☆私は、鳩山由紀夫民主党代表の唱える政治テーマ<友愛>が気持ち悪くてしょうがない。
それだったら、「正義」とか「真理」、「自由」「平等」「平和」のほうがよっぽどマシである。
でも、そんな主張で、コロリと騙されてしまう若者もいるんだろうな。
鳩山由紀夫には、是非、バグダッドや平壌に徒手空拳で乗り込み、薄ら笑いで「愛」を唱えて欲しい^^;
そう、世界の中心で愛を叫んで欲しい。
即殺されるでしょう。
・・・実は私、鳩山由紀夫と一緒の写真に納まったことがある^^;
部屋の中で行方不明なのだが、見つかったら、すぐにアップさせていただく。
別にそれを恥とは思っていない。
有名人と写真に写れて良かったなと思っている^^;
◇
・・・さて、本日の産経一面で、元小泉首相のブレイン・岡本行夫が言っている。
《・・・鳩山さんの政策の中心は「友愛」。広辞苑には「兄弟の間の情愛、友人に対する親愛の情」とある。しかし、国外に対しても「友愛外交の推進」とはいかがなものか。・・・》
いや、文法的には、尤もな文章の出だしであり、この後に、岡本氏は、具体的な政治状況の中での民主党首脳の主張の欠陥を語っていく。
しかし、・・・この岡本行夫には、上記のようなことを書く資格はない、と私は思っている。
二年前の、以下のエントリーを読んで欲しい。
岡本行夫、とんでもないことを書いていたのだ。
◇ ◇
[始発電車の中で腹が立った・・・(本日の『正論』欄・岡本行夫)] (2007/07/23 20:20)
▼私は、いつも、始発電車で職場に向かう。
静かな車内で産経を読み、
必ず前に座る、たわわに実った巨乳の女性の胸をチラチラ見ながら時を過ごす^^
▼しかし、本日の産経「正論」欄を読んだら、イライラさせられた。
岡本行夫の筆であった・・・。
《 ■歴史をどんな主観で語るかが焦点に
≪慰安婦問題の争点は何か≫
故堀米庸三東京大学名誉教授は、歴史というものはばらばらの事実を年代順に並べることではなく、現在の人間が主観的な契機をもって過去の史料を取捨選択するものであると40年も前に説かれていた。歴史というものは主観の産物になる宿命にある。例えば慰安婦問題について何万人もの慰安婦の事例すべてを検証することは不可能である。だからそれを一般化して語る時には、解釈者の主観が問われてしまう。慰安婦の境遇に同情しているのか、それとも何万人かの慰安婦は全員が自由意思、つまり金銭目当てだったと言っているのかと。
慰安婦問題について米下院で審議されている対日謝罪要求決議案。4月末に安倍首相が訪米した際の謝罪姿勢によって事態は沈静化し、決議案成立はおぼつかない状況になっていた。しかし日本人有志が事実関係について反論する全面広告をワシントン・ポスト紙に出した途端、決議案採択の機運が燃えあがり、39対2という大差で外交委員会で可決され、下院本会議での成立も確実な状況になった。正しい意見の広告だったはずなのに何故なのか。それは、この決議案に関しては、すでに事実関係が争点ではなくなっているからである。過去の事象をどのような主観をもって日本人が提示しようとしているかに焦点があたっているからである。
≪沖縄の歴史の大局的流れ≫
沖縄の教科書検定問題も似たところがある。軍の集団自決命令はあったのか。現代史について優れた業績を残されている秦郁彦氏が、軍による自決命令はなかった、情緒過剰の報道は慎めと本欄で説かれた主旨に異論はない。
しかし、一方で、沖縄が本土防衛のために「全島要塞(ようさい)化」されて凄惨(せいさん)きわまりない状況に置かれ、住民の死傷者が戦闘員を上回った歴史は存在する。私は60回を超えた沖縄行きを通じて戦時中の話を聞く機会も多かった。住民たちが日本軍に殺された話も、沖縄の至るところに残っている。残念ながら自衛隊員に対する反感が沖縄県民のあいだに今も根強いのは、そうした背景のためである。
