杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

文化を支えるプロジェクト事例集

2011-04-13 10:16:26 | NPO

 このところ、努めて「外飲み」するようにしているんですが、歓送迎会の季節だというのに繁華街の人出はイマイチのよう。月曜夜にある馴染みの店を貸し切って酒宴を開いたときは、店主にいたく感謝されました。もともと常連客の多い人気店なので、感謝されるほどのことじゃぁ・・・と恐縮したんですが、繁華街の人気店でもやっぱりふだんとは違うんだと実感させられます。知り合いの伊豆の酒販店さんによると「売り上げが例年の3割。3割減じゃなくて3割しかない」とのこと。酒類市場はきわめて深刻な状況のようです。

 

 

 一人で家にいてテレビの震災・原発事故報道を見ていると、意識しなくてもだんだん気分が落ち込んでくるし、地盤の弱いところにある古いアパートの3階なので、震度1でもハッキリ揺れを感じるんですね。こうも余震が頻発すると、揺れてないのに揺れてるような感覚がズーッと続きます。そんなときは用がなくても外に出て、人と話をするようにしています。昨日(12日)も、なんだかんだで用事を作って金谷の松井妙子先生のアトリエまで遊びに行ってしまいました(先生、新作展直前の制作ピーク時にお邪魔虫しちゃってスミマセン)・・・。

 

 

 さて2~3月に集中取材したアートNPOの活動事例集『静岡発!文化の仕掛け人たちの熱き思い~文化を支えるプロジェクト』(静岡県文化政策課発行)が完成し、見本をやっと入手しました。今回取材した県内14Imgp4208 団体・施設と、近々に予定されているイベントを挙げておきます。少しでもみなさんの“お出かけモチベーション”が刺激されたら幸いです。

 外に出て、人の感性や創作のチカラに触れて、ついでにバンバン消費して、酒も飲んで、景気を浮揚させましょう!

 

 なお事例集の閲覧・入手方法については県文化政策課(TEL 054-221-2252)にお問い合わせください。

 

 

第二金座ビル・ボタニカ(静岡市葵区研屋町)・・・4月23日/水銀座4月公演&ポストシアターパーティ、4月27日/ライブ・ムビラ(ジンバブエの楽器)

 

オルタナティブスペース・スノドカフェ(静岡市清水区上原)・・・5月1日~5日/狐ヶ崎ヤングアートランドby静岡クリエーター集団エエラボ

 

NPO法人とうもんの会(掛川市山崎)・・・5月1日里山ウォークわらび採り、5月7~8日新茶まつり、5月15日蕎麦打ち体験、5月21日食文化を味わう会「ホイロあげ定食)、毎週金曜~日曜は朝市開催中。

 

清水アートクラフトフェア実行委員会(静岡市駿河区・清水区)・・・4月23~24日/第8回清水アートクラフトフェア(JR清水駅東口)

 

大旅籠柏屋一祥庵(藤枝市岡部)・・・4月29日/中山譲(ユズリン)コンサート、5月5日/有美エレクトーンLive、5月8日/荒井豊&丸山研二郎ギターデュオ、5月19日/三上クニJazz Live

 

伊豆歩倶楽部(賀茂郡南伊豆町)・・・毎月1回定例ウォーキング

 

 

NPO法人天城こどもネットワーク(伊豆市柏久保)・・・毎週土曜日/天城プレーパーク(冒険遊び)、毎月第4日曜日/遊々の森クラブ(自然体験)ほか

 

遠州大念仏保存会(浜松市浜北区)・・・6月4日/飛龍祭り、7月3日浜松市制100周年記念『浜松市伝統芸能フェスティバル』ほか→問い合わせTEL 053-472-8383(浜松市犀ヶ崖資料館)

 

大村屋酒造場(島田市本通)・・・5月22日/お米とお酒の学校、7月7日七夕酒蔵コンサート(出演:なかえいじwith亜樹弛)→問い合わせTEL 0547-37-3058

