杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

赤福営業再開にあたって

2008-01-31 11:03:26 | 社会・経済

   赤福が営業再開するというニュースの後、中国産の冷凍食品中毒事件が報じられました。赤福も、白い恋人も、船場吉兆も、静岡から離れたところの非日常の食べ物、という感じでしたが、今回は、うちの冷凍庫の中にもあるかも、というリアルな危機感を持ちました。気候に変動される、日持ちのしない食糧を生産・流通させるビジネスというのは、いろいろな意味でリスクの多い事業であり、その分、経営者のモラルが問われるのだと改めて感じます。

    

    昨年暮れ、老舗ファミリー企業経営の研究の第一人者・後藤俊夫先生(光産業創成大学院大学教授)のビジネス講座を受講したとき、グループミーティングで8代続く藤枝の製茶業・松田真彦さんとご一緒し、赤福問題についてレポートを書いて発表しました。他のグループでは銀行や信金等のアナリストたちが専門的な分析や解釈を理路整然と発表する中、うちのグループは老舗経営者や消費者の率直な意見を素直にぶつけ、受講者に多少の違和感を与えたようですが、私自身、酒造業をはじめ、地域のさまざまな老舗経営者の声を伝える使命を強く自覚しました。

    赤福再開の報を受け、今日は、松田さんのそのときのレポートを紹介しようと思います。掲載を快諾してくださった松田さん、ありがとうございました!

  

 

  経営者の立場からの観察/松田真彦 (製茶問屋 「真茶園」8代目/㈱松田商店 代表取締役) 


 赤福の一件で、経営者として感ずるのは、日本中の菓子業や食品に従事している人たちへの影響です。まじめに正しく菓子や食品を作っているファミリー会社がかなり迷惑を被っていること。赤福だけでなく、吉兆にしても、石屋、不二家等その責任は計り知れないものでしょう。ここに、彼らの企業としての社会的な責任の無さを痛感します。世間に注目される企業に成長したならば襟を正さなければならない。「自分たちの努力で勝ち抜いてきた!」という傲慢さを感じます。 

 もう一つの観点として、ファミリービジネス(家業)への正しい認識を損なわれることを懸念します。様々な意見がある中で、「家業だから、閉鎖的な社風が災いして隠蔽になった」とか「世襲制が支配した弊害」など言われております。会社でも人間でも、長所もあれば短所もあり、その両者は明確な線引きをするには無理があり「長所は短所なり。短所は長所なり」という寛容な視点が無いことを懸念します。 

 世に出ている経営書物やコンサルタントにしても「家業から企業へ」と言われています。つまり「家業ではレベルが低く、いち早く企業に転身しなさい」というフィードバックでしょう。さらには、「上場を目指せ!」などと付け加えられます。むろん、これも一経営論として正しいのですが、その逆(つまり家業のままでいる経営スタイル)を批判することが正しいという風潮は、間違いであると思っています。家業スタイルもまた、日本の中小企業において市民権が立派に存在するものだと確信します。また、日本の95%を占める中小零細企業(=家業)こそが日本を支えているという誇りもあります。 

 例えば、商店街にある夫婦で営んでいる法人でもない個人店で行列が出来ている店もあります。かたや、粉飾決算を平気でしている上場企業やセクショナリズムが横行している大企業。株をゲームのように扱い食い物にしようとする狩猟的な大企業。このような上場大企業と行列ができている夫婦店と比べる物差しにより優劣がありますが、事業で最も大切である「お客様」という観点からみて、いずれが立派であるか? 

