10月7日付 読売新聞編集手帳
いろいろな臓器の細胞に変化できる万能細胞「iPS細胞」は生みの親、
山中伸弥・京都大学教授が名づけた。
「誘導された多能性を持つ幹細胞」を意味する英語の頭文字だが、
「i」だけがなぜか小文字である。
米アップル社の携帯音楽プレーヤー「iPod(アイポッド)」のように親しまれ、
普及しますようにと、
祈りをこめた命名という。
生命の未来を変えるノーベル賞級の知見でさえ、
その独創性にあやかりたいと願う。
携帯電話、携帯端末…
美しいデザインと使いやすさで世界的なヒット商品となった
“i”の数々は日本でもおなじみである。
創業者でアップル即(すなわ)ちその人といわれたスティーブ・ジョブズ氏が56歳で死去した。
言うなればたった一人で夢を追い、
世の中を面白く、
楽しく、
変えてくれた経営者をほかに知らない。
早世した音楽家や詩人を思うとき、
彼らが長命を保ったならばどんな曲や詩を残しただろうかと考えることがある。
モーツァルトの書かれざる交響曲や
石川啄木の詠まれざる短歌が宙を彷徨(さまよ)っているように感じるときがある。
生まれざる「i…」は――
ふと、
物思いに浸る。