杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

寒い時期こそ味がのる!静岡県の冬野菜

2016-02-20 17:08:37 | 農業

 年2回発行のJA静岡経済連情報誌『S-mail(スマイル)』の最新号・静岡県の冬野菜特集が出来上がりました。

 今回は富士のカリフラワー、牧之原のブロッコリー、小笠中遠のメキャベツ、浜松のターサイをピックアップ。毎回、静岡県産食材を扱う料理店さんを紹介するページがあるんですが、今回は菊川市の西欧料理サヴァカを取材させていただきました。オーナーシェフ山口祐之(まさゆき)さんは、ふじのくに食の都仕事人としてさまざまなイベント等でもご活躍ですね。お父様が元NHKアナウンサーでSBSラジオパーソナリティとしても活躍された山口弘三さん。NHK時代に「明るい農村」を担当されていたことから、食に対する造詣が高く、息子の祐之さんも食への興味を深め、料理人の世界に入られたそうです。

 今回の表紙は、山口さんが特別に用意してくださった「メキャベツのスフレポタージュ」「ブロッコリーとカリフラワーのジュレ」「ターサイと牛タンのソテー」。メキャベツは寒い時期に甘さがグ~ンとのることから、自然の甘みを生かして豆乳仕立てのやさしいポタージュスープに。カリフラワーは鮮度の良い時期に多めに仕入れてピューレ状態にし、冷凍保存しておくそう。ターサイは濃い塩分でサッと茹でて、薄めの塩水の氷水に浸すと完璧な下ごしらえになるそうです。サヴァカに食事に行かれた際は、シェフにいろいろ教えてもらってくださいね!

 西欧料理サヴァカのHPはこちら

 

 ここではJA静岡経済連の販売情報センター考査役・齊藤公彦さんの冬野菜解説をご紹介します。なぜ静岡県が冬野菜のメッカになったのかを分かりやすく解説していただきました。なおスマイルは県内の主要JA窓口、JA直営ファーマーズマーケット等で無料配布しています。

 

長い歴史、高い栽培技術に支えられた静岡県の冬野菜

静岡県では温暖な気候と変化にとんだ自然環境を利用して、数多くの農作物が生産されています。産地が限定される秋~冬の寒冷時期にも、日照時間の長さや適度な潮風、降雪リスクの少なさ等、静岡県ならではの環境の強みが活かされ、全国の市場へ安定供給されています。静岡県の冬野菜の強みや特徴について、JA静岡経済連のマイスターに解説してもらいました。

解説/JA静岡経済連 販売情報センター考査役 齊藤公彦さん (聞き書き・写真/鈴木真弓)

 

 

寒くなるとサラダが美味しくなる

 冬野菜と聞くと、みなさんはどんな野菜を思い浮かべますか?

 鍋料理や煮物料理に使う白菜、大根、芋類を上げる人も多いと思いますが、静岡県で秋~冬の季節に栽培される野菜で最も多く出荷されるのはレタス。10月から翌5月にかけての出荷で30億円を売り上げる代表品目です。レタスの仲間であるサニーレタス、グリーンリーフ、ロメインレタスといった新品種も外食や中食用に需要が伸びています。第2位はセルリー。収穫時期は11月から翌5月で、この期間に約50万ケースを出荷しています。

 この代表2品目に数量では及ばないまでも、最近とくに注目されているのが、本誌の特集にもなったカリフラワー、ブロッコリー、メキャベツ。ふつうのキャベツや甘い新品種キャンディキャベツ、レッドキャベツのような変り種もこの季節に人気を集めます。

 

 年明け早々、日本で最も早く収穫される新たまねぎや、サラダオニオンと称される白たまねぎ、大根、にんじん、さとうえんどうといった品目も冬~春に旬を迎えます。中国野菜のターサイやチンゲンサイは一年中ハウス栽培されていますが、冬に味がのるといわれます。