誰の命令か発意かは別にして、痛ましい集団自決があったのも渡嘉敷、慶良間だけではない。たとえば、戦争中に特に激しい米軍の攻撃を受けた伊江島では、島に残った住民3000人の半数が死んだ。軍によって米軍への投降を厳しく戒められていた島民たちの中には、絶望的な状況下で手榴弾(しゅりゅうだん)や爆雷を囲んで集団自決していった人々も少なくない。
沖縄の悲劇は、戦時中の被害ばかりではなく、戦後も同県が不公平な立場に置かれてきたことにある。本土が高度成長していた時代に沖縄は占領下で閉塞(へいそく)状況におかれ、1972年の本土復帰後も米軍基地の重圧にあえいできた。面積にして米軍基地の75%が、日本全体の0・6%の面積しかない沖縄にいまなお集中している。日本政府が、本土にある米軍基地の過半をアメリカから返還させたのに、沖縄の米軍基地には手をつけなかったためである。重要なのは、こうした大局的な歴史の流れである。
≪事実関係が問題ではない≫
そもそも、私にも「軍命令による集団自決」は、教科書にわざわざ書くほどの事象だったのかという疑念はある。しかし、既に書かれていた教科書の記述を、論争のある時に修正することは、「軍の関与はなかった」とする史観を新たに採択した意味を持つ。否定できない犠牲の歴史が沖縄にある時に、修正しなければならないほど重大な過誤が従来の記述にあったのか。歴史とは事実の羅列ではない。それを通じて生まれてくる主観である。
原爆投下の歴史的意義を個人がどう判断しようと思想の自由である。しかし公的立場の防衛相がこれを「しようがない」と述べることは、日本政府の基本政策に背馳(はいち)するばかりでなく、今も苦しむ原爆被災者の感情から、許されることではなかった。
今年は憂鬱(ゆううつ)な年である。秋以降には米国で製作された映画「南京」が劇場公開され、さらにインターネットで世界中に配信される。アメリカの民間人が南京市民を日本軍の暴虐から救う「英雄物語」だが、観客の反応は目に見える。南京事件の実態については、犠牲者を数万人とみる秦氏の著作が最も客観性があるように思われるが、それとて、もはや数字の問題ではなくなってきている。日本人からの反論は当然あるが、歴史をどのような主観をもって語っていると他人にとられるか、これが問題の核心であることに留意しなければならない。(おかもと ゆきお=元沖縄担当首相補佐官)》
▽何たる暴論だろうか・・・。
これは、つまり、
【事なかれ主義、もしくは、関係のパワーバランスの前にあっては、
ことの是非などは関係ない】
ということだ。
つまり、映画『それでも僕はやってない』を思い出して言えば、
【冤罪を主張し、裁判における長い長い時間の浪費をするよりも、
痴漢を認めて、謝って、些少の示談金を払ってさっさと終わった方が良い】
という事を言ってるのだ。
恐ろしきは、冒頭の
《故堀米庸三東京大学名誉教授は、歴史というものはばらばらの事実を年代順に並べることではなく、現在の人間が主観的な契機をもって過去の史料を取捨選択するものであると40年も前に説かれていた》
と言う一説だ。
私は、堀米庸三教授は知らないが、この人は、上記引用の要旨を、「正しい道理」として言っているのだろうか?
私のイメージとしては、「残念ながら」とは言わないまでも、「現実にはそういうものだ」として語ったのだと思うのだ。
何故なら、それは、間違いだからだ。
岡本行夫は、それを「正しき理屈」「利用すべき主張」として「正論」全篇を書いている。
・・・いや、先ず、皆さん、岡本行夫の「正論」全篇を読んでみてくれ。
・・・おかしいだろう?
事実と言うものが、こんなにも蔑ろにされている文章も少ない・・・。
「南京大虐殺」も「従軍慰安婦」も「沖縄の軍命令による集団自決」も、現在事実であったと主張するけたたましいヤカラがいる限りにおいては、存在するものとせよ! と、言ってるのだぜ?