 

子ども美術工場Agora(掛川市千羽)・・・毎週水・木・土・日開場

 

NPO法人東海道吉原宿(富士市吉原)・・・高校生ショップ「吉商本舗」、フェアトレード&コミュニティカフェ「プレアーテ」、就労支援施設商品販売所「こまものやヨラボ」開店中

 

伊豆・松崎・であい村「蔵ら」(賀茂郡松崎町)・・・4月26日までパッチワーク「蔵に咲く桜展」、5月/布施和彦のレザークラフト「星と森と猫の街」、6月/池田歌子「モザイクスタイル展」

 

手打ち蕎麦naru(浜松市中区)・・・月曜定休

 

静岡もえしょくプロジェクト実行委員会(三島市)・・・萌えキャラ産品開発・発売中


芸術文化の「ささえびと」

2011-02-26 01:22:21 | NPO

 濃厚な一週間がやっと終わろうとしています。なんだか人疲れしてしまって、ブログ更新も遅れてしまいました。人疲れといっても心地よい疲労感で、頭はぐったりしているけど、心は充実感一杯です。

 静岡県内で、さまざまな形で文化活動を支援している人たち―アーティストやクリエーター本人ではなく、彼らに創作や発表の場を与えるために努力している人々を取材しています。

 

 

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 静岡市の金座町にある商社の古い社員寮を、シェアオフィスにリニューアルしたら、昭和の古い建造物に魅力を感じて集まってきた芸術家や俳優たちの“アーティスト長屋”になった『第二金座ビル・ボタニカ』代表の下山晶子さん(写真左)の「古い建物を潰してコインパーキングにするだけなら、街に未来はない」という思いが発端でした。

 

 

 先端のインテリジェンスオフィスとは違い、ボタニカには無駄な空間が多く、ビル機能的には何かと不便さもあるけど、社員寮の食堂や休憩室だったフロアが入居者同士のコミュニティスペースになり、作品発表の舞台になり、エントランスや階段スクエアには入居者たちが思い思Photo いに壁アートを描くなど、なんだか建物そのものに血が通っている感じ。4月からは両替町にあった老舗カフェ『ダイナ』がここで復活するそうです。

 

 「アーティストたちはつねに自分を追い込んでギリギリの精神状態で創作活動に臨んでいる。彼らと触れ合う中で、彼らにはリセットの時間や空間がとても大事なんだと気がつきました」と下山さん。こういう理解ある大家さんがいる長屋ってイイですよね~。

 

 

 

 

 

 静岡市清水区上原のジャスコ近くにある『スノドカフェ』、アーティストやクリエーターに“場”を与えてくれます

 

 カフェレストランMiss-Tやリサイクルブティック・スノードールとしてファンの多いショップの2階。オーナー柚木康裕さんはブティック経営の傍Imgp3720 ら、倉庫になっていた2階で貸しギャラリーを始め、次第に作家たちを支えるには何が必要かを真摯に考えるようになり、東京の美術館やギャラリーにこまめに足を運び、自腹でNPO主宰のアート講座で学んで、アートディレクターやキュレーターの人脈をつくりました。

 

「静岡はアートに直接触れる機会が圧倒的に少ない」

「静岡のアートの世界がアーティスト自身で創られ、完結してしまっている」

「アートは創るだけではなく支えることも大切」

「ただ自分自身は仰々しく“支えます”なんて意識ではなく、好きで面白くて、無性に知りたいと思ってやっている」

・・・柚木さんの飾り気のない言葉は、しずおか地酒研究会を始めた頃の自分の思いに重なるようで、ビンビン響いてきました。

 

 

 

 掛川市旧大須賀町にある『とうもんの里』を運営するNPO法人とうもんの会も、リーダーの名倉光子さんの高い志と行動力が光っています。名倉さんは『名倉メロン園』のオーナーでもあImgp3742り、静岡県を代表する女性農業経営者として知られた方。私も過去何度か取材させていただいたことがあります。

