杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

ふじのくに世界に誇れる地元食材との出会い

2013-08-30 19:07:57 | 地酒

 やっと涼しくなったと思ったら、今日はまた猛暑に逆戻り。本日、日刊いーしず地酒コラム【杯は眠らない】に、涼しくなったことを前提に「秋上がりの季節」という記事をUPしたのに、アテが外れてしまいました・・・。今年の8月は結局「暑い!」でフィニッシュしそうですね。記事では9月の県内地酒イベントスケジュールを掲載しましたので、ぜひ参加してくださいね!

 

 

 今日は、先週参加した地酒イベントの報告です。

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 御殿場市新橋にある割烹『みなみ妙見』は、しずおか地酒研究会会員店として長いおつきあいの店。昨年、母親と一緒に行ったときは、話の流れで、ご主人池谷浩通さんのお母様の親友が、私の母の田舎(伊豆・修善寺)の幼馴染みだったことが判明し、その場でその親友を店に呼んでくださって、五十年?ぶりぐらいに再会した、なんてこともありました。今年7月の土用の丑には、家族全員でうなぎを食べに行き、すっかりお世話になったばかりです。

 

 その、みなみ妙見さんで、SBS学苑沼津校一日講座『ふじのくに世界に誇れる地元食材との出会い~静岡県内産うなぎと銘酒白隠正宗』というイベントが、8月24日(土)に開催されました。

 

 

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 池谷さんが県産うなぎ、御殿場わさび、長泉産長ネギ、県産新米なつしづか等、県産食材を駆使したコース料理を紹介し、『白隠正宗』の蔵元杜氏・高嶋一孝さんが純米にごり、蔵付き酵母純米、生酛熟成3種を紹介するという贅沢なラインナップ(これで会費6000円は破格!)。

 

 

 

 

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 うなぎに生酛熟成という組み合わせは、試飲時、あまり食物を採らない自分の胃袋には、ちょっぴりヘビーだったんですが、高嶋さんの酒は、食材との食べ合わせや酒の温度によって、ハッとするような変化を見せ、食べずに呑むor呑まずに食べるのが無性にモッタイナイと思わせてくれました。

 

 

 

 

 『白隠正宗』はオール純米酒の蔵になったため、出された酒もすべて純米酒。一般に、純米酒・純米吟醸酒は、醸造アルコールを添加した普通酒・本醸造酒・吟醸酒よりも食中酒向きというイメージを持ちます。

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  ただ、私の試飲能力では、アルコールの強さが全面に出る純米酒と、おだやかに仕上げたアル添酒では、どちらが食中酒向きかは判断がつきません。今回試飲したオール純米酒の中にも、アル添したようなキレやカドがあり、燗を付けてやわらかくすると純米らしくなる酒もありました。

 

 

 後から添加して調整できるアル添酒と比べ、アルコールを自然発酵させる純米酒は、ある意味、難しい酒でもあります。開封するタイミング、温度、一緒に食べる食材・・・さまざまな条件に影響される。その意味では、面白い酒でもあります。

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 今回は、精米60~65%の純米酒という条件下で、にごり、特殊酵母、生酛と、ユニークな造り方のラインナップがそろったため、その面白さ、難しさがとてもよく理解できたと思います。

 

 さらにいえば、生酛のようなヘビーな酒は、よい環境で熟成すれば、本当に素晴らしいビンテージになることもよく解りました。

 生酛純米酒23BY(1年熟成)と、22BY(2年熟成)では、ビックリするほど変化していた。たった1年ですが、22BYの艶のある味わい。両方とも原料米は、麹は「誉富士」60%精米、掛は「あいちのかおり」65%精米。ともに静岡酵母NEW-5を使ってるので、スペックの違いはないはず。この違いが生酛由来なのか、保存の仕方なのか、その場では判断できませんでしたが、本当にビンテージ価格をつけてもDsc03231良い素晴らしい熟成酒でした。

 

 

 一方、燗付けをすると、23BYのほうがしっくりくる。22BYはなんとなく、ぼや~んとしてしまう。不思議ですねえ・・・この違いも大変興味深いものがありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私個人の印象では、日本酒って、純米かアル添か、原料米が何か、酵母が何か(とくに新酒鑑評会で賞を狙うような酒には)重要なことかもしれないけど、日本酒の味はそんな型どおりの条件の違いだけでは語りきれないような気がする。

