日暮しの種 

経済やら芸能やらスポーツやら
お勉強いたします

パリに愛された画家 藤田嗣治

2018-04-24 07:00:00 | 報道/ニュース

3月26日 国際報道2018


奇抜なおかっぱ頭に丸メガネ。
パリで活躍した画家の藤田嗣治である。
明治半ばの日本に生まれ
大正時代にパリにわたり
81年の人生のほぼ半分をフランスで過ごした。
晩年にはフランス国籍を取得。
レオナール・フジタと名前を改めた。
西洋の絵画に伝統的な日本画の表現を取り入れた独特の作風で
パリで高く評価され
1968年に亡くなったあともその作品は多くの人たちを魅了し続けている。
今年はフジタが世を去って50年。
パリでは活動の軌跡をたどる過去最大級の展覧会が開かれている。

展覧会を2週間後に控えたマイヨール美術館では準備は大詰めを迎えていた。
初めて展示される作品も多く
保存状態は万全か入念にチェックする。
パリにわたって4年後に描かれた作品は
西洋美術の題材の「聖母」を描く一方
背景は日本画で使われる金を用いている。
(展覧会 共同主催者 シルヴィ・ブイソンさん)
「フジタは西洋美術の奥深さを十分に理解していましたが
 同時に“自分は西洋美術とは異なる”と表現したのです。」
フジタが一躍注目されたのは1920年代のパリ。
当時パリには世界中から気鋭の芸術家が集い切磋琢磨していた。
フジタは古来から現代にいたる西洋美術の伝統を吸収する一方
日本的な表現を研ぎ澄ます。
浮世絵から発想したという乳白色の肌。
そして日本画用の筆で描かれた繊細な描線は
フジタの名を浮動のものとした。
81年間の生涯で6,000点以上の作品を残したとされるが
個人に買い取られ世間から忘れられた作品も少なくない。
今回初めて一般公開される肖像画もその1枚である。
モデルはフジタの父親 嗣晶。
厳格な軍医として藤田に強い影響を与えた人物である。
2年前 フランスの美術商が偶然オークションで見つけ手に入れたものの
保存状態はよくなかったと言う。
(美術商 ロラン・ジロさん)
「ひどい状態でクモの巣をかぶっていたよ。」
半年かけて修復し今回の展覧会に間に合わせた。
(ロラン・ジロさん)
「この手の置き方は父親の知性を表しています。
 白髪や深みのある目
 私が見た中で最も美しい作品の1つです。」
往年の藤田をよく知る人も今回の展覧会を心待ちにしている。
「フジタはしょっちゅう家に来たわ。
 猫の絵を持ってきたリ。」
ジャニール・ワルノさん(97)。
芸術評論家だった父がフジタと家族ぐるみの付き合いをしていた。
とっておきの絵はワルノさんの娘を目の前でデッサンしたものである。
そのときのデッサンと完成作品。
ワルノさんは自宅で初めて完成品を見た時
あまりの違いに驚いた。
(ジャニール・ワルノさん)
「デッサンは私の娘がそのまま描写されていますが
 完成作品はさらにフジタらしく表現され
 まるで日本人形のようです。」
フジタは日本人の気質を残しながらもパリの文化の最先端に飛び込んでいた。
(ジャニール・ワルノさん)
「フジタは日本的で生真面目でしたが
 仮装してパーティーにも行く。
 日本という島国に閉じこもらず
 日仏の“いいとこ取り”をしたのね。」 
そして迎えた展覧会。
大勢の人々が会場を訪れた。
展示された110点のうち9割は個人が所有していたもの。
パリの人々にとっても珍しい作品が並ぶ。
「こんな大きいフジタは初めて。」
「繊細な日本の表現がフランス絵画の魅力を引き出しています。」
ワルノさんも会場に駆け付けた。
(ジャニール・ワルノさん)
「感動です。
 外国人画家は彼らの伝統をフランスにもたらしてくれます。
 そしてこの融合こそが途方もない美を生むのです。」
没後50年を迎えるフジタ。
その作品は今もフランス人の心に生き続けている。





コメント    この記事についてブログを書く
« AIに負けない能力を磨け | トップ | 子どもと夕焼け »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

報道/ニュース」カテゴリの最新記事