話題になっていたのは知っていたが、どういう内容かわからないままスルーしていた。
映画化もされて、いわゆるマイノリティの性的嗜好が題材になっていることを知って、読もうと思って買った。
それまでちょっと読書が停滞していたこともあって、わかりやすい作品で活字に慣れたいと思っていたこともある。
視点人物が複数いる群像劇で、マジョリティが理解できないマイノリティの性的嗜好を描いた作品である。
特に日本では、一般的な男女の性的嗜好さえも話題にすることを憚る空気がある。
よって自分の嗜好を簡単に披露できないし、自分の内面を鋭く見つめるという習慣もあまりない。
それを語れば、直ちに自分はマイノリティの陥って、奇異な目で見られる。
たしなみとして、それをあけすけに披露することが果たしてよいのかどうかは別にして、過度にタブー視されているきらいはある。
そのどうしようもない性(さが)を直視しようとしたのがこの作品だ。
映画は見ていないので、あくまで朝井リョウの原作について少し書いておく。
さまざまな話題の本を書いている著者だが、私は彼の本を読むのは初めてだった。
少なくとも、物語を真摯に書こうとしている。
それだけは確かだと思う。
▼以下はネタバレあり▼
当たり前のように男が女に恋をして、当たり前のように結婚して、当たり前のように子どもをもうけて……。
その当たり前は、誰かにとって当たり前ではない。
そういうことを想像しないでいられる行き方は、もちろん幸せなのかもしれない。
けれども、つきつめていくと、その当たり前から外れることは、誰にでもある当たり前のことでもある。
この本を読んだ人は、「こんな話気持ち悪い」と断罪するのか、あるいは「私もそういう経験があるかもしれない」と共感するのか。
巧みだったのは、この作品の中でせめぎ合う登場人物たちは、この両者の境界を曖昧にしていくということだ。
マイノリティとマジョリティは、非常に危ういところで交わっている。
検察官の父も、ともすればマイノリティの陥ることの恐怖を知っている。
いや、この作品が非常におもしろいのは、自分もまた人に語ることができないほど、掘り下げていけばどこかしら少数派の性的嗜好を有しているということだ。
それはきっと誰にでもある。
ただ、みんな自分は同じような気持ちをもっていると思い込みたいだけである。
あるいは口にしないだけである。
日本という国でしか住んだことがない私には、これが万国共通のものなのかわからない。
ただ、少なくともその人のパーソナルな部分に、触れないように生きている。
それは明かさないように生きている。
だからこそ、周りと究極的につながれない、共有できない何かを持っていた場合、悲しいほどに己を隠さずにやり過ごすしかない。
「どこにいても、その場所にいなきゃいけない期間を、無事に乗り切ることだけを考えている。誰にも怪しまれないままここを通過しなきゃとって、いつでもどこでも思ってる。
……
そうすると、誰とも仲良くなんてなれないんだよね。」
そうした孤独を味わわないで生きてきた人は、幸せなのか、不幸なのか。
映画化もされて、いわゆるマイノリティの性的嗜好が題材になっていることを知って、読もうと思って買った。
それまでちょっと読書が停滞していたこともあって、わかりやすい作品で活字に慣れたいと思っていたこともある。
視点人物が複数いる群像劇で、マジョリティが理解できないマイノリティの性的嗜好を描いた作品である。
特に日本では、一般的な男女の性的嗜好さえも話題にすることを憚る空気がある。
よって自分の嗜好を簡単に披露できないし、自分の内面を鋭く見つめるという習慣もあまりない。
それを語れば、直ちに自分はマイノリティの陥って、奇異な目で見られる。
たしなみとして、それをあけすけに披露することが果たしてよいのかどうかは別にして、過度にタブー視されているきらいはある。
そのどうしようもない性(さが)を直視しようとしたのがこの作品だ。
映画は見ていないので、あくまで朝井リョウの原作について少し書いておく。
さまざまな話題の本を書いている著者だが、私は彼の本を読むのは初めてだった。
少なくとも、物語を真摯に書こうとしている。
それだけは確かだと思う。
▼以下はネタバレあり▼
当たり前のように男が女に恋をして、当たり前のように結婚して、当たり前のように子どもをもうけて……。
その当たり前は、誰かにとって当たり前ではない。
そういうことを想像しないでいられる行き方は、もちろん幸せなのかもしれない。
けれども、つきつめていくと、その当たり前から外れることは、誰にでもある当たり前のことでもある。
この本を読んだ人は、「こんな話気持ち悪い」と断罪するのか、あるいは「私もそういう経験があるかもしれない」と共感するのか。
巧みだったのは、この作品の中でせめぎ合う登場人物たちは、この両者の境界を曖昧にしていくということだ。
マイノリティとマジョリティは、非常に危ういところで交わっている。
検察官の父も、ともすればマイノリティの陥ることの恐怖を知っている。
いや、この作品が非常におもしろいのは、自分もまた人に語ることができないほど、掘り下げていけばどこかしら少数派の性的嗜好を有しているということだ。
それはきっと誰にでもある。
ただ、みんな自分は同じような気持ちをもっていると思い込みたいだけである。
あるいは口にしないだけである。
日本という国でしか住んだことがない私には、これが万国共通のものなのかわからない。
ただ、少なくともその人のパーソナルな部分に、触れないように生きている。
それは明かさないように生きている。
だからこそ、周りと究極的につながれない、共有できない何かを持っていた場合、悲しいほどに己を隠さずにやり過ごすしかない。
「どこにいても、その場所にいなきゃいけない期間を、無事に乗り切ることだけを考えている。誰にも怪しまれないままここを通過しなきゃとって、いつでもどこでも思ってる。
……
そうすると、誰とも仲良くなんてなれないんだよね。」
そうした孤独を味わわないで生きてきた人は、幸せなのか、不幸なのか。
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