評価点:35点/2010年/アメリカ
監督:ティム・バートン
眠気以外に何も誘われないワンダーランド。
19歳になったアリス(ミア・ワシコウスカ)は、パーティーに出席し、そのパーティーが自分と貴族との婚約発表の場であることを突然知らされる。
困惑するアリスだったが、パーティーの庭にいた白ウサギを見つけ、夢中で追いかけたので、公開プロポーズをボイコットしてしまう。
穴に逃げ込んだウサギを追って、穴に落ちるとそこは不思議の国だった。
あのファンタジーの代名詞とも言えるティム・バートン監督が、何度もタッグを組んでいるジョニー・デップとともに「アリス」を撮った。
しかも、ディズニーから。
正真正銘とも言えるがちがちの正統派の大本命ファンタジーである。
さらに3D作品となれば、嫌でも期待が高まるというものだ。
物語は「ふしぎの国のアリス」「鏡の国のアリス」から時を経て、アリスが19歳になったという設定で始まる。
「続編」となったアリスの物語をどう料理してくれるのか。
メガホン(バット)を持てば逆転満塁ホームランか、もしくは派手な三振かしかないティム・バートンだけに、「一抹」の大きな不安が残るわけだが。
▼以下はネタバレあり▼
もちろん、その不安が的中したことは言うまでもない。
他に観たいものもなかったので、時間とお金を捨てる覚悟で見にいった。
全くの予想通りで、「しかし」なんていう逆接の接続詞をつける気にもならないほど、予想通りだった。
ディズニーは本当にこんな映画で満足できたのだろうか。
物語は至って単純だ。
単純が悪いとは言えないが、絵に描いたようにお約束のストーリーボードを突き進む。
日常―非日常―日常の「往来の物語」パターンを踏襲している。
これは原作にあった構造と同じものと言えるだろう。
還ってくることで、本当の自分に気づく、というのもお決まりのパターンである。
本当の自分とは、もう少し厳密に言えば、自分らしい才能に気づき、自分の生き方を見つける物語、ということになろう。
時代設定が、貴族から商人の時代へという過渡期であることも、その物語の蓋然性を肉づける。
まさに、近代という時代に飲み込まれていこうとしている、商人としてのアリスを発見するわけだ。
ものすごくわかりやすい、典型的な物語構造は、さすがにディズニーが好きそうな展開ではある。
もちろん、単純であるからだめだとか、わかりにくい方が物語として優れているなんていうことは言う気はない。
単純であってもおもしろい映画はいくらでもある。
映画をたくさん観てきた人は「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」なんていうのが好きという傾向はあるとしても。
しかし、この映画はそれ以上の物語は一切描かれない。
この映画が致命的なのか、ファンタジーの世界観が全く魅力的でないことだ。
赤と白の女王の対立構造も、現実色が濃すぎて、単なる勧善懲悪の物語に成り下がっている。
もちろん、細部を観るとそうではないのだろうが、結局同じことだ。
勧善懲悪であることが致命的なのは、その価値観が完全に現実のものであるからだ。
現実では「良し」とされていることが、そうではないというイマジネーションの世界が全くない。
だから、常識的すぎて、世界観を愛することができない。
もっと言えば、別に「不思議の国」でなくてよかった。
誰一人として魅力的なキャラクターはいない。
頭が大きかったり、猫がしゃべったり、ウサギが服を着ていたり。
だからどうしたというのだ。
「ビッグ・フィッシュ」であれだけのイマジネーションの高さと、自由さをみせたティム・バートンなのに、全然魅力的でない。
紋切り型の物語に、ありきたりな不思議の国では、どこもおもしろさを見いだせない。
予定調和の話に、想像力減退の世界観、そして使いこなせていない3D技術。
3Dにすれば何もかもOKというわけではない。
2100円も払って、3Dデビューを果たしたのに、字幕だけしか浮かび上がってこない。
もちろん、想像力や興奮、緊張なども浮かび上がってこない。
眠気との闘いが、この話のメインだったような気がする。
僕がはっと目を覚ました(おどろいた)のは、エンドロールの楽曲である。
「Avril Lavigneだ!」と思って聞いていたら、やはりそうだった。
すぐにCD屋に駆け込み、トリビュートアルバムを購入してしまった。
なぜかその横にあったレディー・ガガの「THE FLAME」も…。
僕がレディー・ガガの曲を買うきっかけになった映画としての価値ならあるかもしれない。
ティム・バートン、「スウィーニー・トッド」よりもがっくりです。
監督:ティム・バートン
