杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

しずまえを味わおう!

2020-03-10 18:48:26 | 社会・経済

 3月8日に開催予定だった2020静岡マラソンは、ご承知のとおり新型コロナウィルスの影響で中止となりました。この日のために準備をされてきた大会関係者や出場予定選手の皆さんは断腸の思いだったことでしょう。

 私は、当日選手関係者に配布される2020静岡マラソン公式ガイドブックの中で、『静岡市に来たらしずまえを味わおう!』というページの執筆・構成を担当させていただきました。

 静岡市の地域ブランドとして平成26年に誕生したしずまえ(静岡市の前浜)は、江戸前に対抗する愛称としてジワジワ浸透しています。このガイドブックでもしずまえ料理を提供する飲食店さんを紹介するページを設け、その導入部分に「しずまえ」に誇りを持つ漁師・魚屋・飲食店の皆さんによる対談コーナーを作りました。静岡マラソンに出場する全国のランナーに「しずまえ」という言葉を覚えていただき、静岡での美味しい思い出づくりにと願ったのですが、残念ながら幻の読み物となってしまいました。

 とても楽しく充実した対談記事なので、ガイドブックの発行編集者のお許しをいただき、ここで紹介させていただこうと思います。コロナの影響で地域の飲食店が疲弊していると聞きますので、少しでも外に食べに行こうという気持ちになっていただければ幸いです。

 

由比・蒲原エリア五人衆、「しずまえ」を大いに語る

 

(漁師)
望月保志さん  株式会社倉沢漁業(西倉沢定置網)

(仲卸業)
柚木訓さん  由比鮮魚組合

(飲食店)
渡辺一正さん  くらさわや(由比)
山崎伴子さん  鮨処やましち(蒲原)

(行政)
山本輝さん  静岡市水産漁港課しずまえ振興係

(進行)
鈴木真弓  ライター、しずおか地酒研究会主宰

 

「しずまえ」誕生とその効果
(鈴木)「しずまえ」という言葉は、どういうきっかけで誕生したんですか?

(山本)静岡市では、平成22年度から始まった地域ブランドとして、「静岡市の奥、奥静岡」を略した「オクシズ」という言葉がありましたが、これに遅れること4年、平成26年度から「静岡市の前浜」を略して「しずまえ」という言葉が始まりました。そして現在、市の二大地域ブランドとして力を入れてPRしているところです。ま、平たく言ってしまえば「江戸前」に対抗する愛称とも言えますね。そして翌平成27年度には、市役所に「しずまえ振興係」が設置され、それから5年目となりましたが、なかなか多くの人に浸透していなくて・・・。私が「しずまえ振興係」に配属になったとき、柚木さんから「市役所は“しずまえ”をどうしたいの!?」と突っ込まれたことをよく覚えています

(山崎)最初「しずまえ」って言葉を聞いたときは、「なにそれ?」って感じでしたが(笑)。

(柚木)用宗のシラス、清水のマグロ、由比・蒲原のサクラエビなど静岡市の各港の“強み”を束ねる単語になるとわかり、行政からそういうことを言ってくれるなら「ありがたい」と思いました。

(望月)「しずまえ」という言葉の誕生は大きなチャンスです。サクラエビのみならず、由比で水揚げされる鮮魚全体のブランド力向上にも役立ちます。

(山崎)マグロやシラスとも連携できるようになったのは、「しずまえ」という言葉のおかげですね。これまで自分でもいろいろ発信してきましたが、個人ではカバーできないことも「しずまえ」を通していろいろPRできるようになりました。

(山本)「しずまえ」という言葉の認知度を上げるには、関係者以外の応援団を増やすことが大事だと思っています。そこで、とにかく様々な相手とコラボレーションしながら走り続けています。

(渡辺)毎年恒例の「由比桜えびまつり」が今年は不漁の影響で中止になってしまいました。しかし、桜えびまつりが無くても地元商工会で「何とか地域を盛り上げよう!」と、しずまえ振興係の皆さんに相談し、また、いろいろな業者さんにも参加してもらい、桜えびまつり開催予定日と同じ5月3日に、『由比いいもんまつり』を開催しました。〈しずまえスタンプラリーでガラポン抽選会〉では、多くの人が街道を行き交い、メイン会場は大いに盛り上がりましたよ。

(柚木)スタンプラリーだったから、お客さんが会場や街道全体を回遊してくれて、大変盛り上がりましたよね。

(山本)「ブースが空いているから来て」ではなく、企画段階からしずまえ振興係に声をかけていただいたことがとても嬉しかったです!

(山崎)『しずまえ』と銘打てば何でも実現できることが証明できましたよね。


信頼される由比の漁師
(山崎)何をやるにもマンパワーは大切です。望月さんや柚木さんにはふだんからいろいろ助けてもらっているので、このメンバーなら何かできると思っています。先日も急な依頼で、韓国の学生が「しずまえ体験」がしたいと言ってきて、望月さんに頼んだら二つ返事で引き受けてくれました。

(鈴木)皆さんはどういうきっかけでつながっているんですか?

(柚木) このメンバーは、望月さんが「倉沢のアジ」をブランド化しようと立ち上がったときからの同志です。自分たちのところに揚がる魚が一番おいしいってプライドがあるから、これを食べさせずには帰せないって思うんですよ。

(望月)日韓関係が難しくなっているのに、わざわざ来てくれましたからね。

(山崎)引率の先生から「また行きたい」って手紙をもらいました。嬉しかったですね。望月さんは子どもたちにもお魚教育をしていますよね。今日は博士の格好じゃないけど・・・。

(鈴木)博士の格好!?