正直、岡本行夫には、幻滅した・・・。
▼かつて、ア○ツハ○マーが発病する前の西尾幹二は、『新しい歴史教科書(扶桑社)』の序文でかように書き残している。
《歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだと考えている人がおそらく多いだろう。しかし、必ずしもそうではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのである。
今の中学生にとって、中学校に通うことは空気を吸うように当たり前のことであり、日課であるが、ほんの半世紀前までの日本人の中には、中学校に行きたくても行けない人がたくさんいた。それより前の時代には、小学校にも行けず、7、8歳で大きな商店の丁稚や豊かな家庭の使用人として働く子どもが少なくなかった。どんなに勉強がよくできる子どもであっても、教育は権利だと法律に書かれていても、国の生産が低く富が限られていた時代に、公平は単なる理想にとどまっていた。今の中学生のお祖父さんやお祖母さんの世代がよく知っていた現実である。
そのような不公平が実際にまかりとおっていた社会に不快を覚え、ときにひそかにいきどおりを感じて、なぜもっと社会的公正が早くから行われなかったかという疑問や同情をいだく人もおそらくいるだろう。しかし歴史を知るとは、そういうこととは少し別のことなのである。
当時の若い人は、今の中学生よりひょっとすると快活に生きていたかも知れないではないか。条件が変われば、人間の価値観も変わる。
王の巨大墳墓の建設に、多数の人間が強制的にかり出された古代の事実に、現代の善悪の尺度を当てはめることは、歴史を考える立場からはあまり大きな意味がない。
歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった。
歴史を学ぶのは,過去の事実を知ることでは必ずしもないと言ったが、過去の事実を厳密に、そして正確に知ることは可能ではないからでもある。何年何月何日にかくかくの事件がおこったとか、誰が死亡したとかいう事実はたしかに証明できる。それは地球上のどこにおいても妥当する客観的な事実として確定できる。けれども、そういう事実をいくら正確に知って並べても、それは年代記といって、いまだ歴史ではない。いったいかくかくの事件はなぜおこったか、誰が死亡したためにどういう影響が生じたかを考えるようになって、初めて歴史の心が動き出すのだといっていい。
しかしそうなると、人によって、民族によって、時代によって、考え方や感じ方がそれぞれまったく異なっているので、これが事実だと簡単に一つの事実をくっきりえがき出すことは難しいということに気がつくであろう。
ジョージ・ワシントンは、アメリカがイギリスから独立戦争(1775~1783)で独立を勝ちえたときの総司令官であり、合衆国の初代大統領であった。アメリカにとっては建国の偉人である。しかし戦争に敗れてアメリカという植民地を失ったイギリスにとっては、必ずしも偉人ではない。イギリスの歴史教科書には、今でもワシントンの名前が書かれていないものや、独立軍が反乱軍として扱われているものもある。
歴史は民族によって、それぞれ異なって当然かもしれない。国の数だけ歴史があっても、少しも不思議ではないのかもしれない。個人によっても、時代によっても、歴史は動き、一定ではない。しかしそうなると、気持ちが落ち着かず、不安になるであろう。だが、だからこそ歴史を学ぶのだともいえる。
歴史を固定的に、動かないもののように考えるのをやめよう。歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう。歴史を自由な、とらわれのない目で眺め、数多くの見方を重ねて、じっくり事実を確かめるようにしよう。
そうすれば、おのずと歴史の面白さが心に伝わってくるようになるだろう。》
▽・・・いい文章である。
私は、二度と戻らぬ、私と幹ちゃんの関係を想い、涙も出るのである・・・。
