死を前にして尚 秋と隣人への関心
令和3年8月5日(木)
今日も、芭蕉床に伏せる
死直前の句。
秋深き
隣は何を
する人ぞ
元禄七年(1694)の作。
深まっている秋に、
しいんと静まりかえった隣家は
何をして暮らす人だろうか、
の意。
底本の9月18日の条に、
「明日の世は芝(し)柏(はく)が方に
招き思ふよしにて、ほっ句つかはし
申されし」として掲載。
翌日の会には出席が難しいと考え、
発句だけ送ったものらしく、
実際に29日から病床を離れられない
状態となる。
旅中の病身からくる人恋しさに
留まらず、孤独を抱えながら
他を求めて生きる。
人間の本質に迫った心境詠み
といってもよかろう。
しかも、それはまた見ぬ芝柏への
挨拶につながるもので、芭蕉は
どこまでも俳諧という対話型文芸
の人であったと思い知らされる。
◎ 秋風も深まり、枯れ葉も積もって、
冷たい風に震えるようになった。
自分は病身で引きこもっているが、
隣の家の人も顔も出さず、音もさせず、
ひっそりと暮らしている。
勿論人間であるからには、
隣の人はどのような顔つきで、
何という名で、
何を生業としている人かと知り
たいという気持ちも起こってくるが、
知られるのは困るという気持ちも
あって、隣に人もそう思っている
かも知れない。
この好奇心というのが、
晩秋の静けさの中で、
募ってくるのも他ならない
人の性である。
そのような好奇心がこの冷たい空気
の中で、起こってくるのも、
自分がまだ生きていたいと
思っている証拠である。
このように、自分の生と死に
いつも関心があるのは、
人間として当然ではあるが、
仏の境地に入った人には、
また違った感慨がある。
孤独で全くのひとりぽっちで
あるのが、現実であっても、
尚隣の人への関心は全的には
棄てられないものなので、
そこが人間の悲しい性があるのだ。
芭蕉は、隣の人がどんな人で
あってもその人に関心を持ち続ける
自分という人間の弱点を知っていた。
特に、俳諧師のような趣味と
心得を持っていたら、
全くの無関心を持ち続けることは、
不可能だろう。
だから、「隣は何をする人ぞ」
と思いつつ、相手が自分に感心を
持つかも知れないと思い続けて
いたのだ。
この矛盾が芭蕉に生きる力を
与えてくれたのだと思うと、
この一句は、
俳諧師の死ぬ前の心根を一句に
凝集したものとして重要である。
ほっこり言えば、芭蕉は家で暮らし、
旅に出て観察し、土地の様子と
月や太陽や人間への関心を
強く持ち続けた人とも言える。
その彼の心根を、この一句は、
秋と隣人への関心に要約して
見せてくれたのだ。