杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

千利休の故郷とゆかりの国宝探訪(その1)待庵と曜変天目茶碗

2017-07-03 10:30:56 | 駿河茶禅の会

 6月10~11日、駿河茶禅の会で京都・大阪・堺を廻ってきました。20名の大所帯ツアーながらお天気にも恵まれ、大変充実した大人の修学旅行となりました。

 今回のツアーのテーマは千利休ゆかりの国宝探訪、そして利休の生まれ故郷・堺の歴史ウォーキング。利休の唯一の遺構にして日本最古の茶室『待庵』(国宝)の見学からスタートです。2011年に会を作ってから6年越し、ようやくホンモノの待庵とご対面です。

 

 10日朝、集合時間より1時間早く山崎入りした私は、見学ルートを確認した後、時間まで天王山の登山道をブラブラし、登って10分ほどの宝積寺を訪ねました。天王山の合戦では秀吉が陣を置き、幕末禁門の変では尊皇攘夷派の真木和泉ら十七烈士の陣が置かれた古刹。724年に聖武天皇の勅命を受けたに行基が建てたと伝えられ、本堂の本尊の木造十一面観世音菩薩立像、閻魔堂の木彫りの閻魔大王に間近に拝顔できました。戦国、幕末の動乱期の人間の所業を、御仏たちはどのように見つめておられたのか想像すると、背筋がピンとしてきます。閻魔堂の出口扉を開いたら境内から聞き慣れた声がし、望月先生ほか数名のツアー仲間が「まゆみさんが閻魔堂から現れた!」と目を丸くしていました(笑)。

 

 待庵は、山崎駅前の妙喜庵という禅宗寺院の一角にあります。創建は室町時代。聖一国師の教えを継ぐ東福寺春嶽禅師が開山で、この場所は連歌や俳諧の始祖といわれる山崎宗鑑が隠遁していた屋敷跡だったそうです。宗鑑は応仁の乱の元凶とされる足利義尚(こちらを参照)の侍童だった人物で、義尚が25歳で早世した後、髪を下ろし、一休禅師に教えを乞い、一休亡き後、山崎に移り住んで華道や連歌を嗜みました。

 天王山の合戦が起きたのは妙喜庵3世の功寂和尚の時。秀吉は戦に勝った後も山崎に1年ほど住み着き、利休も山崎に屋敷を建てて功寂和尚に茶を指南したそうです。江戸時代の寛永年間1643年に第5回朝鮮通信使が訪日した折には、写字官金義信が『妙喜庵』の墨蹟を残しました。私は実物を2013年に高麗美術館開催の『朝鮮通信使と京都展』で見ています。

 高麗美術館企画展『朝鮮通信使と京都』2013年 図録より

  利休の茶室待庵があるお寺、という認識しかなかった妙喜庵が、今までさまざまな機会に学んだ歴史上の人物たちと深いかかわりがあることを知り、何やら急に親近感を覚えました。

 

 待庵はもともと利休の屋敷か天王山の秀吉の陣中に造られたようで、秀吉が大坂城に入った後、妙喜庵に移築されたとのこと。千家二代少庵の手が少し入っているそうです。

 それにしても、本物の待庵の佇まい。テレビや雑誌で何度も目にし、待庵の写しといわれる沼津御用邸内にある駿河待庵を訪ねたこともありましたが、本物はまったく違いました。禅の侘びを表現したわずか二畳敷の簡素な茶室ながら、壁に藁スサを塗り込んだり、隅をカチッと切らず丸く壁土を塗りまわしたり、窓のサイズが全部異なったりと、快適な空間づくりのために緻密な設計が施されていることを、素人目にも感じました。

 外から窓越しに眺めるだけ、入室はもちろん写真撮影もNGですが、戦国動乱の時代に建てられたとは思えないほど穏やかで優しい佇まい。ニセモノやレプリカが多く出回るような著名な建造物や芸術品の多くは、本物にはホンモノらしい気品があったり、意外に地味で小ぶりな印象だったり、ということがありますが、待庵にはそのどれにも当てはまらない不思議な「やわらかさ」を感じ、ツアー仲間の建築家永田章人さんと「ずっと眺めていたいですねえ」と眼を見合わせました。好奇心ではなく、心地よさから溢れ出たひと言です。建物だけでこれほどの感動を覚える経験は初めて。茶道経験者でなくても通じ合える感動だろうと思いました。

  妙喜庵しおりより

 *妙喜庵待庵の見学は、往復はがきによる事前申し込みが必要です(こちらを参照)。

 

 山崎は中世、油の産地として繁栄し、駅の近くに油の神様を祀る『離宮八幡宮』があります。その御神油を使っているという天婦羅の老舗『三笑亭』でお昼をとり、JRで大阪へ。向かったのは国宝『曜変天目茶碗』を所有する藤田美術館です。年に春と秋の2期のみの開館で、今期は6月11日まで。しかもこの後、全面的な改築工事に入り、次の開館は2020年ということで、長期休館前のギリギリの訪問となりました。

 同館は明治の実業家藤田傳三郎と息子たちが収集した国宝9件、重要文化財52件を含むそうそうたる東洋美術コレクションで知られます。藤田傳三郎(1841~1912)は幕末の長州出身。明治初めに大阪に出て岡山の干拓事業、秋田の鉱山事業等を手掛け、さらに鉄道、電力、新聞など明治の近代化をけん引した事業で成功をおさめ、大阪商法会議所二代目会頭を務めました(初代会頭が、朝ドラ『あさが来た』でディーンフジオカさんが演じた五代友厚ですね)。藤田は若いころから能や茶道をたしなみ、古美術にも造詣が深く、明治の廃仏毀釈で貴重な仏教美術が海外へ流出するのを憂いて私財をなげうち、美術品の収集に努めました。

 

