杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

第108回南部杜氏夏季酒造講習会特別講演

2019-07-30 20:51:56 | 地酒

 7月23日から26日まで、岩手県花巻市で第108回南部杜氏夏季酒造講習会が開かれました。大正3年(1914)設立の南部杜氏協会が、団体設立前の明治45年(1912)から開催している歴史ある技術講習会で、杜氏資格試験も行い、参加者は全国から延べ1800人という日本最大の酒造技術者養成機関。地元の仙台国税局をはじめ各国税局の鑑定官、酒類総合研究所や日本醸造協会の代表者、先進的な取り組みの酒造会社社長等が講師を務めます。

 日本酒造りや南部杜氏を取材する者にとっては非常に魅力的な取材対象ながら、南部杜氏協会に所属または関連先の技術者オンリーの、部外者がおいそれと踏み入ってはいけない“聖地”という思いがあり、私個人は例年5月末に開催される南部杜氏自醸酒鑑評会の一般公開に参加し、日本一の杜氏集団の近況を探ってきました。

 今年は仕事のスケジュールが合わず自醸会に行けなかったため、夏場に余裕があれば懇意にしている杜氏さんを訪問がてら、のんびりみちのく旅行しようかと考えていたところ、南部杜氏協会から突然連絡があり、「夏季酒造講習会最終日の特別講演をお願いできませんか?」と驚愕のオファー。思わず「なんで私が?」と聞き直し、講習会の講師陣の先生からの推薦と言われ、そんなハイレベルの先生方には個人的な知り合いもいないので、大いに戸惑ってしまいました。

 そうこうしているうちに、懇意にしている南部杜氏さんから「講師やるんだって?」「たいしたもんだ」と激励とも冷やかしともいえない電話が相次ぎ、ある杜氏さんから言われた「河村先生や静岡の酒のこと、静岡で頑張る俺たちのことをしっかりアピールしてくれ」という言葉でハッとしました。どなたかはわかりませんがこういう機会を与えてくださったことにまずは感謝し、分不相応だと自覚しつつも背伸びをせず、自分がこれまで見聞きし、感じ、行動してきたことを素直に話そうと腹をくくりました。

 

 これまでの、一般消費者や地酒ファンに向けての講演では、静岡県の地酒が美味しくなった経緯や取材先でのエピソード等で話をつなぎ、吟醸王国しずおかパイロット版の映像を流し、最後は試飲を楽しんでいただくというパターンが多かったのですが、今度ばかりはそうはいきません。対象は全国の名だたる酒造のプロ。ライターである自分が披瀝できるとしたら、ライターとして取材してきた静岡の酒&しずおか地酒研究会の活動、そして、言葉で伝える日本酒の魅力しかありません。悩んだ挙句、過去にしずおか地酒研究会で元SBS静岡放送の名アナウンサー國本良博さんに酒の名文を朗読していただいた『読んで酔う日本酒』という読み聞かせイベントを自分で再現することにしました。

 といっても私は國本さんのようなしゃべりのプロではないので、朗読会で使った吉田健一の『日本酒の定義』や篠田次郎先生の『日本酒ことば入門』のような名著の文章ではなく、古今東西の詩人の歌、酒の広告コピー、そしてこの春、お茶の取材をきっかけに関心を持ち、まだ研究途上ですがこのブログでも取り上げた酒茶論を思いきって紹介しました。

 

 依頼された特別講演は講習会最終日26日の朝9時から10時30分という時間帯。講習や試験は前日までに終了し、参加者の多くは最後の夜ということでトコトン飲み倒し、翌朝の特別講演は毎年眠気との闘いだと聞いていたので、前半はとにかく静岡の酒についてしっかりしゃべり、後半の『読んで酔う日本酒』では半ば本気で「聴く人が心地よく眠くなるようなしゃべりをしよう」と臨みました。講演終了後は修了式と杜氏試験合格者表彰が行われるホールに約400名。実際、目の前で居眠りしている人を見たらちょっぴり凹みましたが(苦笑)、とちっても何でも、とにかくこの時間を与えられたことへの感謝と誠意を尽くすことに徹しました。

 

 

 今回、用意した名文で、最初はとっつきにくいかなと思いつつ、昨夜はさぞ盛り上がったであろう聴講者の顔を見ながら一番しっくりきたのがこれ。

 