 静岡県の秋~冬は洋菜(西洋野菜)を中心に、地元産の美味しくて彩り豊かな野菜料理が楽しめる、と知っていただきたいところです。

 

静岡野菜・産地化の歩み

 静岡の洋菜は県下の先進的な考えを持ったごく一部の生産者が栽培していたのがはじまりです。戦後、アメリカ軍が日本に駐留した時代、米軍の需要を見越し、レタスやセルリーをさかんに作るようになりました。米軍兵士の胃袋を満たすための需要が、日本人の食の西欧化に伴って爆発的に増え、高度経済成長とともに一大産地へと変貌したのです。東名高速道路がいち早く開通し、首都圏、中京圏、関西圏の大きな市場に出荷しやすい体制が確立したという利点もありました。

 静岡県はまた冬場でも日照時間が長く、雪が降らず、氷点下になる日が少ないというメリットがあります。他の野菜産地が低温で収量が確保しにくい時期にも安定的に出荷できる。また大市場に距離的にも近く、収穫後、タイムラグがなく需要にきめ細かく対応できることが、市場の信用や価格安定につながっています。鮮度を保つため、収穫後すぐに真空予冷装置を使って余分な水分を取り除たり、急速に冷やして品質を保持するよう、鮮度保持に努めています。

 

ハイレベルの生産者

 長い歴史がある静岡県の野菜づくり。産地には規模の大小に関わらず品質にこだわり、新品種へ積極果敢に挑戦する職人タイプの生産者がたくさんいます。北海道や長野県といった競合他地域に比べて栽培面積が少ないため、同じ畑で複数の品目を輪作するケースも多く、その分、土づくりに対する思いや気配りが深いといわれます。

 競合産地との差別化を意識し、収穫した野菜の「見た目」「鮮度」「包装」にも細部にこだわり、“農芸品(農業芸術作品)”と称されるクオリティを目指しているのも、静岡野菜の特徴です。最近では消費ニーズに応えてミニサイズの品目もさかんに作られています。野菜売り場に並ぶ静岡生まれのユニーク野菜にぜひ注目してください。

 

■問合せ/JA静岡経済連 みかん園芸部販売情報センター TEL 054-284-9732


「驚きの介護民俗学」に驚き

2016-02-13 09:30:28 | 本と雑誌

 先の記事でお知らせしたとおり、昨年秋より受講していた介護ヘルパー初任者研修が修了し、アタフタしていた最後の筆記試験も終わり、無事、修了証をいただくことができました。真面目に受講していれば大丈夫、と言われていたものの、資格試験的なものは30数年前の運転免許証取得以来だった自分にとっては、久しぶりに緊張みなぎる数日間でした。SNS等で激励くださったみなさま、本当にありがとうございました。

 

 介護というまったくの門外漢の勉強も大変、学びがいのあるものでした。というか、「今まで知らないことを知る愉しさ」を、取材業務ではなく、いち個人として全身で受けとめることが出来て、非常に充実した数ヶ月間でした。心身に“錆び”を感じていた自分にも、未知のジャンルへの好奇心と行動力がちゃんと残っていたんだと、我事ながら嬉しくなりました。

 実は、この研修を始めたほぼ同時期にスタートした朝日テレビカルチャーでの地酒講座に、お一人で参加されている高齢の女性がいます。その女性から「お酒の勉強をずーっとしたいと思っていたけど、他のカルチャーは平日夜で男性講師が多いからどうにも参加しづらかった。女性の講師が日曜昼にやってくださってほんとうに嬉しかったの」と言われ、失礼ながらその御歳でも知識欲、しかも講座に通うほど日本酒に対する関心があるって素晴らしい!と思っていました。年齢に関係なく、知識欲を実際に行動に移す姿は大いに刺激になります。そういえばヘルパー講習にも70歳を超えた受講者がいました。10代20代の若い受講生と机を並べて学習する姿、眩しいほどでした。

