貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

生の終結 一月前

2021-08-02 11:47:47 | 日記

生の終結 一月前

令和3年8月2日(月)

此道や 

  行人なしに 

     秋の暮

    秋も末の夕暮れ、行人もいない

この道にひとり佇んでいる、

の意。

 元禄七年(1694)の作。

 前書き「所思」。

「所思」・・・思うところがあっての意。

◎ 一本道がずっと延びていく。

赤い夕陽が木々の梢を染めて、

地上は既に宵闇に沈んでいる。

 誰ひとり通らず、芭蕉一人がとぼとぼと

歩いている。

 この孤独感がひしひしと迫る表現として、

俳句に凝縮している。

 夕暮れ時、一人田圃のほそ道を歩いて

いる時に、師はこの句をよく思い出すという。

「自分の信仰を芭蕉に言い当てられたような

思いに耽るのだ。

 キリストは、「わたしは道であり、真理

であり、命である。私を通らなければ、

誰も父のもとに行くことはできない。」

と言った。(ヨハネによる福音書14称の6節)

 そう、不思議に私の信仰と芭蕉の孤独が

ぴたりと繋がるのだ。

 もっとも、信仰に無関心な人には、

私の聖書の引用など何の意味もない

だろうけれども、元禄七年(1694)9月の句。

 十月には、芭蕉は死去する。