(本当にしんみりしながら 2007/07/23)
◇ ◇
まあ、この西尾幹二も、後に、とてつもない妄想を陰謀史観として世間に撒き散らし、世間をゾッとさせるのである。
・・・少なくとも、どんな下心があろうとも、鳩山由紀夫が「友愛」を主張するのは勝手である。
しかし、岡本行夫が、事実の主張をやめれ、と言うのは言語道断なのである。
(2009/05/31)
それだったら、「正義」とか「真理」、「自由」「平等」「平和」のほうがよっぽどマシである。
でも、そんな主張で、コロリと騙されてしまう若者もいるんだろうな。
鳩山由紀夫には、是非、バグダッドや平壌に徒手空拳で乗り込み、薄ら笑いで「愛」を唱えて欲しい^^;
そう、世界の中心で愛を叫んで欲しい。
即殺されるでしょう。
・・・実は私、鳩山由紀夫と一緒の写真に納まったことがある^^;
部屋の中で行方不明なのだが、見つかったら、すぐにアップさせていただく。
別にそれを恥とは思っていない。
有名人と写真に写れて良かったなと思っている^^;
◇
・・・さて、本日の産経一面で、元小泉首相のブレイン・岡本行夫が言っている。
《・・・鳩山さんの政策の中心は「友愛」。広辞苑には「兄弟の間の情愛、友人に対する親愛の情」とある。しかし、国外に対しても「友愛外交の推進」とはいかがなものか。・・・》
いや、文法的には、尤もな文章の出だしであり、この後に、岡本氏は、具体的な政治状況の中での民主党首脳の主張の欠陥を語っていく。
しかし、・・・この岡本行夫には、上記のようなことを書く資格はない、と私は思っている。
二年前の、以下のエントリーを読んで欲しい。
岡本行夫、とんでもないことを書いていたのだ。
◇ ◇
[始発電車の中で腹が立った・・・(本日の『正論』欄・岡本行夫)] (2007/07/23 20:20)
▼私は、いつも、始発電車で職場に向かう。
静かな車内で産経を読み、
必ず前に座る、たわわに実った巨乳の女性の胸をチラチラ見ながら時を過ごす^^
▼しかし、本日の産経「正論」欄を読んだら、イライラさせられた。
岡本行夫の筆であった・・・。
《 ■歴史をどんな主観で語るかが焦点に
≪慰安婦問題の争点は何か≫
故堀米庸三東京大学名誉教授は、歴史というものはばらばらの事実を年代順に並べることではなく、現在の人間が主観的な契機をもって過去の史料を取捨選択するものであると40年も前に説かれていた。歴史というものは主観の産物になる宿命にある。例えば慰安婦問題について何万人もの慰安婦の事例すべてを検証することは不可能である。だからそれを一般化して語る時には、解釈者の主観が問われてしまう。慰安婦の境遇に同情しているのか、それとも何万人かの慰安婦は全員が自由意思、つまり金銭目当てだったと言っているのかと。
慰安婦問題について米下院で審議されている対日謝罪要求決議案。4月末に安倍首相が訪米した際の謝罪姿勢によって事態は沈静化し、決議案成立はおぼつかない状況になっていた。しかし日本人有志が事実関係について反論する全面広告をワシントン・ポスト紙に出した途端、決議案採択の機運が燃えあがり、39対2という大差で外交委員会で可決され、下院本会議での成立も確実な状況になった。正しい意見の広告だったはずなのに何故なのか。それは、この決議案に関しては、すでに事実関係が争点ではなくなっているからである。過去の事象をどのような主観をもって日本人が提示しようとしているかに焦点があたっているからである。
≪沖縄の歴史の大局的流れ≫
沖縄の教科書検定問題も似たところがある。軍の集団自決命令はあったのか。現代史について優れた業績を残されている秦郁彦氏が、軍による自決命令はなかった、情緒過剰の報道は慎めと本欄で説かれた主旨に異論はない。
しかし、一方で、沖縄が本土防衛のために「全島要塞(ようさい)化」されて凄惨(せいさん)きわまりない状況に置かれ、住民の死傷者が戦闘員を上回った歴史は存在する。私は60回を超えた沖縄行きを通じて戦時中の話を聞く機会も多かった。住民たちが日本軍に殺された話も、沖縄の至るところに残っている。残念ながら自衛隊員に対する反感が沖縄県民のあいだに今も根強いのは、そうした背景のためである。