 

 国の助成をベースに、田園の景観と文化を伝える目的で立てられた『とうもんの里』という施設を、地域農業者や自治会の人々が、行政任せにせず自分たちで運営しようと立ちあがったとき、舵取りを託したのが名倉さん。農業体験や食加工体験、自然観察等の体験プログラムを企画し、毎週金曜~日曜には朝採り昼市を開催しています。

 

 ワークショップで郷土の自然や歴史を学ぶうちに、自分たちが暮らす地域のことを知らなさ過ぎたことに気づき、「この地域の大地を守ってきた先人の歴史を正しく知って語り継ごう」と、江戸末期に命を捨てて村の農業用水路を作った庄屋さんの秘話を子どもミュージカル『十内圦(じゅうないいり)ものがたり』に仕立てました。

 

 昨年8月、県民の日の農業イベントで上演したところ、猛暑の中にもかかわらず、観客は微動だにせず、声も上げずにポロポロ涙を流したそう。地域で大きな評判を呼び、秋の『遠州横須賀ちいさな文化祭』でも再演したそうです。「思い付きで、自分の娘が通っている声楽の先生の協力で運よくミュージカルにすることができたけど、こんなに“伝える力”があるとは・・・」と名倉さん自身ビックリだったとか。

 

 取材当日は、名倉さんが県内の女性農業経営者たちと力を入れて完成させたばかりの『地産地消のしずおか食育かるた』を嬉しそうに見せてくれました。地元掛川の切り絵アーティImgp3744 ストのかるた絵が素晴らしく、 アートと農業はとっても相性がいいと実感させられました。

 

 

 

 

 

 

 

 美しい自然は、地球自身の芸術作品。美しい田園は自然と人間の共同作品。その価値を守り伝えるには、農業が健全に継続されることが必要だと語る名倉さん。下山さんや柚木さんにしても、活動を支える街の商業が健全に成り立ってこその活動に違いありません。

 

 

 ただ、バブル時代のように金の力にモノを言わせて高額な絵画を買い漁る人とは違い、今回取材で出会った人たちは、地域の、自分のテリトリーのものを知恵と工夫と人脈の力で、文化発信の場に変えようと努力しています。これはその人自身に、途方もない“人間力”があってこそなし得る事業だと思えます。

 

 取材は来週いっぱいまで、トータル14人の「ささえびと」に会ってきます。人間力あふれる人を取材する仕事、インタビューするにも原稿にまとめるにも、自分自身の“人間力”も問われるだけに、ものすごい疲労感、と同時に人としての達成感も得られるようです。

 

 続きはまた。


障がい者の人権とマスコミ報道

2010-11-08 14:42:08 | NPO

 6日(土)13時から、静岡市中央福祉センターで開かれた人権シンポジウム『障がい者の人権とマスコミ報道~とりはらおう“心の壁”』に参加しました。以前こちらでご紹介した静岡市障害者協会と静岡人権フォーラムの共同企画によるシンポジウムです。

 

 

 外は絶好の行楽日和で、隣接する駿府公園からは大道芸ワールドカップの賑わいが響いてきます。世間がお祭り騒ぎしているすぐ横で、真剣に人権を考えるって、なかなかクールじゃない、なんて思ってしまいましたが(苦笑)、基調講演をされた静岡福祉大学の山城厚生教授は「来年はぜひ大道芸ワールドカップの会場でやりましょう」とけしかけていました。

 

Imgp3177_2   山城教授は、音楽活動をしているケアセンター通所者の女性が、ケーブルテレビの取材を受けた際、顔のアップがオンエアされ、一緒に取材を受けた他の通所者はテレビに映され喜んでいたが、彼女は「死ぬしかない」と思い詰めたという話を例に挙げ、障がい者とひと口に言っても様々な人がいて、マスメディアの取材には多くの細かな配慮が必要だと述べます。

