晩秋の侘しさ・・・51歳の終焉
令和3年8月8日(日)
秋もはや
ばらつく雨に
月の形(なり)
もはや秋も終わりに近く、
ばらばらと通り過ぎる雨にも
夜毎に痩せる月の姿にも
寂寥感が漂っている、
の意。
元禄七年(1694)の作。
前書き「其柳亭」。
其柳・・・大坂の俳人で、伝未詳。
「はや」・・・早くも
底本は、発案
「昨日から
ちょちょっと秋の
時雨かな」
を案じ直したものと注記し、
『芭蕉翁追善之日記』もほぼ同じ
記事とともに、九月一九日の条に
提出。
「いろいろに仕かへられたる句」
(芭蕉句集草稿)ともいわれ、
この改案を立句に歌仙(が(画兄弟)
が巻かれている。
「月」も季語。
元禄七年、今年の秋の雨もはや
終わりそうで、時々ばらばらと降る
雨は冬の時雨に似てきたようだ。
こういう雨を取り上げたのは
句会の座での思いつきであろう。
初めは面白げであったが、
次第に雲間の月も細くなった晩秋の
寂しい月の句が中心になってきた。
芭蕉は、この頃から体調を崩して
時々病臥するようになっていた。
秋雨を詠みながら、次第に体力が、
特に視力が衰えて来たのだ。
まだ気分の良いときには、元気に
座に出ていたし、全く病の気がない
ようなこともあった。
ところが、九月二九日には、
容態が悪化し、ついに十月十二日の
逝去となる。
芭蕉の死を晩秋が呼び寄せたように。
享年五一歳。