 曜変天目茶碗は藤田が水戸徳川家から買い取ったもので、もともとは徳川家康が所蔵し、水戸家へ譲渡されたようです。南宋(12~13世紀)に作られた、宇宙に浮かぶ星々のように瑠璃色の斑紋を描く奇跡の文様。世界に現存するのは3つのみで、大徳寺龍光院、静嘉堂美術館、藤田美術館が所有していますが、昨年末にテレビの『なんでも鑑定団』で第4の曜変天目が見つかったと話題になり、真贋論争が巻き起こっていますね。

 私は数年前にここ藤田美術館で初めて見て強烈な印象を得、今回再確認し、今年5月には東京国立博物館の『茶の湯』展で静嘉堂美術館所蔵品も拝見しています。ネットに上がっていた第4の曜変天目なる茶碗はホンモノが有する品格、きめ細やかな斑紋の美しさ、深みといったものが感じられず、素人目にみても紛い物だと思えるのですが、テレビ番組的にはどうなったのでしょう・・・。

 この日は長期休館直前ということで、もともと藤田家の土蔵だったという展示会場に大勢のギャラリーが押し寄せ、館内は蒸し風呂状態。国宝をゆったり鑑賞する雰囲気ではありませんでしたが、ロビーで紹介されていた藤田家と美術館の歩みを眺めるにつけ、長州出身者が徳川家の秘宝を現代に守り伝えて来たことに、歴史の面白さを感じました。(つづく)

  解体予定の展示館(藤田家土蔵)前で

 

 

 

 


駿河茶禅の会京都禅寺ツアー(その2)

2016-05-12 16:55:07 | 駿河茶禅の会

 GWの駿河茶禅の会京都禅寺ツアーレポートの続きです。

 7日夜は大徳寺や船岡山に近い【紫野しおん庵】という京町家を1棟借りし、歩いてすぐの船岡温泉(国有形文化財の銭湯)で汗を流し、向かいの酒場でビールを飲み、しおん庵に戻ってまた飲んで、いい年齢のおっさんおばさんが修学旅行のようにはしゃぎ尽しました(笑)。しおん庵は銭湯&居酒屋は目の前だし、朝は7時から開いているパン屋さんがすぐ近くだし、家族やグループで泊まるのにもってこいでした!

 

 8日は9時15分から見学予約をしていた大徳寺聚光院を訪問しました。ご存知・千利休の菩提寺で、会で訪問するのは2回目。表千家7代如心斎が、千利休150回忌の際に寄進したと伝わる三畳の茶室「閑隠席」(重要文化財)を改めて鑑賞し、如心斎が利休の目指した禅の厳しい教えを大切に再現したことを実感。茶庭の井戸に織部焼の滑車が付けられていたのも発見でした。

 今回は、今年創建450年を迎えることから、寺宝の国宝・狩野永徳の障壁画が特別公開中ということで、ガイド付きでじっくり見学しました。ホンモノは京都国立博物館に寄託され、いつもは複製画の展示である狩野永徳と父・松栄の本堂障壁画46面(全て国宝)が9年ぶりに里帰りし、‟お寺の襖絵”という本来あるべき姿で鑑賞できたのです。描かれた花鳥が中央のご本尊のほうに向いているとか、ち密に大画面効果を考えた奥行きある作風だったことは、博物館の平面展示ではピンと来ないし、複製画とホンモノの違いは素人にもわかる。この障壁画は、昭和54年(1979)にパリのルーブル美術館からモナリザを借りたとき、そのお返しにフランスで展示されたそう。モナリザと同等の価値、というわけです。

 

  2013年に落慶した新しい書院には、現代日本画のトップランナー千住博画伯の障壁画『滝』が奉納され、初公開されました。「時の流れを象徴するモチーフ」を表現した鮮やかな青&白い滝の見事なコントラスト。青の襖の前に黒の着物姿の男性が、白の襖の前に色鮮やかな着物姿の女性が座ると抜群のカラーセッションになる、というわけです。千住画伯は、狩野永徳の国宝障壁画に並べて観られるこの作品を生み出すのに16年格闘したそう。「この青は宇宙から見た地球をイメージしたもの。さすがの永徳でも見たことのない色だろう」と構想したとか。トップアーティスト同士の450年越しのバトルを垣間見た思いでした!

 院内は撮影不可でしたので、こちらのサイトを参照してください。

 

 

 七条まで移動し、智積院会館「桔梗」で湯葉料理のランチ。その後、京都国立博物館で開催中の特別展【禅ー心とかたち】を鑑賞しました。実は13時30分から地下講堂で始まる相国寺僧侶の「声明ー禅の祈り」を聴くつもりで、私一人、整理券を人数分取りに行ったら、券は一人につき1枚しか渡せないと言われてしまい、大慌て。しかも190席のうち残り40枚ぐらいしかなく、目の前で次から次へ来館した人に渡っていく。静岡から来た禅の勉強会のツアーだと話したところ、担当の女性スタッフが上に掛け合ってくれたのですがやはりNG。食事中の参加者にSOS電話をし、食事が済んだ人から駆けつけてもらったんですが、結果的に2人が取れずじまい。完全に事前確認し忘れた自分のミスで、2人には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 その女性スタッフが整理券の残りが少なくなるにつれ、「私までドキドキしてきちゃいました…」と一言。お名前はうかがいませんでしたが、何気ないその一言に救われた思いでした。ほんとに感謝です。

 

 肝心の展覧会は、整理券のことであたふたして集合時間や場所を伝え忘れたりして、落ち着いて観ることができなかったものの、パンフレットの表紙にもなっている国宝の雪舟筆「慧可断臂図」(洞窟で坐禅中の達磨に、弟子入りを乞うため、自分の臂を切って差し出す慧可)だけはしっかり凝視。

 

 また、4年前の渋谷Bunkamuraの白隠展以来、ひさしぶりに白隠禅師「富士大名行列図」(解説はこちらを)に再会できて大感激でした。

 

