杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

東北弾丸バス旅①&国際白隠フォーラム2015ご案内

2015-05-31 09:31:57 | 白隠禅師

 5月21日~22日は東北の仙台~花巻~北上を旅しました。22日開催の南部杜氏自醸清酒鑑評会を取材するのが主目的でしたが、経費節約につき高速バス&ローカル線利用。肉体勝負の弾丸ツアーでした

 

 20日夜、沼津の【鳥やき作右衛門】でながしま酒店主催の『蔵元を囲む磯自慢の会』に参加し、長島玲美さんや磯自慢の若手蔵人衆と貴重なラインナップを存分に堪能。地元のお客さんと意気投合して、そのまま近くのオーセンティックバー【フランク】でウイスキーをなめ、沼津に息づく酒文化の奥行きにじんわり感動しながら、最終新幹線で品川~新宿へ。深夜24時、新宿発の仙台行き夜行バスに乗りました。

 

 東京~仙台間はバスの本数が多く、料金も格安(3000円ちょっと)。これが岩手までの便だとグーンとお高くなってしまうんですね。いろいろ思案したあげくの仙台便選択でしたが、結果的には◎でした!

 21日朝6時に仙台駅到着。この時間で開いているといえば神社ぐらいなので、仙石線に乗って銘酒【浦霞】のお膝元・塩釜まで移動。陸奥国一宮である盬竃神社を早朝参拝しました。この階段、夜行バスでエコノミークラス症候群になりそうだった下半身を十分にほぐしてくれました(苦笑)。

 境内で、長島さんが持たせてくれた焼きおにぎりを朝食にいただいて、老舗が軒を連ねる街並みを散策。浦霞は見学できる時間帯ではなかったので外観を眺めるだけでしたが、街中に酒蔵が存在感たっぷりに佇んでいるって文句なく羨ましい!って思いました。

 

 

 次いで、仙石線でその先の松島へ。臨済宗妙心寺派の禅寺・瑞巌寺を訪ねました。伊達政宗公の正室・愛姫(陽徳院)の墓堂で知られる国宝の名刹です。大河ドラマ独眼竜正宗では少女時代の愛姫を後藤久美子が愛らしく演じてましたね。

 瑞巌寺は平安時代に天台宗の寺「延福寺」として建立され、鎌倉中期に執権北条時頼が臨済宗建長寺派「圓福寺」に改め、戦国末期に妙心寺派となりました。江戸初期に伊達政宗公によって大伽藍が整備され、周辺に多くの末寺が造営されて、奥羽屈指の大禅刹となったのでした。慶長9年(1604)から5年がかりで建立されたという本堂(国宝)は、紀伊熊野産の木材を京都根来衆の名工たちが技を競って建てたもの。残念ながら修理中で拝観できませんでしたが、岩や樹木に自生する希少ラン・石斛(せっこく)が開花していました。写真では見えづらいので、公式サイトのこちらを参照してください。

 この日は10時と14時から写経会があるということで、せっかくならと、10時の写経会に参加しました。たまたまこの日は写経ではなく写仏。和尚さんに写経が希望なら変更できますよ、と言われましたが、多少は絵心があると自負していた私は「写仏でいいです」と即答。下絵の観音像を筆でなぞるだけだし、問題ない、といざ筆を取ったところ、ふだんから、お手軽筆ペンを使い慣れていたせいで、墨汁の量や筆先の力具合がままならず、他に参加されていた4人の女性が時間内に早々と仕上げたのに、私一人居残ってしまいました。大事な観音様の表情は目元にボテッと墨汁がにじんでしまって全然麗しくない・・・ 写真に撮る余裕もなく、そのまま奉納してそそくさと退室。・・・ったく修行が足らんなあと、携帯する利休百首をめくって、この一首で反省しました。

  一点前 点るうちには善悪と 有無の心の わかちをも知る

 

 

 ところで、私にとって見逃せないのは、この寺が渋谷や沼津よりも前に白隠フォーラムを2回(2008年・2010年)も開催していたということ。花園大学国際禅学研究所のHPで【白隠フォーラムin松島】の熱気溢れる様子(こちらこちらを参照してください)を知って、「白隠さんは本当に駿河に過ぎたる存在なんだ・・・」と痛感したものでした。