 

 

 さらにいえば、造り手さんにとっては、仕込みのときにアルコールをどれだけ出すか。当たり前だけどやっぱり酒を造っているんですから、専門用語で言うところのボーメ(糖分)の切らし方=糖をどれだけアルコールに変えるかは本当に重要だろうし、後処理(加水や火入れや濾過や貯蔵)によって、ストレートで美味しく呑める、15度以上のアルコール酒に仕上げるには、どれも手を抜けないでしょう。アル添を全廃した純米オンリー蔵にとっては、ホント、腕の見せ所だと思います。

 

 

 なんか偉そうに酒造りの話にまで突っ込んでしまってスミマセン。

 

 池谷さんの料理はどれも申しぶんありませんでしたが、とりわけ酒肴としては、御殿場わさDsc03239
びのクキを御殿場の天野醤油に漬け込んだ肴、御殿場わさびをトッピングした鰻の白焼きちらし寿司が絶品でした。

 最後にいただいた新米なつしづかの鰻重、鰻もさることながら、今年最初の新米に感動。美味しい米は酒のつまみになるんだって発見できました!

 

 

 米、醤油、わさび・・・やっぱり日本酒に合うのは、ベーシックな和の素材なんだなあ。こういうことが解るのも、一人の料理人がまっとうな食材を使い、一人の蔵元の酒をじっくり飲み比べることができたからだと思います。

 【杯は眠らない】で紹介した地酒イベントの多くは、より多くの銘柄や店を追いかける楽しさがありますが、酒歴を重ねてくると、こういう、落ち着いたイベントのほうがしっくりくるような気もする。池谷さん、高嶋さん、本当にご馳走様でした。

 

 


福島いわき再訪(3)~会津坂下の立木観音

2013-08-22 14:43:04 | 東日本大震災

 今回、いわき市には被災地のその後を視察する目的で行ったのですが、過去2回とも、いわき沿岸の被災地しか行っておらず、福島に来た!いわきを楽しんだ!という経験がないまま、またトンボ帰りするのももったいないなぁと思い、ちょっぴり観光も楽しみました。

 

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 四倉ふれあい市民会議のみなさんには、美空ひばりの「みだれ髪」の舞台になり、歌碑が建つ塩屋崎灯台、三崎公園マリンタワー、復興飲食店街「夜明け市場」を案内していただきました。

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 いわき駅に近い中心街にある『復興飲食店街・夜明け市場』は、3・11の後、事業継続が出来なくなった飲食店が再起を期して、昭和の横丁「白銀小路」の空き店舗に2011年11月にオープン。レトロな横丁にイマドキのイタリアンバルや和風ダイニングの店など11店舗が並んでいます。

 

 小さな店ばかりで、四倉ふれあい市民会議の皆さんと私たち全員が入れる店がなかったため、外観だけ楽しみました。今度来るときはハシゴするぞ!

 

 

 

 

 

 

 観光といっても、当初は漠然と、いわきといったらフラガールで有名なスパリゾートハワイアンズあたりかなあと思っていたんですが、18日朝、ホテルでモーニングを取っているとき、偶然、現地の新聞記事で見かけたのが、「恵隆寺の立木観音、17~18日にご開帳」という記事。恵隆寺をスマホで検索してみたら、高さ8.5メートルもある一木彫の千手観音で、年に1度、8月17~18日の例大祭で開帳法要が行われ、一般の人が自由に拝観できると知り、がぜん興味が湧きました。

 

 道の駅よつくら港へお礼に寄ったところ、「立木観音は“コロリ観音”で有名ですよ」とのこと。ご利益がコロリと授かる、あるいは長患いすることなくコロリと死ねる、というわけです。

 ただし恵隆寺がある会津坂下町は、喜多方市と会津若松市の中間に位置し、いわき市四倉からは常越道で2時間弱の、新潟県に近い内陸部。初めて行く土地で、ご開帳の時間に間に合うかどうかわからない不安のまま、とにかく高速を飛ばして一路会津へ向かいました。

 