 酒逢知己飲 さけはちきにおうてのむ

 

 南宋の禅僧・虚堂智愚(1185-1269)の言葉をおさめた虚堂録から拾った禅語で、酒は気心が知れた仲間同士で飲むのが最高!という意味です。当たり前じゃんと思われるかもしれませんが、全国から研鑽に集まった現役・若手の酒造職人たちが、年に1度、同窓会や同期会のような仲間意識で、昨夜はトコトン飲んで本音で語り合ったんだろうなと想像すると、この一句が、今から700年以上前の中国の禅僧が詠んだとは思えないほど琴線に触れてくるんですね。

 

 それから自分で声に出して読んでグッと熱くなってしまったのがこれ。

 

 内にある迷いや葛藤、それでも真っ直ぐにすすむ誇り。

 この土地で生まれ、この土地で育ってきた。

 それは米も僕らも同じだ。

 一緒にかっこいい大人になろう。

 一緒にうまい酒をつくろう。

 そして一緒に酒を飲もう。


 2016年に日本醸造協会主催「女性のための日本酒セミナー」で酒造会社の女性オーナーや女性従業員を対象に、日本酒のキャッチコピーの作り方をテーマに講演を頼まれたとき、グループワークで受講生に酒造写真にイメージコピーを付けてもらった中のひとつ。私が撮った松下明弘さんと青島孝さんのこの写真に付いた作品です(松下さん&青島さん、勝手にモデル写真に使ってスミマセン)。

 グループ代表で発表してもらったので、どなたの作品かわからないのですが、これを読んだ時、鳥肌が立つくらい感動しました。地元の酒造りや米作りの苦労を知っている人の素直な言葉ですよね(この2人を父子だと思ったようですが)。

 

 日本酒復権と言われる昨今、全国各地でさまざまな地酒イベントや試飲会が花盛り。若者や女性の参加者も本当に増えてきました。しかしながら、イベントブースで用意された酒を一口二口飲むのに慣れてしまい、酒場に行っても酒の注文の仕方がわからない、酒への理解が深まっていかない人が増えているという声も聞きます。これからの飲み手に、もう一歩理解を深めてほしいとき、古今東西の酒の名文や、造り手が自分で考え伝える酒の言葉が背を押すこともあるんじゃないか・・・『読んで酔う』というタイトルにはそんな思いを込めています。

 

 思いつくままの雑駁な話に終始してしまった90分でしたが、終了後は懇意にしている杜氏さんから「短い間によく準備してきたな」と言われ、内容の良し悪しはともかく講演依頼者と聴講者への謝意と誠意は伝わったかなとホッとしました。自分もいろんな講演を取材・聴講しますが、しっかり準備をして真剣に話す人と、何度も同じ話をしているのかナアナアで話す人の違いって伝わってくるんですよね。

 静岡の酒に限定して取材を続けるニッチなフリーライターにこんな日が来るなんて未だにピンと来ていませんが、とにもかくにもお声かけくださった南部杜氏協会の皆さま、静岡の南部流蔵元・杜氏の皆さま、聴講してくださった全参加者の皆さま、本当にありがとうございました。

 

 


お施餓鬼とバイオミミクリー

2019-07-17 11:14:37 | 仏教

 令和最初の7月盆が終わりました。今年は期間中、お手伝いしている禅寺で汗をかく時間を過ごしました。檀家さんの多いお寺なので棚経回りは同門の和尚さんたちに手分けをしてもらうのですが、お寺で留守番していると、ひっきりなしに「何日の何時に来るの?」「こっちも予定があるんだけど」という電話や問い合わせが来ます。お盆のときぐらい家でゆっくり待てないのかと思いつつ気忙しい現代人には無理からぬ話・・・のようで、おたくまで行った和尚さんが「家の中が汚いから今年はいい」と断られたり、いつのまにか家がなくなって空き地になっていたというケースも珍しくないそう。だからこそ、仏壇を大切に手入れされているおうち、読経する和尚さんを丁寧に迎えるおうちはやっぱり〈気〉がいい、とおっしゃいます。

 お施餓鬼法要で説教をされた和尚さんによると、「イスラム圏の国から日本にやってきた留学生が言っていた。‶日本では個人の家にも礼拝所があって素晴らしい。でも熱心に祈っている日本人はあまりいない と」。こういうお話を聞くと、故人が里帰りするお盆という素晴らしい風習がある以上、仏壇のあるおうちはお盆のときくらいきれいに整え、きちんと手を合わせないといけない、と痛感しますよね。