 芳澤勝弘先生が、白隠画の最高傑作とおっしゃるこの絵、白隠さんの意図が分からなければ、ただの富士山風景画でしょう。先生がなぜ最高傑作とおっしゃったのかが多少なりとも咀嚼できるまでになったこの4年ほどの白隠勉強を振り返り、私自身は胸一杯になりました。ほかのインパクトある白隠画に比べ、足を止めて観入る人の数は多くはなかったけれど、当会の参加者も「こういう大きな展覧会で見ると、白隠さんや富士山を見慣れた我々が、いかにすごいお宝のそばに暮らしているかがわかるね」と目を輝かせていました。

 

 出入り口で皆を待っていたら、見たことのないゆるキャラのフォトセッションが始まりました。左側のトラは京都国立博物館の公式キャラクター「虎形琳ノ丞(通称トラりん)」、右の埴輪みたいなのは東京国立博物館の公式キャラクター「東 博(あずまひろし:通称トーハクくん)」だそうです。白隠さんの達磨像の前だと達磨像までゆるキャラに見えちゃいます(笑)。

 

  禅展は京都では5月22日まで、東京では10月18日から11月27日まで開催されますので、ぜひお運びください。公式サイトはこちらです。

 

 全員そろって博物館を出たのが15時40分ころ。最後に東福寺で特別公開されている法堂&禅堂を訪ねる予定だったのが、拝観受付が16時までと気づき、またまた大慌てでタクシーに分乗して移動し、ギリギリセーフ。

 紅葉の名所で知られる東福寺。静岡市民にとっては地元出身の聖一国師が建立した禅宗大本山としておなじみですが、今回特別公開された法堂は、高さ25.5メートル、間口41.4メートルの堂々たる仏殿。創建当初は15メートルの釈迦仏像が安置され、脇侍の観音・弥勒両菩薩像は7.5メートルもあり、新しい大仏さんのお寺として喧伝されたそうです。造営したのは鎌倉時代の摂政関白・九条道家。現在の建物は昭和9年に再建された、昭和の木造建築としては最大級の建造物です。

 天井には京都画壇の巨匠・堂本印象がたった17日間で書き上げたという蒼龍図があります。龍は仏教を守護する八部衆で、「龍神」ともいわれ、本山の多くでは法堂(はっとう)の天井に龍が描かれています。法堂は仏法を大衆に説く場所であり、龍が法の雨(仏法の教え)を降らすといわれ、火災から寺を守るという意味も込められているんですね。

 法堂の柱のひとつに、日蓮柱という刻印がありました。禅宗の寺に日蓮宗の寄贈柱?と不思議でしたが、なんでも日蓮上人が他宗から迫害を受けたときに聖一国師に助けてもらったそうで、国師が東福寺建立の際、柱を一本寄贈されたそうな。昭和の再建時にも日蓮宗の門徒が寄付されたとのこと。宗教戦争が止まない国ではあり得ないエピソードですね。閉門時間16時30分とあって、30分足らずの拝観ながら、無理して駆けつけてよかったです。特別拝観は5月22日まで。詳しくはこちらを。

 

 東福寺駅で解散し、残った9人で伏見まで移動し、今年3月にオープンした地酒屋台村【伏水酒蔵小路】で打ち上げ。ビールと焼き鳥で胃袋を落ち着かせた後、京都伏見の17蔵を一挙に試飲できる世界初の17蔵試飲セットを一気飲みしました。飲む前にソルマックをサービスで出してくれるところが粋でした(笑)。

 

 茶禅をテーマに、ふだんはなかなか観られない国宝や特別名勝を巡った2日間。私が単純に、自分で観たいところに皆さんを巻き込んだだけかもしれませんが、同じ視線で楽しみを共有してくれた仲間の存在を、改めて心強く感じます。

 禅語の、

 三人同行、必有一智

(この世界に朋友ほど善きものがあるだろうか。修行の道を歩む修行者同士は「道友」として互いに切磋琢磨する仲間。そういうときお互いは友であるとともに、お互いにとっての師でさえある)

が身に沁みた2日間でした。


駿河茶禅の会京都禅寺ツアー(その1)

2016-05-09 21:48:07 | 駿河茶禅の会

 今年のGWラスト2DAYS(5月7・8日)は、新緑目映い京都へ、駿河茶禅の会の皆さん21人を素人アテンドしながら行ってきました。京都国立博物館で開催中の【禅ー心とかたち】にちなみ、通常非公開の禅宗大本山塔頭寺院が特別公開されているので、巡れるだけ巡ろうと、今年の年明けから計画していたのです。しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー企画と同時並行につき何度も混乱し、加えて茶道の師匠望月静雄先生が急に不参加となり、生徒だけのお遊びツアーになってしまいましたが、なんとか無事催行できました。

 

 7日は10時前に京都駅に集合し、JR嵯峨野線に乗って嵐山へ。ちょうど1週間前に放送されたブラタモリで紹介された渡月橋や天龍寺を散策しました。天龍寺の百花苑は先月、枝垂桜が満開の時期に下見に来た時とはうってかわって一面、新緑の洪水。その中に色鮮やかな初夏の和花がキラキラと輝き、茶室に飾ったらさぞ美しいだろうと心躍る思いがしました。自分ちに茶室はないけど(苦笑)。

 

  お昼は天龍寺直営の篩月で精進料理をいただきました。簡素な食事を想像していたら、あにはからんや、ずっしり食べ応えのある一汁一飯五菜(写真の膳に賀茂茄子田楽&果物がプラス)。どれもさすがに手間暇かけた皿ばかりでした。我々は予約をしましたが、少人数なら予約なしでもOKみたいで、ファミリーやカップルの海外観光客がひっきりなしに入ってきました。貸し切り満席の日が何日かあるようですので、ご利用の際はサイトで確認してみてください。

 