 金塔山恵隆寺(えりゅうじ)。会津には名刹が多いと聞いていましたが、これほど堂々とした御堂とは、思わず平野さんと「じぇじぇじぇ~」。

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 参拝客の行列が伸びる観音堂(国重文)は、茅葺屋根の伝統的な寄棟造り。鎌倉初期、1190年に創建され、江戸初期の1611年に慶長の大地震で大破、6年後に再建されたものです。

 

 

 本尊の十一面千手観音菩薩(国重文)は、808年に弘法大師が立ち木(根っこがついた状態の木)の状態から彫刻した、身丈8.5メートルの一木彫。根付きの立木仏像では日本最大級の大きさだそうです。お顔は平安期らしい目鼻立ちがくっきりとしたふくよかな表情で、拝顔すれば“コロリ”安らかに逝ける、という言い伝えを素直に信じたくなりました。堂内は撮影厳禁だったため、写真で紹介できないのが残念です。

 

 

 

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 観音さまの両脇には、二十八部集プラス雷神・風神の計30体の仏さまがひな壇のように並んでいました。これがまた圧巻。密教様式を忠実に再現しており、これほどパーフェクトなのは、京都の三十三間堂とここだけ、なんだそうです。いずれも2メートル弱の大きさで、衣の極彩色がところどころに残っています。こういう圧倒的パワーの仏像群を、目と鼻の先、本当に擦り寄れるような近さで観ることができたのです。

 

 国の重要文化財を、ガラスやフェンス越しでなく、直に至近距離で参拝できる寺って、珍しいんじゃないでしょうか。・・・高校生のころから35年余親しんできた仏像鑑賞キャリアの中でも屈指の体験でした。

 

 

 

 

 立木観音恵隆寺がある会津坂下町、来てから気づいたのですが、赤穂浪士の堀部安兵衛、『八重の桜』で黒木メイサが演じた中野竹子、演歌歌手の春日八郎、昭和の作曲家猪俣公章の出身地で、町のメインストリート=旧越後街道のライヴァン通りには、『飛露喜』の廣木酒造、『天明』の曙酒造、豊国酒造が立ち並ぶ蔵の町でした。

 

 

 

 時間がなかったため、蔵見学や街の散策はできませんでしたが、会津屈指の米どころと聞いて、COOPで坂下産コシヒカリと、ちょうど切らしていた味噌をライヴァン通りの老舗・八二醸造で購入し、帰路に付きました。

 

 

 海の町いわきと、山の町会津・・・二つの文化と風土を抱く福島には、静岡人がシンパシーを感じる魅力が秘められていると思いました。

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 いわきの海沿い、漁業やマリン観光で活気のあった町々の今現在、置かれている状況を知ると辛くなりますが、いわきの海の幸と、会津の地酒、2つの食文化を大切に思う気持ちだけはしっかり受け止め、出来る限りの支えを続けていければ、と思いました。

 

  
 この夏、いわき市沿岸では、勿来と四倉、2つの海水浴場が復活しました(勿来は昨年再開)。18日は四倉海水浴場がクローズする日でもありました。美しい砂浜海岸に、真に明るい太陽が恵みを降り注ぐ日が来ることを祈っています。またその日が来るまで、いわきとの絆を大切にしていきたいと思っています。

 四倉の皆さま、本当にありがとうございました。

 

 


福島いわき再訪(2)~ダークツーリズム

2013-08-21 14:54:09 | 東日本大震災

 8月17日午後は、2011年4月に視察したいわき市の沿岸部を再訪問しました。

 

 最初に向かったのは、やはり2011年4月に最初に訪ねたいわき市久ノ浜(こちらの記事を参照してください)。

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 左写真が2011年4月の様子。

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 現在はこのとおり橋が復活していました。

 

 

 

 

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 左写真は2011年4月当時の、津波と火災で焼失した集落。

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 現在は瓦礫が撤去され、家の土台だけが残っていました。

 

 

 

 

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 左は2011年4月の久ノ浜稲荷神社のほこら。右は現在の様子。赤鳥居の脇の旗には、「ここに故郷あり 稲Dsc03119_2荷神社」と記されていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 次に訪ねたのは薄磯地区。2011年4月、今でも忘れられないのが、横倒しになった冷蔵庫の中に生タマゴのパックが残っていたこと。

