『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[私の1991年のメモ日記・7]

2009-05-13 21:20:51 | 1991年の日記
☆・・・う~ん、大橋のぞみが可愛くて可愛くて、好きで好きでたまらない

 昨夜も、ドラマ『白い春』を見ていて、抱きしめたくなった

      

 この、ほとばしる想い、どうしてくれよう^^;

   ◇

  [私の1991年のメモ日記・7 沖縄・中篇(大月隆寛コラムも^^)] (2007/08/08 20:51)

☆これは、「2005/07/07」のエントリーでした。

 文中の『断』の話ですが、大月BD(暴力デブ)先生も復活ですな。

 丸川珠代批判でした^^

 ・・・でも、BD先生、帰宅して、丸川珠代が素っ裸で「カモ~ン」って立ってたらどうする?

 好みに関係なく、一本いっとくでしょ?

 男による、女の見方なんて、それでいいんじゃないでしょうか?

     #     #     #     #     #

  [私の1991年のメモ日記・7 沖縄・中篇(大月隆寛コラムも^^)]

▼いささか旧聞だが・・・。

 ≪入試問題で「ひめゆり学徒体験談は退屈」 青学高等部≫(ASAHI.COM 2005年 6月 9日 (木) 23:17)

  青山学院高等部(東京都)の今年2月の一般入試の英語で、ひめゆり学徒隊の沖縄戦体験者の証言を聞いた生徒が「退屈だった」と感じたという趣旨の長文読解問題が出題されていたことが分かった。同校は「配慮を欠いた問題だった。深くおわびしたい」としている。
 同校によると、生徒の感想文を紹介する形式だが、感想文は実在せず、同校の教諭が入試のために、自身の体験をもとに作成。約1000人が受験した。
 出題文は修学旅行で沖縄へ行った生徒は防空壕(ぼうくうごう)を体験した後、ひめゆり学徒隊の体験談を聞き、「正直言って、彼女の話は退屈で飽きてしまった。聞けば聞くほど防空壕の強烈な印象が薄れていった。彼女はその話を何回もしており、非常に話し上手になっていたと思う」と感想を持つ。問題では「なぜ筆者はひめゆりの話が好きでなかったのか」と聞き、「彼女の話しぶりが好きでなかった」など4つの選択肢から答えを選ばせた。
 沖縄では、ひめゆり学徒隊の生存者が戦争の記憶を風化させないため、体験を語り継ぐ活動をしている。ひめゆり同窓会東京支部の常任委員で、関東一円の小中学校などで語り部をしている上江田千代さん(75)は「亡くなった同窓生たちに大変失礼だと思う。そういう感想を持った人がいたとしても、それを入試の問題にする感覚は理解できない」と残念がった。

▼問題となっている問題・・・。左翼系サイトの訳文より好意的引用^^

  (試験問題)
 次の英文を読んで、それぞれの質問に対する答えとして最も適切なものを選び、記号で答えなさい。

 [文章(要旨)]
   ※原文は英語・日本語訳は引用したサイトの管理人による。

 [第2次世界大戦の終結から60年近くになる。戦後生まれの人でも、日本人には再び戦争の過ちを起こさせない責任がある。年を追うごとに戦争体験者が亡くなっていくもとで、どのように次世代に体験を語り継ぐのか。
 昨年の夏、第2次世界大戦の終結に関するテレビ番組を見た。悲惨な映像が使われていたことから直視できずにチャンネルを変えた。しかし数日後、新聞に年配女性の投書が掲載されているのを見つけた。「私たちはじきに戦争体験を伝えられなくなるが、言葉以外の方法でも映像で体験を伝えることができる」と。その投書を読んで、高校時代の体験を思い出した。
 沖縄への修学旅行で、防空壕を見学した。語り部の女性に続いて壕の中に入った。語り部が「明かりを消して」と指示し、明かりを消すと暗闇が広がった。誰も何も言えなかった。「これが戦争なんだ…」と。壕から出た際には神様に感謝した。言葉ではなく体験で理解できることもあるんだ。
 その後ひめゆり祈念公園へ移動した。ひめゆり学徒として生き残った女性の話は衝撃的で、戦争のイメージがふくらんだ。しかし正直に言うと、女性の話は退屈だった。彼女が話すほどに、直前の防空壕での強烈な印象が薄れていったからだ。彼女は何度も話しているから、話すたびに話がうまくなっていったのだろうと感じた。彼女の話は、まるで母親が赤ちゃんにベッドで話すように、易しく聞こえた。何人かの友人は彼女の話に心を動かされていたのだが、私にとっては彼女の話は何の意味もなさなかった。
 事実と体験を次世代に伝えることは重要な仕事である。それではどのように伝えるのか。もちろん一番はっきりしている方法は、言葉で伝えることである。しかし聞き手が話し手の意図を理解しなかったら、いくら良い話でも「言葉の羅列」に過ぎなくなる。また話し手の意見が強すぎると、違うメッセージにもなりかねない。
 時には、言葉以外の方法でメッセージを送る方法もある。あなたが青山学院高等部の生徒になると、長崎へ修学旅行に行くことになる。その際、被爆者の話を聞くことになるだろうが、あなたはそこでどのようなメッセージを受け取るのだろうか。]

  〔設問〕
   ※原文は質問文・選択肢とも英語、日本語訳は引用したサイトの管理人による。

 7.なぜ筆者は、ひめゆり祈念公園での話を気に入らなかったのか。
   A.もうすでに話の全容を知っていたから。
   B.その話はうそだと知っていたから。
   C.語り部が、子どもに接するような話し方だったから。
   D.語り部の話しぶりが気に入らなかったから。
              (設問の正解):D