 大きな組織(企業)なると、諸事にレベルが高くなる価値や長所がある反面、組織が優先で、やりたい仕事もなかなかできないこともあるでしょう。また、お客様を優先させたいという個人の思いを優先させることができなく、組織優先の場合もあるでしょう。 

 その点、家業というのは、組織という組織もない短所が長所であり、その場その場で「お客様のために」という仕事ができます。お客様もそのような家業の良さを買う人もたくさん存在します。有名な企業ブランドを買いたいお客様もいれば、一方では企業のような画一的なサービスは望まずに自分を大切にしてくれる家業の方が良いというお客様もいます。 

 自分たちの作りたい商品を作れて、それをお客様に喜んでいただけて、そこに働く社員がやりがいもって活き活きと仕事ができ、社風がよく、業績が良く社員に還元できるのであれば、企業であろうと家業であろうと問わないと思っています。 

所有と経営が同じである家業は、この理想的な経営スタイルが戦略によっては可能です。家業はこれを目指すべきではないでしょうか。


元気印、伊豆を行く

2008-01-30 10:37:12 | NPO

 このブログを書き始めた昨年末から、年度末が近いせいか、行政関係の広報・資料・報告書づくりにどっぷり漬かっています。よく、ライターさんってあっちこっち取材に行けておいしいモノとか食べれていいわねぇ~と言われますけど、大半はパソコンの前で黙々とキーを打つ地味~な作業です。最近はメールでの業務連絡が多いので、家から一歩も出ない日は、丸一日、一言もしゃべらないってこともあります。だからこそ、たまに遠距離取材があると、溜まったものが一気にハジけたような開放感に包まれます。昨日はまさにそんな一日でした。

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  向かったのは、県NPO情報誌『ぱれっとコミュニケーション』で取材をお願いした賀茂郡河津町のNPO法人『伊豆の田舎暮らし夢支援センター。南伊豆1市5町(河津町・東伊豆町・下田市・南伊豆町・松崎町・西伊豆町)に移住を希望する都市生活者の暮らしをサポートしようという団体で、代表の井田一久さんご自身も神奈川からの移住者。伊豆でのんびり田舎暮らしを考えるのは裕福なシニアが多いのかと思っていたら、意外にも、希望者の中心は、20代シングルや30~40代の子育てファミリー世代で、気候温暖で自然豊かな環境で、アトピー治療やロハス的なライフスタイルを志向して、という人が多いそうです。

 

 一方で、高齢化が進み、農業や漁業の後継者がなく、“限界集落”と化した地区が点在する南伊豆一帯では、観光客は歓迎するが、移住者は“都会から、自分たちの先祖伝来の土地や財産を搾取しに来た”という目で見る人も少なくない、という実態があるそうです。海岸の美しさで知られるある集落では、漁業権を持つ戸数以上は世帯を絶対に増やさない、次男・三男も集落の外に出されるという封建的なしきたりが残っているとか。都会から若者が「海のきれいなところに住みたい」とやってきても、まるで相手にされないのです。

 そんな、都会と田舎のさまざまなギャップを埋めようという井田さん。3年前に移住されたばかりですが、地域の自主防災活動に積極的に参加し、持ち前の行動力とリーダーシップが住民の信頼を集め、下田で災害ボランティアコーディネートの会を作り、さらにその会で得た人脈をもとに、「“待ち”の姿勢の観光業では伊豆はもたない。人口を増やす努力が必要だ」との熱意で都会からの移住者の積極的な誘致活動を始めた、というわけです。「伊豆へは老後をのんびり暮らすために来たんじゃないの?」と奥様にツッコまれながらも、リタイアした建築設計士の仕事も再開。NPOを立ち上げて1年を経て、すでに移住を果たした人たちや、移住希望者のアンケート調査をきめ細かく行い、問題点を洗い出し、対策に取り組み、コーディネート実現世帯第1号を目指して奮闘中です。

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 井田さんのエネルギッシュで真摯な姿勢に「何とか手助けしてあげたい」と、その場で井田さんにアドバイスをしたり、あちこちに支援先に電話をかけたのが、共に取材にうかがったNPO法人活き生きネットワーク理事長の杉本彰子さんです。

 彰子さんのことはこのブログでも何度も紹介していますのでご存知かと思いますが、情報誌ぱれっとコミュニケーションの制作請負団体の責任者という立場で、どんな遠距離の取材でもきちんと同行し、取材先のNPO団体としっかり情報交換をし、場合によっては先方の相談にも応じたりします。あきらかに情報誌制作という下請作業の範疇を超えていますよね。静岡県のNPO団体の役に立つ情報提供を行い、NPO団体の運営者やこれからNPOを立ち上げようという人に、現状の問題点や解決の手段の一助とする、という、この情報誌の本来のミッションを、自ら実践されているのです。