 結晶性知能(学習や経験に寄って獲得できる理解力や判断力)は年齢を経ても衰えにくいけど、流動性知能(新しい環境に対して情報を獲得し、処理操作する能力)は早くも20~30代から低下する、とヘルパー教科書にありました。この、流動性知能を鍛え、働かせ続けることが、脳のアンチエイジングになるんだなあとしみじみ思います。

 

 いただいたヘルパー研修修了証を眺めていたら、これで終わりじゃモッタイナイなと思い、次のステップである介護福祉士や社会福祉士の資格取得方法をあれこれ調べてみました。ところが現場経験もしくは福祉系大学の卒業資格が必要だったりと、すぐにどうこう出来るものではなさそうで、今の仕事をやめて介護施設に勤める決心もつかない。・・・とりあえず独自に勉強を続けてみるかと、静岡県立図書館をフラついていたら、思いがけない本に出合いました。

 

 

 まず、「介護民俗学」という学問があるのか!と驚き、著者・六車由実さんのキャリアにも驚きました。

 六車さんは沼津のご出身で、静岡県立大学から大阪大学大学院に進み、民俗学の博士号を持ち、東北芸術工科大学准教授を経て、現在、沼津のNPO法人で介護職員として勤務。2003年には著書『神、人を喰う―人身御供の民俗学』でサントリー学芸賞も受賞されています。そんなキャリアの持ち主が介護職員に転身した、ということにも興味がそそられますが、それよりなにより、六車さんが、民俗学の聞き取り手法を活かして認知症を患った利用者一人ひとりに自分史を語ってもらい、記録をし、その人の人生の厚みを感じながらケアに臨む、という姿勢に心揺さぶられました。「介護民俗学」とは、民俗学者の肩書きを持つ介護職員・六車さんが提唱した、まったく新しいケアの考え方だったのです。

 

 日常のコミュニケーションがとりづらい認知症の高齢者でも、断片的な言葉の中に、その人の生活史につながるキーワードがあります。認知症患者の中には子どもから青年期の記憶がかなり鮮明な人も多い。沼津なら沼津の昔の町名、鉄道「蛇松線」の駅名、商店の名前、農耕儀礼など等。

 ターミナルケアが必要な状態のある利用者さんは、その昔、御舅さんがドブロクを密造し、役人に見つかって酒造道具を押収されたり、ドブロクにサッカリンを入れると味が断然よくなり、後年、寝たきりで呑めなくなった御舅さんに、酒を脱脂綿にふくませて口を湿らせてやると幸せそうな顔をしていた・・・なんて具体的なエピソードを延々話し続けたそうです。その人がもし、蔵元さんや杜氏のおやっさんだったなら、静岡県の酒造史上、貴重な証言が聞けるかもしれない!・・・なんて想像してしまいました。

 

 六車さんは「老人ホームは民俗学の宝庫」であり、「利用者は、聞き手(介護者)に知らない世界を教えてくれる師となる。相談援助やカウンセリングとは違う。介護民俗学での聞き書きは、利用者の心の状態や変化を目的としない。社会や時代、そしてそこに生きてきた人間の暮らしを知りたいという絶え間ない学問的好奇心と探究心により、利用者の語りにストレートに向き合う」といいます。そして「日常的な介護の場面ではつねに介護される側・助けられる側という受動的かつ劣位側にいる利用者が、ここでは話してあげる側、教えてあげる側という能動的かつ優位側になる。ターミナル期を迎えた高齢者の生活をより豊かにするきっかけになるのでは」と。

 

 介護の専門技術の中には、その人の人生の過去に傾聴し、今を生きるための心を支える“回想法”という技法があるようです。カウンセリングに近い方法でしょうか、言語以外の表現方法や感情に重点を置くことが多いそうです。技法である以上、マニュアルがあり、施術する方、される方という立場の優劣が生じる。マニュアルどおりにいかなければ問題アリと判断される。受講中は〈今の介護は欧米の考え方がベースだから、そんなふうに合理的に判断するんだろう〉と漫然と考えていました。