(望月)保育園に呼ばれて、さかなクンの格好をしてお魚先生になりました(笑)。一応、ととけん(日本さかな検定)2級を持っています!

(鈴木)メディアの取材もよく受けていらっしゃいますね。

(望月)あまり注目されませんが、漁というのは魚を捕る前段階の、網や各部品のメンテナンスが大切なんです。魚を捕るだけの商売と思われるけど、表には見えてこないそういう部分も知ってもらえたらと思います。

(山崎)漁業の本当の姿を知ってもらう見学ツアーはいいですよね。やりがいがあります。

(柚木)何にしても、望月さんが率先して行動する人だから応援したくなるんです。朝、この天候じゃ漁は無理かな、と思う日でも、望月さんはちゃんと漁に出る。そういうときほど、こっちも魚が欲しいから本当にありがたいですよね。まさに命がけで捕ってきてくれる。日頃からそういう姿を見ているから、絶対的な信頼がある。

(望月)命は粗末にできないんで(笑)、出航判断は風を見て、船頭がします。新月の頃は潮の流れが変わりやすく、沖に出てみないとわからないケースもありますが。

(柚木)由比漁港に水揚げされた魚は、沼津市場でも人気が高く、沼津産よりも平均価格が高い。港へ直接買い付けに来る人も増えていますよね。みな、由比の魚に魅力を感じているんです。

(望月)以前の築地や現在の豊洲には、規模ではかなわないけど、あそこに並ぶのは1~2日遅いからね。

(柚木)そう。鮮度が違います。由比の漁師さんは捕った魚を最初に絞めるとき、氷を使ってしっかり下処理しているから、暑い時期でも長持ちすると評判です。

(望月)嬉しいですね、褒められると伸びるタイプですから(笑)。

(柚木)イワシのようなお手頃な魚ほど足が早い(=鮮度が落ちやすい)ので、下処理で氷をたくさん使う。安い魚でも品質維持のコストはケチらない。そういうところが鮮度の良さにつながっているし、加工業者にとってもありがたい。

(望月)逆にアジは氷を使いすぎると表面が白くなり、見た目が悪くなる。そんなところも気を遣っています。

(山崎)今日はちっちゃいアジだけどフライにしてみました。本当においしいですよ!


捕る人・売る人・食べる人のつながり 
(山崎)今日初めてお披露目するのが、手揉み用新茶のみる芽とサクラエビのかき揚げです。

(鈴木)「みる芽」とは?

(山崎)静岡弁のみるい(=未熟でやわらか)から来ている“みるい芽”のことで、お茶の業界用語のようです。うちでは食茶にできる有機栽培の手揉み用のみるめ芽を取り寄せ、冷凍保存しておいたものを使っています。お茶本来の香りがちゃんと残っていて、サクラエビの赤がポイントカラーできれいでしょう。

(柚木)これは静岡らしい酒肴になりますね!

(鈴木)舌にほろ苦さが残るので、まろやかな日本酒と口中で中和され、よく合います。

(渡辺)お茶とサクラエビ、ベタな組み合わせだけど、こういうのがお客さんに喜ばれるんですよね。

(鈴木)地魚&地酒=しずまえ&静岡の酒も、ベタだけど最高の組み合わせです。静岡の地酒のベースになっている『静岡酵母』は、そもそも駿河湾の海の幸に合った酒質を目指して開発されたものですから、「しずまえ」と合わないわけがない。

(渡辺)うちの店も他県のお客さんが多いけど、お酒を飲む人は必ずといっていいほどお刺身を注文されます。

(山本)市の生涯学習施設(公民館など)でも、地産地消の料理体験教室を「しずまえ料理教室」と表記してくれるようになりました。渡辺さんも講師として呼ばれていますよね。

(渡辺)商工会では静岡市街でやっている『街カル』を参考に、各店舗でカルチャー講座を開催し、いろいろな形で「しずまえ」を発信しています。

(山本)地元の新聞店さんが運営するカフェで開発・販売している『しずまえ親子パン』も大人気って聞いています。

(山崎)蒲原の小学校では10年前から東京へ修学旅行に行ったときに、素干しのサクラエビを配っているんです。ちゃんと「しずまえシール」を貼ってね。

(鈴木)どこで配ったんですか?

(山崎)静岡市東京事務所にもご協力をいただいて、上野公園で配布しました。

(柚木)修学旅行でただあちこち見学するだけじゃなく、こちらの特産品をPRもするって子どもたちにとって貴重な経験ですね。

(山崎)日本人の魚離れが問題になっていますが、子どものうちから魚を食べる習慣を着けてもらいたいのです。そうしないと、大人になっても魚を食べないし、親になっても子どもに食べさせない。

(望月)魚食離れは漁師の立場から見ても確かに感じますね。自分は小さい頃から魚が大好きで、親は大工だったんですが、魚が好きすぎて、自分からこの世界に入ったんです。

(鈴木)そうだったんですか!

(望月)2020東京五輪の聖火ランナーにも応募しましたよ。当選できたら、漁師仲間に沿道で「しずまえ」の幟と大漁旗を振ってくれって頼んであります!

