『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『わたし出すわ』を観た]

2009-11-01 22:40:21 | 物語の感想
☆久し振りに、森田芳光節を見たような気がした。

 森田監督は、本来、このような、掴みどころのない、不思議な、すっとぼけた味わいの作風だった。

 私は、彼が新進気鋭で現われた頃、映画に夢中になり始めた。

 だから、森田監督の初期の作品は大好きだ。

 『ときめきに死す』なんか素晴らしいが、もちろん『家族ゲーム』『それから』も捨て難い。

 こちらの投稿を読んでみてくれないか?

          [真夏の洗礼(旅は短くも不意に訪れる・・・)]

 これなど、私は、ずっと『の・ようなもの』の後半の道中を意識していた^^;

 ・・・それはさておき、『わたし出すわ』の作風に、

 私は、「森田・イズ・バック!」の思いを強くした。

   ◇

 主演は小雪である。

 私は、小雪に、どうしても女性的な魅力を感じられないで困っているのだが、その小雪が、東京から函館に帰ってきたマヤを演じる。

 マヤは、小雪らしい質素ないでたちながら、かつての同級生に会うと、その同級生の金銭的な問題に、「わたし出すわ」と大金を提供してくれるのだった。

 そんなマヤと、5人の同級生、それぞれの置かれている状況が平行して語られていく。

 マヤが何故に大金を持っているのか?

 それは謎なのだが、物語の終盤には次第に何となく分かってくる。

 だが、そんな物語の終盤に入ると、マヤの、かつての同級生から見た空白の日々などはどうでもよくなっていて、

 要は、マヤが淡々と故郷での「お礼参り」をしていくことによる函館の人間模様が主題として浮かんできている。

 堅実な路面電車運転手と、あまりにも俗だが可愛い妻。

 外界に飛び出て戦うよりも、勝手知ったる街でナンバー1に甘んじる女。

 ちょっとした権力指向の旦那を持つ(箱庭協会会長になりたい)、愛犬の死に涙を流す女。

 高校の頃から、陸上に専心し、卒業後も、郷土の企業の陸上部で走り続けている男。

 北海道の海を眺め、その魚類の特性を研究し続けている女好きな男。

 全く別個の道を進んでいる仲間が、函館と言う街を多角的に見せてくれる。

 また、物語の枝葉には、なぜか「ワールド・ワイド」なスパイスが効いてもいる。

 主人公の台詞は少なく、そこには静かな空気が流れている。

 そのゆったりとした時間の流れを醸す映像には、なぜか、清潔感のある幾何学模様的な直線が意識させられる。

 マヤの部屋や、マヤの母親の病室などにそれが顕著である。

 それで、画面にはアクションがなくとも、何とも惹きつけられるのだった。

   ◇

 マヤの「お礼」は、かつての同級生たちの取るに足らない一言に由来していた。

 美人だが、おそらく引っ込み思案で、謙虚だったマヤは、その相手が、自分に向けてくれた言葉など覚えていないと思っていた。

 しかし、その相手は、ちゃんと覚えているのだった。

 マヤの頬は、感動で紅潮するのだった。

   ◇

 引越し屋さんのエピソードや、寝たきりで意識不明だった母親のエピソードも、エンディングで、静かに着実な感動を与えてくれる。

 なんか不思議なテンポの作品であるが、非常に面白かった。

 ・・・ただ、何やら作中で暗躍していた中村トオルが、

 ラストシーン、母親の車椅子を押すマヤを、遠くから見つめているのが物語的に不相応な気がした。

                                     (2009/10/31)
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[映画『THIS IS IT』を観た]

2009-11-01 17:29:20 | 物語の感想
☆私は熱心なマイケル・ジャクソンのファンではなく、人並みに、子供の頃、「スリラー」のPVに驚嘆し、花見の席の盛り上げに<ムーン・ウォーク>をやってみせる程度の認識である。