 寺宝が常設展示されている青龍殿(宝物館)で、白隠画が観られるか訊ねたところ、ふだんは展示していないそうで重ねて残念でしたが、2010年にフォーラムと同時期に開催された白隠遺墨展の図録を購入し、三島の龍澤寺や沼津の永明寺からも出展されていたことを知り、白隠さんが結んでくれた駿河と松島のご縁に合掌しました。

 

 白隠フォーラムは、この松島をはじめ、東京、出雲、ニューヨーク等と各地でグローバルに開催されてきて、昨年11月、ようやく白隠さんお膝元の駿河沼津で開催の運びとなりました。沼津がなぜ後塵を拝したのか、第三者には窺い知れないことですが、芳澤先生が、駿河沼津での白隠学教化に並々ならぬ思いを寄せられたのは、各地での反響を知れば容易に想像できます。 

 昨年7月の沼津プラザ・ヴェルデ開館記念講演会「富士と白隠」(こちら)を皮切りに、11月には白隠フォーラム2014 in 沼津(こちら)、2月には駿河白隠塾第1回白隠塾フォーラム(こちら)、そして昨日5月30日には駿河白隠塾「町あるき勉強会」が開かれました。

 

 さらにこの先、7月19日にはプラザ・ヴェルデ開館一周年記念として、海外の研究者を招いて【国際白隠フォーラム2015】が開催される予定で、昨日の白隠塾勉強会でポスターが披露されました。9月にはグランシップで芳澤先生の講演会も予定されています。ようやくですが、芳澤先生が蒔いた種が駿河沼津の地で芽吹いてきたようです。

 私は昨年7月の講演会から勉強し始めた新参者ですが、駿河人の端くれとして、精一杯ついていきたいと思っています。国際白隠フォーラム2015の申込は6月1日スタート。ふるってご応募くださいね!

 

 

国際白隠フォーラム2015 ご案内

駿河に過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とうたわれた白隠禅師。今、白隠禅師の遺したメッセージが、現代で生きる私たちや、海外の人たちから羨望のまなざしで語られようとしている。古いのに新しい。高きにありて平明。白隠の生き様は、未来へと生きる私たちに新たな光を示す。

□日時 7月19日(日) 10時~12時/公開講座(予約不要)、13時15分~16時/フォーラム(要予約)

□会場 プラザ・ヴェルデ コンベンションホールA

□内容 

公開講座(予約不要) 

①青い目から見た白隠さんの言葉と意味  講師/ハンス・トムセン氏(チューリッヒ大学教授・日本美術史)

②白隠禅師の女性弟子~お察と恵昌尼の場合  講師/竹下ルッジェリ・アンナ氏(京都外国語大学准教授)

フォーラム(要予約) 

①基調講演「白隠と大衆芸能」  講師/芳澤勝弘氏(花園大学国際禅学研究所元教授) 

②パネルディスカッション「NO HAKUIN, NO LIFE - 白隠と私」  パネリスト/ハンス・トムセン氏、竹下ルッジェリ・アンナ氏、ブルース・R・ベイリー氏(日本ロレックス㈱代表取締役)、李建華氏(翻訳家・日本文化研究家) コーディネーター/芳澤勝弘氏

□入場無料

□フォーラム申込はFAXにて6月1日~21日17時まで受付こちらから応募用紙をダウンロードできます。

 

 

 9月5日には静岡のグランシップで芳澤先生の講演会が開催されます。

徳川四百年顕彰事業 連続講座 静岡×徳川時代④

『富士山と白隠』  講師/芳澤勝弘氏

□日時 9月5日(土) 14時~

□会場 グランシップ9階910号室

□入場料 1000円

□申込・問合せはこちらを参照してください。


女子会京都歩き

2015-05-29 20:00:22 | 旅行記

 前回紹介した生き物文化誌学会の会報誌BIOSTORY最新号が、タイミングよく本日届きました(詳細はこちら)。特集の『供犠と供養』は、まさに私が関心をつのらせる直球ストライクのテーマ。知りたい!学びたい!と強く念じていると、求める情報や人が向こうからやってくる・・・そんな不思議をしばしば体験しますが、今回もそのとおり。Amazonでも一般購入できますので、ぜひお手にとってご覧ください。