▼産経新聞コラム『断』(2005/6/22)

  大月隆寛筆 <「体験」の真の継承とは>

 [この春、青山学院高校の入学試験で「ひめゆりの戦争体験談は退屈だった」という内容を含んだ英文が出されていた、というので、今になって一部のマスコミで騒ぎに。当のひめゆりの語り部や研究者がクレームをつけて地元紙経由でようやく全国報道に、というのが真相らしい。
 問題の原文を読んでみたが、はて、何が問題なのかわからない。修学旅行で沖縄の戦跡を見学してその具体性に衝撃を受けたが、その後、語り部たちの話を聞いたら戦跡ほどの感銘は受けなかった、戦争体験の語りがこなれてしまっていて「退屈」だった・・・ざっとそういう内容なのだが、最後に、だから戦争体験の継承って難しいよね、君はどう思う、といった感じの問いを投げかけていたり、出題者にはむしろ「その心意気やよし」と言ってもいいくらいだ。
 「展示」される「歴史」の語りが「退屈」なのはいずこも同じ。どんな「体験」も「語り」を介してしか現前化しないのだとしたら、それが「型」としてなめされてゆくことは必然であり、だからこそ、そういう「退屈」を超えてなお伝わる何ものか、が求められる。<芸>とはそういうもの。落語や歌舞伎を引き合いに出すまでもない。
 「型」の向こうに<芸>は宿る。「悲惨な体験」を「型」に幽閉するだけでは「体験」の真の継承など生まれようがない。語り部がするべきは、その「退屈」という感想の理由を静かに考えてみることではなかったか。
 ただ、この件、学校側がその後、「謝罪」したとか。ああ、なんたる腰砕け。出題者よ、いまからでも遅くはない、ぜひともひめゆりの語り部と対峙せよ。その覚悟も目算もないのなら、初手からこんな仕掛けはせぬが吉、だ。(民俗学者・大月隆寛)]

▽フジ・サンケイグループが、ホリエモン・ライブドアからの買収劇と戦っていた時、私は言った。

『私が産経新聞を支配したら、関東の夕刊廃止に伴い終わってしまった名物コラム<斜断機>を復活させる!』

 そしたら、その二ヵ月後、このコラムシリーズ『断』が始まった・・・。

 なんか、あまりにも偶然が重なるのだよなあ^^;

 で、十日間に一度ほど、大月隆寛氏が書き手を担当している。

 はじめは、軽い話題(「レッサーパンダ」「ナウマン象冷凍頭部」など)だったのだが、最近、読ませる内容が多い。

 「読ませる内容が多い」などと書くと、「こいつ、偉そうに!」などと言われそうだが、まあ、酔っ払いオヤジも、松井やイチローに文句を言っているということで・・・^^;

 さて、この「ひめゆり出題」問題だが、内容自体は、確かに、筋が通っていると思う。

 でも、「なんで、こんな問題を、いや、ひめゆりの話をテーマの具体例にしたのだろう?」と言う疑問は起こった。

 あっさりと謝ってしまったトコを見ると、そこに出題者の【思想的背景】があったのか?

 それとも、ただの<ヘタレ先生>で、「とりあえず謝っておこう」と思ったのか?

 しかし、<ヘタレ先生>と呼ぶには、この問題の含んでいるテーマは深い。それは大月BD先生が指摘している通りだろう。

 出題者の意識の真相は「藪の中」であるが、その出題問題を殊更に問題視したヤカラに【思想的背景】があるのは確かであろう・・・。

▼(おざなり本編^^;)

 ☆10月7日(月)・・・

 星名さんと松田さんが、タクシー運転手と組んで市内観光するというので、純君とともに乗り込む。那覇を拠点として巡る。広瀬君・鈴木君・根川君・小野田君らも一緒(彼らはレンタカー)。最初に霊御殿(たまうどん)、次に首里城。観光しながら、段々とみんなとうちとけて行く。広瀬君が実に良い。すごく惚けていて面白い。コブラVSマングース。コブラは最初から負けている。でもレフリーが適当にけしかけて盛り上げる。しかし、両者とも、毎日繰り返される戦いに疲れが見えていた^^; 次に、玉泉洞に、魅力的空間だった。あっさりと終わらないのが良かった。<ひめゆりの塔>にも行った。資料館で、生き残った人々の文章が、僕をしんみりさせた。出た後、みんな無口になってしまった。ここで僕は、『八月のラプソディ(黒澤明作品)』での、原爆の現実を知って無口になった子供たちの描写を思い出した。僕は、ひめゆりの見学をソフトクリームをなめながら見学することになってしまい、不謹慎な思いがズーッと続いた・・・。タクシーの運転手は、チャーター時間をはるかに過ぎたのに、島の最南端にも連れて行ってくれて、サービス満点! 金城さん、ありがとう。夜は、僕が一部の女の子に誘われたのがきっかけで、他の皆も仕切って、総勢13人で沖縄料理「うりずん」に行く。ピーナツ豆腐が不思議でうまい。みんなで盛り上がった。OB連中も楽しい。部屋に戻って、深夜までみんなと酒を飲む。狭い部屋で15人くらいが下らない話をして過ごす。楽しい。

                             (2005/07/07)

   ◇

 しかし、かつて書いた文章を何度も再掲し、それでも面白いっちゅうのが素晴らしいですな!

 では、テレビでニュースでも見ながら寝ます

                             (2009/07/13)
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