「こした」の精気!清水
令和3年8月22日(日)
春雨の
こしたにつたふ
清水哉
前書き「苔清水」
この清水は、春雨が花の雫となり、
樹下に伝って流れ来たものか、
の意。
貞享五年(1688)の作。
「苔清水」・・・伝西行歌
「とくとくと落つる岩間の苔清水
汲み干すほどもなき住まひかな」
に因む吉野山中の泉。
「こした」・・・木の下。
◎ 梢をけぶって見せている春雨は、
幹や新芽を伝わり落ちて、
清水になる。
西行庵の近くで詠まれた和歌を
下敷きにしているという説もある。
『野ざらし紀行』には、
「露とくとく
心みに浮世
すゝがばや」
の苔清水の句が収められている。
清水は美しく澄んでいるが、
ただ澄んでいるのではなく、
木の幹の精気によって清らかに
澄んでいるのだ。
それを発見したのは、西行だと
いう先輩への謙虚さが句に滲み出
ている。
「こした」という言い方は舌足らずで
「このした」という常套句の表現ほど
整っていないところ、
くねくねした幹を雨水が下に流れて
いく情景が鮮やかで面白い。