 ところが、六車さんの民俗学的好奇心と探究心によって相手に教えを乞うスタイルは、カウンセリングというよりも、私が経験してきた取材やインタビューに近い。とにかく相手の言葉をトコトン聞き込み、正確に記録する。こういうのも介護でアリなんだ・・・!とビックリでした。もちろん有効な場合とそうでない場合もあるでしょう。長い人生を背負ってきた人に対して、介護技法を選択する上では慎重さも必要だろうと想像します。しかし同時に、相手の人生経験を〈純粋に聞き書きする〉という作業がその人の尊厳を高め、よりよい介護につながるのなら、自分のキャリアも何かしら役に立つかもしれない・・・。どこか、光明を得た気がしました。

 

 介護ヘルパー初任者研修という最初の登竜門をくぐったばかりの未経験者の戯言ですが、とにかく、こういう開拓者が静岡県内にいらしたことに大いに刺激をいただきました。実になる仕事はサッパリなのに、学びたいことは次から次に湧いてきて、心身の錆磨きを怠ってはいけない、と焦るばかりです。

 


大井川水系の酒蔵

2016-02-08 10:24:51 | 地酒

 しずおか地酒研究会20周年の今年は、3月の20周年記念講演会を皮切りに毎月さまざまな活動をしようと、目下、企画調整中。3月15日の記念講演会は、当初60名定員で募集したところ、嬉しいことに早々に満席となり、広い会場に移して倍の120席をご用意しました。お時間のある方はぜひお越しくださいませ!

 

しずおか地酒研究会20年アニバーサリー記念講演会 「造り手・売り手・飲み手が切り拓いた静岡地酒・新時代」

 20年アニバーサリー第1弾は、1996年から20年欠かさず、講師として来て下さった松崎晴雄さんに講演をお願いしました。松崎さんはご存知、日本を代表する酒類ジャーナリストであり、全国各地域の清酒鑑評会審査員を務め、日本酒の海外振興のトップランナーとしてもご活躍中です。

 今年は昭和61年(1986)に静岡酵母による全国新酒鑑評会大量入賞から30年という節目にもあたります。松崎さんには日本酒業界の30年を振り返り、飲み手目線で始めた地酒振興活動について、大所高所から解説していただきます。会場は20年前と同じ「あざれあ」です!

 当日は静岡県清酒鑑評会審査会が県沼津工業技術研究所で開催され、即日結果発表されます。鑑評会主催の静岡県酒造組合会長・望月正隆さん(「正雪」蔵元)にもお越しいただき、松崎さんと大いに語っていただこうと思っています。一般の飲み手から、プロのきき酒師まであらゆる地酒ファンが今、傾聴すべき最新かつ最良の静岡地酒論。ぜひふるってご参加ください。お待ちしています。

 

■日時 2016年3月15日(火) 18時45分~20時45分  *終了後、「湧登」(静岡駅南銀座)ほか【杯が満ちるまで】掲載店にて二次会を予定しています。会費実費。

■会場 静岡県男女共同参画センターあざれあ 2階大会議室  http://www.azarea-navi.jp/shisetsu/access/

■講師 松崎晴雄氏(日本酒研究家・日本酒輸出協会理事長・静岡県清酒鑑評会審査員)

      望月正隆氏(静岡県酒造組合会長・「正雪」神沢川酒造場代表取締役)

■会費 1000円

■定員 120名 *定員になり次第締め切ります。

■申込 しずおか地酒研究会事務局(鈴木) mayusuzu1011@gmail.com

 

 

 さて、昨年の今頃は、地酒本【杯が満ちるまで】の取材で県内全蔵を駆けずり回っていました。寒さのピークとなる1月下旬から2月上旬は、大吟醸クラスの仕込み真っ只中で、観ているこちらも緊張感の連続でした。吟醸~大吟醸クラスの仕込みがほかと違うことが最も分かりやすい工程といえば、洗米作業。原料の米も精米歩合もレギュラークラスの酒とはもちろん違いますが、静岡県の吟醸造りの場合は洗いに使う水量がハンパない。静岡の酒の飲み口がきれいなのは、やっぱり水質が安定し、水量が豊富だから。洗米にこれだけおしげもなく水を使えるって幸せなんだ・・・と思い知らされます。

