焼いて食べましょう。Dsc_0023

 

 

 

 なお、おかげさまで大好評の静岡の酒と肴のギフトセット『つまんでごろーじ』は、静岡伊勢丹での中元ギフト受付が6月30日で終了します。ホームページでは年中受付してますので、お中元ギフト等にぜひぜひご活用くださいませ!


天然林と人工林

2008-06-27 01:24:48 | 環境問題

 昨日(26日)は久しぶりに車で遠乗りしました。午前中は浜松市天竜区(旧天竜市)にある木材製材業フジイチさんで打ち合わせ。新開発の合板パネルのネーミング&キャッチコピーを考案するお仕事です。正直、最初は、木材の知識なんて皆無だし、モノも固そうで自分に書けるかなぁと不安に思いましたが、営業担当の内山忠彦さんが、こちらがリクエストするまでもなく、森林環境や林業の現状と課題を、データをもとに懇切丁寧に解説し、会社の姿勢を明確に示してくれたおかげで、ずいぶん気が楽になりました。

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 フジイチは、天竜川水系の天竜杉・天竜檜だけを扱う会社。しかも、自社で伐採から製材加工販売まで一貫して行う、すなわち、伐採要員(木こり)を社員で雇用する国内でも珍しい会社です。一般の木材業者というのは、原木市場で買い付けた材木を製材するというのがほとんどで、森で木を伐採している現場を見たことがなく、杉と檜の見分けができないという業者もいるとか。

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 国産材は安価な外材に圧され、冬の時代が続きましたが、このところの外材高騰の影響で、再び見直されているそうです。とくにロシアが原木に80%もの関税をかけ、「製材はいいが原木は輸出しない」方針を強引に打ち出したため、ロシアアカマツの輸入に頼っていた日本海側の業者はタイヘンだとか。フジイチも過去はロシアアカマツを扱っていましたが、木を見ないで相場だけで売り買いする商社のやり方に振り回され、「どうせ苦労するなら、努力のしがいがある地元材に特化しよう」と、腹をくくり、外材NO宣言をしました。

 

 さらに、昨今の環境問題が追い風となり、森林の環境を守る=林業を元気にするという認識が徐々に高まり、国産材は、新たな注目を集めています。いち早く舵の切り替えを遂げたフジイチは、製材の扱い量では県内随一の企業となりました。

 

 ひとくちに森林といっても、天然の自然林と人の手で植林された人工林とに分けられ、自然林率は、日本の国土のうちの67%で人工林率は40%。静岡県は自然林率65%で人工林率60%。さらに市町村合併後の浜松市は自然林率68%で人工林率77%と、全国屈指の高さを誇ります。ちなみに、1000万ヘクタール以上の人工林を持つ国は、世界で中国、ロシア、カナダ、日本の4カ国しかなく、他の3カ国の面積を考えると、日本の森林率が突出していることがわかります。

 

 

 

 三菱総研がまとめた調査によると、森林の二酸化炭素吸収の経済効果を算出すると年1兆2391億円、表面侵食防止は28兆2565億円、表層崩壊防止は8兆4421億円、洪水緩和が6兆7407億円、水質浄化は14兆6361億円になるそうです。これら森林の多面的機能の経済効果はトータル70兆円/年。しかし現在のキャッシュフローから見た林業の経済効果はたった2000億円/年。参考までに農業は8兆8000億円、水産業が1兆6000億円です。

 

 森林率が際立って高い国土を持つというのに、日本の林業はその資産価値を十分発揮していないことが、こういう数字からも解ります。逆に言えば、資産価値が伸びる余地が十分あるということ。

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 杉は、樹齢10~20年ぐらいの“青年期”に、人間と同様、ものすごい量の二酸化炭素を吸って成長し、その後徐々に吸収率は低下して50年ぐらいでピークのほぼ半分に落ち着くそうです。とはいえ、木は体内に炭素を固定化する性質を持つため、樹齢50年ぐらいの杉を切って建材にし、その後に新しい杉を植えれば、二酸化炭素吸収のサイクルが途切れないというわけ。日本は1950年頃から国策で植林を進め、30年で人工林は2倍に増えました。それらがちょうど50歳を過ぎた今こそ木を積極的に使うべきなんです。

 京都議定書で日本に課されたマイナス6%のうち、3,9%は森林吸収でまかなうことになっているそうです。森林対策はまったなしの課題なんですね。

 