 

 

 16日は生き物文化誌学会宇治例会に参加した後、別行動の友人と京都市内のホテルで落ち合い、夜は烏丸御池の五けんしも(こちらを)で、友人の大阪在住の娘さんを交えて女子会。中学~高校と40年来の同級生である友人と、赤ん坊の頃から知ってるその娘さんとこうして京都で酒が呑めるなんて感無量でした。五けんしもでは憧れの美人女将マチコさんが、メニューにない隠し酒を次から次へと出してくださって、酒肴もとびきり美味しいので、ついつい際限なく呑んでしまいました(苦笑)。

 

 17日は奈良在住の同じく同級生が合流し、3人で京都歩き。まずは、JR東海の京都キャンペーンさながら、紅葉の名所・永観堂の新緑を堪能しました。前夜、友人の娘が「40年も友人づきあいできるって信じられない」とため息ついてましたが、たしかに20代の彼女からしてみたら不思議かも。2人の友人は中学高校時代、特段べったり親友同士ってわけではなかったのですが、つかずはなれず、いつの間にかずーっとつながっています。

 

 

 今回の旅行は、友人が経営する食品会社で直営ショップを開店することになり、商品ディスプレイやプライスカードのデザイン、店舗のインテリアやエクステリアについて京都の人気店を参考にしようと企画したもの。私のほうでリサーチしたり、通りがかりに見つけた数店舗を視察しました。

 その一つ、京都八百一本館(こちらを)は、五けんしものすぐ近くなのに今まで知らず。京都の街のど真ん中に屋上ファームがあって、採れたて・もぎたて野菜をレストランで味わったりお買い物できたりと、京都らしい6次産業ニュービジネスを目の当たりにしました。

 

 農業系ニュービジネスといえば、昨年度の静岡県ニュービジネス大賞を受賞したのが、『オレ達のえだ豆』でお馴染み・㈱鈴生の鈴木貴博さん。新規就農者を教育し、休耕田を活用して高品質の枝豆やレタスを栽培するしくみを構築し、モスフード認定農場に選ばれたことで販路が急拡大。京都から戻った翌18日に磐田と静岡にある生産拠点と本社を取材に行き、モスフードに納入する直前の採れたてレタスの出荷管理の様子を見せてもらい、同じ畑で収穫中のレタスを試食させてもらいました。

  鈴木さんに「6次産業化は考えないんですか?」と訊いたところ、生産に特化したいとのこと。確かに、一人で何でもかんでもやるよりも、生産なら生産という専業を極め、同じ高みを志向するパートナーやネットワークとつながるほうが、いろんな意味で“広がる”ような気がします。鈴生の畑ではアジアからの留学生が汗を流していました。彼らはいずれ母国へ戻る。鈴生のしくみを活用すれば、現地で高品質な農産物を生産供給できるようになる。輸入したり輸出したりは何かと面倒だけど、現地で地産地消できれば問題ない。鈴木さんの言葉には、地球規模の広がりを感じました。

 生産者が加工や販売を兼務するって、端で考える以上に難しいことを、6次産業事例をいくつか取材し、実感しています。6次化って、一定以上の広がりを必要とせず、地域にどっかり根をおろしていく人に向いているんだろうなと思いますが、どうでしょうか?