 

 

 

 

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 そして今回もこの地区で強烈な風景を目の当たりにしました。右写真の富士山のような形の足場は、防潮堤の建設予定地。こんな、こんもりとした丘みたいな堤防が、岸辺を延々と覆ってしまうというのです。

 

 大津波から命を守るには、こういう対策を選択するしかなかったんだろうと思いますが、もはや、ほとんどの住民が高台へ移転し、住む人がいなくなった地域に、これが本当に必要なんだろうか、他に予算を投じるところはないんだろうか、せめてコンクリートの壁ではなく、昔みたいな松の防潮林に出来ないのだろうかとふと思ってしまいました。

 

 

 

 津波のリスクは、ここはもちろん、日本国中の沿岸地域にあるものの、ふだんは本当におだやかで美しい白浜のビーチ。

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 この日も岩場で水遊びする親子連れの姿を見かけました。

 

 

 

 

 

 南に続く豊間地区、江名地区でも、防潮堤が造られる予定。海水浴場や磯民宿を営む住民の皆さんにとって、お客さんに、ふるさと自慢の美しいビーチを見てもらえなくなるということが、どれだけ辛いことでしょうか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

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 小名浜港にあるいわき市観光物産センター『いわき・ら・ら・ミュウ』からは、復興過程の小名浜港の様子を観ることができました。

 

 

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 館内ではちょうど、『3・11 いわきの東日本大震災展』をやっていました。

 

 津波被害の写真や映像や復元資料などが並び、被災当事者にとっては辛い記憶を呼び戻すものだったと思われますが、警察や自衛隊でしか撮れなかった救出作業のリアルな現場写真は、今観ても、心打つものがありました。

 

 

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 静岡市消防局の救援活動写真が大きくパネルになっていたのが、ちょっぴり誇らしかった。

 

 

 

 

 

 今回の視察。自分自身は、純粋に取材者として、リニューアルした道の駅の施設を早く観たい、震災1ヵ月後に視察した被災地がどうなっているのか観てみたい、という気持ちで訪ねたつもりでしたが、帰宅後、あれこれ調べてみたら、最近では、死や苦しみの舞台となった地を訪ねる“ダークツーリズム”が、観光ツアー商品になっているんですね。自分にはその自覚がなかったので、ダークツーリズムという言葉を知ったときはちょっとビックリしてしまいました。

 

 

 

 ネットニュースで調べたところ、ダークツーリズムは、とくに目新しいものではないようで、AFP通信のBBNewsが、今年4月、世界のダークツーリズムのベスト8選として、ポーランドのアウシュビッツ(ユダヤ人強制収容所跡)、カンボジア・プノンペン近郊の虐殺記念館(ポル・ポト派による大量虐殺の記録)、広島平和記念資料館などを紹介しているそうです。

 

 東日本大震災の被災地でも、被害を受けた建物を残すモニュメント構想が進んでいます。

 

 注目は、批評家の東浩紀さんが、チェルノブイリ原発が事故から25年の2011年から観光ツアーが解禁されているのを参考に提唱する「福島第1原発観光地化計画」。跡地を更地にせず、周辺の放射能が一定レベル以下に下がった段階で、原発から20キロ程度のところに宿泊施設を備えた「フクシマゲートヴィレッジ」を開設し、原発事故の記憶を伝える博物館や自然エネルギーの研究施設なども併設する。観光客は、ここを拠点に、バスで「サイトゼロ」の廃炉現場に行き、作業を見学する――といった案が練られているそうです。

チェルノブイリが25年かかった観光ツアーの解禁。いまだに放射性物質の汚染水がダダ漏れし、効果的な対策が打てない状況下で、一体いつ実現する話なんだろう、たぶん宇宙旅行なんかのほうが先に実現するんだろうな・・・。

 

 

 とにもかくにも、翌18日は、過去2回の訪問で行けなかった20キロ圏の一般車輌通行止めギリギリのところまで行ってみました。

 

 

 

 静岡ナンバーの車でノコノコ物見遊山するのはどうかとも思いましたが、四倉ふれあい市民会議の皆さんから、「いわきの観光といえばスパリゾートハワイアンズや美空ひばりの“みだれ髪”の歌碑がある塩屋崎灯台が代表格だが、今、観て欲しいのは、そこだ。今の現実をしっかり認識してほしい」と背を押していただいたのです。

