自然の奥を見抜く力
令和3年8月29日(日)
春の夜は
桜に明て
しまひけり
朝日が桜を照らしだし、春の夜は
すっかり明けてしまった、
の意。
年次不明
「桜に」・・・桜を観賞しているうちに
これから桜を観賞すべくの二解あり。
曙光を受けた桜への賞美吟と見られる
ものの、構成上は夜を主体にしており、
夜桜の名残を惜しんでいるとの解もある。
◎ 春の夜の帳が引き明けられると、
まるで美しい芝居の幕開きのように、
江を巡る桜が、曙の光に照らし出さ
れてきた。
前夜から続いていた花見の宴が
赤々とした光に一層美しく見える。
春は、花も朝もいい。
寝るのは遠くに忘れてしまったが、
朝になったと分かっていても、
まだ眠る気にならない。
夜も朝も昼も、春はいい。
こう読めてくると、今の人々の花見が
乱れた、しかも数時間ほどの花見などは、
まるで花見ではないと、
芭蕉に叱られそうだ。
春という季節に対する態度、
花見に対する態度は、
芭蕉のほうがずっと真剣で美しく、
自然の奥の奥まで見抜く程の力を
持っていたと言わざるを得ない。