 

 八百一本館の次に訪ねたのは、前から行ってみたかった菓子処・然花抄院(こちらを)。元禄13年に建てられたという町家の空間を活かし、ショップとカフェとギャラリーが違和感なく佇んでいます。ギャラリーでは茶器の名品展を開催中で、とても手が出ないプライスぞろいなれど、目の保養にはもってこいでした。

 

 私自身、このところコピーライターらしい業務から遠ざかっていたので、新しい店の形態、商品パッケージ、キャッチコピーなど等について、改めて勉強になりました。友人たちがどういうデザインに食いつくのかも、大いに参考に。それにしても、女友だち同士のショップ巡りが、こんなに楽で、気持ちが開放的になれるというのは嬉しい体験でした。「旅行や買い物って、ダンナや彼氏が一緒だと心底楽しめないよねえ」と彼女たち。いつも一人旅の私にはへぇ~って感じでしたが(笑)、これって女子校出身者ならではの密度なのかな。


宇治川の水といのち

2015-05-28 17:30:39 | 歴史

 5月は前半ゴールデンウィークは自宅にお籠もり状態。後半はほとんど自宅におらず放浪状態で、ブログ更新も滞ってしまいました。(物忘れが加速してるので)なんとか月内に行動記録しとかねばと疲れ眼をこすりながら書いてます。

 

 まずは2週間前の報告ですが、5月16~17日と友人と車で京都に行ってきました。

 16日、私は京都大学宇治キャンパスで開催された生き物文化誌学会宇治例会『宇治川の水といのち』に参加。今例会は、平等院鳳凰堂が昨年10月に修理復元を終えて創建当時の姿に生まれ変わったことと、昨年初めて宇治川でウミウの人工育雛に成功したことを契機に企画され、「水」がキーワードになっていることで、地元特産品である宇治茶の歴史と現状についても興味深いお話が聴けました(生き物文化誌学会についてはこちらをご参照ください)。

 第1部では平等院住職の神居文彰氏が、平等院に構築される「いのち」の表現について画像を中心に解説されました。宇治という言葉、もともと「内と外の境界」「憂しの場」という意味が込められているそうな。鳳凰堂の本尊阿弥陀如来坐像の胎内には、径37.6cm、高19.7cm、上面には阿弥陀如来の大呪小呪を輪形に景祐天竺字源(梵字)で墨書された世界で最も古い月輪蓮台が残っており、一千年間、完璧に保存されていました。水の比喩によるいのちの救済表現が綴られているそうです。

 平等院は、敬愛する樹木医塚本こなみ先生がフジの治療を担当されていたご縁もあって、こなみ先生と何度か訪ねており、昨年6月には茶道研究会の仲間と訪ねました。鳳凰堂の平成修理は平成24年9月から26年9月まで。判明しうる最も創建時(1052年)に近い姿に復元されました。創建当時、究極の美しさを求めて造営されたため、屋根の張り出しが大き過ぎる無理な構造になってしまった。そのため、日本の古代建築の修理が通常150年に一度ぐらいで済むところ、鳳凰堂は60~70年ごとに中規模修理、120~130年ごとに抜本的な修理が必要だったそうです。

 創建してから50年後の1101年に最初の大規模な修理が行なわれ、このとき、木製の瓦葺から、本瓦葺(焼瓦)になったそうです。瓦って平安時代は木製だったんだーとビックリ。1101年には河内向山(現在の大阪八尾市)の瓦工房に特注してすべて焼瓦に。今の瓦と比べても遜色のない上質な瓦だとか。今回は瓦総数約5万点のうち、1500点の平安瓦を葺き直したそうです。燻し銀を使わず古色に仕上げたシックな色です。これが、極楽の宝池の浮かぶ竜宮城のように水面に映る。大型クレーンやリフトのない時代に、こういった空間デザインが出来たって凄いなあ・・・。

 鳳凰堂内部は、花々な象徴的に配置され、復元された西扉「日想観図」(国宝)には海に沈む夕日が描かれています。日想観とは、沈む日輪を沈んだ後もいつまでも思い浮かべること。当時の人々の自然観が偲ばれます。

 

 第2部は宇治観光協会所属の女性鵜匠・澤木万理子さんが、昨年、全国で初めて成功したウミウの人工育雛についてお話されました。宇治川の鵜飼は平安時代から始まったそうで、貴族の別荘地でもあった宇治の風物詩となっていましたが、平安後期から仏教の影響で殺生が戒められ、貴族の没落とともに衰退。現在の鵜飼は大正15年に再興したそうです。日本ではほかに岐阜長良川、京都嵐山など全国で12ヶ所で開催されています。