誰の命令か発意かは別にして、痛ましい集団自決があったのも渡嘉敷、慶良間だけではない。たとえば、戦争中に特に激しい米軍の攻撃を受けた伊江島では、島に残った住民3000人の半数が死んだ。軍によって米軍への投降を厳しく戒められていた島民たちの中には、絶望的な状況下で手榴弾(しゅりゅうだん)や爆雷を囲んで集団自決していった人々も少なくない。
沖縄の悲劇は、戦時中の被害ばかりではなく、戦後も同県が不公平な立場に置かれてきたことにある。本土が高度成長していた時代に沖縄は占領下で閉塞(へいそく)状況におかれ、1972年の本土復帰後も米軍基地の重圧にあえいできた。面積にして米軍基地の75%が、日本全体の0・6%の面積しかない沖縄にいまなお集中している。日本政府が、本土にある米軍基地の過半をアメリカから返還させたのに、沖縄の米軍基地には手をつけなかったためである。重要なのは、こうした大局的な歴史の流れである。
≪事実関係が問題ではない≫
そもそも、私にも「軍命令による集団自決」は、教科書にわざわざ書くほどの事象だったのかという疑念はある。しかし、既に書かれていた教科書の記述を、論争のある時に修正することは、「軍の関与はなかった」とする史観を新たに採択した意味を持つ。否定できない犠牲の歴史が沖縄にある時に、修正しなければならないほど重大な過誤が従来の記述にあったのか。歴史とは事実の羅列ではない。それを通じて生まれてくる主観である。
原爆投下の歴史的意義を個人がどう判断しようと思想の自由である。しかし公的立場の防衛相がこれを「しようがない」と述べることは、日本政府の基本政策に背馳(はいち)するばかりでなく、今も苦しむ原爆被災者の感情から、許されることではなかった。
今年は憂鬱(ゆううつ)な年である。秋以降には米国で製作された映画「南京」が劇場公開され、さらにインターネットで世界中に配信される。アメリカの民間人が南京市民を日本軍の暴虐から救う「英雄物語」だが、観客の反応は目に見える。南京事件の実態については、犠牲者を数万人とみる秦氏の著作が最も客観性があるように思われるが、それとて、もはや数字の問題ではなくなってきている。日本人からの反論は当然あるが、歴史をどのような主観をもって語っていると他人にとられるか、これが問題の核心であることに留意しなければならない。(おかもと ゆきお=元沖縄担当首相補佐官)》
▽何たる暴論だろうか・・・。
これは、つまり、
【事なかれ主義、もしくは、関係のパワーバランスの前にあっては、
ことの是非などは関係ない】
ということだ。
つまり、映画『それでも僕はやってない』を思い出して言えば、
【冤罪を主張し、裁判における長い長い時間の浪費をするよりも、
痴漢を認めて、謝って、些少の示談金を払ってさっさと終わった方が良い】
という事を言ってるのだ。
恐ろしきは、冒頭の
《故堀米庸三東京大学名誉教授は、歴史というものはばらばらの事実を年代順に並べることではなく、現在の人間が主観的な契機をもって過去の史料を取捨選択するものであると40年も前に説かれていた》
と言う一説だ。
私は、堀米庸三教授は知らないが、この人は、上記引用の要旨を、「正しい道理」として言っているのだろうか?
私のイメージとしては、「残念ながら」とは言わないまでも、「現実にはそういうものだ」として語ったのだと思うのだ。
何故なら、それは、間違いだからだ。
岡本行夫は、それを「正しき理屈」「利用すべき主張」として「正論」全篇を書いている。
・・・いや、先ず、皆さん、岡本行夫の「正論」全篇を読んでみてくれ。
・・・おかしいだろう?
事実と言うものが、こんなにも蔑ろにされている文章も少ない・・・。
「南京大虐殺」も「従軍慰安婦」も「沖縄の軍命令による集団自決」も、現在事実であったと主張するけたたましいヤカラがいる限りにおいては、存在するものとせよ! と、言ってるのだぜ?