 ところでその和尚さんの説教で面白かったのが、無門関に出てくる公案『趙州、因に僧問う、如何なるか祖師西来意。州云く、庭前の柏樹子』の解説でした。「(禅宗の祖師)達磨がインドから中国へやってきた理由は何ですか?」の問いの答えが「庭先の柏の木」だという禅問答。凡人にはチンプンカンプンですが、説教師の和尚さんはバイオミミクリーの事例で解説してくれました。

 バイオ(生物)とミミクリー(模倣)を組み合わせた「バイオミミクリー」はサイエンスライターのジャニン・ベニュスが造った造語で、神経生理学者オットー・シュミットが1950年代に提唱していた「バイオミメティクス(生物模倣工学)と同じ意味合い。理系の学生さんたちにとっては常識かもしれませんが、私は初めて聞く単語ばかりでワクワクです。さっそく復習しようと購入した新書本『生物に学ぶイノベーション』によると、70年代にはバイオミメティックケミストリー(生物模倣化学)、90年代にはバイオインスパイアード(生物にヒントを得て生物を超える)へと発展。ようするに、生き物の形態・機能・しくみを模倣または活用した科学技術の開発のことです。

 バイオミミクリーではシャープが家電に積極的に導入していて、

〇省エネ技術ネイチャーウイング/トンボの翅、アホウドリ・イヌワシの翼を参考にしたファンの総称。エアコンの送風効率、騒音削減を向上させた。

〇サイクロン掃除機/猫のザラザラした舌を模倣し、スクリューの表面に多数の突起をデザイン。

〇液晶カラーテレビのモスアイパネル/モス(蛾)の眼の構造を参考に、外光の反射を抑えて自然で見やすい液晶パネルを開発。

等が知られています。

 また東海道山陽新幹線500系は、先頭部分の尖った形状をカワセミの口ばしを参考にしたことで有名です。カワセミが餌を取るために水中に飛び込むとき、水しぶきをほとんど上げないことに着目し、空気抵抗を抑える設計で騒音対策に貢献。『生物に学ぶイノベーション』には、ザゼンソウという僧侶が坐禅する姿に似ている多年草の例も紹介されていて、寒冷地で生き延びるため1週間も自ら発熱する機能があり、このしくみを解明・応用した温度調節計が開発されて半導体や金属熱処理炉の制御装置に活用されているそうです。

 

 『生物に学ぶイノベーション』の著者赤池学氏(科学ジャーナリスト)は、生存競争の中で生き残った生物と市場競争の中で勝ち残った技術には、3つの共通点があると述べています。

①変えること、変わることの勇気を放棄したものは淘汰される

②絶えず変化する状況に対し、変革・革新を行ったものだけが生き残る

③その変革・革新は、他者とのつながりや環境への配慮といったバランスマネジメントの上に成り立つ


 これを読んだ後、本棚にあった禅語の本に手を伸ばし、自然に「行雲流水」「結果自然成」「花枝自短長」「応無処住而生其心」といった禅語に目が留まりました。とりわけ、心の実態も認識の対象も、その正体は移り変わる現象以外に何もなく、空としか表現できない・・・ということを意味する「応無処住而生其心」は、バイオミミクリーの研究者ならストンと落ちる言葉ではないかな。調べてみたら、禅祖達磨から数えて6代目にあたる禅の大家・大鑑慧能が悟りを開くきっかけになった金剛般若経の言葉でした。


 そして「庭前柏樹子」。趙州和尚の弟子が「そもそも達磨がインドから中国へやってきた理由は?」と訊ね、和尚が「目の前の柏の木だよ」と答えた。弟子は「私は禅とは何かを訊いているのです。境(心の外の物)で答えないでください」と反論するのですが、和尚は「境で答えてはいないよ」と答え、毅然と「庭前柏樹子」とひと言。この意味するところとして、弟子は心と物質を境界あるもの=対立軸として見ているが、師匠は境も対立軸もなく、達磨が西からやってきた理由やら禅の意味やら何やらの理屈にこだわることなく、ただひたすら無心に、目の前の柏の木に成りきってみなさいと諭した。