 私は、彰子さんが取材に同行しNPO当事者ではなければ聞けない質問をぶつけ、先方の声に反応してくださることで、取材の姿勢の根っこの部分をがっちり教えられた思いがして、毎回、本当に充実した取材ができます。

 そのお礼といっては何ですが、せっかく河津まで一日おつきあいいただくのだから、と、私の知っているパン屋さんやお蕎麦屋さんや農産物直売所に寄り道し、お土産ショッピングを楽しんでいただきました。

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 沼津の富士家製パン所(沼津市本郷町9-1 TEL055-931-0339)は、県内最古のレンガ窯で天然酵母のパンを焼く店。コッペパン、ロールパン、イギリスパンなどシンプルで素朴な味が好きで、私はかれこれ20年以上通っています。昭和の駄菓子屋のような雰囲気をまったく変えない店の雰囲気も大好きです!

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 稲取の手打ちそば誇宇耶では、そば通の彰子さんが絶賛してくれました。サイドメニューで頼んだ風呂吹き大根や湯豆腐も、デザートにサービスしてくれたサツマイモ入りそば蒸しようかん&ゆずの甘露煮(写真)も、自家菜園で丁寧に育てた食材を使っているので、素朴でやさしい味わい。お土産用の乾麺や自家製つゆをたくさん買って帰りました。

 

 

 河津町には、彰子さんがいつも取り寄せているという手づくりマーマレードがあるそうで、「おいしいパンが手に入ったから、これもぜひ買って帰らなきゃ」と、ひめみや加工所(河津町笹原348-8 TEL 0558-32-1124)の飯田万津恵さんのいよかんジャムをゲット。

 その後、県賀茂郡健康福祉センター所長の萩原孝子さん(前・県NPO推進室長)を、下田総合庁舎に訪ね、3月で退職されるという萩原さんにご挨拶をしました。

 萩原さんは彰子さんのことを同志のように親身になってサポートされた、県の管理職の方の中でも人一倍心根の深い方。農業普及指導員をされていた頃、ひめみや加工所のマーマレードづくりを支援していたこともあり、彰子さんに飯田さんのマーマレードを紹介したのも萩原さんでした。「飯田さんは彰子さんに一度会いたい、ぜひ講演に来てもらいたいって言っていたの、コンタクトが取れてよかった」ととても喜んでくださいました。

 彰子さんは、田舎暮らし支援の井田さんのことを萩原さんに紹介し、何かあったら応援してあげて、と伝えました。NPOと行政の協働って、基本は、こういう人と人の結びつきや信頼なんだなあってつくづく実感しました。

 

 いい取材ができて、お土産もたくさんゲットして、実に充実した一日でした。が、一番、印象に残ったのは、帰路、真っ暗な亀石峠で、路肩に残った雪を見て、「孫のお土産にしたい」と買い物袋を何枚も重ねた中に、雪の塊を一生懸命詰める彰子さんの姿でした(お孫さんにとっては、他とは比べ物にならないお土産でしたね!)。静岡に着くまで車の中で溶けないかと心配し、少し暖房を弱め、その代わり、一時も休まずあれこれしゃべり続け、23時にやっと帰宅。

 運転の疲労より、ふだんの何十倍も人としゃべった疲れが来て、昨夜はぐっすり眠れました。


地域が目指す世界レベルとは

2008-01-27 00:01:24 | NPO

 25日は静岡県総合情報誌『MYしずおか』次号(2008年春号)の知事対談で静岡空港について、26日は静岡県NPO推進室の情報誌『ぱれっとコミュニケーション』の取材で、東部地域NPO協働推進フォーラムに参加し、地球温暖化と環境問題について、どっぷり考えさせられました。同じ県が発行元になっている広報物なのに、180度違うことを書かねばならないハメになりそうだからです。