(山本)ぜひ望月さんの勇姿をたくさんの子どもたちに見せたいですよね。東京の『江戸前』がイキな人を指すように、「しずまえだねぇ~」って言いたい。

(山崎)今、さかんに言われるSDGs(持続可能な開発目標)って何か難しそうに思えますが、「しずまえ」の目線で考えれば、地元の魚食文化を子どもたちやその先の世代に伝えるってことですよね。そのために出来ることをコツコツやればいいんだと。

(望月)サクラエビやシラスとともに、「しずまえ」の強みを伝えていくってことですよね。

(柚木)由比の定置網で捕れる魚は鮮度がいいという認識は、市場で定着しています。ただ絶対量が少ないのがネックで。

(渡辺)定置網を張っているのは由比では倉沢地区だけだったので、倉沢の人間は“自分たちの漁場”という意識が強い。いずれ「いつでも捕れる・食べられるとは限らない」という未来が来るとしたら、固定観念を変えていく必要もあるでしょう。

(鈴木)一般消費者は、すでにサクラエビは食べられなくなっている?という不安を持っていますが。

(渡辺)捕獲量のコントロールはもちろん必要ですが、新聞やテレビでサクラエビ漁の危機を煽られると、それはそれで風評被害になるのです。少なくとも料理店ではメニューで提示してあるものは“ちゃんとお出しできる量を確保しています”ので、安心して食べに来て欲しいですね。

(鈴木)それを聞いて安心しました!サクラエビとシラスはもちろん、それ以外の新鮮で魅力的な地魚=「しずまえ」の価値を多くの人に知っていただけたらと思います。今日はありがとうございました。

 

 由比漁港のサクラエビ、清水漁港のマグロ、用宗漁港のシラスなど「しずまえ」には各拠点にトップブランドの特産品があり、それ以外にも旬の地魚がたっぷり。魚がおいしい町にはおいしい地酒もたっぷり。・・・ということで、静岡市内各地の飲食店でしずまえ&地酒をたっぷり味わっていただきたいと思います。

 この対談は昨年9月20日に「やましち」さんで開催したもの。当日は山崎伴子さんが選りすぐりのしずまえ料理を提供してくださいました。ちなみに望月保志さんは見事聖火ランナーに選ばれました。静岡市を走るのは6月24日か25日の予定。ぜひ応援しましょうね!


ユマニチュードの可能性

2016-04-09 12:33:46 | 社会・経済

 桜の季節もそろそろ終盤戦。今年は肌寒い日が続いたせいか、いつもより長くお花見が楽しめているみたいですね。私は4月3日に京都天龍寺、祇園白川、八坂神社をブラブラ歩いて桜満開の古都を満喫しました。たまたまチケットが取れたのが富士山河口湖~(東静岡経由)~京都大阪の夜行バス。訪日外国人のゴールデンルートといわれているせいか、外国人(アジア系)率の高さに今更ながらビックリ。旅慣れた外国人リピーターが本当に増えているんだなあと実感でした。

 

 3~4月はしずおか地酒研究会20周年関連をはじめ、勉強することやお手伝いすることが目白押しで、日中、自宅のデスク前に座っていられる時間がほとんどなかったのですが、やっとこさっとこ復習・整理の時間がとれました。今日は3月26日に沼津のプラザ・ヴェルデで聴講した認知症ケア講演会『愛情を伝える認知症ケアの技法~ユマニチュードを知ろう』について書き留めておこうと思います。

  

 こちらの過去記事でも紹介した「驚きの介護民俗学」の著者・六車由実さんが所属するNPO法人ユートピア(沼津市今沢)主催の講演会。六車さんにお会いしたいなあと思ってネット検索していたら偶然見つけて、”ユマニチュード”って言葉の意味もわからずに申し込んでしまったのでした。何せこちらは、1月に介護ヘルパー初任者研修を修了したばかりで実践経験ゼロのペーペー。ヘルパー教科書には出てこなかった何やら高度で専門チックな言葉だし、ペーペーには不向きな高度な内容かもしれないとドキドキしながら会場に着いたら、定員190人の会議室は超満席。大変な熱気で、六車さんとお話できたら・・・などという淡い願望は即吹っ飛んでしまいました。

 

 ユマニチュード(Humanitude)。あまり耳馴染みではない言葉ですが、いま注目されているフランス生まれの認知症ケアです。講師は2011年からユマニチュードを日本に取り入れて普及活動中の本田美和子先生(国立病院機構東京医療センター総合内科医長)。お話を聞いていたら、前にテレビで見たことがあるなあと思って帰宅後に調べてみると、NHKクローズアップ現代で2014年に放送されていました(こちらを参照)。

 わかりやすく言えば、ユマニチュードとは「人間らしさを取り戻す」という意味。記憶力や判断力を徐々に失い、孤独や不安に陥る認知症の人に対して、「あなたはここにいます」「私はあなたを大切に思っています」というメッセージを具体的に表現することだそうです。当日配布された本田先生の資料を参考に列記してみるとー

 表現方法は具体的に4つ。

①自分の存在を知らせる・・・自分の存在と敵意がないことを知らせるために、笑顔で正面からゆっくり近づく。

 

②見る・・・同じ高さの目線で正面から、ある程度、顔を近づけて、長くしっかり、笑顔で相手を見つめる。視線をつかんだら2秒以内に話しかける。

 

③触れる・・・手のひら全体で(親指は使わないようにして)最初に肩、背中、腕などに触れる。顔や手は敏感な部分なので最初に触れるのは避ける。いきなり手首や腕をつかむと『罰を受ける』という悪いイメージを与えるので避ける。*親指を使わないのはつかまないため。