眠気以外に何も誘われないワンダーランド。
19歳になったアリス(ミア・ワシコウスカ)は、パーティーに出席し、そのパーティーが自分と貴族との婚約発表の場であることを突然知らされる。
困惑するアリスだったが、パーティーの庭にいた白ウサギを見つけ、夢中で追いかけたので、公開プロポーズをボイコットしてしまう。
穴に逃げ込んだウサギを追って、穴に落ちるとそこは不思議の国だった。
あのファンタジーの代名詞とも言えるティム・バートン監督が、何度もタッグを組んでいるジョニー・デップとともに「アリス」を撮った。
しかも、ディズニーから。
正真正銘とも言えるがちがちの正統派の大本命ファンタジーである。
さらに3D作品となれば、嫌でも期待が高まるというものだ。
物語は「ふしぎの国のアリス」「鏡の国のアリス」から時を経て、アリスが19歳になったという設定で始まる。
「続編」となったアリスの物語をどう料理してくれるのか。
メガホン(バット)を持てば逆転満塁ホームランか、もしくは派手な三振かしかないティム・バートンだけに、「一抹」の大きな不安が残るわけだが。
▼以下はネタバレあり▼
もちろん、その不安が的中したことは言うまでもない。
他に観たいものもなかったので、時間とお金を捨てる覚悟で見にいった。
全くの予想通りで、「しかし」なんていう逆接の接続詞をつける気にもならないほど、予想通りだった。
ディズニーは本当にこんな映画で満足できたのだろうか。
物語は至って単純だ。
単純が悪いとは言えないが、絵に描いたようにお約束のストーリーボードを突き進む。
日常―非日常―日常の「往来の物語」パターンを踏襲している。
これは原作にあった構造と同じものと言えるだろう。
還ってくることで、本当の自分に気づく、というのもお決まりのパターンである。
本当の自分とは、もう少し厳密に言えば、自分らしい才能に気づき、自分の生き方を見つける物語、ということになろう。
時代設定が、貴族から商人の時代へという過渡期であることも、その物語の蓋然性を肉づける。
まさに、近代という時代に飲み込まれていこうとしている、商人としてのアリスを発見するわけだ。
ものすごくわかりやすい、典型的な物語構造は、さすがにディズニーが好きそうな展開ではある。
もちろん、単純であるからだめだとか、わかりにくい方が物語として優れているなんていうことは言う気はない。
単純であってもおもしろい映画はいくらでもある。
映画をたくさん観てきた人は「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」なんていうのが好きという傾向はあるとしても。
しかし、この映画はそれ以上の物語は一切描かれない。
この映画が致命的なのか、ファンタジーの世界観が全く魅力的でないことだ。
赤と白の女王の対立構造も、現実色が濃すぎて、単なる勧善懲悪の物語に成り下がっている。
もちろん、細部を観るとそうではないのだろうが、結局同じことだ。
勧善懲悪であることが致命的なのは、その価値観が完全に現実のものであるからだ。
現実では「良し」とされていることが、そうではないというイマジネーションの世界が全くない。
だから、常識的すぎて、世界観を愛することができない。
もっと言えば、別に「不思議の国」でなくてよかった。
誰一人として魅力的なキャラクターはいない。
頭が大きかったり、猫がしゃべったり、ウサギが服を着ていたり。
だからどうしたというのだ。
「ビッグ・フィッシュ」であれだけのイマジネーションの高さと、自由さをみせたティム・バートンなのに、全然魅力的でない。
紋切り型の物語に、ありきたりな不思議の国では、どこもおもしろさを見いだせない。
予定調和の話に、想像力減退の世界観、そして使いこなせていない3D技術。
3Dにすれば何もかもOKというわけではない。
2100円も払って、3Dデビューを果たしたのに、字幕だけしか浮かび上がってこない。
もちろん、想像力や興奮、緊張なども浮かび上がってこない。
眠気との闘いが、この話のメインだったような気がする。
僕がはっと目を覚ました(おどろいた)のは、エンドロールの楽曲である。
「Avril Lavigneだ!」と思って聞いていたら、やはりそうだった。
すぐにCD屋に駆け込み、トリビュートアルバムを購入してしまった。
なぜかその横にあったレディー・ガガの「THE FLAME」も…。
僕がレディー・ガガの曲を買うきっかけになった映画としての価値ならあるかもしれない。
ティム・バートン、「スウィーニー・トッド」よりもがっくりです。
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