歌う介護士

看取りをしたご入居者から「あなたの声は癒される」と。お一人一人を思い浮かべながら、ずっと歌い続けています。

地震から3日

2011-03-13 22:05:36 | Weblog
まわりの人たちは、幸いケガをしなかったようだ。
子供たちとは、11日の17時半には電話が繋がった。
それぞれ今いるところで夜を明かす覚悟だという。
最初の長い揺れが来たとき「あ、とうとう来たか!」と頭をよぎったそう。
高い建物にいたので船酔い状態だったらしい。

都内では、勤務先で徹夜したり地震難民化する人たちもいたようだ。
私の通勤経路でさえ、駅やホテルのロビーでしゃがみこむ人たちが多数あったし、線路沿いの道路を足早に歩く人も多数あった。

ホテルはもちろん、ネットカフエなども既に満員。
行き先のない人たちは線路を歩くか、街を歩くか・・・。

暖めてくれるようなビルの多くはシャッターを下ろして外部進入を出来なくしてしまっただろう。
コンビ二も売り切れ、補充もない。
普段の便利さに慣れている私たちの日常は夢だった・・・。

交通手段は震度4になると全て止まるので、今回の経験で学んだこと。
・移動する前に必ずトイレは済ませておく。
・食べるもの、カロリーの取れる携帯食と水は持ち歩く。
・常に現金を持ち合わせる。
・安否確認方法を決めておく。


明けて12日は、私は出勤。
電車は間引きながら動いていた。
自分ではあまり気付いていなかったが、かなりなストレスになったらしく、
胃腸の具合はなんとなく悪いし、体も仕事モードにならない。

ご入居者もお忘れになる方でも、なんとなく異変を覚えているのか一人になるのを嫌がっている。
動いていると、フワ~フワ~ッと、めまいのように揺れを感じてしまう。

しかし、年齢より体力があるのを証明しちゃったかな。
てっきり休むと思われていたようです。


山形のいとこに電話する。
12日まで停電していたので、寒くて真っ暗で、電話も何も通じなかったとのこと。
向こうは交通手段が車なのに、ガソリンが10Lしか買えないと嘆いていた。
ご飯も鍋で炊いたらしい。(ストーブです!)
とても役に立ったのは、蝋燭と手回し充電のラジオ。
手回し充電のラジオは優れものだそうですよ!

いとこの静子さんいわく。
「これを機会に少し昔のアナログ生活に戻ればいいと思う。」
それも言えてるかも。


テレビの画面は被災地の映像が次々と。
感情が不安定になっているのかもしれないが、見ていると涙が流れてしまう。
どうか、我が身になって、少しでも早い対応をして欲しいと心から願っている。
政治政党のしがらみをひきづっている場合ではあるまい。
なぜこんな時にいち早く「超党」という声が上がらないのか?不思議に思います。
海外からのすばやい支援に頭が下がります。