 また、ある学校でサッカーゴールが転倒して生徒が亡くなったとき、マスメディアが学校側の責任を問い詰め、校長が自殺したという例では、マスメディアが被害者や加害者を必要以上に追及し、追い詰め報道をする怖さを指摘されました。

 

 

 さらに「日本人は、革命によって自由や人権思想を勝ち取ったフランス人とは違い、いつのまにか与えられたという感覚ではないか」と。これには静岡人権フォーラム代表の金両基先生が、「在日の人々は、さまざまな努力をして自分たちの生活権を勝ち得てきたではないか」と異を唱え、人権を語るって、大学教授といえども配慮が行き届かない難しいものなんだなぁと痛感しました。

 

 

 実は前夜、酒の席で偶然、在日の方とご一緒し、明日こういうフォーラムへ勉強に行ってくると話したら、その方は「“人権”は難しいよ・・・、僕ら、近寄らないようにしてるんだ」と実感を込めて応えていました。

 

 障がい者や外国人の方々が感じる、万国共通ともいえるものから、日本人のお国柄やメンタリティからくるもの、地域、学歴や職業や家柄からくるものなど、我々が直面する人権差別の問題は実に多様です。今回でいえば、障がい者の人権というタイトルがあるにもかかわらず、在日の方が聞けば、「オレたちのほうが苦労してるんだぞ」って思いになるでしょうし、障がいにも精神、知的、身体的と様々あるので、当事者にしてみれば「一緒くたにしないでほしい」と思うかもしれません。 

 

 今回、マスコミ側のトークゲストは誰も来ていませんでした。8月の意見交換会のときは事務局側もマスコミ側の出席者をぜひ呼びたいと話していましたが、実現しなかったようです。マスコミ側も「人権を真正面から考えるのは難しい。僕ら、近寄らないようにしているんだ」と思っているんでしょうか。

 

 

 でも私はこういうシンポジウムが決して無駄だとは思えません。

 グループディスカッションの時間で、同じグループになった介護支援者の方から、車いすで乗れる介護車両のことを「あれは障がい者のためというよりも、介助する側が楽に乗り降りさせるための車」と聞いて驚きました。車いすのままで乗ると、車内天井が近くて少しでもガタガタすると頭をぶつけたりして乗り心地はよくない。車いすから降りて自分の手や足で車に乗り降りすることはリハビリになるし、普通に車のソファーに座って移動できるならそうしたいというのが当事者の本音だと。我々からすれば、「車いすのまま乗り降りできるから便利じゃん」と思うだけで、彼らにとっての乗り心地なんて考えたこともない。

 

 

 

 ざっくばらんなディスカッションの中から、相手の立場や考えや感じ方を慮ることの大切さに気づく。・・・立場の違う者同士が同じ空間に集って議論し合うって、多少の摩擦はあっても、それ以上に得るものは大きいと実感します。

 マスコミや報道機関に属して高給を得ている者ならば、こういう問題に向き合う勇気や摩擦を恐れない心を持って然るべきと思うのですが、一介のローカルフリーライターの遠吠えに聞こえますかね(苦笑)。

 

 

 

 人権は、人権を傷つけられた経験がない人間にとっては改まって意識することはなく、意識せずに他人を傷つけることもあるでしょう。自分にもそういう経験がありました。このテーマのシンポジウムに、マスコミ人が参加しないのは本当に残念ですが、それでもシンポジウムはぜひ1回といわず、続けて行くべきだとアンケートに答えておきました。

 

 主催者ならびに事務局のみなさま、おつかれさまでした。


浜名湖たきや漁体験

2010-08-26 11:32:03 | NPO

 23日(月)夜は、昨年、取材でお世話になったNPO法人はまなこ里海の会にお誘いをいただき、浜名商工会が地域資源∞全国展開支援事業の支援を受けて里海の会と協働実施する浜名湖たきや漁体験に参加しました。

 

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 たきや漁を体験するのは15年ぶりぐらい。浅い湖底の魚類を銛で突くシンプルな伝統漁法ゆえ、誰でも挑戦できるけど、そうカンタンには獲れない。それだけに見事ヒットした瞬間は「獲ったど~!」と叫びたくなるんですよね(笑)。

・・・残念ながら、反射神経がまるでない私は15年前も今回も、「獲ったど~!」体験はできませんでしたが、夜の浜名湖の広い湖面を、漁場を探して疾走するときの爽快感は格別! 