 


 

 

 

 

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 沿岸を通る国道6号線・通称「陸前浜街道」沿いには、途中、こういう道路標識が設置されています。

 いわき市を抜け、広野町、楢葉町、富岡町と北上する途中、幹線道路沿いでよく見かける郊外型ショッピングセンター、コンビニ、ガソリンスタンド、カーディーラーが、まったくの無人で、まるで映画村のセットのようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 楢葉町の『道の駅ならは』、建物はものすごく立派だし、高台にあって津波の被害は受けなかっただろうと思われますが、クローズしたまま、警察の詰め所になっていました。

 

 

 津波被害を受けながら、市民の力で甦った『道の駅よつくら港』とは、車でほんの15分ぐらいの距離なのに、このギャップはきついな・・・。

 

 

 

 

 

 

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 そして、許可車輌以外進入不可の避難指定区域ゲート。他に進入しようとする車両はなく、警察官の眼がいっせいにこちらに注がれ、ビビッてしまいました。

 

 東さんが提唱する「フクシマゲートヴィレッジ」なるものが本当に実現するならば、この一帯の、映画のセットのような、ゴーストタウンのような乾いた空間に、少しは温もりが甦ってくるのでしょうか・・・。

 

 

 

 

 ふと、中山間地で見かける、雑草が生え放題となり、野生動物が往来する耕作放棄地のことを思い起こしました。少しでも人の手が入らなければ、土地というのは荒廃の一途を進むしかない。再生するには途方もない労力と時間が要ります。

 そんな、“放棄地”が、ここでは自治体サイズで広がっているんだとジワジワ実感しました。

 

 

 国土が狭く、7割近くが森林・山岳地帯で、限られた平野部に人口が密集する日本。7割も森林があっても、日本の木材自給率は3割程度。使用する木材の約7割を輸入に頼っているのです。

 

 

 石油や天然ガスが導入される以前、日本のエネルギー資源は木材でした。戦後、膨大な予算を投じて拡大造林政策がとられ、高度経済成長期は建築用材ニーズによって木材自給率は9割を誇っていました。

 

 自給率が悪化したのは、木材輸入の自由化です。後に残された膨大な人工林は放置され、林業は衰退し、森林は手入れがされなくなり、台風や豪雨で山崩れが頻繁に起き、二酸化炭素の吸収力も低下していった・・・。中学生でも理解できる“負の連鎖”です。

 今、問題になっているTPPも、流されるままに自由化という選択を安易に選んでいいのだろうかと考えさせられます。

 

 

 森林を見放し、効率重視で原子力エネルギーに傾注した日本は、津波によって強烈なしっぺ返しを受けたんだろうと思えます。当面、火力発電に頼らざるを得ない状況下で、日本人がすべきことは、森林資源の価値をもう一度見直すことではないでしょうか。

 

 

 なんだか取りとめのない長文になってしまいました。続きはまた。

 

 


福島いわき再訪(1)~甦った道の駅よつくら港

2013-08-20 21:39:39 | 東日本大震災

 今年のお盆は、いつにない時間を過ごしました。

 まず8月10日から15日までは、バイト先のお寺にこもってお盆行事のサポート。加えてお寺のお身内が亡くなって通夜や葬儀の準備に大わらわ。ある意味、お盆らしいお盆だったと思います。この時期の、冷房のない本堂での盆の棚経、通夜、葬儀は“精神修行”そのものでしたが(苦笑)。

 

 

 

 8月17日~18日は、福島県いわき市の被災地に行ってきました。ご縁のあるいわき市四倉の『道の駅よつくら港』がリニューアルオープンして1年。8月11日の1周年記念イベントには行けませんでしたが、17日夜に四倉鎮魂花火大会があると知り、平野斗紀子さんを誘って車を飛ばして行くことに。

 

 