 柏の木には特別の意味はないようで、目の前に桜の木があれば桜に、静岡人なら毎朝目にするお茶の木でも富士山でもいい。とにかく身近に目にする自然に仏法を感じることを説いた言葉なんだろうと解釈しました。

 

 お施餓鬼法要で説教師の和尚さんは動物や植物の生態機能が人の暮らしに役立つテクノロジーの源泉になっている事例を紹介し、「庭前柏樹子とは、環境に合った暮らしをしましょうという意味」と噛み砕いて説明されました。お話をうかがい、生物学と機械工学は、現代人にしてみれば境界ある対立軸そのものに見えるけれど、生物への畏敬を基調とした禅の教えや日本人に生来備わった自然観は、地球に生きるもの同士、対立ではなく共生を導いてくれるだろうと思えてきました。こういうことを年に何回か考えさせてくれる場となるお寺や仏壇って、やっぱり大切にしなきゃ、ですね。

 とりあえずこの夏はどこかの高原に、ブッポウソウを見つけに行こうかな。

 





『酒飯論』『酒餅論』-上戸と下戸の飽くなきバトル

2019-07-09 13:23:06 | 歴史

 酒茶論に続く『酒 vs 〇〇』の異類合戦物のご紹介です。

 まずは『酒飯論』。作者は不明ですが、禅僧が漢文で書いた酒茶論よりも和文&絵巻物で読みやすく親しみやすく書かれています。図書館でも、こういう本がピンポイントでヒットしました。

 

 酒飯論の中身は4つの段落に分かれていて、第1段は登場人物紹介。お酒大好きの〈造酒正糟屋朝臣長持〉と、ご飯派の〈飯室律師好飯〉というお坊さんの紹介です。2人の名前が取って付けたみたいで笑えますね!

 第2段は上戸代表・長持が語るお酒の効能。李白や白居易の漢詩、源氏物語や伊勢物語に謳われた酒の風流を紹介し、春の曲水、秋の重陽の節句の宴席に酒盃は欠かせないことや、酒宴の余興に管弦乱舞、白拍子、神楽などさまざまな伎芸が行われていたことを強調。「酒は憂いを消す」「酒に酔った上での失敗は許される」「南無阿弥陀仏を唱えれば破戒であっても救われる」と締めています。

 第3段は 下戸代表・律師好飯が説く飲酒の弊害と茶飯の効能。長持は下戸の悪口はあまり言わないのですが、好飯は上戸を容赦なく非難します。まずは、項羽と劉邦の有名な「鴻門の会」や、殷の紂王の「酒池肉林」など酒で身を滅ぼした故事の紹介。「鴻門の会」は軍力では優位に立っていた楚の項羽が漢の劉邦を陣地に迎い入れ、酒の飲み比べをするうちに気が大きくなり、だまし討ちしようとしていた部下を無視し、劉邦をそのまま帰してしまうというお話。「酒池肉林」は紂王が愛妃を喜ばせようと大量のお酒で池をつくり、お肉の塊を林のように束ねるぐらい超贅沢な酒宴を開いたというお話( “肉欲” の意味はないみたいです)。好飯は項羽や紂王まで引っ張り出して酒は国をも滅ぼす元凶だとしたと強調したわけです。酒のせいばかりじゃないでしょ!ってツッコミたくなりますが…。

 さらには酒飲みの愚行として「クダを巻く」「千鳥足でふらつく」「赤ら顔がド黒くなるのは醜い」「口が臭い」「二日酔いで仮病をつかう」と。・・・こりゃ昔も今も変わらない、キツくてイタ~いご指摘ですね(笑)。

 この後、四季折々の赤飯、麦飯、粟もち、ちまき、亥の子餅など飯餅を総動員してそのおいしさや美しさを褒めたたえ、酒盃に対抗して茶器の価値をアピール。「静かに遊ぶ茶の会は酒盛りよりも面白い」「飯は五味の調熟、味は法喜禅悦」と締めくくります。

 

