杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

静岡県の葬のローカル・ルール①水辺のハマオリ

2022-08-29 11:01:35 | 歴史

 8月24日刊行の『静岡県の終活と葬儀』。地元書店の店頭には平積みに置かれ、少しずつ目に留めていただいているようです。ありがとうございます。

 前回記事に書いたように、本書では編集方針の変更によって、静岡県の葬の歴史風俗について書いた原稿が丸々削除されてしまいました。自分の歴史・仏教好きが高じすぎて、編集部の皆さんに敬遠されたのだろうと反省しておりますが、前回記事をご覧になった方から「そういうの、私も大好物です。ぜひ読みたい」というメッセージをいただいて励みに感じ、ここで少しずつ紹介していこうと思います。

 民俗学的に専門調査されている方から見たら、内容的には不十分だと思いますので、これを機に新たな情報をいただければありがたいです。いずれ何かのカタチで書籍化できれば、と願っています。

 以下は『静岡県のローカル・ルール』と題した章で、静岡県の沿岸地域に伝わる独特な風習を集めたものです。きっかけは下田開国博物館の館長さんにヒヤリングしていたときに教えていただいたハマオリという言葉。南伊豆独特の風習かと思って調べてみたら、出てくる出てくるいろんなハマオリ・・・! 沿岸地域にお住まいで「うちの地域にもあったよ」という方がいらしたら、ぜひ情報をお願いします。

 

 

静岡県のローカル・ルール

 伊豆、駿河、遠江の3国から成り立つ静岡県は、多様な気候風土を持ち、東海道が東西を貫き、富士川・天竜川の水系が南北をつなぐ等、今の行政区分にとらわれない幅広い民俗文化を育んできました。

 葬と供養に関するしきたりも、またしかり。

 通夜や葬儀を自宅で行っていた時代は、近隣住民の協力なしには不可能だったため、おのずと各地域の民俗風習に影響を受け、その土地ならではの特殊性が生まれました。「就職先、婚姻先、移転先の風習が違っていて驚いた」という経験を持つ人も少なくないでしょう。

 今は、ほとんどの人が葬と供養を葬祭専業者に委託する時代。隣近所のつながりが薄くなった都市部では、地域の特殊性は失われつつあります。

 自分や自分の大切な人が最期を迎え、永眠するという深い縁を持つ土地で、過去どのような葬儀がなされてきたのか、先に眠りについた先人達がどのように供養されてきたのか―今、実際に昔と同じようなことは出来なくとも、各しきたりに込められた意味や先人の思いを知っておく価値は、十二分にあるように思われます

 ここでは郷土史料に残る地域のユニークな伝統、地域住民が記憶する独自のしきたり=いわゆる〈ローカル・ルール〉について、文献調査やインタビュー証言を基にまとめてみました。世代をつないで足下の地域性を探ることが、豊かなコミュニティづくりや終活の一助になればと思います。

 

 

1.水辺のハマオリ

 静岡県には東から相模湾、駿河湾、遠州灘に面した約52キロメートルの海岸線があり、多くの河川が流れ込んでいます。海に面した漁村や、河川流域の山村には、葬儀や法要の際、浜や川を他界への境界に見立てた「ハマオリ(浜下り)」と呼ばれる清めの習慣が存在しました。地域によって内容はさまざまです。各地のハマオリについてまとめました。

 写真提供/木下尚子さん

 

〇下田・南伊豆では葬礼に使用する清めの塩を、海で汲んだ海水から作った。

〇熱海では盆の迎え火を海岸の波打ち際で燃やしていた。

〇沼津の内浦・静浦では、百八灯(ひゃくはったい)といって、未婚の男性が亡くなると新盆では海岸で薪を積み上げ、松明を立てて燃やして弔った。

〇中伊豆では野辺送りをして戻った会葬者は川へ行き、河原に位牌を据え、食物を供えて線香を手向けた。

〇函南では喪家が属する組の代表が、戒名を記したハマオリ用の白木の位牌、線香と蝋燭、酒と握り飯を用意し、河川敷で待つ。野辺送りから戻った会葬者に清めの塩を渡し、笹で水をかけて清め、酒と握り飯を共食した後、位牌を川に流した。