 かつての日本は、生活の中で木をふんだんに消費していたので、明治24年当時の森林率は今よりずっと低い45%だったそうです。確かに、安藤広重の浮世絵などに出てくる風景にはハゲ山が多い。人間が集団で住めば、その周辺の森林はあっという間になくなる。実は、はるか昔の平城京や平安京などの遷都も、森林を消費し尽して、やむにやまれず遷都したという側面もあったとか。すごい話です。 

 人工林(植林)が文献に初めて登場するのは吉野(奈良)で1500年代。実は天竜は1400年代に始まっていたらしく、記録さえ見つかれば日本最古の称号が得られるそうです。

 

 

 

 

 

 

 フジイチさんで興味深い話をたっぷり聞き、次回の打ち合わせ日程を決めて失礼した後、春野町の春埜山大光寺まで車を走らせました。樹木医・塚本こなみさんが“私の心の一木”と愛してやまない春埜杉を、急に見たくなったのです。

 

 訪れるのは10年以上前に、こなみさんに連れていってもらって以来。ところどころ山の斜面が崩落していて、通行止めになってもおかしくない細く険しい山道、しかも霧で視界が遮られ、途中、何度も引き返そうかと心細くなりましたが、寺に着いて参道を進むと、突然、視界に、巨大なクモのような大杉が。思わず、ヒクッと声を上げてしまいました。本当に生き物の気配を感じたのです。

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 人の気配はまったくなく、深々と静まり返った境内。巨体に霧をまといながらそびえ立つ大杉は、それ自体、まさにご神体です。大杉の前には、昔はなかった立て看板と賽銭箱が。しかしそんな人工物はまったく気にならず、ただただ圧倒されました。

 この一角だけ、異次元空間でした。この感覚は、東大寺二月堂お水取りを夜通し見て以来です。

 

 

 高さは43メートル、目通り14メートル、枝はりは31メートル、そして樹齢は1300年。大光寺の開祖・行基上人が植えたものだそうです。平城京遷都(710年)の頃に生まれたんですね。人間に消費し尽くされた森林がある一方で、1300年間、生き続ける木もある。そして人間の畏敬の存在となっている…。

 

 

 寺田寅彦が「西洋の科学は自然を克服しようとする努力の中で発達したが、日本の科学は自然に順応するための経験的な知識を蓄積することで形成された」と指摘したように、人工林は、木を生かし、生かされてきた先人の知恵の結晶。しかも70兆円の宝が眠っている場所です。そして天然林は、人間がなかなか近づけない場所ゆえに生きながらえてきたわけですが、たまにこうして近寄ってくる人間を、この世のものとは思えない力で包み込んでくれる。

 天然林は日本人の魂を、人工林は日本人の暮らしを支える存在だということを、如実に実感した一日でした。


クラーマー氏の教え

2008-06-24 22:27:29 | ニュービジネス協議会

 私はどちらかというと朝型人間で、20年来の酒蔵取材の習性からか、5時ぐらいには目が醒めます(年寄りか!)。血圧が90-60ぐらいと低いほうなのですぐに身体が動かず、1時間ほどテレビのニュースを流し聴きしながら少しずつ頭を覚ましていきます。前夜、どんなに遅く寝ても、この習慣は変わりません。

 

 この数日、早朝生中継のUEFA EURO 2008に釘付けで、決勝リーグが始まってからは4時起きが続いています。特別、サッカー好きというわけではありませんが、世界一流のプレーはジャンルを問わず、万民を惹きつける魅力がありますよね。欧州の中では昔から好きだったドイツが勝ち進んでいるのがウレシイ。

 

 EUROのレベルと日本代表を比較しても仕方ないのでしょうけど、ロシアやトルコのようなサッカー新興国もそれなりの活躍をするところを見ると、いろんな選手が国境を越えて武者修行し、切磋琢磨し、結果として各国のレベルが上がっている、ということが素人なりに解ります。遠く離れた島国の日本では、そういう機会が圧倒的に少ない。競い合う相手が少なければ、そこそこのレベルで満足してしまう、というのは、酒の世界でも同じです。

 

 静岡の酒が技術=品質的に特筆するほどの向上を成し遂げたのは、競い合う相手が多かった、というのが大前提にあると思います。地酒が地元で圧倒的なシェアを占める県では、黙っていても売れるわけですから、吟醸酒のような手間もコストもかかる酒を主力にしようとは考えない。一方、物流に恵まれるゆえに他地域からいろんな酒が入ってきて、地元での消費シェアが2割以下という静岡では、大手メーカー酒や有名地酒との厳しい生存競争に勝ち抜かなければなりません。