 ウミウは鋭いクチバシと爪を持ち、水中深く潜ってすばやく魚を捕らえる渡り鳥。鵜飼に使うウミウは、捕獲された野生のウミウを、鵜匠が鵜小屋で飼育しながら訓練を施します。人工的な飼育環境下では繁殖しないと言われてきましたが、昨年5月、鵜小屋で産卵した卵から1羽のヒナが誕生し、今年もつい先日誕生のニュースが伝わったばかりです。

 鵜飼の面白さは、人間と、野生の渡り鳥であるウミウによる絶妙なコンビネーションにあり、ウミウと信頼関係を築き上げるため鵜匠は日頃から献身的なケアをされるそう。若い女性が鵜匠の世界で活躍されているということも面白いな、と思いましたが、平等院の自然観のお話を聞いたあとだけに、野生の渡り鳥であるウミウが追い網紐を首元と胴体に装着させられ、ひたすら鮎を捕り続ける。捕った鮎を飲み込まないようウミウの首元は窒息しない程度に縛られている・・・それを自分は素直に風流だと愉しめるだろうかと、ふと感じます。

 実際に鵜飼を観たことがないのでなんともいえませんが、ここが、平等院という極楽浄土を具現化させた地だと思うと、若干引っかかりを覚えないわけではない。・・・もちろん、鵜匠の皆さんは、生きものをパートナーにされているのですから、人一倍、いのちに対する深い思いを注いで仕事されていることでしょう。今回は、聴講した我々一人ひとりに、いのちについて考える好機を与えてくれた、ともいえますね。

 

 第3部は宇治茶伝道師で㈱小山園顧問の小山茂樹さんが【宇治川が育てた宇治茶】と題してお話されました。歴史教科書で習ったとおり、お茶は鎌倉時代に栄西禅師が種子を持ち帰り、それを譲り受けた明恵上人が京都栂ノ尾の高山寺境内に植えたのが日本で最初の茶園、ということになっています(以前、自分で検証旅行してみましたのでこちらをご参照ください)。

 明恵上人はさらに茶の栽培に適した場所として宇治を選び、分植しました。宇治川が運ぶ肥沃な土壌、適度な寒暖の差、川霧の発生が茶の栽培に適していたからです。現在、黄檗宗萬福寺山門前にある『駒の蹄影記念碑』には、「栂山の尾の上の茶の樹 分け植えて、跡ぞ生うべし 駒の蹄影」とありますが、これは、上人から茶の樹を与えられた宇治の里人はどうやって植えたらいいのかわからず、上人から「馬の足跡に千鳥植えしなさい」と指導されたことを謳ったそうです。

 宇治川は宇治橋を過ぎたあたりから巨椋池(おぐらいけ)に流れ込みます。この池は昭和初期に干拓されてしまいましたが、もともとは宇治川、桂川、鴨川、木津川などの遊水池で、太閤秀吉が宇治川に太閤堤を整備したころは1200ヘクタール、水深は2m近くあったそうです。ここに群生する葦が、茶園のこも掛け(覆い)に利用され、上質茶を育てました。宇治川流域は粘土質で、うまみのある濃厚な茶になり、木津川流域は砂地なので香りよくあっさりしたのど越しのよい茶になる。2タイプをブレンドすることにより、香味ともに優れた茶になり、抹茶として大いに珍重され、巨椋池発の水運を利用して京の都に運ばれた。都における茶道の興隆とともに宇治茶業も大いに発展した、というわけです。・・・やっぱり地の利って大切ですね。

 この地はもともと黄檗断層が走り、地震の多い場所でしたが、断層のある地は名水が湧くともいわれます。いにしえの人々は地盤の悪い土地に竹を植え、その延長線上に茶を植えた。戦乱の多い土地ゆえ、米を作ってもどうせ奪われる。結果として、巨椋池周辺には伏見の酒、向日市の筍、宇治の茶という特産品が生まれた、ということです。地の不利をも活かしたわけですね。