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  焼津の松風閣で行われた知事対談では、JNTO(独立行政法人国際観光振興機構)理事長の間宮忠敏さんと、空港が出来ることによって静岡とアジアがダイレクトにつながるメリットや、静岡に世界レベルの飛びぬけた文化や観光的な魅力をつくれば国内外から人を呼べるといった、威勢のよい話のオンパレード。「大交流」「大競争」「グローバル」等々のフレーズが飛び交います。開港時から国際線の定期就航が決まっている地方空港は例がないそうで、知事も鼻高々のようでした。

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 一方、NPO協働推進フォーラムの『千年の森がゴミになる日・地球温暖化とは』と題した講演で、未来バンク事業組合理事長の田中優さん(ミスチル櫻井和寿や坂本龍一のエコ・コンサートをサポートした活動家)が最後に放った一言が、とても印象的でした。

  「地域にないものを探そうとする人、外から持って来ようとする人は、その地域をダメにする。地域にあるものを活かす人が、その地域を真に豊かにする」。

  わかりやすい例が木材で、日本には森林がたくさんあるのに、単に安いからといって森林の少ない国からわざわざ輸入し、国内の森林は利用されずにどんどん荒れ果て、自然災害の温床になっています。

 北米あたりからエネルギーを使って木材を運ぶとき、木材1トンあたり290トンものCO2を吐き出すそうです。木材に限らず食糧もそうですね。最近、フードマイレージという言葉をよく耳にしますが、遠距離から運ばれるモノほど輸送時にCO2を出す。地産地消はその観点からも進展させなければなりません(静岡酒ファンの立場からすれば、静岡で売られる他県の酒や輸入ワインにもフードマイレージを明示させろと言いたい!)。

  

  環境問題とは離れますが、以前、県内のアマチュア劇団の公演情報を集めた『舞台芸術情報』という季刊誌の編集を担当し、同じ文化セクションでも、静岡県舞台芸術センターSPACにかけられる予算はケタ違いで、情報誌の制作費ひとつとっても雲泥の差があることに愕然とした経験があります。

 確かにSPACは一流の演出家が専用劇場で専属俳優を自在に使って、世界レベルの演劇文化を創り上げようとし、一定の評価を得ているようですが、客の6割以上は東京の人だそうです。一方で、私は県内アマチュア劇団のレベルの高さに驚き、取材後も、いくつかの劇団の公演に自費で通いました。地域ぐるみで支援したり、学校OBで力を入れる劇団もたくさんあり、これぞホンモノの地域文化だと思いましたが、アマ劇団に日の目があたるチャンスはなかなかありません。

 空港が出来て、知事の青写真のように、人・モノ・情報が活発に行き交い、静岡が世界に向けて存在感を示す地域になるとしても、地元の市民が観る機会の少ない高尚な舞台芸術やオペラが地域の顔になるんでしょうか。

  

  これだけ環境問題が叫ばれ、ダボス会議やサミットの議題になる時代です。「富士山」を空港名の冠にし、自然景観をウリにするなら、日本でもっとも森林資源や海洋資源を大切にする地域を目指してほしい。たとえば木造住宅建設率ナンバーワン、あるいは省エネ家電やハイブリッド車使用率ナンバーワン、風力発電力ナンバーワン等々、目指す“世界レベル”はたくさんあるような気がします。

 県の東西を貫く東海道だって、昔のように人が歩ける道に戻してほしいし、街道に芝居小屋や茶屋があって、庶民が気軽に大道芸や芝居を楽しみ、観終わった後は居酒屋で地酒を酌み交わす。それが、歩いて帰れる範囲内にいくつもある・・・東海道のお膝元には、そんな娯楽文化もあったはずです。

 いずれにしても、空港開港後、富士山を客寄せパンダにして終わりではなく、富士山のある静岡は、住民も、環境的にも文化的にも進んだ(=地域にあるものを大事にする)暮らしをしている、と思われる地域になってほしい…田中さんのお話をうかがいながら、そんなふうに思いました。

 これから執筆・編集にとりかかるこれらの原稿には、もちろん、そんな個人の余念は挟めませんが。


職人たちの共演

2008-01-25 12:56:22 | しずおか地酒研究会

 先日のブログでご紹介したとおり、映像作品『吟醸王国しずおか』の試し撮影を、23日夜から24日夜まで、まる一昼夜、『喜久酔』の蔵元・青島酒造(藤枝市)で行いました。

