なんか、また久しぶりにPCから投稿している気がしますA^^;;
色々と書きたい映画の感想が溜まっているので、今日は映画の感想を♪♪
つい先日見て来ました、映画『私が愛した大統領』。
ニューディール政策などで有名な第32代アメリカ大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトの知られざる素顔を描いた作品です。
1930年代アメリカ。
多忙なフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は、あるきっかけで、従兄のデイジーと再会。
デイジーと過ごすひと時に安らぎを見出す大統領ですが、やがて、二人は、ただの従兄妹同士での話し相手から、男女の仲へと発展していきます。
そして、時は、1939年6月。
ドイツとの戦争に備えて、アメリカの後ろ盾が欲しい英国王ジョージ6世夫妻が訪米することになります。
そのアメリカ滞在中の国王夫妻を、大統領の実家でおもてなしすることに。
アメリカ大統領と、英国王との会談。
その歴史的出来事の最中、デイジーは、ふとしたことから、大統領に愛されている女性は自分一人だけではないという事実を知ってしまい・・・・・・・・。
第二次大戦中のアメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトの従妹であり、また彼の愛人でもあった女性・デイジーの目を通して描かれる、素顔の大統領・・・というお話。
予告編のイメージでは、なんだか、とてもピュアな大人のラブ・ストーリーって感じでしたが。
実際に映画を見てみると・・・正直、二人の恋愛に関しては、ちょっと「う~ん(--;;」って感じでしたが。
まあ、そもそも、大統領には夫人が居たわけで、デイジーは「愛人」ですし・・・ね。不倫ですものね。
でも、当時の時代を考えると・・・別に普通の事だったのかもしれません。
叔母の介護と家事に明け暮れて、生活に追われるデイジーが、とあるきっかけで、大統領になっている従兄のフランクリンの話し相手になるのですよね。
大統領という立場上、なかなか寛げる場所のなかったフランクリンは、気兼ねなく話せるデイジーに心を許すようにになり。
やがて、二人は、ただの話し相手ではなく、深い関係になっていく訳ですが。
それまで、介護や家事に追われ、恋愛とは無縁だったデイジーが、どんどん、大統領に夢中になっていくのですよ・・・。
最初は、生活に疲れた女性・・・って風貌だったのに、大統領と逢瀬を重ねるにつれ、服装も、顔つきも、綺麗になっていって、生き生きしてきたなぁ彼女って、見ててひしひしと伝わってくるのですよね~。
とはいえ、こういう言い方はアレですが。所詮、「愛人」という立場。
大丈夫なのかなぁ~、後で傷ついたりしないのかなぁ~と、変わっていく彼女の様子を見てて、ちょっと心配&ハラハラした前半の展開でした。
で。
このお話の中での大きな出来事といえば、ドイツとの開戦に備えアメリカの後ろ盾を求めて、英国王夫妻が訪米をする・・・という出来事。物語後半からの展開です。
その英国王夫妻とは、そう、映画『英国王のスピーチ』で描かれていたジョージ6世夫妻ですね。
物語の中でも、もちろん歴史上でも、英国王の訪米は、大きなエピソードなのですが。
この映画においては、あくまでデイジーの視点で描かれているので、なんというか、淡々と描かれている感が否めず。
全体的に、ちょっとタイクツだったかなぁという感じです。
そして。
この国王訪米のタイミングと同時期に、デイジーは、大統領の愛人が自分一人ではなかった・・・という事実を知ってしまうのですよね(>_<)
政治家としての手腕は優れていたのですが、その反面・・・いや、それゆえに心の安らぎを女性たちに求めたいのか、実は、彼の秘書とも深い関係にあった大統領。
「自分だけが特別な存在」と信じていたデイジーは、深く傷つく訳ですが、そんな彼女に、秘書の女性が、「私たちの大統領を分かち合いましょう」っていうのですよね。・・・秘書さん、自分も愛人と言う立場なのに・・・なんだか、信じられないって感じでした(>_<)
そうやってデイジーが事実を知り、傷ついている頃、大統領は英国王と親交を深めようとしています。が、文化風習の違いから、なかなか難しい。
でも、大統領の不自由な足の事、国王の吃音の事を互いが語り合って、理解を深めていくのですが、これもまた、意外とあっさりと描かれていた印象かな~。
そしてそして、不機嫌だったデイジーも、最終的には、大統領を「分かち合う」ことを決め、なんだか、割り切った関係で復活!
