あした
まちであった
かあさんと子ども
ちらと聞いたは
「あした」
まちのはては
夕やけ小やけ、
春の近さも
知れる日。
なぜかわたしも
うれしくなって
思ってきたは
「あした」
金子みすゞ童謡集 "わたしと小鳥とすずと"より
「あした」どんないいことがあるかと思いながら人は生きて行くのでしょう。
「あした」になれば、なにかうれしいことがあるかもしれないと。心配ばかり
が先に立ち、「あした」の幸せがなかなか見えないこの頃ですが、金子みすゞ
のこの歌を読んでいると、なんだか小さな希望が湧いてくる気がします。
今テレビのコマーシャルは、ACの公共広告ばかりです。どれも勿論良い広告
ですが、あまり何度も見せられると辟易しませんか?そのなかの一つに、歌
手UAが朗読している「こだまでしょうか」の詩があります。これも"わたしと小
鳥とすずと"に入っている私の大好きな詩です。この朗読、絶賛する向きもあ
るようですが、私にはどうもしっくり来ません。UAの読み方だと、詩のイメー
ジが乱暴に放り出されっぱなしになるような気がして。これがUAの口調だと
分かってはいるのですが。この詩に思い入れがあるだけに、広告が流れる
と、すぐチャンネルを変えたくなります。感覚の違いでしょうか。娘に教えら
れて聞いているUAの歌は大好きなのですが。
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