 そのことを【杯が満ちるまで】の草稿で詳しく書いたものの、やはりページ数の都合で大幅カットせざるを得ず。ところが捨てる神あれば拾う神あり、というのか、奇遇なことに、愛知県の尾張地域地下水保全対策協議会という団体から「酒と水について書いてほしい」と依頼があり、改めて書き直して寄稿しました。

 ちょうどここひと月ぐらいの間に、志太地域・大井川水系の酒蔵をいくつか訪問したばかりで、あの原稿、愛知県内で地下水を利用する一般製造メーカーさんしか読んでいただけないというのは何だか残念だな・・・と思い、一部だけ紹介させていただこうと思います。

 

 

大井川水系の酒蔵

 国道1号線の藤枝バイパス谷稲葉インターから瀬戸川沿いに北上すると、志太泉酒造の大きな屋根が見えてきます。今は病院や紅茶メーカー工場に周囲を囲まれていますが、私が酒の取材を始めた頃は田畑の中に蔵が立ち、その向こうの川べりに続く桜並木の風景が、絵画のように美しかった。冬の仕込み時期は、洗米や麹作業で使用した麻布の干し場となり、開花を待つ桜の樹木の根っこ付近に水仙の花が風に揺れます。時々、こういう景色を見るためだけに酒蔵訪問することもあります。

 昭和62年(1987)頃、取材先の店で初めて飲んだ静岡の地酒が『志太泉』でした。素人ながら「きれいな水ときれいな手で仕込まれた酒!」と感動したことを今でも覚えています。その後、この蔵が山間の川のほとりにあり、仕込みの時、洗米に常識を超えた量の流水を使っている等の話を聞きました。地元の人から「瀬戸ノ谷にゴルフ場が出来るらしい、川が農薬で汚染されたら志太泉が飲めなくなる」と聞いたときは、瀬戸川周辺の生態系を学ぶ学習会に参加し、建設反対に署名。ゴルフ場計画はバブル崩壊とともにお流れになり、あらためて地酒とは、ふるさとの水や土を慈しむ心をかたちにするもの・・・と実感しました。

 

 瀬戸川は流路延長約30km、流域面積は179平方キロメートルの二級河川。藤枝市北部の高根山を水源とし、大井川山地を北から南へ貫き、途中でいくつかの支川と合流しながら、大井川の左岸扇状地で東へ大きく曲がります。その後、藤枝市の中心部を流下した後に朝比奈川と合流し、焼津漁港の北側で駿河湾に抜けるのです。

 瀬戸川水系の支川には葉梨川、市場川、岡部川、吐呂川、谷川川、野田沢川、青羽根川、ユキ沢、梅田川、内瀬戸谷川、谷稲葉川、滝沢川、滝之谷川、石脇川があります。『志太泉』『杉錦』『初亀』『磯自慢』の酒蔵がこれらの流域に位置しています。ふだん意識することのない町の小川も、銘酒を育む一助になっていると思うと、水位の低下や水質汚染に敏感になります。地酒は大人のための環境教育の恰好の教材になりそうですね。

 

 大井川に近い『若竹』『喜久醉』は、大井川の水量や水質の影響が直接及びます。言うまでもなく大井川は赤石岳、間ノ岳等の南アルプスを水源とし、島田市神座付近から氾濫源を広げ、巨大な扇状地を形成しています。

 

 平成23年(2011)7月、私は大井川地域地下水利用対策協議会の定期総会に招かれ、静岡県の酒造りについてお話しする機会に恵まれました。このとき、大井川の地下水をさまざまな用途で利用する事業者から、大井川の現況について貴重な情報をいただきました。