 

④話す・・・会話が成り立たなくても「会いに来ました」「顔色がいいですね」など肯定的な言葉をたくさんかけて、話すテーマがなくなったらケアを実況し続ける。

 

 あれっ、こんなシンプルなこと?と思いましたが、実際に映像を見せていただいて、入浴を拒んで暴れる人、食事を出されても無反応で一切手を付けようとしない人などに対し、①から④を丁寧に実践し、みるみる成果が現れた様子を見てビックリ。と同時にこれを本当に誰もが実践できるのか・・・と不安に思いました。

 入浴を嫌がる理由、食事が進まない理由を、①②③を意識しながらよく見て聞く。理解し難い行動にも意味があると考えて、すぐに否定や非難せず、受け止め、理解し、その理由に応じた具体的な工夫を考える。相当根気が要りそうなケアですが、相手の言動が理解できれば=コミュニケーションが改善できれば、気持ちの上では楽になる。人によっては短期間に劇的に効果が現れるそうで、介護職にとっても大きな励みになるでしょう。

 ・・・聞いているうちに、これは認知症ケアにとどまらず、日常のコミュニケーション、たとえばちょっと苦手な人、意見が合わない人などと付き合う場面にも参考になるお話だなあとじわじわ実感してきました。一見、コミュニケーションが取りにくそうな相手でも、自分は敵ではない、あなたに会いたいから来たんだという態度で、目をそらさず、言葉を端折らず、真摯に向き合う。難しいかもしれないけど、それができればいいなあと素直に思えます。何も特別なテクニックを要する心理作戦でもなんでもない。この人とつながりたいという素直な気持ちがエンジンになるんだろうと。

 もしかして誰でも「気の持ちよう」で出来ることが、社会で急務とされる認知症ケアの実践技法になるのなら、こんな素敵な話はないと思います。そういう気持ちを育む機会を、家庭や地域や学校や職場で作るって、莫大な予算や人員が必要とも思えない。今は介護職へのインセンティブとしてこのような講演会や研修会が必要かもしれないけど、ユマニチュード的なコミュニケーション訓練って、本来、どこででもできるような気がします。・・・とはいえ、やっぱり難しいのかな。

 

 

  本田先生の講演内容については六車さんがこちらで詳しく紹介されていますのでご照覧ください。

 また本田先生が、4月11日(月)放送のNHKあさイチ(8時15分~)でユマニチュードを紹介されるそうですので、チェックできる方はぜひ!

 


介護学習直前詰め込み

2016-01-30 15:14:06 | 社会・経済

 介護ヘルパー初任者研修の試験が明日に迫り、教科書を必死に読み返しているものの、ちっとも頭に入ってきません 前回に引き続き、書き起こしインプット作戦です。

 

高齢者の性格分類/ライチャードの類型論

 私は大家族の初孫として生まれたので、幼い頃から大人の顔色を見るのに慣れていて、年上の人とのコミュニケーションは比較的自然に出来ると自負してきました。取材やインタビューの仕事は自分に向いているとも思ってきましたが、振り返ってみると、年配の取材対象者で気難しく、近寄りがたく、うまく対話ができずに終ってしまったという経験も多々あります。こういう心理学を学んでおけば少しはよかったかなと思えたのが、アメリカの心理学者スザンヌ・ライチャード(Suzanne Reichard)による高齢者の性格分類。高齢期の性格を以下の5つに分けています。

 「成熟型」・・・過去を悔やむことなく、未来を悲観的に考えない未来志向型の高齢者。他者を非難することもなく柔軟で積極的で、毎日が充実して生きられる適応型タイプ。

 「安楽椅子型」・・・成熟型よりは消極的。自分から社会に関わるというよりも誰かに何かをやってもらいたいタイプ。家で穏やかに暮らすことを望む適応型タイプ。

 「装甲型」・・・老いに抵抗する自己防衛型の高齢者。「若いもんには負けんぞ」とムキになるタイプ。仕事し続けることによって老いへの不安を解消しようとするが、現実と自分の思いにギャップが大きくなると不適応を起こす。

 「憤慨型」・・・外罰型とも呼ばれ、さまざまな挫折や失敗を他人のせいにし、自分を守ろうとする。欲求不満に対する耐性も低い不適応型タイプ。

 「自責型」・・・内罰型とも呼ばれ、自分の卑下し、挫折や失敗を自分のせいにする。抑うつ的になる不適応型タイプ。

 取材しづらかった人のことを振り返ってみると、確かに「装甲型」「憤慨型」に当てはまるかな・・・なんて思いますが、高齢者全てがこの5つにきっかり分けられる、というものではなく、複数のタイプを併せ持ったり、状況によって変化することもあります。もともとの性格から来ているものもあるでしょう。自分は時折「自責型」のようにウジウジ落ち込むことがあるので、気をつけようと思います。

 高齢者の性格の特徴としては、若い頃よりも社交性は減少するが、協調性と誠実性は上昇する。一方で、「疑い深い」人のほうが長生きするそうです。適度の疑い深さは、人の言いなりになったり他人の意見にひきづられたり、騙される、特殊詐欺に合う等の防止につながるから。・・・なるほどなるほど、面白い指摘ですね。

 

 

