評価点:48点/2017年/イギリス・アメリカ/141分
監督:マシュー・ヴォーン
問われているのは映画としての品性と〈倫理〉。
前作より、エグジーことゲイリー・アンウィン(タロン・エガートン)は、ハリーの後を継いでエージェント「ガラハッド」となった。
前作で知り合った王女に、皇室の両親との食事会に招かれたエグジーは、麻薬界を牛耳るポピー・アダムズ(ジュリアン・ムーア)に攻撃される。
キングスマン全体が壊滅したとき、残っていたのはたまたま外出していたマーリン(マーク・ストロング)と、エグジーのみだった。
ゴールデンサークルという謎の組織に行き当たった二人は、アメリカにある秘密組織ステイツマンに協力を仰ぐ。
そのステイツマンには、なんと死んだはずのハリー(コリン・ファース)が保護されていた。
前作「キングスマン」がどうにも楽しめなかったのでずっと未見のままになっていた。
評価が高かったので、アマプラで再生してみた。
都合三回に分けて鑑賞したので、あまり正確な鑑賞はできていない。
が、二度と見ないだろうから、批評の記事にはしておこう。
残酷描写が多く、しかもその必然性がないため、注意が必要だ。
子どもと観るような作品ではまずないし、「007」や「ミッション:インポッシブル」のような安全性・健全性もない。
作品のファンがいたら申し訳ない。
私にはこの映画が楽しめる素養はなかったようである。
▼以下はネタバレあり▼
始まって数分で止めようかとおもったが、それも経験だと我慢して鑑賞を続けた。
我慢らならないのは、この作品に携わった人たちに品性のかけらもない、ということだ。
紳士を標榜しているのに、まったく紳士的な、知的な点は見受けられない。
このあたりはかなり好き嫌いが分かれてしまう。
多くの観客は満足しているから、続編が作られシリーズ化されているのだろうが、私には全く共感できなかった。
その一つは、敵の設定だ。
ポピー・アダムズは、裏の麻薬界を牛耳るボスで、世界中のあらゆる麻薬を扱っている。
彼女は東南アジアの山奥で王国を築いて、世界を麻薬で汚染させ、儲けている。
そんな彼女がもくろんだのは、キングスマンを全滅させることで、麻薬に遅効性の毒をまぜ、それを盾に、合法化させることだった。
おぞましい、青い顔色になった被害者は、知らぬ間に麻薬を介して感染し、無残に死んでいく。
この絶望的な様子をみたアメリカ大統領は、麻薬を常襲している者たちを一掃できる機会だと考えて、麻薬の使用者を罵るシークエンスがある。
その場にいたフォックス首席補佐官(エミリー・ワトソン)も、実は麻薬を利用しており、彼女は人道にもとると、激しく反発する。
もちろん、最終的にはキングスマンが彼らを排除することで世界は救われるわけだが、この論理がおかしい。
大統領は麻薬をやっている人間は弱い、自堕落な人間たちであると罵る。
しかし、根本的な理論として、それは間違えている。
麻薬をビジネスとして利用しようとしている人間こそが悪なのであって、麻薬に手を出してしまった者が悪の根源ではない。
この論理だと、ポピーの主張に真っ向から乗っかっている反論になり、この作品を貫く倫理として「麻薬ビジネスを根本的に肯定する」ことになっている。
しかしそれを指摘する者が誰もいない。
キングスマンもステイツマンも、自分の大切な者が麻薬に犯されて、解毒剤が必要であるから世界を救おうとする。
違うはずだ。
麻薬をやってしまうのも仕方がない、激務だったりストレスがかかれば麻薬に手を出してしまうのも仕方がない、という前提で話が進んでしまう。
これは中学生や小学生が、「犯罪に手を出すやつが悪い」といったレベルで非常に稚拙な論理だ。
上手い比喩が見つからないが、「犯罪を犯したのだから死刑にすれば良い」くらいの短絡的な発想だ。
そこには知性も、品性もない。
もちろんポピーを否定するために、多くの残酷な描写を利用して、彼女を悪に仕立て上げている。
しかし、その描写も稚拙で、彼女の内面や根本的な異常さを描写するものにはなっていない。
だから全体として映画の世界観が不快なのだ。
私は勧善懲悪にすべきだとか、麻薬を絶対に否定するべきだとかそういうことを言いたいわけではない。
(「トレインスポッティング」は名作だし)
どんなメッセージを持つかは、その監督を始めとして制作陣が考えることだから。
けれども、イギリス諜報組織を名乗るこの映画に於いて、知性のかけらもない短絡的で、貫かれている映画としての〈倫理〉が破綻している。
上映時間のわりには、ステイツマンの裏切り者を見抜いた理由も曖昧だし、敵の組織が大きいのか小さいのかいまいちわかりにくい。
見せ場であるアクションでは私は眠たくてしかたがなかった。
カンボジアのアジトを襲撃するシークエンスでは、ほぼ作戦が成功することが確定し、早くもマーリンが退場するので、全く悲壮感や危機感がない。
簡単に人が死に、簡単に解決してしまう展開になっており、緊張感ある演出にはなっていない。
観なきゃ良かった、と思ってしまった。
もちろん、こういう映画が売れているのだから存在意義は否定しないし、私とは合わなかったというだけの話ではある。
監督:マシュー・ヴォーン