 それによると、大井川の地質は5層に大別され、便宜上、浅い順からA層(玉石混じりの砂礫で自由面地下水の帯水層)、B層(黒色・青色の粘土層。深さ25メートル前後に位置し、A層とC層を分ける)、C層(A層に近い砂礫層。主に海岸部で自噴)、D層(赤褐色の粘土層)、E層(第三紀層の砂岩、頁岩、礫岩。天然ガスの溶存もあり地下水としてはあまり利用されない)と分けています。

 このうち透明性の高いA層とC層の地下水が利用されており、浅い面から採れるA層の水は「表流水」、それよりも深いC層の水は「伏流水」と呼ばれます。『若竹』には深さ30メートル、『喜久醉』には深さ55メートルの井戸があり、C層の伏流水が自噴しています。

 

 地下に滲み込んだ水は砂礫を通るときに濾過されます。酸素を含んだ水が土壌中の有機物を分解して炭酸ガスをつくり、生成された炭酸が土壌中のミネラル分を溶かし出す。このミネラルの量や配分が水の特徴となるようです。

 A層の表面水は流れが速く、ミネラル豊富で鮮度の良い美味しい水といわれますが、大気の影響を受けやすく、雨量によって水位がめまぐるしく変化するというリスクがあります。C層の伏流水はA層よりも大気の影響は少なく、年間平均水位の変化もあまりなく、ミネラル成分も安定しています。酒造りにとっては、この安定性が最も優先されるのでしょう。

 

 全国地下水利用対策団体連合会が平成6年(1994)に制定した『地下水憲章』の、この2節が心に残りました。

●地下水は私たちの生活空間の中で、一番低いところにあります。そのうえ、移動速度も小さいので、いったん汚染すると、それを取り除くことは容易ではなく、また、回復するまでに多くの時間がかかります。日頃から注意し、汚染させないよう未然防止に心がけることが大切です。

 ●地下水は森林や水田が返照したりすると、水量が減り、ひいては、湧水や川の水が枯れるなど、動植物の生態系にまで影響を及ぼす恐れがあります。また、市街化が進んだところでは、雨や雪などの地下への浸透が少なくなり、川や水路があふれ、洪水や出水などによる災害が生じやすくなります。地下への浸透量が増えるように心がけることが大切です。

 <平成27年度 尾張地域地下水保全対策協議会機関紙 2015年11月発行より>

 

 

 振り返ってみると、自分が酒の取材を長く続けられるのも、酒を通して地域のことを多面的に考える機会をもらえるから、なんですね。ついつい酒米の品種や酵母の種類や、アル添だ純米だ生もとだ何だと酒造知識をひけらかす酒オタクになりがちですが、地元の川の水源がどこで、どこを流れているのか、基本的な地理を知らないほうが恥ずかしい・・・と自戒させられます。酒蔵の美味しい水のことをちゃんと理解し、大切にいただく地元の飲み手でありたい、と願います。


立春朝搾り、神の国の酒

2016-02-04 19:01:49 | 地酒

 立春の朝、島田の大村屋酒造場では日本名門酒会加盟蔵を取り扱う酒販店67店約140名が集まって、恒例の「立春朝搾り」のラベル貼り&出荷作業を行ないました。出荷準備を終えた酒は蔵のお隣にある大井神社へ奉納され、お祓いを受けました。

 神社の神殿横では白梅が愛らしくほころんでいました。鳥居に添えられた神聖な場所を示す紙垂(シデ)。稲の豊作には、雷・雲・雨が欠かせないことから、雷の形を模したと伝えられていますが、紙垂を揺らす早朝の風は神の息吹のようにも思えました。

 

 

 