 嵐電を乗り継いで次に向かった大本山は妙心寺。塔頭の大法院でお抹茶をいただきました。ここは春と秋に限定公開されていて、紅葉の時期が有名のようですが、この季節も清涼感たっぷり。お茶をいただいた客殿の前には、枯山水が多い禅寺の中では珍しい露地庭園(茶庭)が広がります。

 大法院は江戸時代の寛永二年(1612)、信州松代藩主だった真田信之(大河ドラマで大泉洋演じるお兄ちゃん)の孫・長姫が、信之の遺命により菩提寺として妙心寺山内に創建した塔頭です。長姫は妙心寺百七十五世・絶江紹堤(ぜっこうしょうだい)禅師に禅を学んでいたことから、その法嗣にあたる淡道宗廉(たんどうそうれん)を開祖とし、院号は真田信之の法名「大法院殿徹岩一明大居士」より命名。松代藩主真田家からは毎年五十石が施入され、藩寺として保護されたとのこと。今でも長野県民の参拝者が多いそうです。

 墓所には真田信之の墓と、幕末に吉田松陰や坂本龍馬を育てた佐久間象山(1811~64)の墓もあります。象山は松代藩主の儒臣で、元治元年(1864)に京都三条木屋町で攘夷派の熊本藩士・河上彦斎らに暗殺された後、ここに墓が造られました。真田信之と佐久間象山の墓を一緒に拝めるなんて、歴史好き&大河ドラマファンなら見逃せませんね!


 院内には土方稲領(ひじかたとうれい)が描いた襖絵「叭叭鳥図(ははちょうず)」があります。叭叭鳥は中国に生息するカラスに似た鳥で、九官鳥のように人の声を真似る鳥だそうです。稲領が描いた叭叭鳥図は鳥100羽が梅の老木に群がり飛ぶ様子が描かれ、禅語の「長空鳥任飛(自らの心境のまま、自由自在の有様)」を表現したそうです。また佐久間象山筆の「常賞」という字も掲げられています。


 妙心寺からJR花園駅⇒JR二条駅⇒地下鉄烏丸御池と乗り継いで、次に訪ねたのは三条釜屋にある大西清右衛門美術館。この地で約四百年にわたって茶の湯の釜を作り続ける千家十職の釜師・大西家の伝統と技に触れました。


 幕末の大老で茶人でもあった井伊直弼は『茶湯一会集』の中で「釜は一室の主人公に比し、道具の数に入らずと古来云い伝え、此の釜一口にて一会の位も定まるほどの事なれば、よくよく穿鑿をとぐべし」と記していたそうですが、なるほど、目利きの茶人が好みそうな切子釜、提灯釜、達磨釜などユニークな形状の釜がズラリ。釜の形状のルーツは、①煮炊き用の鍋や釜など生活用具から発展したもの、②大陸の影響をうけたもの、③宗教の道具から影響をうけたものに分けられるそうで、とくに宗教の影響としては経典を保存する経筒、仏事で使用する香水壺や護摩炉釜、九輪(仏塔の最上部にある九つの宝輪)などからデザインや製法のヒントを得たようです。

 いずれは錆びて朽ち果てる鉄を原料にし、鋳型の技術、彫刻の技術、槌起や彫金の技術、熱処理や漆の技術など複雑で難度の高い加工を必要とする上に、茶人からハイレベルな要求があるのか、はたまた職人としてのプライドからか、さらに凝りに凝った意匠にこだわる職人たちの心意気。これが、数百年経て〈侘び味〉〈やつれ〉と言われる独特の味わいに生まれ変わるのでしょう。西欧には鉄器に対するこういった価値観はないそうです。

 お茶の道具は、使い手からみると、戦国時代は権力者のシンボルに、江戸時代は財産替わりに利用され、侘茶の精神とは違う世界のように感じていましたが、道具の作り手からすれば、技を究めるひとつの精神修養にも思えます。

 利休百首の中に

「茶はさびて 心はあつくもてなせよ 道具はいつも有合にせよ」

「釜一つ あれば茶の湯はなるものを 数の道具をもつは愚な」

という歌があり、その一方で、

「かず多くある道具をも押しかくし 無きがまねする人も愚な」という歌もあります。

 誠心からもてなせば道具は高価なものや珍器でなくても有り合わせのもので十分。道具ではなく心で点てよと言いつつ、たくさん道具を持っていながら、さも持っていないような顔をするのは愚かだ、持っているなら十分活用せよと言うこと。確かに、道具の良し悪しや数に囚われるというのは、禅が戒める執着心の表れ、とも言えますね。釜、茶碗、棗、茶杓等々、種々の道具を用いる茶道では、道具の数だけ心も試されるのかもしれません。(つづく)


 

 


マインドフルと禅語究明

2015-08-24 14:41:03 | 駿河茶禅の会

 処暑を過ぎたというのに相変わらず蒸し暑い日が続きます。それでも早朝、お寺の仕事で門や窓を開けるとき、吹き込んだ風にほんの少し秋を感じます。季節は着実に進み、変化しているんですね。

 

 6月に開いた駿河茶禅の会で、参加者にお気に入りの禅語を持ち寄って発表してもらいました。私が選んだのは「滴水滴凍」。落ちるごとに凍る水滴。寒い冬の朝、懸樋(筧)を伝ってポトリポトリと落ちる滴を見ていると、一滴ごとに凍てついていく。そのように人間も一瞬一瞬を、引き締めつつ生きなければならない・・・そんな意味だそうです。

 季節はずれですみません、とお茶の先生に詫びたところ、茶道では「紅炉上一点雪」のような禅語をあえて夏の茶席に飾り、涼を感じてもらう、そんな趣向もあると教えていただきました。言葉で涼む感性を持っていたとは、日本人が創り出す文化とは、やはり四季の変化に富んだこの国の〈無常=常にあらず〉の風土が成すものだなあと感じ入りました。

 