 お盆のUターンラッシュが心配で、静岡を朝4時に出発。拍子抜けするほど道は空いていて、海老名と友部のSAで休憩しがてら、6時間ちょっとで到着しました。

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 常磐道四倉ICを降りて海岸に向かって行くと、、四倉港の手前に鮮やかな道の駅の建物が見えてきました。震災後、2011年の4月と6月に来た時は、津波にやられたままの状態(写真左・記事はこちら)だったので、その見事な再生ぶりに、目頭が熱くなりました。

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 こちらの記事でも紹介したとおり、道の駅よつくら港は、民設民営の地元物産&情報発信施設です。2009年12月にオープンし、わずか1年4ヵ月後に被災してしまいました。関係者のみなさんの心情を想像すると、いたたまれない思いがしますが、「必ず復興する」という強い意志が、2012年8月のリニューアルオープンに結実したのでした。

 

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 もともとの施設は左写真のような雰囲気でしたが、リニューアルした建物は、1階部分が嵩上げされ、万が一津波にやられても2階に避難し、数日間は避難生活が送れるよう準備を整えたそうです。Dsc03104

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 1階嵩上げ部分を支える柱には、多くの人々のメッセージ陶板が埋め込まれていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 店内は1階が物販コーナー。観光みやげ物店&農産物直売市&コンビニが一体となり、多くの人でにぎわっていました。

 

 

 

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 私が大好きなこちらのコーナーもこのとおり充実しています

 

 

 

 

 

 

 

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 2階はフードコート&海カフェ。見晴らしのよさはバツグンです。私たちは会津喜多方「喜一」のラーメンをいただきました。写真の会津水ラーメン(冷やし塩ラーメン)は、使用する塩が「会津山塩」。海塩じゃなくて、グリーンタフ地層に残った太古の海水成分が高温の地下水に溶け出した山の塩なんだそうです。塩素イオンより硫酸イオンが多く、まろやかな風味を感じました。塩辛さがキツくないから、ラーメンスープのようなものにはよく合うんじゃないかな。

 

 

 

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 夜の花火大会は、海カフェに集まった四倉ふれあい市民会議の皆さんに混ぜていただき、馬刺し、馬レバー、あわび、うに焼きをつまみに、会津の地酒を堪能しました。

 持病があって「ヘタな酒を飲むと体調が悪化する」が口癖の平野さんが、翌日、「ぜんぜん残っていない、きわめて快調」と喜んでいたので、ほんとうにいい酒を用意してくださったんだと思いました。


よつくらの皆さんは私が提供した高砂誉富士を「すっきり飲みやすい」とスイスイ空けてくれました。

 

 よつくらの皆さんは口々に、「酒の肴といったら、いわきの戻り鰹。焼津に負けないよぉ。食べさせてやりてえなぁ」と吐露します。

 

 

 

 

 

 

 四倉港はタイ、ヒラメ、アイナメ、カレイ、ハゼ、メバル、シラス、カツオなど、駿河湾沖でもおDsc03107_2
なじみの豊富な魚種で賑わっていた港でしたが、福島第一原発の高濃度汚染水流出が再打撃を与え、港から漁船の姿が消えてしまいました。

 あるのはFRP仕様でなかなか廃棄処理できずに放置されている被災船の山・・・。

 

 

 

 

 被災地沿岸の漁港は、一部、復興したところもあるようですが、福島の漁港の場合は、“海が放射能汚染した”という底知れぬ重荷を背負ってしまいました。

 

 

 

 

 これから旨味が増してくるという戻り鰹、同じ鰹が千葉県銚子沖で獲れば築地でも高値で取引され、いわきの漁港で水揚げされれば築地では見向きもされないそうです。

 

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 小名浜港にあるいわき市観光物産センター『いわき・ら・ら・ミュウ』1階には、焼津さかなセンターのような仲卸業者の直売所がありましたが、並んでいるのは他県産ばかり。地元で水揚げされた魚介類はありませんでした。

 

 

 販売業者さんは、地元の魚がなくても、他から取り寄せれば商売が出来るけど、漁師さんや水産加工業者さんは、地元に魚が水揚げされなければ、どうにも出来ません。・・・こういう売り場をどんな気持ちで見ているんだろうと思うと、辛くなってきます。

 

 

 地元の皆さんも、酒を酌み交わすときぐらい、被災のことを忘れたいと思うのに、地元の魚を酒肴に出来ない・・・。静岡に置き換えて考えてみたら、駿河湾の魚が食べられないのに、(駿河湾の海の幸に合った清酒酵母を使った)静岡の酒をせいせい呑めるだろうか、と、無性に哀しくなってきます。