インテグレーションからインクルージョンへ

 “統合”を意味するインテグレーション(integration)の考え方は、ノーマライゼーションの観点から保育や教育現場にも浸透し、障害者が健常者と一緒に学んだり、生活をともにする機会が増えました。でもカタチだけ一緒に平等に、でOKというわけにはいかない。障害があるなしにかかわらず、すべての人々を包み込む環境の中で、一人ひとりの個別ニーズに応じた支援を行なうというのが、インクルージョン(inclusion)の考え方。障害者福祉の分野においてはこちらの考え方が主流になりつつあるそうです。一人ひとりにきめ細かく・・・となると、介護者にもより高い専門性が必要になりますね。これって福祉に限らず、さまざまなサービス事業で多様化する顧客ニーズにきめ細かく対応するビジネスに必要な観点でしょう。

 

 

ボディメカニクスの7原則

 介護職の人の多くが腰痛に悩まされているという話をよく聞きます。腰痛の主な要因は①動作要因(無理な姿勢)、②環境要因(滑りやすい床面や段差など)、③個人的要因(年齢や既往症や基礎疾患など)、④心理・社会的要因(職場での対人トラブル、過度な疲労など)が考えられます。それぞれに対処方法が考えられますが、大前提となるのがボディメカニクスへの理解。

 ボディメカニクス(骨格・筋肉・神経・内臓などを中心とした身体の動きの仕組み)の7原則とは、①支持基底面を広くする(安定した両足の位置)、②重心の位置を低くする、③重心の移動をスムーズにする、④重心を近づける、⑤てこの原理の利用、⑥利用者の身体を小さくまとめる、⑦大きな筋群を使う。・・・慣れないうちは時間がかかると思いますが、利用者にとって安全かつ楽な姿勢での移動、利用者が持つ力を引き出し、生かすという視点を忘れないようにしないといけませんね。いずれにせよ、ご家庭で介護をされている方にも役に立つ知識だと思います。

 

 

エンゼルケア

 私は祖父が自宅で息を引き取る瞬間に立ち会うことができました。かかりつけの主治医が臨終に間に合ったので、事なきを得ましたが、もし家族やヘルパーだけのとき、呼吸が停止するという事態に至ったら、すみやかに主治医を呼ぶ。動転して119番をしたりすると、救急隊が到着した時点で明らかに死亡していたら警察に通報され、不審死扱いになり、検死という手順を踏むことになる。たいへんなオオゴトです。

 施設ではそのような心配はありませんが、ご家族が到着するまで時間がかかるようなら、寝具を整え、顔をきれいにし、居室内をかたづけるなど“お別れの時間”のための準備をします。これをエンゼルケアというそうです。

 具体的には①器具(医療用カテーテルなど)の除去、②体液や排泄物が漏れ出ないための処置、③褥瘡などの傷を保護する手当て、④身体を清潔にするためのケア、⑤その人らしい外見に整えるケア。こういうことを、長くお世話していた利用者さんに対し淡々と行なう。これは介護職にとっても少なからず心に負荷がかかるものではないかと想像します。【そんなときは一人で抱え込まず、関わったスタッフ同士で話しをする。同じ施設でともに暮らしてきたほかの利用者さんにも、無理に隠さず、お別れの声をかける機会を設けるなど配慮をしましょう】と教科書にありました。・・・あらためて介護職とは、人の死と隣り合わせの仕事であり、人を理解し、人とつながる価値を見出すため、己の力をうちから搾り出す仕事であると実感します。

 


一夜漬け介護学習

2016-01-28 09:45:18 | 社会・経済

 広報のお手伝いをしているNPOのお誘いで、昨年10月から週一で受講してきた介護ヘルパー初任者研修が、今月末ようやく終了します。・・・といっても試験に合格しないと卒業できないんですけどね。今、にわか試験勉強中で、初めて聞く介護の専門用語をどうやって覚えようか四苦八苦。私の場合、とにかく書き起こすことである程度、脳内整理できるので、ここで忘れそうな専門用語をインプットしておこうと思います(現在、介護職に就かれている方にはタイクツさせる内容ですがお許しください)。今の日本の介護って欧米のやり方を導入しているので、やたらカタカナ用語やアルファベット省略用語が多いんですよー  

 

ICF、ICIDH

 超苦手なアルファベットの省略用語。介護の現場でホントに使ってるんですか~??って訊きたくなるけどで、すごーく大事な「介護」の考え方の指針のようです。ICIDH(International Classification of Inpairments.Disabilities and Handicaps)とは、1980年に世界保健機関WHOが示した「障害」レベル。機能形態障害、能力障害、社会的不利の3レベルで分け、環境や個人の努力によって障害がもたらす影響は変わるんだって点があまり考慮されておらず、“できない面”を強調するネガティブな考え方のようです。この考えだと障害を持つ人=できないことが多い人=何でも助けてやらなきゃならない対象って上から目線の介護になっちゃうわけです。

 2001年にWHOが新しい国際生活機能分類として示したICF(International Classification of Functioning)は、障害を生活機能に関する問題ととらえ、“できる面”を強調します。この考えだと、少しでもできることがあるなら自分でやってもらおう=一緒にできることがないか考え、増やしていただこうという介護になるわけです。今はこちらが主流。専門的にいえば、障害をプラスの面から見て、背景にある環境因子や個人因子の観点を加えたノーマライゼーションの考え方、ということになります。ノーマライゼーション(高齢者や障害者が普通の人と同じように普通に生活できるようにすること)はバリアフリーと同意語として認識していましたが、やっぱり介護の思想の核となるキーワードだったんですね。