〇裾野でも組衆が河原で白木の位牌、線香・蝋燭、団子を供えて会葬者を迎え、豆腐や菓子をつまみに酒を飲んで身を清める。その後、会葬者全員で土手から石を投げ、位牌を川に流した。

〇小山町ではサトヤと呼ばれる屋形型の門碑を三十五日または四十九日の追善法要のとき、川に流す。

〇富士宮の井出地区では土葬の後、土人衆(墓の穴掘り役)が喪家の近くの川の土手で精進落としをした。サトヤを立て、線香・灯明・供物をし、小豆御飯や佃煮等をつまみに酒を飲み、食べ切って戻った。

〇焼津・大井川では四十九日に草履、おこわ、御神酒、お花を持参し、浜へ下り、大きな石を見つけて、それをお墓に見立てて石塔を建てる。片方の草履の鼻緒をそのあたりに落ちている石と石を使って切る。お線香をあげて海に向かって拝む。お線香をあげて海に向かって拝む。おこわとお神酒を少しいただく。お神酒は昔、一升瓶を持って行った。

〇御前崎から浜松までの遠州灘一帯では身を清めることをハマオリと言った。弔事以外にも、祭りの前や妻が出産した漁師はハマオリしなければ船に乗れなかった。

〇浜名湖周辺では海水を持ってくることをハマオリと言った。舞阪では新盆に前浜の波打ち際に穴を掘り、百八体(ひゃくはっと)の松明、精霊飾り、食べ物、洗米等を入れて火をつけ、線香を灯して拝んだ。


「静岡県の終活と葬儀」刊行

2022-08-25 20:00:08 | 本と雑誌

  2022年も気がつけば立秋を過ぎ、田んぼには稲穂が実り始めています。ここへの訪問もすっかり疎になってしまっていましたが、手間がかかった仕事が一つ二つと片が付き、業務ではない趣味の執筆に向き合う心の余裕も持てるようになりました。・・・といっても仕事のPRで恐縮ですが、どうぞお付き合いくださいませ。

 

 昨年来、取材執筆を続けてきた『静岡県の終活と葬儀』が8月24日に静岡新聞社から刊行されました。発売初日にフェイスブックで紹介したところ、「タイムリーな企画」「すぐにでも参考にしたい」等など好意的な反応をいただき、胸をなで下ろしています。

静岡県内主要書店にて発売中。1500円+税  Amazonでも取り扱っています。こちらからどうぞ。

 

 内容は3章に分け、第1章「生前に準備しておきたいこと」は、終活や相続対策等、専門的な手続きや準備についてファイナンシャルプランナー小野崎一網さんが解説し、私が文章化をサポート。第2章「葬と供養の新しいかたち」は今の葬儀やお墓について、第3章「終活を支え、喪失に寄り添う人々」では死に向き合うときに助けとなる様々な専門家を紹介しました。

 

 実はこの3章立てに落ち着くまで紆余曲折ありました。私が最初に提出した草稿には、一般に出回る終活葬儀ノウハウ本との差別化を意識し、静岡県の葬や供養に関するヒストリー&フォークロアをがっつり書き込んだのです。

 葬や供養がどんどん簡素化される中で、わが地域が刻んできた大切な歴史や習俗がどんどん忘れ去られ、各地の盆祭り等にわずかに残るその記憶も、コロナ禍の影響もあり、風前の灯状態。今、静岡新聞社が出す本ならば、それは記録として残すべきではないかと考えて企画提案し、時間をかけて人を訪ね歩き、文献調査をしました。

 実用書としてわかりやすいものを、という編集方針の変更によって、大半の草稿はお蔵入りになってしまいましたが、調査取材にかけた時間は決して無駄ではないと思っています。

