3月10日 経済フロントライン
おととし4月
震度7の揺れが熊本を襲った。
菊湯町にあるソニーの半導体工場。
カメラのイメージセンサーの製造で世界シェア7割を誇るこの工場も激しい揺れに見舞われた。
工場全体の被害個所は1万か所以上。
この工場では
東日本大震災のあと
もともとあったBCPを数回にわたって強化。
復旧の目標を製品の在庫が尽きる2か月としていた。
しかし想定が不十分だったため
実際には3か月半かかってしまった。
(ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング 上田康弘社長)
「準備をしておけば今回の熊本地震でもかなりの被害を抑えることができた。
そういうことをやっていない。
これが非常に反省点。」
復旧が遅れたのが半導体製造の中枢となる部屋 クリーンルームである。
微細な加工が行われるため
わずかなホコリが入ることも許されない場所だが
天井と壁が破損。
外の空気が入り込み一切の製造ができない状況だった。
BCPではクリーンルームは強固だとして壊れることを想定していなかった。
何から手をつければいいのか
実は参考になる事例があった。
東日本大震災で被災した半導体メーカーのルネサスエレクトロニクスである。
ルネサスでもクリーンルームが壊れたが
全国から技術者を集め一斉に投入。
片づけや電機の復旧
設備の修理など
同時並行で進めた。
工場長の鈴木さんは地震のあとルネサスを急きょ訪問。
そこで得た情報をもとに指示を出す。
全国から集められた1000人が一斉に投入された。
ようやく復旧が進んだが
クリーンルームの再稼働だけで約1か月かかった。
ソニーでは
地震が起こる前にルネサスの教訓をBCPに反映させていれば
もっと早く復旧ができたはずだと考えている。
(ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング 上田康弘社長)
「あれは東北の話で熊本では起きない
熊本は地震がない県だとどこかで思っていて
真摯に学ばなかったのがすごく反省。」
これ以上の復旧の遅れは許されない。
4月29日(被災から14日目)
社長自ら檄を飛ばす。
「ソニーではなくサムスン(韓国)やオムニビジョン(米国)に任せた方がいいのか。
生産が立ち上がれば我々の信用はより増して
ソニーがそういうなら完全に任せられるという関係がもう1回築ける。」
しかし新たなBCPの不備が明らかになった。
揺れで破損した半導体の製造装置。
なかでも問題となったのが高温で加工する時に必要なガラス部品である。
地震でほとんどが割れてしまい工場にあった予備の部品だけでは足りなかった。
BCPでは“復旧計画に基づいて材料手配を早急に行う”と記されていた。
しかし調達先として予定されていた部品メーカーに連絡してみると
(調達担当 佐藤英樹さん)
「部品のリストを用意して
最初はそれを片手に部品メーカーのところに行ったが
“こんなにたくさんありませんよ”と。」
結局 県内のライバル企業に手あたり次第連絡して協力を求めることにした。
想定していなかった事態に配送はスムーズに進まなかったと言う。
(調達担当 佐藤英樹さん)
「どういう方法でどこにどう運んだらいいか
そういう想定がなされていなかったので
スピード感という点では1歩2歩遅れたかもしれない。」
2か月の復旧目標は実際には3か月半かかったソニー。
被災した時には他社と部品を融通する仕組みをつくるなど
新たな対策を進めている。
(ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング 上田康弘社長)
「我々は熊本地震でいろいろなノウハウがある。
もう皆様のところに押しかけてでも
この話を聞いてくださいと
必ず皆さんのところでも同じようなことが起きるリスクがありますよと
話を聞いてください
理解してください
ということは強く言いたいと思う」。