 

 このプロジェクトを立ち上げるまでには、いろいろな立場の人から賛否両論もらいました。多くは、やれるものならやってみたら? カネやスタッフが集まったら相談にのるよ、というものでした。まあ、社会に必要不可欠、でもなければ、何か二次的に多くの利益が発生するという事業でもありませんし、映像作りの素人が夢物語にうかされていると思われるのも無理からぬことでしょう。

 具体的な事業計画が何も決まっていない段階で、距離を置こうとする人がほとんどだった中、私の言葉や姿勢だけを“担保”に、実際に動いてくれたのが、喜久酔の青島孝さんと、映像カメラマンの成岡正之さん(オフィス・ゾラ静岡社長)でした。私は、この2人がなぜ力を貸そうとしてくれたのかが、実際の撮影現場を通して解ったような気がしました。

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 この写真は早朝6時、杜氏の孝さん(後姿)と蔵人が朝食をとっているところ。深夜2時に麹の切り返し作業をし、仮眠をとって4時50分から仕込み・麹切り返しをし、酒米の蒸し釜に火を入れて蒸気が上がるまでの時間、食事と休憩をとるのです。気温は5℃。これから始まる一日の本格的な作業を前に、すでに疲労困ぱい状態で、とにかく腹に飯を入れておかないと身が持たない、とばかり、無言で箸を動かす彼らにカメラを向けるのは、いきなり出来るものでもありません。

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 これは麹室の中。喜久酔の最高品種『純米大吟醸松下米40』の麹づくりを接写しています。雑菌完全NGの麹室の中は外部の人間をシャットアウトするのが当たり前。マスコミ取材でもなかなか適いません。しかもその蔵の最高級の仕込み期間中となれば、取引先や見学者の訪問さえ断るのがふつうです。青島さんが心の底から、「日本酒の、静岡の酒造りの貴重な技を後世に伝えたい」と願う私の気持ちを汲んでくれなければ実現しません。

 私は昔から青島酒造の酒造りの姿勢を支持し、さまざまなメディアで積極的に紹介してきたので、特別な関係と思われているようですが、この蔵が、マスコミや取引先を特別扱いする蔵ではないことは、蔵元を知っている人ならご存知でしょう。

 日中の休憩時間は昼食時の1時間だけで、夜は2~3時間ごとに起きての作業。まる一日、まったく無駄口をたたかず、指示待ちすることもなく自分の判断で黙々と働く蔵人の若者たちをファインダー越しに見ていた成岡さんは、「これが3ヶ月、一日の休みもなく続くなんて、ただ給料をもらう仕事と思っていたら続くわけがない。何が彼らをそうさせるのか、それが伝わる映像を撮らなければ意味がない…」とうなり続けていました。

 成岡さんにしても、利益になる補償のまったくない私の夢物語に、徹夜でつきあい、ハイビジョンカメラを回し続けました。酒蔵に何回通えば納得がいくのかわからない撮影を、最後までやろうというのです。酒蔵や地酒ファンを相手にひと儲けしようといった下心では、そんな台詞は出てこないでしょう。

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 私の酔狂なプロジェクトを聞き付け、昨日はケーブルテレビVIC TOKAIの足立弥生さんが取材に来てくれました。なぜ地酒の映画を作ろうと思ったんですか?と問われ、青島さんや成岡さんの、ビジネスとは次元の違う思念や共感を伝えたい、と言いたかったのですが、うまくしゃべれませんでした。

 

 「一番緊張する、リスクの高い時期だから、あえて来てもらった。この撮影は、自分を鍛えるためでもあります」という青島さん。

 「テレビの下請制作ばかりでは、自分たちの理想や技を表現し、高める舞台を見失ってしまう。『朝鮮通信使』であれだけの仕事ができたのに、後にまったくつながらない。こういうチャンスを作ってくれた真弓さんに感謝しているんですよ」と成岡さん。そんな、職人たちの真摯な気持ちと地道な努力を伝えたい―これこそが足立さんへの応えだったような気がします。

 甘い、と笑う人を、いつか、すごい、と言わせるように頑張ります!