 

 

 

 それでも、よつくらの皆さんは、「静岡へ行ったとき、おでん街で食べた黒はんぺんが忘れられねぇなぁ」「もういっぺん静岡へ行くよ。今度は焼津や由比の水産加工現場を見たい」と言ってくれました。

 私も、「いつか必ず、駿河湾の鰹と、いわきの鰹の食べ比べを絶対するぞ!」宣言をしました。

 

 交流のきっかけは震災でも、今後は互いの地域の産業や食文化を理解し、“第二のジモト”と思えるくらいの絆に発展させて行きたい、と、切に思います。(つづく)


奥大井に蕎麦街道を創ろう

2013-08-08 14:16:14 | ニュービジネス協議会

 8月1日(木)、(一社)静岡県ニュービジネス協議会の視察で、大井川の上流域に行ってきました。この春、新入会員になった上中農場(川根本町)の上中通寿さんが、井川湖の南、三ツ峰(1350M)と七ツ峰(1533M)の間に位置する下別当(げべっと)地区で計画中の蕎麦づくりを視察し、山間地の耕作放棄と過疎化の問題解決に挑むアグリビジネスを応援しようというもの。ニュービジネス協議会の視察で農業がテーマになるのは珍しいのですが、ニュービジネスやベンチャービジネスってITや新技術ばかりでなく、第一次産業も“ニュー”の要素はぎっしり詰まっているんだって実感しました。

 

 

 

 

 標高1000メートル以上の高地に位置する下別当(げべっと)は井川土地改良区に指定され、林道が整備されているようですが、地図で見る限り、本当に山の中にただ道があるって感じ。・・・実は、7月末の大雨によって途中の山道に土砂崩れの危険が生じ、この日、下別当まで行くことはできませんでした。

 

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 天気はよかったのですが、自家用車を乗り合って集まったニュービジネス協議会会員9名、県志太榛原農林事務所から5名、地元蕎麦打ち愛好会の皆さん8名、全員の安全を考え、現地視察を断念。代わりに、犬間にある川根本町資料館で上中さんの解説をうかがうことになりました。

 

 

 

 

 

 

 

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 現在、上中さんは、川根本町徳山にある自園で、お茶、路地野菜、蕎麦を栽培しています。蕎麦は面積の割りに収穫量が少なく、収益ビジネスにするには出来るだけ広い土地が必要です。

 しかも、上中さんが手掛ける幻の品種「しずおか在来」や優良品種「会津のかおり」は、他品種との交雑を避けるため、ミツバチの行動範囲4km圏内に他の品種は植えられません。単独品種の“純血”を守れる広い栽培面積を確保しなければ、勝負が出来ない、というわけです。

 そこで農林事務所の勧めで着目したのが下別当地区。林道は通っていても、有効な活用がされていない手つかずの土地であり、標高1000mを超える蕎麦の育ちにとっては理想の環境です。下別当と書いて「ゲベット」と発音するって、なんとなくアルプスっぽいし!

 ただし、人間が耕作するのに大変な土地であるのは間違いありません。

 

 

 

 

 そんな、「わかっちゃいるけど手が出せない」場所での蕎麦づくりを成功させるため、上中さんは自園の一角で「しずおか在来」と「会津のかおり」の試験栽培に着手し、今年はこれまでに4ヘクタールで2.4トンの収穫。次は8月お盆過ぎに播いて、紅葉の名所である奥川根・寸又峡温泉の観光シーズンに新そばとして提供すると意欲満々で報告してくれました。

 

 

 

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 蕎麦づくりのイロハをよく知らないので、ピンと来なかったのですが、最近では、播種後、75日ぐらいで収穫する“早採り”がトレンドなんだそうです。75日頃というのは、蕎麦の白い花の下にこげ茶色の実が3~4割つく状態(黒化率30~40%)とのこと。早めに刈ることで、香りと味がよくなるんだそうです。

 

 

 収穫後の蕎麦の実は、1週間ほど天日干しにし、水分量を15~16%ぐらいに調整します。14%以下になると麺にする時、つながりにくくなり、商品価値が下がってしまうとか。

