「こう暑くては猫といえどもやり切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼み
たいものだと英吉利のシドニー・スミスとか云う人が苦しがったと云う話があるが、
たとい骨だけにならなくても好いから、せめてこの淡灰色の斑入りの毛衣だけは
ちょっと洗い張りでもするか、もしくは当分の中質にでも入れたいような気がする」
夏目漱石の「吾輩は猫である」の一節です。夏になって、暑さにぐったりしている
なっちゃんを見ていつも思っていたことを、こんなに上手く表してくれるとはと、大
先生に対して僭越ながら、そして今更ながら大いに感心しています。この後吾輩
の人間観察は、ますます脂が乗り、人間がしなくてもよいことをして、いかに勝手
に忙しがっているかに話が及んでいきます。「自分で勝手な用事を手に負えぬほど
製造して苦しい苦しいと云うのは自分で火をかんかん起こして暑い暑いと云うよう
なものだ。、、、―――とは云うものの少々熱い、毛皮では全く熱つすぎる。」
近年の夏は異常に暑いと言われますが、明治時代もやっぱり夏は暑くて、しかも
冷房なんてなかった時代ですから、人間だけでなく毛皮を着た犬猫も苦しかった
でしょうね。
この間から、あまりに暑い時は、なっちゃんも冷房の入った部屋で過ごしてい
ます。犬公方綱吉のお犬さまだって、そんな贅沢はできなかったでしょうに。
なっちゃんはそれでもぐったりして食欲をなくしていますが、
今日あたりは、台風が近づいているせいか天気が悪く比較的涼しいので、
久しぶりに、マイハウスに入ってくつろいでいます。
顔も体もだいぶほっそりしました。。流し目で物憂げにこちらを見やる様子は
深窓の令嬢(おばあさま)のよう?