復興担当大臣のドタバタ交代劇には日本国中がため息をつかされたと思います。政治家の姿勢が改めて問われる中、折も折、広報のお手伝いをしている上川陽子さんの後援会主催セミナーで、阪神淡路大震災の復旧・復興を担った当時の震災担当大臣・小里貞利さんをお招きすることになり、小里さんの著書『震災大臣特命室~震度7と闘う男たちの記録』を通読中です。
小里さんは鹿児島県出身。鹿児島県議会議長等を経て、1979年に衆議院議員に初当選し、労働大臣、北海道沖縄開発庁長官、自民党総務会長などを歴任され、2005年に政界を引退。薩摩隼人らしく80歳になられる現在もお元気で、今回の東日本大震災に対する識者インタビュー等でも明快な受け答えをされています。
『震災大臣特命室』が出版されたのは、阪神淡路大震災の発生から半年後の1995年7月。被災地では応急・復旧から本格復旧へようやくこぎつけたという段階での発行ですから、政府の初動態勢を現場サイドから記録したドキュメントとして興味深く読みました。震災担当大臣がこのタイミングでハードカバーの本を出せるとは、今の政府ではちょっと想像できませんよね・・・。
小里さんが村山総理から震災担当専任の国務大臣に指名されたのは震災発生4日後の1月20日。その日のうちに神戸へ飛んで、現地対策本部を立ち上げ、21日には早くも記者会見で特別立法の検討に言及(特別立法は約2ヶ月後の3月27日までに16本成立)。22日には現地対策本部第1回会議が開かれ、23日には小里大臣を補佐する『地震対策担当大臣特命室』が設置されました。
この特命室には11省庁の課長補佐クラスの若手精鋭が集結し、前例のない行政組織として大いに機能したそうです。本書の中には、特命室スタッフの手記が実名で掲載されていて、この部分も興味深かった。
その中に、特命室が発足して4カ月ほど経った時の懇談会で、そのリーダーシップを讃えられた小里大臣が「ここにいる面々は各省庁からの精鋭が集まってきており、まさにミニ政府だ」と語ると、「全員が小里大臣の門下生だ。小里スクールだ」と答えたスタッフ。
また別のスタッフは「もともと発足時に現地対策本部とともに各省幹部級職員を震災対策の責任者として任命し、小里大臣の指揮下にあることをはっきりしておいた事実はあるものの、政府が小里大臣のもと一体となって震災対策に取り組む姿勢がいかに徹底していたかが実感できる毎日だった」「大臣と一体となって未曾有の大都市直下型大震災の応急・復旧対策に力の限り働いた特命室の存在は、震災史に大きく残ることは疑いない」と述べています。
官僚が実名でここまで自信を持って書くというのは、特命室という組織がうまく機能していたことを示していると思いました。非常時とはいえ、エリートたちの混成組織ですから、尊敬できるリーダーの存在と協調性が何より必要だったでしょう。
小里さんは巻末で、危機管理の上で必要不可欠な事項を『強力なリーダーシップ』『強力な組織』『臨機応変』『現場第一主義』『重要な広報』の5つに柱にまとめておられます。これ、言葉で言うのはカンタンだけど、解釈や実行のタイミングをはきちがえると大変なことになるって、現政権を見ていると感じますよね・・・。
いずれにせよ、阪神淡路に比べ、今回の震災は地震・津波・原発の「重複被害」で、被災地域は約5倍。小里さんご自身はどんな思いで見ておられるのか、14日のセミナーが楽しみです。後日、ご報告しますね。