 「滴水滴凍」を見つけた西村惠信著『禅語に学ぶ 生き方死に方』(禅文化研究所刊)には、この言葉の解説として

『どんなに長い人生も、一歩一歩の連続であって、ひとときも切れ目はない。白隠は「独り按摩」という健康法を説いているが、その「最後の一訣」でずばり、「長生きとは長い息なり」と書いている。九十七の長寿を生きた妙心寺の古川大航管長は人から長生きの秘訣を聞かれて、「ただ息をし続けてきただけだ」と言われた。まことに人生の根本は、この一息から始まるということだ。だから一息一息が決して疎かな一息であってはならないのだ。ベトナムの禅僧でノーベル平和賞候補のティクナット・ハーン師は、人々に「マインドフルネス」という瞑想法をさかんに勧めている。この瞑想法は二千年の昔からタイやベトナム、あるいはスリランカなどの仏僧院で実践されてきたもの。日常動作の一瞬一瞬に心を集中させる瞑想法で、いま認知療法の有効な手段として、盛んに応用されているという。』

とあり、妹がアメリカで研究しているマインドフルネス(こちらを参照)を思い出しました。2年前に知ったときは、ネットで調べてもよくわからなかったのですが、この2年ほどでずいぶん普及したみたいですね。日経サイエンスでもこんな特集を組むくらい。

 

 

 同誌でマイアミ大学のトレーニングディレクターが簡単な実践法を紹介しており、私も坐禅をするとき参考にします。

 

① 背筋を伸ばした安定した姿勢で坐り、両手を太ももの上に御気か、掌をウエにして身体の前で重ねる。

② 視線を落とすか、目を閉じる。

③ 自分の呼吸に注意をはらい、身体全体をめぐる呼吸の動きを追う。

④ 空気が鼻・口を出入りする際、腹部のあたりの感覚を意識する。

⑤ 呼吸の影響を受ける身体の部分を一つ選び、注意をそこに集中する。呼吸そのものではなく集中をコントロールする。

⑥ 注意が逸れるのに気づいたら(そうなるのが普通)、注意を自分の呼吸に戻す。

⑦ 5~10分後、フォーカスアテンション(注意集中)からオープンモニタリングに切り替える。自分の心を「大空」とみなし、思考・感情・感覚を「流れる雲」とみなす。

⑧ 呼吸とともに全身の動きを感じる。自分の感覚を受け止め、いまおきていることに気をつけ、経験の質の変化に注意を払う。音、匂い、そよ風の愛撫・・・思考。

⑨ 約5分後、視線を上げるか目を開く。

 

 フォーカスアテンション&オープンモニタリングとは、茶を点てるとき、坐禅を組むときの心の動作そのものじゃないか・・・とも思います。日本の様々な伝統文化が表層ではなく内面的にも海外の人々に理解され始めている・・・そんなことを、この2冊の読み物から実感します。

 

 

 さて、今週また駿河茶禅の会で禅語の発表を行なう予定で、現在、参加者から集まってきた禅語をレジメに編集しているところ。ここでは前回6月のレジメをご紹介します。言葉で感じる自然と心・・・いつまでも大切にしていきたいですね。

 

 

「松無古今色」
■作者/夢窓疎石  ■出典/禅林句集

■意味/『禅林句集』の五言対句に「松無古今色、竹有上下節」(松に古今の色なく、竹に上下の節あり。)とある。鎌倉・南北朝の臨済宗の禅僧、夢窓疎石の『夢窗國師語録』に「便向他道、竹有上下節、松無古今色。」(すなわち他に向っていう、竹に上下の節あり、松に古今の色なし。)とあるのが元ではないかといわれる。

■選んだ理由/今の自宅を建てたとき、茶室(もどき部屋)に掛けるために、実家から父が選んでくれて持ってきたもの。いつも忙しい日々なので、「松」という言葉で花を飾る代わりとし、普遍的なので、時季も問わないし、自分を見つめリセットするための空間にぴったりの言葉と思って掛けています。


「得意淡然 失意泰然」
■作者/崔後渠  ■出典/六然
■意味/明末の儒者、崔後渠の六然(自處超然、處人藹然、有事斬然、無事澄然、得意澹然、失意泰然)のうちの2つで、得意の時でも驕り高ぶることなく、失意の時でも悠然と構えて取り乱さないことが大切であるという意味の格言。会社の事務所に貼ってあります。

 


「放下著」

■作者/圜悟克勤    ■出典/五家正宗贊

■意味/なかなか人は、無になろうとしてもなれない生き物。しかし人生、精神的な幸せとは何か? いろいろな物、お金、人間関係に執着することではなく、自由な心を持つことではないか。しかしながら、いろいろと捨て去ることは難しい。だからこそ「すべての執着を捨て去れ!!」が大事である。

■選んだ理由/潔さを美徳としている私のひとつのあこがれです。

 

 

 「看脚下(照顧脚下)」

■作者/圜悟克勤    ■出典/五家正宗贊

■意味/ 妙心寺のHPより抜粋します。

中国の禅僧法演(ほうえん)がある晩、3人の弟子を連れて寺に帰る暗い夜道、一陣の風が吹いてきて手元の灯が吹き消され、真っ暗になった。法演は弟子達に向かって質問をした。「暗い夜に道を歩く時は明かりが必要だ。その明かりが今消えてしまった。さあお前達、この暗闇の中をどうするか言え」と。

まず弟子の仏鑑(ぶっかん)が「すべてが黒一色のこの暗闇は、逆にいえば、美しい赤い鳥が夕焼けの真っ赤な大空に舞っているようなものだ」と答えた。次に仏眼が「真っ暗の中で、この曲がりくねった道は、まるで真っ黒な大蛇が横たわっているようである」と答えた。

最後に、圜悟(えんご)が「看脚下」(かんきゃっか)と答えた。つまり「真っ暗で危ないから、つまずかないように足元をよく見て歩きましょう」と答えたのである。この言葉が師匠の心にかなった。

暗い夜道で突然明かりが消えたならば、まず今ここでなすべきことは何か。それは他の余計なことは考えずに、つまずかないように足元をよく気を付けて行くということだ。もう一歩進めて解釈をすると、自分自身をよく見なさいと。足元を見ると同時に、我が人生の至らなさを見て欲しい。未熟である自分に気づく、発見する。足元を見ると言う事の中には、そういう大事な意味がある。

 ■選んだ理由/我が家のお寺「臨済寺」の玄関にも掛札があり、高校生の頃、法事の際に何だろうと思い、お坊さんに尋ねた記憶があります。以来、ピンチの時もチャンスの時も自分の置かれているポジションを冷静に認識しようという自戒の念として心掛けています。勿論、我が家の玄関の靴の整頓にも役立っています!?

