生の終結 一月前
令和3年8月2日(月)
此道や
行人なしに
秋の暮
秋も末の夕暮れ、行人もいない
この道にひとり佇んでいる、
の意。
元禄七年(1694)の作。
前書き「所思」。
「所思」・・・思うところがあっての意。
◎ 一本道がずっと延びていく。
赤い夕陽が木々の梢を染めて、
地上は既に宵闇に沈んでいる。
誰ひとり通らず、芭蕉一人がとぼとぼと
歩いている。
この孤独感がひしひしと迫る表現として、
俳句に凝縮している。
夕暮れ時、一人田圃のほそ道を歩いて
いる時に、師はこの句をよく思い出すという。
「自分の信仰を芭蕉に言い当てられたような
思いに耽るのだ。
キリストは、「わたしは道であり、真理
であり、命である。私を通らなければ、
誰も父のもとに行くことはできない。」
と言った。(ヨハネによる福音書14称の6節)
そう、不思議に私の信仰と芭蕉の孤独が
ぴたりと繋がるのだ。
もっとも、信仰に無関心な人には、
私の聖書の引用など何の意味もない
だろうけれども、元禄七年(1694)9月の句。
十月には、芭蕉は死去する。