 

 

 この日はカニ、サヨリ、セイゴ、クロダイ等が獲れたみたいで、船頭のベテラン漁師さんが「これぞたきや漁!」と唸るパフォーマンスでちゃ~んと獲ってくれて、筏を連結させた湖上テラス「たきや亭」では事前に用意してくれたクルマエビ等と 一緒に、天ぷら&味噌汁にして食べさせてくれました。獲ったばかりのカニのImgp2860 ボイル、カニ味噌の美味しさも格別でした!!

 

  たきや漁遊船組合のホームページによると、たきやの漁業は、浜名湖独特のもので、小さなかぶせ網と突き棒の二つの道具しか使わず、営業で行っているのは浜名湖だけだそうです。また、たきや漁を営む漁師は湖東部の旧雄踏町に限られ、隣接の舞阪・新居にも若干いるようですが、たきや発生の歴史から見れば亜流で戦後始まったもので人数も少ないとか。このように、極めて狭い地域の漁師が伝統的な漁法を守っているのは日本でも稀有です。

 

 

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 ことのはじめは100年以上も前のこと。浜名湖には古来、昼間の見ヅキ(昼間、魚やエビを見て突く)といったものがあり、特に変わったものでもなく、夏など小中学校の生徒でも海浜でやっていたシンプルな突き漁法でした。

 それを夜間、光に魚を集めて突く、といったものに変えたのが夜ボリで、浜名湖畔でたき火をしていた故加茂蔦蔵さんが、目の前を横切った大きな魚を青竹で仕留めたことが起源と言われ、その後、船を出して魚を突く方法が定着していったそうです。

 

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 当時は光源として松明(タイマツ)を使っていて、松明は主に庄内(今の浜松市白州町和田町)から買い、材料はベタ松といって、松の芯ばかりのものを使ったそうです。年間に一人あたり200束使い、一晩の漁で4束くらいを燃やしたとか。その当時は魚、クルマエビも豊富だったので松明の消費量から割ると年間に50日ほどしか出漁しなかったようです。

 

 

 

 今回の体験は、そのような「地域資源」の価値を見直し、後世に残すとともに、浜名湖の自然環境を考える好機にと、漁師、環境NPO、商工業者が協働で企画したもの。参加者は地元の市民やファミリーが中心でしたが、私は里海の会の窪田事務局長の配慮で、アマモ研究の第一人者で国際湿地保全連合顧問P1010045 の相生啓子先生(左端)、環境問題に詳しいフリーライター佐久間淳子さん、静岡大 学農学部共生バイオサイエンス学科の富田涼都先生ほか、そうそうたる専門家のみなさんとご一緒することができ、夜中の3時近くまで酒を酌み交わしながらさまざまな情報交換をさせてもらいました。

 

 浜名湖の話の延長で、「朝鮮通信使の浜名湖越えは道中最大の難関で、三河一円から大量の渡船をかき集めたんですって」と切り出したら、みなさん興味を持ってくれて、『朝鮮通信使』のDVDをぜひ観たい!とリップサービスしてくれました。

 たきや漁も楽しかったけど、新しい知的刺激を与えてくれるプロ達との出会いは何物にも代え難いですね!