 

 

ADL

 これもホントに現場で使ってるのかなーと思ったら、視察した施設の職員さんがわりと使ってました。ストレートに意味が伝わる言葉より、職員にしかわからない言葉のほうが現場では(利用者さんへの配慮から)使いやすいってこともあるのかなと思いました。

 ADL(Activities of Daily Living)とは、食事、排泄、整容(着替え・洗顔・歯磨き・整髪など)、移動、入浴など日常の基本動作全般を指します。身体介護とは、ADLに支障がある人に対して行なう介護、ということになります。

 

 

バイタルサイン

 これも一般には耳馴染みのない言葉ですが、介護現場ではよく聞く、数値化できる生命サイン=体温、脈拍、血圧、呼吸のこと。体温は腋窩検温法(わきの下に体温計をさす)、口腔検温法(体温計を口に加えて測る)、直腸検温法の3つあり、脈拍は橈骨動脈(手首の親指付け根あたり)に人差し指・中指・薬指の3本を並べ、1分間測定(通常1分間に60~100回)。血圧は血液が血管壁に与える圧力のことで、バイタルサインの中でもとくに重要。低い値で70~80mmhg、高い値で120~130mmhg。 呼吸は健康な成人の安静時、1分間に12~20回。これらは一般常識として覚えておかなければいけませんね。

 

 

エンパワメント&ストレングス

 “個人が自分自身の力で問題解決できる能力”を意味するエンパワメント(Empowerment)って一般にも使う英単語だけど、介護分野では自立支援方法を意味します。そのために個人の内にある強さ=ストレングス(Strength)を引き出す。その人がもともと持っている意欲や能力、可能性、志向を活かす支援方法を考えようというわけです。ふと、坐禅のときに唱える白隠さんの「坐禅和賛」の冒頭【衆生 本来 仏なり・・・誰もが仏性を持っている=仏になれる力や可能性がそなわっている】という素晴らしい人間賛歌を思い起こしました。高齢者や障害者を介護するって先に希望を持てない仕事のように勝手に思い込んでいましたが、浅はかな思い込みでした・・・。

 

 

バイスティックの7法則

 英単語にありそうな響きですが、アメリカの社会福祉学者Felix P.Bistek が提唱した介護職の相談援助の基本原則のことだそうです。①個人として尊重する、②自己決定を促し尊重する、③あるがままの気持ちを受け止める、④相手を一方的に非難しない、⑤自分の感情を自覚しながら関わる、⑥相手の感情表現を大切にする、⑦秘密を守って信頼関係を築く。・・・これって何も介護職に限ったことではなく、すべての人間カンケイづくりに共通するマナーですよね。

 

 

レスパイトケア

 これも介護の教科書で初めて知った単語です。自宅で高齢者や障害者をお世話しているご家族のケアのこと。一時的に介護生活から離れてもらい、リフレッシュしていただくための代替サービス。ショートステイ等が該当します。1976年に始まった心身障害児(者)短期入所事業がきっかけで、当初は家族の病気や事故等の事情がなければ利用できなかったそうですが、今では介護疲れといった理由でもOKです。

 私自身は介護の実体験はありませんが、もし介護職に就いたら、心して臨まなければならないのが、ご家族との関わり方だろうなあと想像します。教科書には【介護職が認知症の人に「わかる?」とか、「Fさん、だれだかわかる?」と言ったとすると、聞いている家族は傷つく】とありました。認知症の人に「わかる?」と聞くこと自体間違っていると。認知症の人はわからないことに不安を感じ、家族はそのことに大きな苦悩を抱えている。そういう気持ちを思いやり、「Fさん、娘さんですよ」とサラッと言えばよいと。この仕事は心理学やコミュニケーション能力をしっかりわきまえたプロの仕事だなと実感させられます。

 

 

BPSD

 認知症には、ほとんどの患者さんに共通して見られる中核症状=記憶障害、判断力低下、見当識(時間・場所・人物の認識)障害、失語、失行、実行機能障害等と、行動・心理症状を意味するBPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)があります。BPSDは1996年の国際老年精神医学会で合意された呼び方だそうで、それ以前は「問題行動」とか「行動障害」といった捉え方をされていました。問題行動って言い方は、介護する人にとって手を煩わせる問題だというニュアンスだし、行動障害と言う言い方も、障害は基を正せば行動ではなく認知機能にあるのだから適切ではありません。

 BPSDには行動症状(徘徊、攻撃性、不穏、焦燥、不適切な行動、多動、性的脱抑制等)と心理症状(妄想、幻覚、抑うつ、不眠、不安、誤認、無気力、情緒不安定等)があり、不適切なケアや環境によって悪化させることも。対処方法としては薬物療法のほかに生活環境を工夫したり、心理学的アプローチで症状が低減・軽減するケースもあるようです。ドラマやドキュメンタリー等で時々見る、回想法、音楽療法、バリデーションセラピー(認知症の人にとっての現実を受け容れたコミュニケーション方法)、アニマルセラピー、園芸療法、化粧療法等ですね。現在、このようなプログラムを導入しているのは全国のグループホームの97,7%に達しているそうです。

 

 