カッティング・エッジ

2008-01-23 08:57:48 | 映画

 アカデミー賞のノミネーションが発表されました。私がいつも楽しみにしているのは脚本賞と編集賞。演技部門でも主演より助演を獲った作品のほうに惹かれます。

 

 しずおか地酒研究会の創設時からのメンバーで、折に触れて相談に乗ってもらっているSBSアナウンサーの國本良博さんに、地酒映画作りの参考になるからと、先日、『カッティング・エッジ~映画編集のすべて』というDVDをいただきました。ハリウッドの著名な映画人たちが、編集者がいかにして映画作りに貢献しているかを語る国際共同制作のドキュメンタリーで、NHKハイビジョン特集として放送されたものです。

 膨大な撮影フィルムの中で、どのカットをどれくらいの長さでつなぐのかが作品の良し悪しを決めるだろうことは素人なりに想像していましたが、編集者の中には撮影現場や俳優にはいっさい近づかず、編集ルームの中で、「観客の目にどう映るか」だけにトコトン徹する職人もいて、そういう編集者に一切を委ねる監督もいることにゾクゾクしました。作品でいえば『シンドラーのリスト』や『パルプフィクション』がそうで、『シンドラーのリスト』でベン・キングズレーがリーアム・ニーソンに初めて一緒に酒を飲もうと語るシーンはスピルバーグが編集者の腕を絶賛し、タランティーノは女性の編集者を使うこだわりがあって、お気に入りのシーンをことごとくカットされて腹が立ったそうですが、結果的に彼女の判断が正しかったことを打ち明けます。監督がどんなに思いを込めて創り上げた映像であっても、商業価値のあるレベルに仕上げるには客観的なメスが必要です。監督と編集者の関係というのは「信頼」のMy一言では片付かない深~いものがあると思いました。

 

  今週、私がかかわる静岡県総合情報誌『MYしずおか』352008年冬号)が発行になりました。年4回発行・24ページの広報グラビア誌で、県内公共施設、銀行、病院等の待合室・閲覧コーナー等に置いてあります。毎月、新聞オリコミで入る『県民だより』に比べると馴染みがないと思いますが、静岡県出身の著名人やオピニオンリーダー、全国の自治体、海外の友好姉妹都市等にも送られる、どちらかというと外向きのPR誌ですね。

私が担当するコーナーのひとつに4ページだての知事鼎談があり、35号では「食育」をテーマに、石川知事が、サッカー解説者の山本昌邦さん、静岡県立大学准教授の市川陽子さんと語り合いました。実際の鼎談は1時間半ほど続きましたが、誌面では3000字程度に収めなければなりません。締め切りは翌朝。関係者にご意見伺いをする猶予はなく、書き手の私がそのまま編集することになります。

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県広報担当者から要点の指示はもらうものの、キャリアも立場も異なる3名のフリートークを、1本の読み物に仕上げるには、県の指示とは別次元の、「読者がどう読むか」「話のつながりがとれているか」「スムーズに読めるか」等々、質の部分が問われます。3000字ぐらいの読み物となると、大事なのはリズム感。そこそこのボリュームながら短編コラムのように一気に読ませるテンポが必要です。面白いエピソードでも前後のつながりがとれなかったり主題とかけ離れていたらバッサリ切り、話の順序を変えたり、話し言葉を読める文章に整え、さらに会話らしいやわらかさを脚色する等々、編集のツボはたくさんあり、1時間半の鼎談をひととおり書き起こした後、この作業をチマチマと重ねます。書き起こしの段階では監督のつもりで、メスを加える段になって編集者の気持ちへとスイッチを切り替えるのです。この切り替えがさほど苦にならないのは他人の会話だからでしょう。自分が鼎談の当事者やインタビュアー等で話の内容に関わっていたら、自意識が邪魔するかもしれませんね

活字と映像ではその手間は比較にならないでしょうが、編集という作業の重要性は共通すると思います。編集の制限を受けないブログのような場所では、ダラダラと書きたいだけ書きなぐってしまいそうで恐い…。一応、投稿後もちょこちょこ手直ししているんですけどね。