 

 

 

 なお、10月9日(土)9時から浜松市舞阪文化センターで、海のゆりかごと言われる海藻アマモの保護を考える勉強会があり、相生先生が講演をしてくださるので、興味のある方はぜひ! 詳しくはNPO法人はまなこ里海の会までどうぞ。

  


障害者の人権とマスコミを考える会

2010-08-10 12:31:21 | NPO

 7日(土)は静岡市障害者協会と静岡人権フォーラムが共催する『障害者の人権とマスコミを考える会』に参加しました。

 

 私は『朝鮮通信使』の脚本監修をしていただいた金両基先生のご縁で、先生が世話人代表を務める静岡人権フォーラムに、たまにしか参加できませんが会員登録をし、情報を扱う仕事をする上でいろいろと勉強させてもらっています。日頃、福祉分野のNPO団体の取材や福祉事業の広報物を制作する機会も多いので、自分の活字表現が被取材者の人権に配慮が欠けていないか、逆に配慮し過ぎたりしていないか、行政プレスや大手マスコミの報道に問題はないか等など、以前から関心の強いテーマでもありました。

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 この日は障害を持つ当事者の立場から、北川俊哉さん(市障害者協会理事)が問題提起をし、当事者、その家族、支援者などさまざまな立場の方が意見交換をし、会を取材に来て、唯一最後まで立ち会っていた静岡新聞の記者さんや、フリーライターでは唯一参加の私も発言の機会をもらいました。

 

 

 障害を持つ人が報道対象になるのは、①スポーツや芸術や起業など“障害を乗り越えて素晴らしい成果を残した”例か、②事件の被疑者や被告に“精神障害があった”“入院歴・通院歴があった”という例。

 

 ①では、「車いすの弁護士」とか「盲目のアスリート」など等、障害がその人の“まくら言葉”にされることがありますが、意見を述べた当事者の一人からは「自分が車いすで生活しているのは、たまたまそういう病気を持っていただけのこと。障害を持つ人が全員、障害を乗り越えて努力しているわけではなく、アスリートだって障害を乗り越えるために頑張ったんじゃなくて、スポーツが好きで普通に打ち込んだ結果のひとつ。何かに打ち込んで頑張る人は頑張るし、多くの障害者は、無理せず障害とつきあって適当に暮らしているんですよ」と率直な声を聞かせてくれました。

 

 これは、障害者固有の問題ではなく、ある職業や属性の人の中から特別な人がマスコミに露出するとき、全員が同一視あるいは類似視されるケースと同じかもしれません。

 ・・・属社会の枠組みが濃い農耕民族社会固有のケースというべきでしょうか。同列に語るのは申し訳ない例かもしれませんが、たとえばコピーライターと聞くと、多くの人がテレビに露出している、テレビCMのキャッチフレーズをネーミングするだけで高い報酬を得るバブリーな業界人、みたいなイメージを持たれるでしょう。でも多くのライターは、いろんな「書く」仕事や「企画する」「調べる」地味な仕事で汗を流しています。世間のイメージなんて、いい加減なんだと割り切るしかない部分もあるんじゃないでしょうか・・・。

 

 行政施設で障害者が運営するカフェを、県内テレビ局2社が取材した際、代表のSさんは「障害という言葉をなるべく使わないで、自分のパーソナリティや考えをしっかり取材してほしい」と頼んだそうです。

 

 静岡第一テレビは彼の自宅での日常生活にも密着し、“障害者の暮らし方が変わるきっかけにしたい”と熱く語る彼に、ディレクターが“どうやって変えたいの?”と問いかける。そんなやりとりが障害者への理解につながるだろうし、VTRの後のアナウンサーのコメントも「Sさんの活動は普通の若者にも刺激を与えてくれるんじゃないでしょうか」と前向きなトーンでよかったと。…最近の第一テレビのニュース特集は、私も日頃からディレクターの誠実な姿勢を感じることが多く、アナウンサーのコメントも的確で好感を持っています。

 

 ところがもう一社は「作業所で働く障害者は外に出る機会がなかったが、こういう場所が出来てよかった」というありきたりのトーンだったとか。Sさんは「取材ディレクターは自分の話をきちんと聞いてくれたが、局の上司の指示でそういうトーンになってしまったそうです」と残念そうに振り返ります。