マズローの欲求の5段階

 人は誰しも齢を重ねると、見た目の変化、運動機能の低下、自己調整機能(体温調整や免疫機能)の低下、回復機能の低下と、「低下」のオンパレードにさいなまれます。私も時折、自分の親に「頑固」「わがまま」「自己中」「子どもみたい!」とカッカすることがありますが、これも加齢による身体変化が心に影響するから。さらに介護が必要な年齢になると、人生で積み重ねてきた能力や社会との関わりが衰退し、障害を背負うことで自己概念が崩壊するような喪失感を味わうこともある。介護職はこうした心身の変化を理解しなければ冷静で適切な介護はできないといわれます。その適応行動の指針になるのが、人間性心理学の設立者といわれるアメリカの心理学者A.H.マズローの「5段階欲求」。自己実現論やモチベーション向上の法則等で知られています。

 5段階とは①生理的欲求(息をする、食事をする、排泄する、寝る等=人間の本能的な欲求)、②安全欲求(危険、障害、苦痛を避けたい)、③所属欲求(家族、社会、組織の一員として認められたい)、④自尊欲求(自分の価値を認められたい)、⑤自己実現欲求(自分の能力を最大限に高め、発揮したい=知的生命体である人間の究極の欲求)。介護とは違いますが、もし自分が地震や水害等で九死に一生を得て避難所に長期滞在することになったら、こういう心理変化を経験するだろうと想像しました。仏教では、このように欲求を向上させていくことが苦しみにつながるゆえ、欲を棄てよと教える。今でもテレビなんかで、②や①の本能的な欲求にさえ抗って命がけで荒行をする僧侶の様子が紹介されますが、それもこれも、棄てたくても棄てられない人間にこびり付いた欲求だからでしょう。自分もそうだし、高齢者も介護を必要とする人もおなじ人間。その視点を忘れないためにも、こういう知識を持つことは大事だな、と思いました。


焼津平和学の未来

2015-03-08 13:50:18 | 社会・経済

 8月6日、8月9日、3月1日、3月11日―この日付にピンと来る人もいらっしゃると思います。そう、日本人が「被爆」「被曝」した日ですね。(被爆=原子力爆弾を受けた、被曝=放射線を浴びた、の意)。このうち、3月1日は最初、「何の日だっけ?」と首をかしげたのですが、静岡県民が忘れてはいけない日でした!

 私の古いライター仲間で、今は焼津市議会議員として活躍中の秋山博子(こちらを参照)さんから、『焼津流・平和の作り方2015~市民のビキニデー』というイベント情報をいただき、3月7日(土)に開かれた博子さんの講演会「平和都市焼津とビキニ事件」&映画『ホピの予言』鑑賞会に行ってきました。

 秋山博子さんは焼津市北浜通りの生まれ。お父様は漁師、弟さんは以前、両替町で「たべものや」という刺身の美味しい居酒屋を経営し、私もずいぶんお世話になりました(弟さん、今は船乗りになっているそうです)。ビキニ事件に関わるようになったのは、2001年静岡新聞社発行の『ぐるぐるマップ焼津版』の制作。この年に開催された全国豊かな海づくり大会の連動企画で、焼津の町の魅力や歴史をたっぷり紹介した特集号です(私も『界隈探検~永遠のふるさとのかたち』というコーナーを執筆させていただきました)。焼津漁業の取材を担当した博子さん、文中でビキニ事件にふれることはなかったものの、この事件の本質を追究するきっかけになったそうです。

 

 

 1954年3月1日、焼津港所属の第五福竜丸が太平洋ビキニ環礁(現地時間2月28日)で行なわれたアメリカの水爆実験『キャッスル作戦』に巻き込まれ、“死の灰”を浴びました。広島・長崎の悲劇からわずか10年後のこと。ちなみに1945年の広島・長崎の原爆投下も『キャッスル作戦』といい、1946年には『クロスロード作戦』といってビキニ環礁と、ビキニの西305キロのエニウェトク環礁で核実験が、1948年には『サンドストーン作戦』がエニウェトクで、51年には『グリーンハウス作戦』がエニウェトクで、52年も同地で『アイビー作戦』、そして54年ビキニでの『キャッスル作戦』。広島・長崎から第五福竜丸まで10年間、膨大な数の核実験が行なわれていたのです。

 第五福竜丸は1954年3月1日に被曝した後、2週間かけて3月14日に焼津に帰港したわけですが、もし帰還途中にこの船に何かが起きて帰港できなかったら、被曝の悲劇は闇に葬られたかもしれません。実際、第五福竜丸は米軍の撃墜を怖れてSOSを発せず、他の遠洋漁業船と同じように帰港したとか。乗組員23名は急性放射能症と診断、積荷のマグロからは強い放射線量が検出されました。“汚染マグロ”の風評被害は3・11福島と同様、漁業界に深刻な打撃を与えました。

 

 焼津市議会では1954年年3月17日に「第五福竜丸被害対策特別委員会」を設置し、3月27日に国連に「原子力を兵器として使用することの禁止」を提出。多くの乗組員の出身地・吉永村で署名運動が始まり、8月、「原水爆禁止署名運動全国協議会」が設立されました。9月、無線長の久保山愛吉さんが亡くなると、反核運動が一層強まり、反核=反米につながることを怖れた日米政府は補償金200万ドルで“手打ち”。アメリカ政府は、久保山さんの死因は放射線障害ではなく肝機能障害だとして「賠償金ではなく見舞金」と言い張り、日本政府は戦後復興時期でアメリカからの経済支援や、原子力技術の平和的利用(=原発技術開発)をもくろんでいたため、と言われています。そうだとしたら、この事件は福島の悲劇に確かにつながっている。過去の延長に今があり、今の延長に未来がある〈エターナル・ナウ〉の哲学そのものですね・・・。