 ただ、MJの<ネヴァーランド>思想には、共鳴できる部分が50%はあって、本日、この作品を見に行ったところ、「プリキュア」を見に来ていた幼女がいっぱいいて、私は、<ネヴァーランド>の早急な建設を急がせようと思った(誰にだよ!? ^^;)。

   ◇

 ともあれ、私の好きな音楽ジャンルとは言えないMJだが、この作品は、MJとスタッフが「総合芸術」の一つとして作っていたライブの裏を描いているので、

 MJのエンターテイメントを築いていく思想と、その過程と、多人数のスタッフでの製作作業と言う「組織論」に目がいった。

   ◇

 芸術には色んな側面があろうが、私自身は、こうして文章を書くとき、字の一つ一つをドット(芸術因子)と考える。

 そして、その集合体が文章となる。

 ここでは、その集合体が、1エントリーとなる(厳密には、そこまでにも、センテンスやパラグラフなどの確認段階がある)。

 更に、その1エントリーをも、ドット(芸術因子)の一つと考える。

 その集合体が、この「ブログ」である。

 私は、マイケルのような「キング」ではないので、当然ながら粗もあるが、このブログのピラミッド構造を形成する因子の文字一つにでも慎重を期しているつもりだ。

 それが、最高の文章作用を及ぼすと信じているからだ。

 ・・・私の文章は、読点「、」が多いので有名だが、それは、閲覧者の誤読を防ぐためだ。

   ◇

 ・・・で、MJだが、そのライブのピラミッド構造を完璧にすべく、あらゆるところに注意を怠らない様を見て取ることが出来た。

 微小なイントネーション、キー、テンポの違いにも、何度も歌い直し、客を喜ばせるための最高の因子を据えようとする。

「こっちのほうが深みが出る」

「こうしたほうが効果がある」

「ここは、お客さんが最高に盛り上がるところなんだ」

 その小さな指摘の集積が、究極のライブへ導くことを知っているのだ。

 この映画作品は、ロンドン公演のリハーサル風景を撮ったもので、その公演は50ヶ所に渡るとのことだった。

 おそらく、その中でも、「完全」なる公演は3度くらいしか出来ないんだろう・・・。

   ◇

   「神は細部に宿る」 by ミース・ファン・デル・ローエ

   ◇

 このドキュメントの監督は、『ハイスクール・ミュージカル』の監督・振り付けのケニー・オルテガで、このライブの総指揮もしている。

 果たして、ライブの主導権は、オルテガとMJのどちらにあるのか?

 映像からは、お互いが「大人の尊重」のし合いをしていて感心させられた。

 オルテガは、MJの才能を信じていて、MJの才能が100%発揮できるような環境を、総指揮者として行なっていた。

 そして、MJも、大スターなのに、非常に優しく、皆に接している。

 おそらく、若い頃から、スターだったので、ネガティブな感情を持っていないのかもしれない。

 だが、「総合芸術」の完成には並々ならぬ意欲と根気と努力を惜しんでいない。

   ◇

 私が不覚にもホロっとした箇所は、美人のギタリストに、

「ここはもっと高音で、もっと長く! ここが君の見せ場なんだ! もっと!」

 という場面だ。

 自分のコンサートなのに、脇役を輝かせるために全力を尽くしている様が非常に良かった。

 それが、このライブを高度に完成させるための当然の措置だとしても、

 それとは違った、仲間たちと完成させると言うチームワークみたいなものが強く感じられたのだ。

   ◇

 凄まじい気の使いようが見て取れた。

 てっきり、私は、大スターのMJにスタッフがチヤホヤと、腫れ物に触るような状況を想像していたのだが、それは違った。

 MJが、スタッフや、全世界のファンに奉仕しているようであった・・・。

 これでは、豪邸に帰宅し、疲れて就寝するに際し、ちょいと精神安定剤を多めに飲みたくもなるだろう。

                                     (2009/11/01)
コメント (2)
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