 

 これも、マスメディアにありがち、というのか、大きな組織ならどこでも「現場」と「デスク」、上下の温度差はあるんでしょうね。現場記者の気持ちをよく理解し、そのとおりに報道させてくれるメディアが今の日本に存在するのかしら・・・。

 大きな組織の中にいては現場の思いが伝わらないとあきらめ、腹をくくって独立したフリージャーナリストやビデオジャーナリストもたくさんいますが、彼らに陽の目が当たるのは「日常に密着した映像」よりも「非日常を切り取った刺激的な映像」が多い。

 

 取材される側にしたら、自分の考えをまるごと伝えてくれるメディアを探そうと思ったら、今の静岡では自分で映像を作り、テレビ局の番組枠を買うしかないでしょう。極論かもしれませんが、テレビ取材を受けた経験のある人なら、不本意感や不十分感はだれでも実感することだろうと思います。限られた時間内で不特定多数の視聴者に伝えるため、あらかじめ練っておいた企画や筋書きどおりに編集せざるをえない番組制作者の事情がそこにあります。

 そういうメディア側の問題も、障害を持つ人に理解してもらう必要があると思いました。

 

 

 一方、②の事件報道に関しては、とくに精神障害を持つ人に対し、報道従事者は真摯に配慮すべきではないかと私も思います。事件を起こした背景をわかりやすく説明しようとするあまり、警察発表をうのみにし、深く取材せず、「容疑者は精神科に通院歴・入院歴あり」「意味不明の発言を続けている」というような文章表現をします。北川さんたちがマスコミに抗議をすると、決まって「報道の自由」や「読者に知らせる義務がある」と返ってくるそうです。

 

 私見を言えば、殺人を犯すような人は、どう考えたってまともな精神状態であるはずはないんで、通院歴や入院歴があるなしなんて報道する意味はないと思います。「意味不明の発言をしている」なんて報道も、情報として何の意味があるんだろう・・・事件と精神障害の因果関係がよくわからない時点なら「慎重に取り調べ中」でいいじゃないのかと思います。

 このような一方的な決めつけ報道が、精神障害の治療やリハビリに努力している人々の人権を深く傷つけているということを改めて知り、こういう勉強会に参加して、耳を傾ける報道記者は静岡にいないのか・・・と暗い気持ちになりました。

 実際、主催者は県内全マスコミを訪問して参加を呼び掛けたそうですが、実際に参加どころか、取材に来たのも静岡、中日の新聞2社だけでした。

 

 

 

 最後の質問時間でマイクを振られた私は「私はライターなので率直にうかがいたいのですが、みなさんが使ってほしくない言葉や、気になる活字表現はありますか?」と聞いてみました。

 

 参加者からは「授産所という言葉は、仕事が出来ない障害者に作業を授けてやる、みたいな上から目線言葉でとても嫌です」、「障害のために働きたくても働けない娘が、家に引きこもっているからといって、ニート扱いされるのが辛いと言っていた、なぜこんな言葉が一般に使われるようになったんでしょう」、「『更生施設』の更生は、本来、犯罪者を更生させるという意味なのに、障害者に対しても平気で使われる」など等、活発な答えをいただきました。こうして実際にうかがってみないと、気がつかないことばかりでした。

 

 参加者の一人から最後にうかがった、「できれば、障害者という言葉に変わるものがあってほしい。障害は、個人にあるのではなく、社会にあるのだから」という言葉はとても重かった・・・。

 

 

 主催者は、11月6日(土)13時からこのテーマのシンポジウムを開く予定です。この時はマスコミ側からもパネリストに招いて、当事者同士の意見交換を行う予定だそうです。詳細が決まりましたら、お知らせしますので、ぜひ一人でも多くのライターやメディア関係者に来てもらいたいと思います!