問われているのは映画としての品性と〈倫理〉。
前作より、エグジーことゲイリー・アンウィン(タロン・エガートン)は、ハリーの後を継いでエージェント「ガラハッド」となった。
前作で知り合った王女に、皇室の両親との食事会に招かれたエグジーは、麻薬界を牛耳るポピー・アダムズ(ジュリアン・ムーア)に攻撃される。
キングスマン全体が壊滅したとき、残っていたのはたまたま外出していたマーリン(マーク・ストロング)と、エグジーのみだった。
ゴールデンサークルという謎の組織に行き当たった二人は、アメリカにある秘密組織ステイツマンに協力を仰ぐ。
そのステイツマンには、なんと死んだはずのハリー(コリン・ファース)が保護されていた。
前作「キングスマン」がどうにも楽しめなかったのでずっと未見のままになっていた。
評価が高かったので、アマプラで再生してみた。
都合三回に分けて鑑賞したので、あまり正確な鑑賞はできていない。
が、二度と見ないだろうから、批評の記事にはしておこう。
残酷描写が多く、しかもその必然性がないため、注意が必要だ。
子どもと観るような作品ではまずないし、「007」や「ミッション:インポッシブル」のような安全性・健全性もない。
作品のファンがいたら申し訳ない。
私にはこの映画が楽しめる素養はなかったようである。
▼以下はネタバレあり▼
始まって数分で止めようかとおもったが、それも経験だと我慢して鑑賞を続けた。
我慢らならないのは、この作品に携わった人たちに品性のかけらもない、ということだ。
紳士を標榜しているのに、まったく紳士的な、知的な点は見受けられない。
このあたりはかなり好き嫌いが分かれてしまう。
多くの観客は満足しているから、続編が作られシリーズ化されているのだろうが、私には全く共感できなかった。
その一つは、敵の設定だ。
ポピー・アダムズは、裏の麻薬界を牛耳るボスで、世界中のあらゆる麻薬を扱っている。
彼女は東南アジアの山奥で王国を築いて、世界を麻薬で汚染させ、儲けている。
そんな彼女がもくろんだのは、キングスマンを全滅させることで、麻薬に遅効性の毒をまぜ、それを盾に、合法化させることだった。
おぞましい、青い顔色になった被害者は、知らぬ間に麻薬を介して感染し、無残に死んでいく。
この絶望的な様子をみたアメリカ大統領は、麻薬を常襲している者たちを一掃できる機会だと考えて、麻薬の使用者を罵るシークエンスがある。
その場にいたフォックス首席補佐官(エミリー・ワトソン)も、実は麻薬を利用しており、彼女は人道にもとると、激しく反発する。
もちろん、最終的にはキングスマンが彼らを排除することで世界は救われるわけだが、この論理がおかしい。
大統領は麻薬をやっている人間は弱い、自堕落な人間たちであると罵る。
しかし、根本的な理論として、それは間違えている。
麻薬をビジネスとして利用しようとしている人間こそが悪なのであって、麻薬に手を出してしまった者が悪の根源ではない。
この論理だと、ポピーの主張に真っ向から乗っかっている反論になり、この作品を貫く倫理として「麻薬ビジネスを根本的に肯定する」ことになっている。
しかしそれを指摘する者が誰もいない。
キングスマンもステイツマンも、自分の大切な者が麻薬に犯されて、解毒剤が必要であるから世界を救おうとする。
違うはずだ。
麻薬をやってしまうのも仕方がない、激務だったりストレスがかかれば麻薬に手を出してしまうのも仕方がない、という前提で話が進んでしまう。
これは中学生や小学生が、「犯罪に手を出すやつが悪い」といったレベルで非常に稚拙な論理だ。
上手い比喩が見つからないが、「犯罪を犯したのだから死刑にすれば良い」くらいの短絡的な発想だ。
そこには知性も、品性もない。
もちろんポピーを否定するために、多くの残酷な描写を利用して、彼女を悪に仕立て上げている。
しかし、その描写も稚拙で、彼女の内面や根本的な異常さを描写するものにはなっていない。
だから全体として映画の世界観が不快なのだ。
私は勧善懲悪にすべきだとか、麻薬を絶対に否定するべきだとかそういうことを言いたいわけではない。
(「トレインスポッティング」は名作だし)
どんなメッセージを持つかは、その監督を始めとして制作陣が考えることだから。
けれども、イギリス諜報組織を名乗るこの映画に於いて、知性のかけらもない短絡的で、貫かれている映画としての〈倫理〉が破綻している。
上映時間のわりには、ステイツマンの裏切り者を見抜いた理由も曖昧だし、敵の組織が大きいのか小さいのかいまいちわかりにくい。
見せ場であるアクションでは私は眠たくてしかたがなかった。
カンボジアのアジトを襲撃するシークエンスでは、ほぼ作戦が成功することが確定し、早くもマーリンが退場するので、全く悲壮感や危機感がない。
簡単に人が死に、簡単に解決してしまう展開になっており、緊張感ある演出にはなっていない。
観なきゃ良かった、と思ってしまった。
もちろん、こういう映画が売れているのだから存在意義は否定しないし、私とは合わなかったというだけの話ではある。
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