2021年1月28日 NHKBS1「国際報道2021」
1月27日に開かれた
ナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺ホロコーストの犠牲者を追悼する式典。
毎年ポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所の跡地で開かれてきたが
今年は初めてオンラインでの開催となった。
アウシュビッツが解放されてから76年。
年々生還者が少なくなり
悲惨な歴史を伝えるのが難しくなっている。
そうしたなか注目されているのが
ホロコーストの現場から救い出された1本のスプーンである。
持ち主から聞き取ったエピソードとともに展示され
差別や憎悪が行き着く先に何があるのかを静かに語りかけている。
第二次世界大戦中 ナチスドイツに占領されたポーランド。
首都ワルシャワにあるホロコーストの悲劇を今に伝えるユダヤ人歴史博物館。
「ある生還者がナチスの迫害から逃れる時に手にしていた銀のスプーンの複製です。」
ホロコーストを生き延びた人から寄贈された“銀のスプーン”。
新型ウィルスの感染拡大で生還者の体験を直接聞く機会が減るいま
“悲惨な過去を知る貴重な展示物“として注目されている。
(ユダヤ人歴史博物館 学芸員)
「このスプーンはとても価値のあるものです。
なぜなら“歴史の証人”だからです。
若い人たちがホロコーストの実態を知る貴重な機会になるはずです。」
銀のスプーンにはいったいどんな歴史があるのか。
寄贈したワルシャワに住む エルジビエタ・フィツォスカさん(79)。
エルジビエタさんがユダヤ人の家庭に生まれたのは1942年。
当時ポーランドではヒトラーひきいるナチスが
ユダヤ人を絶滅させる計画を進めていた。
生後間もないエルジビエタさんが両親とともに連れていかれたのは
ワルシャワにあるユダヤ人を隔離して住まわせるゲットーと呼ばれる居住区だった。
待ち受けていたのは
容赦ない暴力と厳しい飢え。
エルジビエタさんがいたゲットーでは月5、000人が死亡したと言われ
その多くは体力がない子どもたちだった。
(スプーンを寄贈したエルジビエタさん)
「私が生き延びられる確率は宝くじの1等当選と同じくらいでした。
大人たちは赤ん坊が泣き始めると
顔に枕を押しつけました。
もしナチスに気づかれたら皆殺しにされてしまうからです。」
さらにナチスは
ゲットーのユダヤ人を次々とアウシュビッツをはじめとする強制収容所へ移送し
ガス室での大量虐殺を進めていく。
救いの手が差し伸べられたのはそんなある日のことだった。
(スプーンを寄贈したエルジビエタさん)
「生後半年が過ぎたころ
私はゲットーから救出されました。
木の箱に入れて運び出されたそうです。
その時に一緒に入れられていたのが銀のスプーンです。」
エルジビエタさんがいたゲットーには
ポーランド人によるユダヤ人を救出するための地下組織“ジェゴタ”がひそかに潜入していた。
子どもたちだけなら助けられると考えたジェゴタのメンバーは
ユダヤ人の親たちを説得。
子どもたちを鎮静剤で眠らせると
銀のスプーンとともに木箱やスーツケースに隠してゲットーの外に運び出し
教会や修道院 ポーランド人の里親に託したのである。
なぜジェゴタは銀のスプーンをエルジビエタさんに持たせたのか。
(スプーンを寄贈したエルジビエタさん)
「このスプーンには私の愛称と生年月日が刻まれています。
これはゲットーに残らざるを得なかった両親と私をつなぐためのものだったのです。」
名前と生年月日が刻まれた銀のスプーン。
それはジェゴタのメンバーが
生き別れになったエルジビエタさんと両親が
いつか再会を果たせるようにと
願いを込めて持たせてくれたのである。
その後 各地の学校などで自らの体験を語り続けてきたエルジビエタさん。
将来この銀のスプーンが
自分の代わりに
次の世代に語り継いでくれると信じている。
(スプーンを寄贈したエルジビエタさん)
「おそらくは母は殺されてしまい
再会を果たすことはできませんでしたが
このスプーンには愛情が込められています。
このスプーンからは他者への思いやりを学ぶことができます。
憎しみが何を生むのか
学ぶことができるはずです。」