 

 

「萬法帰一」

■作者(編者)/圜悟禅師(雪竇重顕)  ■出典/碧巌録

■意味/「天地と我と同根、万物と我と一体」という禅語がある。この世の森羅万象は究極において「一」に帰るのだ。「一」とは限りなく豊かな世界、そこはすべての境界線を取り除いた妙境涯だ。あなたが今まで蓄積してきた知識、執着は「一」を見えなくしてしまうかもしれない。しかしひとたびそれらをさっぱりと捨て去れば「一」を実感できることだろう。しかもあなたが「一」を会得しても、あなたは禅の師匠から「一」にとどまってはいけない、と強く戒められる。さあ、あなたはその後どうする?

 

 

「桃李不言 下自成蹊」
■作者/司馬遷  ■出典/史記
■意味/桃も李もものを言うわけでもなく、人に訴えかけず沈黙を守っている。だが花や果実にひかれてたえず人が集まってきて、木の下にはいつの間にか小道が出来てしまう。人間も同じである。徳がそなわっている人はおのずから人が集まり、人が進むべき道というものができるのである。
■選んだ理由/ひとつは言葉(文字)の持つ意味に引かれた。桃李の動(変化・成長)と不言の静。蹊は人工的に造られた道ではなく、自然の流れの造形。競争社会を生き抜くため、各々は自己顕示欲をあらわにするが、無欲無心の感動を覚えるような、行動や振る舞いが自分にはできるだろうか。いつか足元を見て振り返った時に、そんな世界が見えたら素晴らしい。関連の語句/論語「無可無不可」

 

  

「夢」

■出典/金剛経(金剛般若波羅蜜経)

■意味/一切有為法〈いっさいのういのほう〉如夢幻泡影〈むげんほうようのごとし〉

    如露亦如電〈つゆのごとくかみなりのごとし〉 応作如是観〈まさにかくのごときかんをなすべし〉

禅では、私たちが今生きているこの現実の経験こそが‘夢’である・・とのこと。この世は諸行無常で、すべては夢、まぼろしに過ぎない。実態がない空である。とすれば、執着することのなんと虚しいことか。

■選んだ理由/亡き人を偲ぶ際によく見かける‘夢’の一字。調べてみたら・・・禅語では戒めのごとく 奥深さにガツーンときます。信長が好んだという敦盛(あつもり)「人間(じんかん)五十年、下天(げてん)のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり・・・」、豊臣秀吉の辞世の句「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速(なにわ)のことは夢のまた夢」、沢庵禅師の遺偈「夢」等。ある時代日本を動かしていたのは、 茶の湯と同じく禅や能の素養を身に着けた人々たちだったことに、改めて感じ入りました。

 

 

「本来無一物」 

■作者/慧能禅師  ■出典/六祖壇経

■意味/事物はすべて本来空(くう)であるから、執着すべきものは何一つないということ。禅の端的を見事に言い当てたこの語は、中国禅宗の第六祖となった慧能禅師の言葉。これは慧能が師の第五祖・弘忍(ぐにん)禅師から法を継ぐ契機となった詩偈(しいげ)に由来しており、禅の古典『六祖壇経』にある。慧能(えのう)(638~713)中国禅宗の第六祖、六祖大師ともいう。諡(おくりな)は大鑑禅師。

■選んだ理由/以前から気になる「禅語」の一つだったので、もう少し詳しく知りたいと思い選んだ。

 

 

「両忘」   

■作者/程明道(中国宋代の儒者)  ■出典/定性書

■意味/物事を二つに分けることを忘れてしまえという意味。生と死、貧と富、楽と苦、愛と憎、勝と負、好きと嫌い、大と小、高と低、明と暗、美と醜、善と悪、左と右、内と外など、この世界は二つの相対しているものであふれています。私たち、人間は物事の白黒をつけたがる傾向があります。自分は、世間でいうところのお金持ちなのか貧乏なのか、頭がいいのか悪いのかなど、どちらかに分類しようとするから、不安になるのかもしれません。花畑にはいろいろの花がたくさん咲いています。どれが美しくて、どれが醜いなんてだれが決められるでしょう?

■選んだ理由/今読んでいる本(感情的にならない本 和田秀樹著)に、偶然同じ内容の事が書いてあり、私の心にすんなり入ってきました。私の欠点、私を苦しめている生き方はこれだと思ったのです。このような人は幼稚で人が去ってゆき孤独になると書いてあり、豊かな人生を歩むためには自分を変えていかなくてはいけない、と思いました。また、執着やとらわれ、思い込みなどをすべて忘れることで、心が放たれ新しい道が開けるとありました。心癖なので変えるには時間が掛かりますが、心に静寂が得られるよう日々努力するつもりです。

 

 

「己事究明」

■意味/まず自分自身を知り、生かされていることに気付き、自分を活かすように行動する。ということ。他人の事は気になるが、自分自身のことには意外と疎いのが現代の私たちです。まず、「自分自身を知れ」という教えは自分探しの修行が大切であるということ。

 