 第4段は中戸の〈中左衛門仲成〉という人物が説く「ほどほどがいいんじゃない?」という主張。上戸の酔態や下戸の口の悪さは「すさまじい」と両者にツッコミを入れた後、「戒律を堅持する人であっても、禁欲主義者より一杯傾ける人の方が勝る」「宴会、遊興、四季折々、食事の席に酒は欠かせないが、ほどほどが肝」と仲裁役らしいコメント。最後に、「気も過ぎたるも、とりくるし、正体なきも、をこかまし、中なる人のこころこそ、なかき友には、よかりけれ」・・・むやみに気を回されるのは嫌味に感じるし、正体ないほど酔いつぶれるのも見苦しい。ほどほどの心遣いがあってこそ長い付き合いができるものだと結論付けます。これを読んだときは、日本人の精神構造って500年前とそんなに変わっていないんだなあと、なんとなく嬉しくなりました。

 

 参考にした漢文学者・三瓶はるみ氏の論文『日中の酒にまつわる論争について-「酒飯論」を中心に』では、上戸の長持は浄土宗、下戸の好飯は法華宗(日蓮宗)、仲成はさまざまな宗派の教えを包含する天台宗の象徴ではないかと解説しています。酒vs飯の背景に宗派バトルがあるとしたら、群雄割拠する戦国時代にこのような争論が誕生したのもなるほど、と思えます。

 前掲した『日本絵画の転換点ー酒飯論絵巻』で、著書の並木誠士氏(美術史家)は、この酒飯論絵巻が平安以来の伝統的なやまと絵の “絵空事” の世界に、庶民のリアルな日常生活描写を採り入れた日本美術史上画期的な作品だと紹介しています。原本不明で元の作者はハッキリせず、粉本(手本となったもの)や模本しか現存していないため、ちゃんとした研究対象にならず知名度も低いようですが、並木氏は美術史の観点から制作期は1520年代、作者はかの狩野派を大成した狩野元信(1476-1559)ではないかと述べています。それはそれでスゴイけど、禅僧蘭叔が1576年に書いた『酒茶論』よりも前に描かれたことになり、そもそも酒茶論と酒飯論のどっちが先なのか、現時点で調べた限りではよくわかりません。

 


 もうひとつ、『酒餅論』を紹介したいと思います。江戸初期の作とみられ、こちらも作者不詳。花見に餅菓子を食べていた人々に怒った〈酒田造酒之丞のみよし〉と、餅の効能を説いて反論した〈大仏鏡の二郎ぬれもち〉に、加勢する者が続々と現れ、〈のみよし軍〉と〈ぬれもち軍〉の合戦になるという奇想天外な争書です。こちらの人物名も、なんとも笑えますよね!


〈のみよし軍〉は先陣に南都諸白、小浜諸白、薩摩泡盛以下諸国の銘酒が陣取り、これに肴の一族、鳥類、精進肴が馳せ参じます。

 対する〈ぬれもち軍〉は、総大将ぬれもち、餡餅が防備を固め、あべ川の砂糖餅、胡麻餅、くわ餅、鯨餅、ぼた餅らが陣取って、これに麺類と干菓子どもが加勢。果物どもはいずれに味方すべきか日和見・・・なんですって。江戸の初~中期は庶民のお菓子といえば餅菓子が主流で、国産砂糖が市中に出回るようになった江戸後~末期に饅頭や羊羹が登場し、本格的な甘党優勢の時代になったそうです。

 両軍入り乱れているところへ、仲裁役の〈飯の判官たねもと〉が割って入り、本汁、二の汁、鯉の刺身を従え、理を諭します。飯の判官は諸食の大将だそうで、両軍逆らえず、和睦。めでたしめでたし。・・・なんだかこっちのほうが絵巻物にふさわしいような気がします(笑)。

 参考にした『酒の肴・抱樽酒話』の著者青木正児氏(中国文学者)は、中国の茶酒論の由来からして、もともと酒の歴史は茶のそれとは比べ物にならないほど古く、茶は南方からやってきたいわば新参者。下戸に飲ませる酒の代用品に過ぎなかったといいます。

 蘭叔の酒茶論も、当時勃興してきた茶の湯の勢力と、反発する旧勢力との抗争が背景にあったとし、「酒の妙趣は下戸に言っても分からない。また言って聞かす必要もないのである。酒茶・酒餅の論の為す如きは野暮の骨頂、これらは恐らく中戸の両刀使いが物した愚作であろう」とバッサリ。確かにそのとおりですが、上戸と下戸が言いたいことを言い合って、中戸がバランスを取って治めるという論争を人々が楽しんで読んでいた姿は、けっして愚かだとは思えない。世の中には結論が出ない、白黒ハッキリさせられないことがたくさんあるわけで、人々は身近な酒や飯・餅に置き換え、留飲を下げていたという面もあるんじゃないかな。