正直、岡本行夫には、幻滅した・・・。
▼かつて、ア○ツハ○マーが発病する前の西尾幹二は、『新しい歴史教科書(扶桑社)』の序文でかように書き残している。
《歴史を学ぶのは、過去の事実を知ることだと考えている人がおそらく多いだろう。しかし、必ずしもそうではない。歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのである。
今の中学生にとって、中学校に通うことは空気を吸うように当たり前のことであり、日課であるが、ほんの半世紀前までの日本人の中には、中学校に行きたくても行けない人がたくさんいた。それより前の時代には、小学校にも行けず、7、8歳で大きな商店の丁稚や豊かな家庭の使用人として働く子どもが少なくなかった。どんなに勉強がよくできる子どもであっても、教育は権利だと法律に書かれていても、国の生産が低く富が限られていた時代に、公平は単なる理想にとどまっていた。今の中学生のお祖父さんやお祖母さんの世代がよく知っていた現実である。
そのような不公平が実際にまかりとおっていた社会に不快を覚え、ときにひそかにいきどおりを感じて、なぜもっと社会的公正が早くから行われなかったかという疑問や同情をいだく人もおそらくいるだろう。しかし歴史を知るとは、そういうこととは少し別のことなのである。
当時の若い人は、今の中学生よりひょっとすると快活に生きていたかも知れないではないか。条件が変われば、人間の価値観も変わる。
王の巨大墳墓の建設に、多数の人間が強制的にかり出された古代の事実に、現代の善悪の尺度を当てはめることは、歴史を考える立場からはあまり大きな意味がない。
歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった。
歴史を学ぶのは,過去の事実を知ることでは必ずしもないと言ったが、過去の事実を厳密に、そして正確に知ることは可能ではないからでもある。何年何月何日にかくかくの事件がおこったとか、誰が死亡したとかいう事実はたしかに証明できる。それは地球上のどこにおいても妥当する客観的な事実として確定できる。けれども、そういう事実をいくら正確に知って並べても、それは年代記といって、いまだ歴史ではない。いったいかくかくの事件はなぜおこったか、誰が死亡したためにどういう影響が生じたかを考えるようになって、初めて歴史の心が動き出すのだといっていい。
しかしそうなると、人によって、民族によって、時代によって、考え方や感じ方がそれぞれまったく異なっているので、これが事実だと簡単に一つの事実をくっきりえがき出すことは難しいということに気がつくであろう。
ジョージ・ワシントンは、アメリカがイギリスから独立戦争(1775~1783)で独立を勝ちえたときの総司令官であり、合衆国の初代大統領であった。アメリカにとっては建国の偉人である。しかし戦争に敗れてアメリカという植民地を失ったイギリスにとっては、必ずしも偉人ではない。イギリスの歴史教科書には、今でもワシントンの名前が書かれていないものや、独立軍が反乱軍として扱われているものもある。
歴史は民族によって、それぞれ異なって当然かもしれない。国の数だけ歴史があっても、少しも不思議ではないのかもしれない。個人によっても、時代によっても、歴史は動き、一定ではない。しかしそうなると、気持ちが落ち着かず、不安になるであろう。だが、だからこそ歴史を学ぶのだともいえる。
歴史を固定的に、動かないもののように考えるのをやめよう。歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にすることもやめよう。歴史を自由な、とらわれのない目で眺め、数多くの見方を重ねて、じっくり事実を確かめるようにしよう。
そうすれば、おのずと歴史の面白さが心に伝わってくるようになるだろう。》
▽・・・いい文章である。
私は、二度と戻らぬ、私と幹ちゃんの関係を想い、涙も出るのである・・・。
(本当にしんみりしながら 2007/07/23)
◇ ◇
まあ、この西尾幹二も、後に、とてつもない妄想を陰謀史観として世間に撒き散らし、世間をゾッとさせるのである。
・・・少なくとも、どんな下心があろうとも、鳩山由紀夫が「友愛」を主張するのは勝手である。
しかし、岡本行夫が、事実の主張をやめれ、と言うのは言語道断なのである。
(2009/05/31)