ここら辺りのデイジーの決心は、女性として、ちょっと理解出来ないのですが。。。。
でもでも、自分一人ではないにしろ、「偉大な政治家であるフランクリンを支えている」という自負みたいなものがデイジーの中にあったからなのかなぁ?
それとも、愛していれば、形にはこだわらない・・・的な?
あるいは、両方か。
どうして、あれだけ傷ついた彼女が、スパッと割り切れちゃったのかが、よく解らなかったです。
でも、あの時代だったら、それもまた有りだっったのかもしれないですね。。。。
今の時代の感覚では分からないこともあるか(^^;;
そうそう。
この時代のマスコミは、何でも暴いて晒すようなことはしなかったとのこと。
なので、両足が不自由で自分では歩けない大統領でしたが、決して、彼が車椅子だったり、誰かに抱きかかえられている状態の時は、カメラマンも写真を撮らなかったのですって。
カメラマンの皆さんがスタンバイはしていても、お行儀良く(?)待ってて。
で、大統領がきちんと座った状態になったときに、一斉にカメラを向ける。
・・・本人にとって、知られたくない事をわざわざ暴露するような風潮ではなかったのかもしれませんね、マスコミも世間も。
そういう優しいマナーがあった時代でもあったのかな??
だから、デイジーと大統領の秘密の関係も、デイジーが亡くなくって、彼女の日記が見つかるまでは、ごく一部の人しか知らなかったようです。
女性としては、恋愛部分に関しては共感できませんでしたし、全体的にあっさりしてて、若干の退屈さは否めませんでしたが、でもでも、1930年代のアメリカの田舎の美しい風景は、とても見ごたえありました。
そして、歴史上有名な人物の、知られざる素顔・・・という点では興味深い作品だったと思います。
でも、デイジーだけが心に秘めておきたかったであろう秘密を、私達が覗き見ちゃったみたいで・・・・・・ちょっと申し訳なかったかな?
色々と書きたい映画の感想が溜まっているので、今日は映画の感想を♪♪
つい先日見て来ました、映画『私が愛した大統領』。
ニューディール政策などで有名な第32代アメリカ大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトの知られざる素顔を描いた作品です。
1930年代アメリカ。
多忙なフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は、あるきっかけで、従兄のデイジーと再会。
デイジーと過ごすひと時に安らぎを見出す大統領ですが、やがて、二人は、ただの従兄妹同士での話し相手から、男女の仲へと発展していきます。
そして、時は、1939年6月。
ドイツとの戦争に備えて、アメリカの後ろ盾が欲しい英国王ジョージ6世夫妻が訪米することになります。
そのアメリカ滞在中の国王夫妻を、大統領の実家でおもてなしすることに。
アメリカ大統領と、英国王との会談。
その歴史的出来事の最中、デイジーは、ふとしたことから、大統領に愛されている女性は自分一人だけではないという事実を知ってしまい・・・・・・・・。
第二次大戦中のアメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトの従妹であり、また彼の愛人でもあった女性・デイジーの目を通して描かれる、素顔の大統領・・・というお話。
予告編のイメージでは、なんだか、とてもピュアな大人のラブ・ストーリーって感じでしたが。
実際に映画を見てみると・・・正直、二人の恋愛に関しては、ちょっと「う~ん(--;;」って感じでしたが。
まあ、そもそも、大統領には夫人が居たわけで、デイジーは「愛人」ですし・・・ね。不倫ですものね。
でも、当時の時代を考えると・・・別に普通の事だったのかもしれません。
叔母の介護と家事に明け暮れて、生活に追われるデイジーが、とあるきっかけで、大統領になっている従兄のフランクリンの話し相手になるのですよね。