 

 幸いなことに、吟醸造りの技術をいち早く身につけた、サッカーの世界で言えば三浦カズや中田、大リーグなら野茂やイチローみたいな先駆蔵や、かの名コーチ・西ドイツのクラーマー氏のような名指導者がいて、近隣に同規模の蔵が固まって点在し、目標やライバルとなる相手がすぐ身近にいたことが、静岡を吟醸王国へと導いたのです。

 時代や環境の条件が厳しいゆえに磨かれ、その厳しさを糧に出来る人の力が、酒にも、サッカーにも共通して求められるんだと実感します。

 

 

 

 

 

 4年ほど前、静岡県ニュービジネス協議会の取材で、元サッカー日本代表メキシコ五輪銅メダリストの松本育夫さんの講演録をまとめたことがありました。クラーマー氏の話はそのとき初めて聞いて鮮烈な印象を受けました。

 

 

 日本サッカーは1960年のローマ五輪で予選敗退。64年の東京大会は開催国で無条件出場できるものの、世界のCクラスでは面目が立たないということで、代表候補を初めて欧州7カ国へ3週間留学させました。

 西ドイツで出会ったクラーマー氏は、最初、リフティングやドリブルなど子供が教わるような基本練習を延々と命じ、選手は猛反発したとか。

 そんなとき氏は「誰もがやるべき基本を、頭ではなく、身体で示せ」と言い、合宿所では毎朝、選手よりも30分早く起きてフィールドワークを実践し、夜中は選手の部屋を見回ってベッドから落ちた毛布を拾ってかけるなど、24時間休むことなく、選手に絶対的な愛情を示しました。時には「お前たちには大和魂がないのか!」と激怒することも。社会人チームでそれなりの実績を持っていた代表選手たちも、徐々に自分たちが“井の中の蛙状態”で、リフティングひとつ取ってみても、クラーマー氏が求めるレベル=世界とのレベルの差を自覚するようになりました。

 当時、大学生で代表候補入りしていた松本さんは、氏の、コーチというより人間としての度量の大きさに感化され、サッカー指導者はよき教育者だと実感し、自分も将来、指導者になろうと心に決めたそうです。

 

 松本さんは、その後、マツダで社会人生活を送りますが、83年につま恋で新卒内定者の研修会を開いていたとき、ガス爆発事故に遭遇し、かかとと左指4本を失いました。1週間、こん睡状態が続いたそうですが、自分が育てた日本ユース代表の行く末を確かめるまで死ねない、まだまだ育てなきゃならん若い選手がいるんだ、という強い思念が自身を救い、医者からも「普通の人なら社会復帰まで2年はかかるが、治したいという意欲があれば早く退院できる」とハッパをかけられ、8ヶ月で退院したとか。

 

 

 講演の最後の言葉は「全力を尽くした者には必ず見返りがある。1日24時間、どう考え、どう行動するかで、運命を変えることはできる」「人が生きていくには、一に気力、二に目標、三に行動。これに尽きる」でした。

 この言葉は、サッカー選手にはもちろん、酒造家にも、そして、“井の中の蛙”で終わりたくない!と、もがくライターにも通じる教えです。

 

 EUROのドイツ代表を見ていると、このときのお話が昨日のことのように甦ってきて、いつもより脳の覚醒が速まるような気がします。

 


藤枝太鼓鑑賞記

2008-06-23 10:59:28 | アート・文化

 昨日(22日)は藤枝市民文化会館で開かれた『藤枝太鼓25周年コンサート~刻~』を鑑賞しました。以前から酒造りの映像に、太鼓の音色が合うんじゃないかと思い、地元に演奏家がいるならぜひ試聴したいと考えていたからです。こう、タイミングよく、試聴の機会があるなんて、なんだか運が向いてる感じ!

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 今まで、太鼓の演奏といえば、夏祭りなどの地域イベントの余興ステージで、ちらっと垣間見る程度。たまにテレビで『鼓童』の海外演奏会などのニュースを見て、このレベルになると芸術作品として評価されるんだなぁと感心しますが、これまでお祭りなどで地域の太鼓グループの演奏を聴いていた限りは、力自慢で多少のリズム感覚があれば、誰でも叩けそうじゃん、と思い込んでいました。

 

 