 「立春朝搾り」は、2月4日零時過ぎから搾り始めた若竹純米吟醸生原酒(今年のスペック=米/吟ぎんが&あいちのかおり精米歩合55%、酵母/静岡酵母New-5、日本酒度0、酸度1.3、アミノ酸度1.1、アルコール度数17度)に、「立春朝搾り」の肩ラベルを貼り、大井神社へ奉納&お祓いを受けた後、各酒販店が車に積んで持ち帰り、その日のうちに販売するという日本酒らしい催事です。私も過去何度か取材させてもらっていますが、今年は、昨年発行の【杯が満ちるまで】でお世話になった杜氏の日比野哲さんや蔵人さん、また県内各地の酒販店さんに一度にお礼が出来ると思って馳せ参じました。

 

 

 

 蔵元の母屋で朝ごはんをご馳走になったとき、偶然、お隣同士になったのが、日本名門酒会の母体・日本有数の酒類卸会社である㈱岡永の山崎万里子さん。ご存知の方も多いと思いますが、日本名門酒会は日本酒の海外輸出のトップランナーでもあり、山崎さんはニューヨーク在住で、北米市場の流通開拓に尽力されています。「立春朝搾り」に立ち会うのは今回が初めてということで、杜氏の日比野さんが丁寧に案内されていました。ちなみに日本名門酒会には全国約120社の蔵元が加盟、全国の酒販店1,700店余とネットワークを結んでおり、「立春朝搾り」は今年、全国で38蔵(こちらを参照)が行なったそうです。

 

 

 大村屋酒造場の立春朝搾りが素晴らしいのは、お隣にある大井神社で参加者全員がお参りできること。立春の朝、清清しい気持ちで搾りたての酒を奉納し、お祓いを受け、神の霊力をいただいた正真正銘の縁起物としてその日のうちにお客様へお届けできる・・・全国38蔵の中でほかにこういうアドバンテージがある蔵がいくつあるのかわかりませんが、あらためて、日本酒と神道の深い結びつきを実感します。こういう結びつきは他のアルコール飲料では得られないでしょう。

 

 

 

 以下は【杯が満ちるまで】の「カミとホトケのサケ精進」の章で書いた草稿の一部で、ページの都合でまるまる削除せざるを得なかったのですが、私自身はこのテーマをこれからも深く研究していきたい。立春朝搾りと大井神社奉納神事は、そのことを改めて強く実感させてくれました。大村屋酒造場の皆さま、日本名門酒会関係者の皆さま、参加酒販店の皆さま、おつかれさまでした&ありがとうございました。

 

 

酒の起源は初穂信仰

  大陸から稲作が入ってきて農耕社会が構築された弥生時代、もっとも大切にされたのはその年に最初に実る初穂。初穂には大いなる霊力があると信じられていた。その初穂と、初穂で醸された酒を神々に供え、そのお下がりを収穫祭でいただく・・・穀霊が宿った酒に対する人々の畏敬の念は計り知れなかっただろう。

 農民は翌年、お供えの初穂を種籾として借り受けて、収穫後、借りた稲に神への謝礼を上乗せしてお返しした。借りた稲が「元本」で、上乗せ分が「利稲(りとう)」。日本列島における利息(金融)の起源である。これらをシステム化したのが、律令国家における「出挙(すいこ)」。地方のお役所が農民に稲を貸し、収穫後、元本と利稲を返却するというもので、のちに利稲だけが税金として徴収されるようになった。

  律令時代は朝廷神祇官が国家の祈年祭において霊力で満たした初穂を地方の神社に分け与え、その返礼として租税を取り立てていた。これが6世紀に入ってきた仏教によって大きく転換する。「カミも修行し、ホトケになる」という神仏習合の思想が浸透し、8世紀以降、各地に神宮寺が建立されると、国の神=皇祖神の威光は徐々に薄れ、出挙の運営も難しくなった。地方神社を支える地方豪族の力を軽視できない朝廷は、神宮寺の存在を容認し、神社と寺が同じ敷地で管理されるという摩訶不思議な神仏習合が定着していった。 

 

 和歌森太郎氏の著書『酒が語る日本史』に、こんな一節がある。

 