 

 乗組員には一人200万円という当時としては破格の見舞金が送られたため、第五福竜丸と同時期に太平洋上でマグロ漁に従事し、“汚染マグロ”の風評被害に苦しむ他の漁業者からやっかみを受けます。他県では、事件を一切報道しない、という港町もあったそうです。

 

 

 一方で、第五福竜丸事件を風化させてはならないという運動も始まりました。映画『ゴジラ』と『第五福竜丸』の製作がその代表格でしょうか。

 『ゴジラ』は今さら説明する必要もないビッグムービーですね。プロデューサーの田中友幸氏は、もともと1954年4月からインドネシアとの合作映画の製作に入る予定だったのが、ピザが下りずに急遽断念。忸怩たる思いで帰りの飛行機に乗っていたとき、第五福竜丸事件をニュースで知って「ビキニ環礁に眠る怪獣が水爆実験で眼を覚まし、日本を襲う」というプロットを着想したそうです。また1959年に製作された『第五福竜丸』は新藤兼人氏がメガホンをとり、久保山愛吉役を宇野重吉さんが演じました。下の写真はイベント会場に展示された歴代ゴジラのフィギュアです。

 

 第五福竜丸は67年廃船処分となって東京の夢の島に捨てられましたが、1969年にテレビや新聞で取り上げるなどメディア報道が奏功し、市民団体の間で保存運動が起き、1976年6月、都立第五福竜丸展示館が完成、保存されています。

 

 秋山博子さんのお話で心を衝かれたのは、焼津市の“変容”でした。事件以来、反核運動を積極的に牽引していた市では、1985年に「核兵器の廃絶を願う焼津宣言」、1995年に「平和都市焼津宣言」を議決。2009年には焼津平和賞を創設し、第1回受賞者に都立第五福竜丸展示館を運営する公益財団第五福竜丸平和協会(こちら)、第2回は第五福竜丸事件の調査を通して平和を考える高知県の幡多高校生ゼミナール(こちら)、第3回は被曝者の追跡調査を行なった聞間元医師を中心とするビキニ水爆被災事件静岡県調査研究会(こちら)を選出しました。

 2010年4月には市に平和都市推進室を設置し、5月、焼津市長がニューヨークで開催されたNPT(核拡散防止条約)の会合に出席。2011年には市長・議長・市民代表がビキニ環礁を有するマーシャル諸島を訪問し、広島長崎に中学生の平和大使を派遣する事業もスタートしました。8月6日・9日、3月11日と並んで、第五福竜丸が被曝した3月1日が、核問題を考える日本にとっての重要なメモリアルデーになる機運が、着実に醸成されたと思いましたが、市長が交代した2013年、平和都市推進室は廃止され、一介の「担当」に格下げに。焼津平和賞の制度もなくなり、今年2015年から新たに「焼津平和文化賞」が創設、対象は焼津市民に限った文化活動(音楽・演劇・絵画等)になるそうです。

 

 なぜ焼津市の取り組みが後退したように見えるのか、市長の施政方針ひとつで変わってしまうものなのか、そういう市長を選んだのが焼津市民の総意なのか、これはかなり幅の広い、根の深い問題がありそうだ・・・ということだけは察せられます。

 3月1日が重要なメモリアルデーであることすら知らなかった静岡市民の私が、勝手な憶測で書いてはいけないのかもしれませんが、福島いわきの取材経験から「被曝者を襲う風評被害の酷さ」を、政治家の広報に関わる経験から「大多数の有権者は、立候補者の表面的な情報でしか判断できない」ことを実感しているだけに、焼津でビキニ事件を真正面から大々的に語ることの難しさも、それとなく理解できるのです。3・11以降、東北から取り寄せた魚類燻製用木材から基準値以上の放射線が検出され、“汚染マグロ”の痛みを知っている関係者から「これ以上、核の問題には触れないでほしい」という声があったそう。その立場は十分に理解できるし、市民有志の「ビキニデーを風化させてはならない」という思いも尊い。それだけに、同じコピーライター出身ながら、口ばっかりの自分と違い、実際に行動に移し、矢面に立ちながらも真摯に活動する秋山博子さんの行動力には心から拍手を贈りたいと思います。

 

 何も出来ない自分だけれど、間違いなく断言できるのは、被曝者が差別を受けるような社会であっては絶対にならない、ということです。この原則にのっとって、潔い言動のとれるリーダーを育て、選び、支援していくのが市民の務めではないかと思います。行政組織のみならず、経済団体、市民団体、教育団体等、地域を構成するあらゆる団体組織が、差別という負の意識を孕む歴史に真摯に向き合っていく。大変難しいことですが、それこそ被曝の歴史を共有する広島、長崎、福島の人々と学び合って得るものがあるような気もします。たぶんチェルノブイリの人々とも共有できるだろうし、地球上にはニュースとして取り上げられない核実験や原発事故の犠牲者がまだまだいるかもしれない。心あるリーダーが本腰を入れれば、必ず同志は見つかるはずです。ビキニ事件は、それほどまでに、焼津の未来を変える力があるのでは、と感じました。

 

 私がこのイベントに参加した最大の目的、映画『ホピの予言』については、改めてじっくり報告します。なおイベントは3月15日まで開催中。こちらを参照してください。