 とんでもない思い違いでしたね。太鼓だけのコンサートを、初めてじっくり鑑賞し、こんなに“魅せる”“聴かせる”ものだとは思いませんでした。

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 まず、なんといっても太鼓を打つ姿勢が美しい。5月に坐禅を経験したとき、何事も、姿勢を正すことが大事だと実感しましたが、太鼓の世界でもきっと、理想の音を出すために必要不可欠な「構え」とか「呼吸の仕方」があるんでしょう。考えてみると、太鼓ほど、全身をフル稼働させて操作する楽器は他にありません。太鼓奏者になるためには、肉体をしっかり鍛え、呼吸法をマスターしなければならない、つまり自己鍛錬に耐える精神力も必要になるわけです。

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  さらにチームワーク。音階がなく、音色もシンプルだけに、ちょっとした拍子の狂いやズレが目立ちます。実際、昨日も、テンポが途中から拙速になり、違和感を感じた曲もありましたが、仕事や家事の合間の、限られた練習時間で、団員全員の呼吸を合わせるのは大変だったと思います。

 『藤枝太鼓』には、ふるさと志太の歴史や自然をモチーフにした創作太鼓が多く、昨日も“宇嶺”“瀬戸川勝草太鼓”“志太鬼”“花倉の乱”といったオリジナル作品が披露されました。これをマスターするのも並大抵のことではないでしょう。「地元の盆踊り大会で、余興で目立てばいい」なんてレベルのモチベーションではないことが、ステージからも伝わってきます。しかも、全員が同じモチベーションで、息を合わせないことには、成功しません。

 

 

 ほとんどのオリジナル作品の作曲を手がける代表の寺田益男さんが、どういうキャリアの方かは存じ上げませんが、25年も続けられるのは、団員につねに高いモチベーションを持たせ、育て上げるリーダーシップがあってこそ、と想像します。

 

 

 こういう人たちの演奏ならば、『吟醸王国しずおか』で描く、酒造り職人たちの汗や鼓動に共鳴するのでは…と勝手に想像をふくらませました。酒造りをモチーフにした作品なんか、オリジナルで作ってくれたら、恒例の地酒イベント『志太平野美酒物語』でゲスト演奏してもらうことも可能かな、なんて。

 

 

 

 

 私は、これも理想論かもしれませんが、『吟醸王国しずおか』は、突き詰めれば、静岡という地域を、静岡でモノを造る、あるいは静岡のモノを使う人の生き方を通して見つめ直す作品になればと思っています。郷土意識が希薄と思われている静岡人の、潜在的な郷土愛を掘り起こしたい。それには、スタッフ自身が静岡のよさを実感してなければ、他人を納得させる作品なんて出来ないだろうし、できればどこか一部でも静岡に根っこがあるクリエーターに協力してもらい、彼らから巻き込んで行きたい…そんなふうに考えています。

 

 

 

 夜、帰宅したら、1年前にNPO法人活き生きネットワークの七夕コンサートで知り合った『ようそろ』さんから公演の案内が届いていました。『ようそろ』は裾野市に拠点を置く、男性2人組の和太鼓演奏ユニットで、案内をもらうのは初めて。…よりによって、和太鼓の生演奏に興奮醒めやまない日に届くとは、なんとも不思議な気分です。しかも案内を見ると、つい最近、中国の新進若手映画監督・陸川(ルー・チュアン)監督の新作『南京!南京!』に出演したとあります。映像とのコラボ経験があるなんて、ますます楽しみ!

 8月17日(土)15時30分から、芝川町のくれいどる芝楽文化ホールでコンサートがあるそうですので、これは聴き逃すわけにいきません…。

 

 

 

   なお、『藤枝太鼓』は、国民文化祭の静岡県代表として、昨年(福井)、今年(茨城)で演奏を披露し、来年の静岡大会では静岡県武道館(JR藤枝駅近く)で開かれる和太鼓フェスティバルでの活躍が期待されます。今年9月28日(日)には、県武道館で和太鼓フェスティバル(プレイベント)も予定されていますので、興味のある方はぜひ!