 「日本人にとって、神には荒ぶる神と、平和な幸福を保証するニギミタマの神との二通りがあったとされる。しかし、人間が最初に意識したものは、災厄をもたらすおそろしいものとしての神であった。(中略)酒をこれに供するのは、荒神をいわば調伏する手段であったのではなかろうか」

 

 「今だって、五分五分に対等で話し合うには厄介な相手に、酒を飲ませ、酔わせてかれの人間的レベルを下げることにより、気軽に語り合えるようにしようとする。それがまた、人間相互に親近感を濃くさせることでもあるから、平素とくにおそろしい相手だとは思わぬ友とも、酒を媒介にして、いっそうの親密化を期待する。遠い古代の場合、神を相手に、神を供するさいの意識がそういうものだったといってよい」

 

 「お神酒が荒神にたいしても和神にたいしても、ともかくその強い威力を鎮め和らげつつ、人間にぐんとひきつけるものであったところから、祭りは、神と人とが酒をくみかわし仲良くする形で行われた。それはじつは、祭りに参加した人びと相互の相睦び相親しむ機会であった。祭りは酒を介することで、祭る仲間たちの協同結束をはかる機会であったわけである」

 

 

 また、上田正昭氏(京都大学名誉教授)の『日本人のこころ』には、こうある。

 

 「日本の神には自然の力を畏敬した霊威神もありましたし、職業にともなう職能神としての祖神(おやがみ)もありました。怨霊神もありますし、他界・他郷から来訪する客神(まろうどがみ)もありましたし、海外からの渡来神もありました。(中略)このような日本のカミの多様性は、鳥獣や木草、海や山などすべてのものにカミをみいだし、「カシコキ」人間もまた神になりうるとする万有生命信仰を背景にしていました。とかく排他的になりやすい一神教よりも、そしてまた一人一宗の信仰よりも、一人多宗の万有生命信仰のほうが、はるかに21世紀の人類の課題にふさわしい信仰といえましょう」

 

 「きびしい自然の中ではぐくまれた一神教では、カミとの契約に基づく対決型の信仰になります。しかし、山と森林と河川と盆地・平野、そして周りを海に囲まれている日本の信仰では、自然との対決よりも、自然に順応し調和する信仰をそだててきました。日本でも権力者による宗教の弾圧はありましたが、宗論はあっても宗教間の宗教戦争はありませんでした」

 

 静岡県、とりわけ志太地域は、上田教授の指摘どおり万有生命信仰を育てるにふさわしい地形を持ち、災厄や紛争があったとしても、柔軟に折り合いをつける見識が住民にはあった。そこでは、神様とさえうまく折り合いをつける手段として〈酒〉が機能したのだと思う。

 

 民俗学者の神崎宣武氏によると、行事を終えての打ち上げ会を今でも直会(なおらい)と言うが、本来は神々が召しあがったものを人間がご相伴に預かる「神人共食」という重要な礼講で、御飯三膳と御酒三口を正座・無言でいただく。しかるべき酒礼を済ませたら、神々に元の神座(かんどころ)へお帰りいただき、人間だけの酒宴=無礼講になる。この、礼講から無礼講への切り替わり時、礼講の〆として、酒杯を眼上に掲げる。これが本来の「乾杯」だそうだ。

 乾杯時の常套句「○○さまのご発展とご健勝を祈念して~」の祈念する相手とは、宴席の主賓や参加者ではなく、あくまでも神仏やご先祖様である。神仏や先祖に向けたものであるから、乾杯のとき、隣同士で酒杯をカチンと合わせることはしない。酒杯を触れ合わせる風習は西洋由来のもので、右手と右手で握手するのと同じ意味。凶器を隠し持っていないという安全保障の作法から来ている。

 

 神崎氏は「米は貴重な食料で、米の生産者たる農民も主食にしていたわけではなく、米飯はあくまでもハレの主食であった。ゆえに“御飯”といった。日本人にとって、米は霊力の宿る神聖な食料であり、最上位の神饌ともなり、米の加工品の中で酒が最も尊ばれた。それはもっとも調理に手間がかかったからである」と力説する。