 

 小山さんのお話で印象的だったのは、現在、年1回、茶産地の市町村長約80人が集まって開催する全国お茶サミットのこと。参加資格は各市町村で100ヘクタール以上の茶園がある、ということだそうですが、宇治市は平成20年度時点で80ヘクタール以下となり、観光客から「宇治の茶園はどこにあるんですか?」と訊かれる状況。数年前のお茶サミットで、伝統ある宇治を外すわけにはいかないと、掛川市長が「概ね100ヘクタールに」と配慮を示し、宇治市がかろうじて参加可能となったそうです。宇治では70年ぐらい前まで平等院周辺にも茶畑が広がっていましたが、日当たりよく、水利があり、風通しもよいということで、固定資産税が高く、相続税が払えない後継者が土地を手放し、急激に宅地化が進んだそうです。

 そんな状況でも、ゆるぎない宇治茶ブランド。平成18年に「京都府、奈良県、滋賀県、三重県の4府県産茶を、京都府内の業者が宇治地域に由来する製法により仕上げた緑茶は“宇治茶”と認める」ことが取り決められ、団体登録商標として〈宇治茶〉が認定されました。

 

 宇治市内の小学校20校では、お昼どきに蛇口からお茶が出るそうです。子どもの頃からお茶を飲む習慣を身に着ければ、五味のうち子どもの苦手な「苦味」を覚え、味覚の豊かな大人になる、という“茶育”が徹底しているのです。静岡では川根筋の小学校で蛇口からお茶が出ると聞いたことがありますが、都市部ではどうなんでしょうか・・・宇治茶から学ぶことはまだまだたくさんありそうだ、と実感させられました。

 


乱読記

2015-05-13 16:28:30 | 本と雑誌

 先日、久しぶりに大井川鉄道「五和」駅の中屋酒店コップ酒場に行き、店オリジナルの酒『かなや日和』の新酒を堪能しました。仕込みは島田の大村屋酒造場。この日は酒の仕込みがひと段落した大村屋酒造場の杜氏や蔵人の皆さんも店に来ていて、ともに親睦を深めました(この店のことは6年前の記事をどうぞ)。

 たまたまお店に来ていた近所のおっちゃんとコップ酒で乾杯したとき、おっちゃんから職業を訊かれ、「好きな仕事でメシが食えるって、ねえちゃん幸せだなあ」としみじみ言われてしまい、今はバイトを掛け持ちしなければ書く仕事を続けられない苦しい身の上を愚痴りたくなるのをグッとガマンして、「そうですねえ、ありがたいですねえ」と空威張りしてしまいました。バイトしなければライターを続けられない自分をミジメだと思うか、この歳でもバイトがあってライターを続けられる自分は恵まれてると思うか、気持ちの持ち様って大きいですね。

 身近には、好きな仕事どころか、病気や家族の問題で暮らしそのものに縛りを抱え、苦しんでいる友人が何人かいます。自分はまだ空威張りできる余力がある。精一杯意地を張って書けるだけ書いて、ボロボロになったらなったで仕方ない。死ぬまでには、まだ間があるだろうし、自分にこそ書けるものがあるだろう。いつかはそんなチャンスに出合えるかもしれないし、一生縁がないかもしれない。でもあきらめたら終わり。当たりが出るまで買い続けなきゃならない宝くじみたいなもんだなあ・・・『かなや日和』をちびちびやりながら、つらつら思いました。

 

 生活の不安を抱えながら、書く仕事のモチベーションをキープするのに、とりあえずの処方箋は読書です。今は自分でも信じられないけど、飲酒時間より読書時間のほうが長い。眼精疲労はMAXだけど胃腸はすこぶる快調です(笑)。

 

 直近で読んで面白かったのが、稲垣栄洋さんの【なぜ仏像はハスの花の上に坐っているのか】(幻冬舎新書)。稲垣先生は静岡大学大学院農学研究科教授で、以前、我が酒友・松下明弘さんと共著で【田んぼの学校】を上梓された気鋭の農学博士。身近な先生が仏教と植物について書いたとあって興味深く拝読しました。

