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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

「めんどうくさい」という選択肢

2018-05-16 17:52:59 | 毎日コラム
二人目が生まれて、家事と育児、そして本業にアンビバレンツな状況が続いている。
言い訳はしない。
だからブログが更新できないなんて、言い訳はしない。

二人目が生まれて、少し自分自身が変わったな、と思うところを書こうと思う。
それは、「めんどうくさい」と思う時の自己分析だ。
世間一般の人と同じように、私も「面倒くさい」と思うことが多々あった。
いまももちろんある。

なんとかして効率的に、再生産可能な形で仕事を進められないかどうか。
データとして残しておいてそれをまた利用できないかどうか。
あるいは、この家事をせずに、ほうっておいてもなんとかならないかどうか。

そう考えている自分と、その考えが消える自分がいる。
それは、二人目に要求されるあらゆることだ。
だっこ、ミルク、おむつ、お風呂、げっぷ、……あらゆることを要求されるが、不思議と「めんどうくさい」とは感じない。
正確に言えば、めんどうくさいと感じている余裕がない。

私が気づいたのは、じつは「めんどうくさい」と感じるのは、他に代替方法があるときということだ。
たとえば、仕事を誰かに変わってもらえないか、とか、この家事を避けて愛しい同居人に任せられないか、とか。
選択肢がある中で、自分がこのことをしなければならないとしたら、それは「めんどうくさい」のだ。

現代人が「めんどうくさい」と感じるのは、直観的にそのことを代替できる何かを想定しているからなのかもしれない。
「めんどうくさい」は現代の病であるように、私は感じていたが、本質は「やらなくてもよいかもしれない」という豊かさの裏返しなのかもしれない。

映画を見ることに選択肢はない。
楽しいから、それをするのだから。

そう考えると、少しは精神的に安定になれるだろうか。
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