 

 電動の石抜き機や脱皮機等を駆使し、玄蕎麦もしくは蕎麦粉状態にして販売しますが、この秋収穫する新そばを剥き身状態のまま真空パックし、12~13℃で低温貯蔵しておくと、年末の年越し蕎麦のときにグンと美味しくなるとか。蕎麦も日本酒のように一定期間熟成させ、“冷やおろし”にするんだ~!!と目からウロコでした。

 

 

 

 

 

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川根本町資料館やまびこで解説を聴いた後、歩いてすぐの、大井川鉄道南アルプスあぷとライン「接岨峡温泉駅」前にある温泉民宿『森林露天風呂で昼食休憩。若返りの湯として知られるナトリウム炭酸水疎塩泉・接岨峡温泉を初めて体験しました。

 

 温度はあまり熱くなかったけれど、お湯から上がってからも身体がズーッとポカポカ状態。いい年をしたおばちゃん女子たちが、飛んで来る蜂にキャアキャア言いながら、癒しタイムを満喫しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 大井川鉄道南アルプスあぷとラインに乗るのも、実は初めてです。アプト式鉄道とは、歯型のレール・ラックレールを使って急勾配を登り降りする鉄道。大井川鉄道の長島ダム駅とアプトいちしろ駅の区間は、1000分の90という日本一の急勾配です。

 

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 私たち一行は接岨峡温泉駅から長島ダム駅を経てアプトいちしろ駅まで、アプトを体験乗車し、長島ダム駅では、アプト式電動機関車を先頭に取り付ける作業も見学できました。みんないい大人なのに、こういうのを見ると子どもみたいにワクワクしちゃいますね。

 

 

 

 

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 長島ダムも、電車の窓から全景を眺めると、実に美しい。過去、コンクリートのダムは造らせないと主張した政権がありましたが、手つかずの自然遺産とは違う意味の、森と川と人間の造形物の調和・・・これも人類の進化を許した地球の美しさではないか、と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 アプトいちしろ駅で待機していた車に分乗し、川根本町徳山にある上中農場へ。そろそろ収穫という黒化率3割ぐらいの蕎麦の花畑を観賞し、次いで、鳥獣被害対策に電動柵を施した上中さんの路地野菜畑を見学しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 最後は、上中さんの蕎麦が食べられる中川根『四季の里』で試食会。蕎麦のおいしさはもちろんのこと、コクのある蕎麦湯も非常に印象的でした。喩えるなら、おいしい酒の、酒粕もまたおいしい、という感じでしょうか。上中さんの蕎麦は、藤枝の『ながいけ』、静岡の『たがた』でも味わうことが出来るそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大井川沿いの川根街道を、“蕎麦街道”にしたい、というのが、上中さんの夢だそうです。大井川水系の湧水で醸す志太の地酒とコラボさせ、大井川の恵を大いに堪能できる夢街道に育てて欲しいなあと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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 さらに言えば、静岡県中部のこのエリアは、JR東海道線、東海道新幹線、大井川鉄道、SL、アプト式鉄道と、いろいろな鉄道を連続実体験できる“リアル鉄道博物館”みたいなところ。これにバス、飛行機、フェリーをつなげれば、日本の旅客輸送技術を一度に体験できる“乗り物ワンダーランド”です。

 参加者は「この土地の持つ潜在能力を、もっともっと活かさなければ」と、スケール感あふれるビジネス談議で大いに盛り上がりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 私のレベルで考えるならば、とりあえずは、大井川鉄道で蕎麦と緑茶と地酒のお座敷列車かな(笑)。

 酒飲み宴会列車は過去、いろんな例がありますが、どんちゃん騒ぎして終わり、ではもったいない。電車に乗りながら地域の魅力を真面目に考える“鉄道大学”みたいな企画だったらやってみたいなあと思います。

 

 

 

 

 この地がダム建設や林業・木工業で活況を見せていたのは過去の話。・・・それでも、今、こうしていろんな夢を描ける地域って、それだけポテンシャルがあって、必ず再生できるはず。そんな思いを抱いて帰りました。

 

 上中さん、視察をアテンドしてくれた皆さん、ありがとうございました。