 

 酒を題材にした名文・奇文・珍文の探索は、その時代の社会の有様が見えてくる面白い知的冒険だということを今回発見できました。さらに深掘りしていきたいと思っています。

 

 

 


酒茶論、酒vs茶の可笑しな論争

2019-07-03 09:23:24 | 歴史

 6月11日投稿のブログ記事『広辞苑、重版の旅』で、1955年発行の広辞苑第一版が静岡県立図書館で閲覧できなかったと書きました。その後、やっぱりどうしても気になって、国立国会図書館複写受託センターにアクセスし、広辞苑第一版の「清酒」「杜氏」の説明箇所をコピーして送ってもらいました。

 私は件の記事で、

「清酒」に関しては第二版(1969)で「わが国固有の酒。蒸した白米に麹・水・酒酵母を加え、発酵させてもろみを造り、これを濾過して製する。淡黄色で特有の香味がある。すみざけ。日本酒。↔濁酒」とあり、第三版(1983)、第四版(1991)まで同じ。

 第五版(1998)は「わが国固有の酒。蒸した白米に麹・水・酒酵母を加え、発酵させてもろみを造り、これを濾過して製する。淡黄色で特有の香味がある。すみざけ。澄んだ純良な酒。↔濁酒」とあり、澄んだ純良な酒。というのが追記された。これが直近の第七版まで踏襲されている。

 と紹介し、1998年になって「澄んだ純良な酒」という表現が追加されたのは吟醸酒ブームが影響したのでは?と推察したのですが、第一版(1955)で、

①澄んだ日本酒。純良な酒。すみざけ。↔濁酒。②我が国固有の酒。白米に麹と水、または酒酵母を加えて醗酵させ、これを濾過して濾した淡黄色で、特有の香味ある酒。

 

と、いきなり冒頭に登場していたのです。1998年が初めてではなく、1955年の時点でしっかり表現していたんですね。っていうか、清酒の説明は最初から「澄んだ純良な酒」だったんです! だったらなんで第二版(1969)から第四版(1991)まで削除されたんだろう?・・・まあ、どーでもいいっちゃ、いいんだけど、言葉の選択に何かしらの時代背景や筆者の意図がある?なんて、ついつい深読みしてしまいます(苦笑)。

 

 ところで、前々回記事(6月17日投稿)の『第三の茶・香り緑茶』の末尾に、『酒茶論』という古文が気になっていると書き残しました。今回はその続きです。

 酒飲み(上戸)とお茶好き(下戸)が、酒と茶のどちらが優れているかを論争する『酒茶論』の存在は、以前から知っていましたが、今春、久しぶりにがっつり静岡茶の取材をして「茶どころ静岡の酒飲みならば知っておくべきだろう」と実感し、まずはネットで〈酒茶論〉と検索してみたら、品川にあった長期熟成酒バー・酒茶論ばかりがヒット。酒茶論そのものの解説記事や解説本の紹介はごくわずかでした。

 数少ない情報を辿ってみたら、〈酒飯論〉〈酒餅論〉というのも見つかり、酒vs茶、酒vs飯、酒vs餅という論争が一種の形式化されていました。このような形式の読み物を「異類合戦物」と呼び、室町~江戸時代に人気を集めていたそうで、ほかに〈梅松論〉〈油炭紙論〉などもあるようです。日本人はどちらかといえばディベートを好まないと思っていましたが、こんな知的な論争を楽しんでいたなんて!

 

 さて、ネットや図書館巡りで文献をいくつか入手し、このひと月あまり、じっくり読み込んでみた内容を、自分自身の頭の整理を兼ねて、ここで紹介したいと思います。

 

 酒と茶(もしくは飯、餅)の争書というのは前述の通りいくつかあります。

①中国敦煌遺跡から出土した文物「茶酒論」。唐代後半頃までに成立した争奇書。茶と酒による論争を水が仲裁するという内容。これがたぶん一番古いと思われます。原点はやはり中国でしたか。

②戦国時代の天正4年(1576 )、岐阜にある臨済宗乙津寺の蘭叔玄秀和尚が書いた「酒茶論」。上戸の忘憂君(ぼうゆうくん)、下戸の滌煩子(できはんし)という2人が中国の古典等を引用し、酒と茶の優劣を論争。最後に中戸の一閑人(いっかんじん)という人物が登場して仲裁します。蘭叔は後に臨済宗総本山妙心寺第五十三世管主となり、織田信長も帰依したという高僧で、岐阜の乙津寺に残った酒茶論原本は太平洋戦争で焼失、妙心寺塔頭養徳院のものは現存。…養徳院は非公開寺院のようですが、なんとか拝見できないかなあ~!