 ハスは約1億年前の白亜紀から生息する古代植物で、おしべとめしべが無秩序にゴチャゴチャしている。めしべがずんぐりしていて実に間違えられるので、「ハスは花が咲くと同時に実をつける」と珍しがられ、原因と結果がつねに一致する“因果倶時”という仏法の喩えに用いられるとか。泥の中でも花を咲かせることができるのは、地下茎(レンコン)に穴があって空気を運ぶことができるから。清浄と不浄が混在する人間社会において、新鮮な空気を循環させる大切さを実感させてくれます。以前、量子力学や宇宙物理学と仏教の講演を聞いたときはあまりにレベルが高すぎてチンプンカンプンでしたが、同じ理系の専門家でも稲垣先生は自分の身の丈にあったわかり易い解説をしてくださり、心に染み入ります。一度講義を拝聴したいなあ。

 

 

 奈良興福寺の多川俊映貫首がお書きになった【唯識入門】(春秋社)は、小難しい唯識仏教解説書の中で比較的スーッと入ってきた入門書。唯識って単純に言えば「気持ちの持ち様」を論理的に検証する心理学のようなもの、と、とらえています。この本に触手したのは、冒頭に陶淵明の漢詩「飲酒」が載っていたから(笑)。「飲酒」のこの一節が唯識の要のようで、

 

  心遠ければ地自ずから偏なり

 

 ワイワイガヤガヤした人境(街中)にあっても、心が執着から遠く離脱している情態ならば、喧騒は気にならない。凡人は喧騒にうつつをぬかし、小隠者は誰もいない山中に遁れたいと思うが、真の大隠者は市井に遁る、という中国の諺がベースにあるそうです。生涯、市井の寺の住職を務めた白隠禅師を思い出さずにはいられません。もっとも私は、騒がしい酒場でも独酌が楽しめる心の余裕を指す言葉だと素直に解釈しましたが(笑)。

 

 

 前々回の記事でふれた武田泰淳。文庫本で630ページの大作【富士】をようやく読破したところで、次にチャレンジしている純文学がグレアム・スウィフトの【ウォーターランド】(新潮クレストブックス)。こちらは単行本にして520ページ。2年前、翻訳家志望の知人青年から勧められ、あまりに話がとっちらかっているので途中で中断してしまったのですが、【富士】の読後に急に思い出して再読。泥沼に足をとられるが如く、ジワジワはまっています。52歳の歴史教師が生徒に語る自分の生まれ故郷の歴史、という体裁ながら、複雑怪奇な一族の物語やらビール醸造史やウナギの生態やらフランス革命や核戦争やらと、ゴッチャ煮感がハンパない。 歴史をこんなふうに物語に仕立てることの出来るのか・・・と目からウロコの構成です。だいぶ前に映画化(ジェレミー・アイアンズ主演『秘密』)されたみたいですが、原作のスケールには程遠いメロドラマらしい。ご覧になった方は感想を聞かせてください。

 

 最近読むのは歴史書や解説本やドキュメンタリーばかりですが、20代の頃はちゃんと読んでた純文学。先月末、京都で遅咲きのヤエザクラ普賢象を観た後、思い出して本棚の奥から引っ張り出したのが大岡昇平【花影】(新潮文庫)でした。主人公の葉子が死を選択する最終章の淡々とした表現、情感をはさまない、脚本のト書きのような表現が、20代のころは冷たく感じて腑に落ちなかったのですが、今はこういう書き方が沁みて来るんですね。人を信じては裏切られ、人を愛しては裏切られ、自らもまた誰かを傷つけてきた・・・葉子の物語にも近い、自分の歳相応の経験がそう感じさせるのでしょうか、最終章を読み進むうちにポロポロと泣けてきました。

 

