夕べ(28日)の安倍川花火大会、楽しまれた方も多かったと思います。私は先の記事でもふれたとおり、花火大会の前、14時から安倍川河川敷で行われた戦没者慰霊法要に参列。日中の暑さにバテバテになり、夜は自宅で五輪中継鑑賞しながら涼みました。花火は“音”だけ(笑)。
長い間、花火大会の前にこんな儀式をやっていたことを知らずにいました。しかも、日蓮宗総本山身延山久遠寺から僧侶の方々をお迎えしての本格的な供養祭。こんなふうに、安倍川橋のふもとから、うちわ太鼓を叩いてお題目を唱えながら入場されます。
参列したのは駒形の感応寺はじめ、先の記事で紹介した供養碑建立に関わる地域のみなさんや、安倍川花火大会実行委員会関係者。供養祭を執り行う僧侶はお若い方が多かったのに比べ、参列する市民のほうは年齢層が高い・・・という印象でした。安倍川沿岸には静岡商業高校はじめや小学校や中学校がいくつか点在しているのだから、若い世代にも来てもらえばいいのに・・・と思いました。この歳で初参加した自分が言える立場じゃないけど(苦笑)。
慰霊法要が終わったあと、安倍川橋のたもとにある新旧2つの供養碑にも手を合わせてきました。古いほうは天保2年(1831)建立のもの。天明から天保に変わるこの時期、各地で飢饉や水難事故が相次いだことから、五穀豊穣と行客安全を願って建てられたようです。沓谷の蓮永寺にあったものを明治21年に移したとのこと。
新しいほうは、先の記事でも紹介したとおり、大正14年に関東大震災犠牲者供養のために小田万蔵さんの発案で建立されたもの。碑文は身延山久遠寺の81世日布上人に揮毫していただきました。
あらためて、安倍川花火大会と身延山久遠寺の関係がいまだにこうして続いていることに不思議な感動を覚えます。
実はこちらの記事でも書いたとおり、5月と6月に、身延山久遠寺周辺を取材に行って来たばかり。取材した記事は、7月中旬~現在、首都圏で配布中の東京新聞購読者向けタブロイド紙『暮らすめいと』8月号に掲載しているんです。
久遠寺を訊ねたときは、まさか、安倍川の花火大会とこういう因縁でつながっているとは思いもせず、記事でも触れることはありませんでしたが、新東名が開通して新清水ICを利用すれば静岡からも本当に近くなった・・・と実感したばかり。でも遠い近いって感覚、物理的な距離や時間ばかりじゃなかったんですね。
先日、京都で興聖寺の坐禅に行きましたが、寺ではちょうど東日本大震災犠牲者のための施餓鬼供養も行っていて、思いがけず餓鬼棚にお参りすることができました。震災から1年半経った京都でも、こうして慰霊を続けているんですね。「思い」は距離や時間には関係ないってしみじみ感じます。