『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[私の1991年のメモ日記・6]

2009-05-06 23:01:58 | 1991年の日記
☆職場のリーダーが失脚した。

 だから、忙しいので、過去のエントリーの再掲だ!

 おっと、そのリーダーの追い落としには、私は動いていないですぜ^^;

 私は、社員であるが故に、その人をかばっていたほうだ。

 しかし、その人は、仕事を「しない」、「できない」、傲慢、自分「だけ」楽をしようとする・・・、で、ベテランのバイトから総スカンを喰って、精神に偏重をきたしてしまったのだ・・・。

 ・・・で、そのリーダー格のお鉢は、私に回ってきた。

 まあ、私は、過酷な条件での登板は慣れているので、至って平常心だ^^v

   ◇   ◇   ◇

  [私の1991年のメモ日記・6 沖縄・前篇] (2007/07/26 23:27)

▼今日は、同僚と飲んできたので、これで勘弁ね

     #     #     #     #     #

▼左翼が糾弾してくるところの『新しい歴史教科書(扶桑社版)』だが、その糾弾内容の一つに、「過酷な沖縄戦の記述がたった数行・・・」がある。

 ではさて、現時点では、新版の方は手に入らないが、現行版の方の「沖縄戦」記述を書き出してみよう。

 ≪1945(昭和20年)4月には,沖縄本島でアメリカ軍とのはげしい戦闘が始まった。日本軍は戦艦大和をくり出し,最後の海上特攻隊を出撃させたが,猛攻を受け,大和は沖縄に到達できず撃沈された。沖縄では,鉄血勤皇隊の少年やひめゆり部隊の少女たちまでが勇敢に戦って,一般住民約9万4000人が生命を失い,10万人に近い兵士が戦死した。≫

 豊富に書いていったら、とめどもなく書いていけるのだろうが、教科書としては充分な事実記述だろう。

 他の記述も同程度の概観となっている。

 同じような批判を、放送法に引っかかるギリギリの「不公正さ」で『報道ステーション』はニュースでの問題点としていたそうだ、ケッ!

 西村幸裕氏は、そのブログでこう記している。

 ≪たとえば、沖縄戦に多くの文字数を費やす帝国書院の教科書は、「日本兵に殺害された」という立証されない証言を取り入れたり、15年戦争という時代遅れの共産党史観で書かれている。≫

 つまり、沖縄戦の記述・・・。

   帝国書院 - 扶桑社教科書 = アカ印の過剰な嘘

 と言うシンプルな数式が成り立とうぞ^^

 ☆10月3日(木)

 昨日に続いて快晴。12時間も眠ったので、体の調子も、まあ良い。本日は朝食から吉野家で牛丼(並)+生玉子、ごぼうサラダと食い、ちゃんとトマトジュースも、とどめとばかりにファイブミニ! ジムで汗を流し、家に帰ってクソしたら、柔らか~。明日からのゼミ沖縄旅行の準備も終えたし、楽しみ、楽しみ~^^ しかし! その前に、強敵、つぼ八(居酒屋)のバイト(夜10時~翌3時)があり、そして、金八(築地の八百屋)のバイト(早朝5時~8時)もある。それから、浜松町からモノレールに乗って羽田に行く訳だ。ゆえに、今、午後5時なのだが、しばし眠らなくてはならない・・・。・・・沖縄かぁ・・・、ブルーラグーン・・・。何かロマンスはないのでしょうか・・・。

 ☆10月4日(金)

 さて、AM3時までの「つぼ八」バイトを終え、しばらく中野駅の出入り口シャッター前に座り、始発で新橋へ。変則の早朝バイト。8時まで「金八」で働き、専務(注・1)に一万円頂き、浜松町から羽田へ、初めての飛行機だ! モノレールから見える景色も新鮮だったが、飛行機からの景色だ・・・。滑走路、いきなり鬼のようなスピードで走り出し、飛び立った飛行機からの風景は最高だった。窓際から、窓にかじりつく様にして、地面が見えなくなるまで見続けた。人間なんてちっぽけな存在だ! と思うと同時に、ジャンボ機を作り、1万メートルの空にまで到達できる人間の叡智にも感心。・・・沖縄に降り立つ、モアーッとした上天気。しかし、日差しの爽やかな町だ。喋りまくるバスガイドさんの話を聞きつつ、浜比嘉島に向かう。港からは高速船で行く。風が爽やか、真っ青な海。島ではシナリキョやアマミキョの史跡を見学する。海辺のアマミキョで、現地の子が、「オメラ、フライズンで来たんだろ?」と問うてきた。フライズンとは、僕たちの乗ってきた船・ホライズン号のことだった。ホ(O)とフ(U)の母音変化に納得する。夜はバーべQ、オリオンビールをグビグビやる。その時、ツツツ・・・と、ゼミ生だが、会話したことなかった可愛い斎藤さんが寄って来てポツリと言った。「蘭さんは、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の主役に似ていますよね^^」。その映画は、香港の悲恋話だ。その主人公は、二枚目だった・・・。私は、嬉しくなった(ロマンスのはじまりでしょうか・・・^^;)。同室の稲葉君は、ホームステイの経験があるそうで、その話で盛り上がる。

 (注・1)・・・私の大学のゼミ合宿(旅行)は、学習院との合同ゼミ合宿だったのです。で、築地の野菜卸し業「金八」の専務の娘さんが、学習院の学生だったので、その御令嬢も、同じ旅行グループに参加していました。でも、専務が恐いので手を出しませんでした^^;
 「金八」は、「吉兆」や「金田中」、「歌舞伎座」「新橋演舞場」「岡半」「浜長」・・・などの一級料亭に野菜を卸していた一級の八百屋でした^^
 また、私のゼミの合宿には、前年、紀子様も参加しております^^
 私の母校である左翼チンポコ大学と、学習院が合同ゼミ旅行を行っているというのは面白い話である・・・。

                      (2005/06/30の再掲 続く・・・)

   ◇   ◇   ◇

 では、寝ます^^

                      (2009/05/06)
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