ツヒノスミカ&朝鮮通信使上映会

2008-06-20 21:50:47 | 映画

2008062015110000  今日は静岡市民文化会館中ホールで、『朝鮮通信使』の上映会がありました。静岡市製作の作品なのに、市民文化会館でやっとというか初めての上映会。しかも、山本起也監督の『ツヒノスミカ』がスペイン国際ドキュメンタリー賞最優秀監督賞を受賞し、その凱旋記念上映会に便乗した、まさに監督が実力でつかみとった?上映でした。

 

 

 『ツヒノスミカ』は10時30分、13時30分、19時の3回上映。一方、『朝鮮通信使』は15時15分からの1回のみ。『ツヒノスミカ』は有料(500円)で、事前に2100枚ほど前売り券が売り出されました。私はおつきあいで60枚ほど買い、売った相手に、できるだけ『朝鮮通信使』も観てくれるようお願いしました。平日なので、10時台と13時台は余裕で座れるかなと思ってましたが、フタをあけてみたら、当日券売り場に大行列! 私は13時前に到着したのですが、結果、中ホールのマックス1100席に迫る約1000人が入場しました。前売り券を買い損なった人に「当日でも入れますよ」と案内しちゃった手前、もし入場不可になったらどうしよう…と内心冷や汗モノでした。

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 私が入り口付近で山本監督と立ち話をしていたら、関係者と思われたらしく、監督が会場内に消えた後、行列に並んでいたおばさまが間髪入れずに近寄ってきて「今の、監督さんでしょ。娘が高校の同級生だったの。よろしく伝えてね」と伝言を頼まれてしまいました。さすが地元上映会!

 

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 上映中は近い席のおばさま達が、ずーっとペチャペチャ、茶の間でテレビを見ているようなつもりでしゃべっています。最初は気になりましたが、スクリーンの中のおばあちゃんが、周囲にかまわずマイペースで引越し整理をするのに爆笑し、「あんなに重い荷物を平気で持ってるよ」「階段も軽々上り下りするねぇ」「息子さんはやさしくて辛抱強いねぇ」「あれ、安倍川の花火かねぇ?」といちいち反応するのが、だんだんおかしくなってきて、それがいつのまにか“効果音”にさえ思えてきました。

 

 

 『ツヒノスミカ』は映画通が集う単館系ミニシアターでの上映が中心です。私が以前観た京都シネマも、映画を学ぶ学生や、メジャーじゃなくても良質の作品を探して選んで観に来るお客さんが集まっていて、上映中に私語を交わすなんてあり得ない雰囲気。今日はその意味で対極的な会場だったかもしれません。それでも観客をおおらかに包み込んでしまう力が、この作品にはありました。映画評論家のようにうまく説明できないのですが、たぶん、この作品が国境を越えても観客を選ばず高い評価を得たというのは、そんな力があってのこと、と感じました。

 

 『朝鮮通信使』の上映時は若干席が空き、上映中、私語を交わす人はいませんでしたが、途中で退席する人、イビキをかく人がちらほら。前列のおばさま達は揃いも揃って首をコックリコックリ。横を見たら、隣に座る母も視線を落として動きません。・・・ったく!

 

 

 今まで自分が足を使って実現させてきた上映会は、会議室の小さなプロジェクターでの上映ばかりで、画質も音質も最悪でしたが、どの会でも参加者は最後まで目を凝らして観てくれました。それに引きかえ、今日のお客さんは、恵まれた条件で観ているのにこの有様・・・。『ツヒノスミカ』のついでに観ている人が多いので、仕方ないのかもしれませんけど、エンドロールが流れ出したとたん、席を立つ人がゾロゾロ。こういう作品を好んで観る一般市民なんて少数派なんだ…と、まあ、なんともリアルな現実を見せ付けられた気がしました。

 

 唯一の救いは、後ろに座っていたおばさま2人が、エンドロールが流れる最中、「NHKの“その時歴史が動いた”よりもよかったわね」「わかりやすかったわ」と感想を漏らしていたこと。エンドロールのクレジットを熱心に見ながら「あんなにたくさん撮影に行ったんだ」「脚本を書いた人は本当によく勉強したのねぇ」と、まるで私に直接、褒め言葉を掛けるかのように語り合っています。そしてエンドロール最後の山本監督のクレジット名まで見届けた人たちからは、温かい拍手が湧き起こりました。

 ロビーに出たときは、「月曜日のアイセル歴史講座で観たときより、よっぽどきれいで見ごたえがあったよ!」と声をかけてくれる人もいました。

 

 

 

 100人がそっぽをむいても、こういう言葉を返してくれる人が一人いる…だから映画を作る人はやめられないんだなぁと思いました。

 

 

 とにもかくにも、1000人規模のホールで、自分の脚本作品が上映されるというのは、地道に努力している映画人たちからみたら、とんでもなく恵まれた話なのかもしれません。そのことを肝に銘じ、家に戻った私は、頭を切り替え、『吟醸王国しずおか』の撮影スケジュール調整とパイロット版台本の修正に取り掛かりました。

 …過去の余韻に浸る時間はもうおしまいです。