第1回駿河茶禅の会~私の好きな禅語

2015-04-24 14:31:57 | 駿河茶禅の会

 私は茶道や華道といったお稽古事の経験がまったくなく、歴史やら伝統やらを識者ぶって論じながら、和の基本的な所作や教養がまったく身に着いていないのが、ずーっとコンプレックスでした。論じるだけ、と、身に着いている、じゃぁ雲泥の差。坐禅をするようになって和尚さんから猫背をひどく注意され、初めて自分ってそんなに姿勢が悪かったんだと気づいた始末です。

 4年前、静岡県ニュービジネス協議会の研究部会として茶道に学ぶ経営哲学研究会という会をつくったところ、協議会会員(経営者や管理職)をはじめ、私の酒友やその家族友人等から思った以上に「私も和のマナーを勉強したい」「昔やってた茶道を復習したい」「作法の意味をちゃんと勉強したい」という声が集まり、3年半、充実した活動を続けることができました。そして今月からは会員有志による手弁当の勉強会『駿河茶禅の会』をスタート。22日に第1回例会を行ないました。

 

 初回のテーマは「私の好きな禅語」。いわゆるお稽古事の茶道教室で禅語を学ぶ機会はほとんどないそうですが、茶室の床の間には徳の高い僧が書いた禅語が掛け軸として飾られます。茶の湯は禅の教えをベースにした、禅の修行の一環、と考えれば、茶室に入室し、まず掛け軸に礼をする、という所作の意味がナットクできるわけですね。昨今、茶道の家元が書いたものや日本画を飾るケースが増えてきたそうですが、禅僧の墨書を掛けるのが基本中の基本。亭主がだれのどの禅語を選んで飾ったかが、その茶事の大きなテーマとなります。そんな大事なことなのに、茶道教室でなぜ禅語を勉強しないのか門外漢には不思議です・・・。

 3年半の研究会では、講師の先生からさまざまな禅語を教えていただきましたが、「駿河茶禅の会」は学習意欲のある仲間が手弁当で始めた勉強会ですから、初回は自己紹介がてら、自分のお気に入りの禅語を持ち寄っていただきました。お馴染みの熟語から初見の熟語までいろいろ集まり、なぜお気に入りなのかをうかがううちに、その人の経験や現在の心境が伝わってくる気がして、相互理解にもつながる充実した学び合いとなりました。

 以下に無記名で紹介します。参加者のみなさん、ありがとうございました!

 

 

「遊戯三昧」

■作者/無門彗開  ■出典/無門関

■「遊戯」とは、「ゆうぎ」とは読まないで「ゆけ」と読みます。意味は、悟りの境地に徹して、それを喜び楽しむこと。「三昧」は、「サマーディ」の音訳です。何か対象が決まっていて、それと自分とが全く「ひとつ」になること。勉強するなら勉強に、絵を描くなら描くことに、全く「ひとつ」になって余念がないこと。一旦こうと決めて生き始めたらからには、人から褒められようと、くさされようと、罵られようと、一向に意に介さず生きていくこと。我を忘れて無心に遊んでみないか、仕事も趣味も生活でなすことも、さらには人生の運不運も、全て遊び心で生きることがすばらしい。

■「ワークライフバランス」や「仕事とプライベートの両立」だけでは解決できないことを解決する糸口が「遊戯三昧」という言葉の中にあると思います。いまは、ちょうど就職活動の季節。面接では学生からもそれらの言葉が聞かれますが、若い人にこそ、楽しいことをするのではなく、することを楽しむことの大切さを知って欲しいと思います。

 

 

「日々是好日」
■作者/雲門禅師  ■出典/雲門広録
■多くの人は「今日もよい一日でありますように」と願い、無事を願う。が、現実はその願いどおりにはいかないので、様々な事象があってもこの日は二度とない一日であり、かけがえの無い一時であり、一日である。この一日を全身全霊で生きることができれば、それが日々是好日となる。それは自らの生き方を日々坐して待つのではなく、主体的に時を作り充実したよき一日一日として生きていくところにこの言葉の真意がある。以前教えていただいた「話尽山雲海月情」と似た言葉かなと思いました。

■どのような日でも毎日は新鮮で最高に良い日だという意味。「 雨の日も風の日も、その時の感情や状態を大いに味わって過ごせば、かけがえのない日になる」。

 

 

「柳緑花紅」

■作者/蘇東坡  ■出典/東坡禅喜集より「柳緑花紅真面目」

「あるがまま」をシンプルに表現した禅の言葉。柳は緑色、花は紅色をしているように、自然はいつもあるがままの美しい姿をしていることから、禅宗では、悟りの心境を表す句。あるがままのものが、あるがままに見えてくるまでには、苦しい道程を経なければならないが、悟ったからといって特別に変わったということもなく、悟らぬ前も“花は紅”であり、悟った後も“柳は緑”であると。

※一休禅師「見るほどにみなそのままの姿かな 柳は緑 花は紅」

※沢庵禅師「色即是空 空即是色 柳は緑 花は紅 水の面に 夜な夜な月は 通へども 心もとどめず 影も残さず」

 

 

「随喜功徳」

■作者/釈迦  ■出典/妙法蓮華経・随喜功徳品第十八

 人の幸せや喜びを妬むのではなく、共に喜ぶことが功徳になるという仏教語。「随喜」とは仏法を聴く事で喜びを得ること。または、人の幸せや喜びを共に共感すること。

 


「一」
 字面ではただの「一」で、禅語との定義は憚りますが、「万法帰一」(碧巌録)をはじめ、「一華開五葉」(達磨の偈)など成句として多数あります。また茶道の稽古科目として、「一二三之式」という名称の点前もありますし、「稽古とは一より習ひ十を知り、十よりかへるもとのその一」とは言わずもがなの道歌で、茶には縁の深い語であります。三十年以上も昔に、松堂老師に染筆頂いた「一」の掛軸は人生の節目節目に掲げ、肝に銘じて参りました。

 

 