 最近読んだ本の中で、書く仕事のモチベーションを盛り上げてくれた最良の書は、芳澤勝弘先生が花園大学国際禅学研究所退任記念に出版された【蛇足に靴下】(静嘉堂文庫)。先生はいわずとしれた白隠研究の第一人者であり禅学史の大家でいらっしゃいますが、最初は花園大学の一般職員からのスタート。同志社大学の経済学部ご出身で、禅学を専門に勉強されたわけではなかったそうです。その後、花園大学禅文化研究所に移って経営のテコ入れに大学学長の山田無文老師の講話テープを書き起こして書籍化。ワープロの走りである富士通オアシス1号機=当時380万円也を使ったそうです。思い切った初期投資、というわけですね。

 その後、雑誌『禅文化』の編集長として手腕を発揮され、禅語解読のための『基本典籍索引叢刊』全13巻を草案・プロデュース。さらに500年に一人の逸材で臨済宗中興の祖といわれる白隠禅師の全著作を完訳、しかも一般の人にも読めるよう解りやすい現代語訳で次々と刊行されました。その原動力は、既存の訳や解説に頼らず、原本に真正面から、自らの眼と頭で納得するまで向き合うという姿勢。そして辞書でさえご自分で創ってしまうというパワー。これらが宗門大学という特殊で閉鎖的な教育機関における“ニュービジネス”を次々と成功させたわけです。道理で、先生とお話していると、禅の研究家というよりも、ベンチャー企業のアントレプレナーのようなエネルギーを感じ、こちらまで元気になれるのです。

 

 本書は雑誌『禅文化』の編集後記をまとめた随筆集で、退官記念パーティーのお礼に配られた非売品とのこと。私は運よく駿河白隠塾の会合で手にすることが出来ました。大御所である先生が大学の一般職員からスタートし、編集者として、さらに研究者として未開の分野を切り拓かれたことを知り、こういうキャリアの先生だからこそ、私のような泥沼の中のミジンコのような存在にまで手を差し伸べてくださったのだ、と胸に迫ってきます。精一杯意地を張っていると、こういう“当たりくじ”にも出合えるんだなあ・・・なんて、つかの間の幸せ気分を味わっちゃいました。

 

 このほかにも(読まねばというプレッシャーを自分にかける意味で)ここで挙げておきたい読みかけの本が数冊ありますが、今日はこのへんで。


松井妙子染色画展2015 ご案内

2015-05-09 20:48:01 | アート・文化

 今年も染色画家松井妙子先生の展覧会が、5月13日から19日まで、松坂屋静岡店美術画廊で開催されます。この時期になると当ブログに先生のお名前で検索訪問される方が増えるので、ああ、また“先生の季節がやってきた”と実感します。毎年コンスタントに37年も個展を続け、松坂屋でも20年連続の開催。並大抵の作家では出来ない息の長さだとつくづく感服・・・!

 

 松井先生の染色画は、桃山時代に生まれた古典的染技法・一珍染め。一珍とは防染糊のことで、主原料は小麦粉と石灰。ちなみにもち米を主体にしたのが友禅染めだそうです。
 小麦粉と石灰を糊状にした一珍糊を先金を付けた筒紙に詰め、そのまま生地に筒描きし、乾いたら生地を斜めに引っ張って糊を浮かせてはがす。表面にひび割れのような文様が浮かび上がり、そこに染料が入り込んで独特の味わいを醸し出します。着物なんかでは友禅染のほうがポピュラーですが、愛らしいふくろうやかわせみをキャラクターにした先生の作風には、一珍糊を使った更紗風の染め方が合うようです。

 

 今年のポストカードに選ばれた「輝いて」、光背をまとった菩薩さまのようにもみえます。

 

 

 過去3年のポストカードに選ばれたのはこちら。絵の具を塗り重ねるだけの絵画よりもはるかに手間のかかる手法だけに、制作中の松井先生は求道者のようなお姿なんじゃないか、なんて想像します。ふくろうは「幸運の使者」であり、「知恵の神様」であり、「森の哲学者」だと言われますが、毎年、どんな構図と色彩で描くのか、ポストカードに採用する代表作をどんな思いで選ばれるのか、会場に並ぶ作品群を順に眺めると、先生の心の軌跡が覗えるよう。

 先生は全日、会場にいらっしゃいますので、ぜひお声かけなさってみてくださいね!