 原文は約2000字の漢文。私の頭で読み下すには時間がかかり過ぎるため、淡交社刊『茶道古典全集第二巻』で見つけた福島俊翁氏による現代語訳をもとに、一部抜粋&意訳してみます。


酒(忘憂君)「お茶の徳、酒の徳のどちらが高いか比べよう」


茶(滌煩子)「無駄だ。茶に勝てるはずがない。第一、酒は仏様が深く戒めただろう」


酒「聖人・賢人とは、殷の高宗が澄んだ酒を聖(ひじり)、濁ったのを賢(さかしびと)といったことが由来するのだ。御飯の後に飲むのを中の酒といい、昔の人は酔いもせず醒めもせずに飲むので中といった。そこから中庸という言葉も生まれた。史記では“酒は百薬の長”といっているではないか」


茶「茶という字は、草と木の間に人と書く。酒は水の鳥(酉)と書くが、鳥より人間の方が貴いのはあきらかだ」


酒「人間が草木の間に置かれているなら狩人・薪取り(一般に身分の低い賤しい者を指す)じゃないか。高貴な身分の人は飲まないんだな?」


茶「茶の道具は金銀珠玉銅銭土石で作り、その価値はいかほどかわからない。好事者は無上の宝とし、もしその一つでも手に入れようものなら、天下の大評判となる。酒の道具は何文にもならないだろう」

 

酒「風流を対価で論ずるな。春は桃李園で宴をし、花に座して月に酔い、夏は竹葉の酒を酌み、秋は林間に紅葉を焚いて酒を温める。冬は雪の中で寒さをさける」


茶「茶は四季などにこだわらない。いかなるときも瞬時を大切にする。陸羽が記した茶経では“その樹は瓜廬(かろ)の如く、葉はクチナシの如く、花は白薔薇の如く、茎は丁香の如く、根は胡桃のようである。その名を茶という”とある」


一閑人「二人とも、言い争いをしても酒の徳、茶の徳を究めることはできないぞ。二つは天下の尤物(ゆうぶつ=優れたもの)。お酒はお酒、お茶はお茶なのだ 」

 

 ・・・最初一読したときは、頭でっかちの屁理屈合戦だなあと笑ってしまいましたが、このディベートを頭の中で創造した蘭叔和尚というのは、さすが、信長が帰依しただけの高僧。どういう意図でこれを書いたのか深読みせずにはいられません。

 ちなみに、中国の茶酒論では、茶と酒の論争を〈水〉が仲裁し、「茶も酒も、水がなければ形容はできない。また米麹も乾いたものは胃腸を害し、茶の葉も乾いたものを喫すれば咽喉を破る。万物は水あってこそ」と丸く収めています。〈水の仲裁〉のほうが、なんとなくしっくり来ますよね。

 

 ほかにー

③酒飯論 室町末期の作。酒茶論より少し後か?作者不明。和文と絵巻物の2種類あり。

④酒餅論 江戸初期の作とみられる。作者不詳。花見に餅菓子を食べていた人々に怒った〈酒田造酒之丞のみよし〉と、餅の効能を説いて反論した〈大仏鏡の二郎ぬれもち〉。双方に加勢する者が現れ、〈のみよし軍〉と〈ぬれもち軍〉の大論争となる。

⑤酒茶問答 江戸末期の作。作者・平安三五園月麿。蘭叔和尚の酒茶論に日本の故事を加えたもの。


 現時点で調べた限り、酒と〇〇を論争した異類合戦物には上記5種類がありました。長くなりましたので、③~⑤についてはまた。


参考文献/群書類従第19 巻「酒茶論」、茶道古典全集(玄宗室編)、「酒茶論とその周辺」渡辺守邦著、「日中の酒にまつわる論争について」三瓶はるみ著