「花無心招蝶 蝶無心尋花」

■作者/老子  ■出典/道徳経

良寛の詩で知りました。春になれば、蝶が花を求め飛んできます。誰に決められることもなく二つのものが自然にむすばれる大自然の法則そのものがすばらしく思え、また、きれいな漢字が使われている好きな言葉です。仏教でいう「因縁」という奥深い意味もあり、なるほどと思います。

 

 

「照見脚下」「脚下照顧」
   足元を見よ、とは、自分の本性を見なさいという教えだという。もとより私は自分を顧みて反省するようなタイプではないが、この言葉には共感できるところがある。昔から私はその日着るものを靴から決める。雨降りか否かのコンディションに加え、フォーマルかカジュアルかの違いも靴がいちばん明確だからだ。何を着て行こうと考えるといつまでも決まらないのに、靴が決まると頭のテッペンの帽子やウイグの型まで即座に決まってしまう。だから足は自分の芯だと、ずっと感じてきた。日本人の美意識の芯も白足袋にあると思う。地面と接しているもっとも汚れやすい部分に真っ白な足袋を履かせる。その徹底した清潔感こそが日本人らしさではないだろうか。しかし、このところ自分の足元が危うくて悲しい。酔っ払って転げることもしばしば。それも、年を取った自分に気付きなさいーと芯が警告してくれているということだろうか。

 

 

「随処作主」

■作者/臨済義玄   ■出典/臨済録    

自分の主体性を持って取り組むことが大切。たとえ、辛い時や理不尽なことがあっても一生懸命行動し努力していれば、道は開けるという意味です。他人や外部のせいにしないよう戒められます。

 

 

「無事」

■作者/臨済義玄   ■出典/臨済録「無事是貴人」

「主人公」

■作者/瑞巌和尚  ■出典/無門関十二則「瑞巌主人公」

自宅で年中掛けている私のお気に入りテーマ2つです。「無事」は家に帰って、中に入ると目に入る場所。友人が書いてくれた書で、心を落ち着かせてくれます。「主人公」は茶室もどき部屋の、床の間に掛け、自分を確認し、自分を見つめる場にしています。

 

 

「行雲流水」

■出典/『宋史』蘇軾伝

好きな言葉としてあげた理由は三つあります。一つめはこの言葉の語源にあります。語源は文章の書き方について中国の昔の文豪が言った言葉だそうですが、その意味に惹かれ、自分の仕事の目標にしています。書けば書くほど、不自然に凝り固まっていく自分の在りようを、「行雲流水」という言葉が和らげてくれるように思ったのです。

 二つめは、若い頃、川釣りをされる人に「川っていうのは人生のようなもんですよ。流れがあって、淀がある」というようなことを教えていただき、とても感銘を受け、私も今起きていることに逆らうのではなく、身を任せて受けいれることで、今日の日を大切に、楽しんで生きられるのではないか?と思うようになりました。その心持を言葉にすれば、やっぱり「行雲流水」なのかな、と。人生に於いても、人付き合いに於いても、去る者は追わず、来る者拒まずをモットーに、自然体でいたいと思っています。

 三つめは、富士の麓で広い空と豊かな川に恵まれて育ったため、雲を眺めることや、川辺、海辺が大好きなことです。「行雲流水」の文字を見ているだけで、私にはいろんな表情の富士川や、富士山にかかる、刻々と変わる雲が思い出されます。

 

 

 

「一期一会」

■作者/千利休

『山上宗二記』の中の「茶湯者覚悟十躰」に、利休の言葉として「路地ヘ入ルヨリ出ヅルマデ、一期ニ一度ノ会ノヤウニ、主ヲ敬ヒ畏(かしこま)ルベシ」という一文があります。さらに江戸時代末期、大老井伊直弼が茶道の一番の心得として、著書『茶湯一会集』巻頭に「一期一会」と表現したことにより四字熟語の形で広まったようです。私は、“過去は変えられないが、未来は自分が創れる”を信条に、過ぎたことは振り返らず、今を大事に取捨選択して行動して来ました。ただし、過去があって未来があることは理解しています。 

 

 

 最後に私が挙げたのは、このブログでも再三紹介している、白隠さんの「動中工夫勝静中百千億倍」と、大乗涅槃経にある「自未得度先度他」。「動中」は日常生活の一切の行動。日頃の動作で、静中(坐禅)のときと同じように正念相続(=正しい信念を持ち続けること)するほうが何倍も勝る。私の座右の銘です。

「自未得度先度他」は自分の得より他人の得、という利他精神を説いたものと言われますが、自分はまだ悟りに達してはいない未熟者だけど懸命に修行し続けていると、他者のためになることもある、と解釈しています。酒の会もこの会も、自分は修行中の身で、会を運営できるような立場ではありませんが、自分の修行になると思ってお声かけをしたらこんなに集まってくださった。みなさんに共鳴していただけた・・・と驚き、嬉しく、感謝しているところです。

 

 こうして並べてみると、「遊戯三昧」「一」「随所作主」「主人公」「一期一会」「動中工夫勝静中百千億倍」あたりは、変化を前にして、自分を鍛えよう、自己改革しようと意を決する人が選んだ言葉なのかなあと思えてきます。一方で「柳緑花紅」「花無心招蝶 蝶無心尋花」「行雲流水」あたりを選んだ人は、すでに何か大きな変化の中にあって己を見失わないよう心落ち着けようとしているのかなあと。

 ・・・そう考えると、茶席の亭主は、その日に招いた客の経歴や今の心境を慮って言葉を用意するわけです。これは大変奥深い、おもてなしの極致。流行語のOMOTENASHI、とは次元が違うようです。

 

 ちなみに「一期一会」は、英語で「one meeting, one chance」と直訳されることが多いそうですが、禅語の精神を正しく伝えるならは「once in a-life-time meeitng」となるそうです。英訳することで言葉の真意が顕在化することもある・・・禅語って面白いですね、ホント。