 

 以下は、本書の最後に「おわりに」としてつづった個人の想い。この心境に至ることができたのも、民俗の歴史に向き合い、人ひとり亡くなることの意味、弔いの作法を考える時間が十分に持てたからです。

 当ブログを訪問し、ご縁をいただいた皆さまにとっても、死に方=生き方を見つめ直す一助になればと思っています。ボツになった調査内容はここで少しずつ紹介していきますので、よろしくお願いします。

 


 「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」という禅語をご存知の方も多いと思います。雨の日も風の日も、辛く悲しい日であっても、その日その日を最良の日として生きようという、厳しくも温かい人生へのエール。この禅語を残した唐の名僧・雲門文偃の語録に、「朧月三十日(ろうげつみそか)」という言葉があります。
 朧月三十日は旧暦の大晦日。人生を一年に喩えれば、まさにこの世の納め。誰の人生カレンダーにも漏れなく刻印され、早かれ遅かれ、その日を迎えることになります。年末の大掃除を土壇場になって慌ててやるか、前もって少しずつキレイにしておくかで、大晦日の迎え方もずいぶんと変わってくるでしょう。

 私事になりますが、私の父は2017年の大晦日、正月用の酒肴を買いにバスに乗り、終点の静岡駅に着いた時、座席で眠るように心停止状態で運転手に発見されました。

 病院に駆けつけた私は、汗だくで心臓マッサージをしていた医師より「回復の見込みはないが、マッサージを止める指示ができるのは家族だけ」と告げられ、外出中の母とも連絡が取れないまま、父の心臓を止めるという決断を迫られたのでした。持病があったものの、この日の朝も変わりなく普通に食事をし、他愛もない話をしていた父と、2時間後にこのような別れをするとは、もちろん想像もしていません。


 父は生前、終活の話を嫌がって、葬儀や墓など諸事一切、決めていなかったため、病院の看護師に渡された葬儀社リストをもとに、過去に親戚が利用したことのある地元業者を選び、自宅までの遺体搬送と寺院の手配をお願いすることに。

 年明け2日の通夜、3日に葬儀火葬と決まりましたが、葬儀社から「料理店が正月休みで祓いの食事が用意できない」とSOS連絡を受け、ダメ元で自分のSNSに「3日昼に仕出し弁当を頼めそうな店を知りませんか?」と投稿したところ、大晦日夜にもかかわらず、多くの友人から情報や弔意が寄せられ、無事、手配が叶いました。

 一般葬か家族葬にするかの判断以前に、正月三が日という時期を考慮し、訃報連絡は近親者のみとしましたが、仕出し弁当SNSを見た友人知人が葬儀社を調べて駆けつけ、懇意にしていた日本酒の蔵元も、元旦から香典返し用の酒の準備をしてくれました。後悔先に立たずの連続でしたが、今振り返ると、あれほど他者の温情を感じた「好日」はなかったでしょう。

 2020年の大晦日、その日本酒の蔵元が突然亡くなりました。海外在住の娘さんがコロナによる帰国後隔離処置に遭い、日を置いての通夜葬儀となりましたが、酒造繁忙期に蔵の大黒柱を失ったご家族や従業員の皆さんの悲嘆・混乱は、我が家とは比べものにならなかったでしょう。

 

 今回の調査取材で、日本に、静岡に、実に豊かな弔いの文化が存在していたことを知り、時代とともに変化する供養のカタチに、専門的知見を活かし、寄り添い支える人々に出合いました。

 父や蔵元が亡くなる前に知っておきたかったと思わずにはいられませんでしたが、執筆を終えた今、改めて、「必ずやってくる自分の大晦日」「大切な人の大晦日」を、悔いのない「好日」にできたら、と心から願います。

 本書が、大晦日前の清掃整理に使える“お役立ちメモ”のような機能を担えたら幸甚です。