大統領という立場上、なかなか寛げる場所のなかったフランクリンは、気兼ねなく話せるデイジーに心を許すようにになり。
やがて、二人は、ただの話し相手ではなく、深い関係になっていく訳ですが。
それまで、介護や家事に追われ、恋愛とは無縁だったデイジーが、どんどん、大統領に夢中になっていくのですよ・・・。
最初は、生活に疲れた女性・・・って風貌だったのに、大統領と逢瀬を重ねるにつれ、服装も、顔つきも、綺麗になっていって、生き生きしてきたなぁ彼女って、見ててひしひしと伝わってくるのですよね~。
とはいえ、こういう言い方はアレですが。所詮、「愛人」という立場。
大丈夫なのかなぁ~、後で傷ついたりしないのかなぁ~と、変わっていく彼女の様子を見てて、ちょっと心配&ハラハラした前半の展開でした。
で。
このお話の中での大きな出来事といえば、ドイツとの開戦に備えアメリカの後ろ盾を求めて、英国王夫妻が訪米をする・・・という出来事。物語後半からの展開です。
その英国王夫妻とは、そう、映画『英国王のスピーチ』で描かれていたジョージ6世夫妻ですね。
物語の中でも、もちろん歴史上でも、英国王の訪米は、大きなエピソードなのですが。
この映画においては、あくまでデイジーの視点で描かれているので、なんというか、淡々と描かれている感が否めず。
全体的に、ちょっとタイクツだったかなぁという感じです。
そして。
この国王訪米のタイミングと同時期に、デイジーは、大統領の愛人が自分一人ではなかった・・・という事実を知ってしまうのですよね(>_<)
政治家としての手腕は優れていたのですが、その反面・・・いや、それゆえに心の安らぎを女性たちに求めたいのか、実は、彼の秘書とも深い関係にあった大統領。
「自分だけが特別な存在」と信じていたデイジーは、深く傷つく訳ですが、そんな彼女に、秘書の女性が、「私たちの大統領を分かち合いましょう」っていうのですよね。・・・秘書さん、自分も愛人と言う立場なのに・・・なんだか、信じられないって感じでした(>_<)
そうやってデイジーが事実を知り、傷ついている頃、大統領は英国王と親交を深めようとしています。が、文化風習の違いから、なかなか難しい。
でも、大統領の不自由な足の事、国王の吃音の事を互いが語り合って、理解を深めていくのですが、これもまた、意外とあっさりと描かれていた印象かな~。
そしてそして、不機嫌だったデイジーも、最終的には、大統領を「分かち合う」ことを決め、なんだか、割り切った関係で復活!
ここら辺りのデイジーの決心は、女性として、ちょっと理解出来ないのですが。。。。
でもでも、自分一人ではないにしろ、「偉大な政治家であるフランクリンを支えている」という自負みたいなものがデイジーの中にあったからなのかなぁ?
それとも、愛していれば、形にはこだわらない・・・的な?
あるいは、両方か。
どうして、あれだけ傷ついた彼女が、スパッと割り切れちゃったのかが、よく解らなかったです。
でも、あの時代だったら、それもまた有りだっったのかもしれないですね。。。。
今の時代の感覚では分からないこともあるか(^^;;
そうそう。
この時代のマスコミは、何でも暴いて晒すようなことはしなかったとのこと。
なので、両足が不自由で自分では歩けない大統領でしたが、決して、彼が車椅子だったり、誰かに抱きかかえられている状態の時は、カメラマンも写真を撮らなかったのですって。
カメラマンの皆さんがスタンバイはしていても、お行儀良く(?)待ってて。
で、大統領がきちんと座った状態になったときに、一斉にカメラを向ける。
・・・本人にとって、知られたくない事をわざわざ暴露するような風潮ではなかったのかもしれませんね、マスコミも世間も。
そういう優しいマナーがあった時代でもあったのかな??
だから、デイジーと大統領の秘密の関係も、デイジーが亡くなくって、彼女の日記が見つかるまでは、ごく一部の人しか知らなかったようです。
女性としては、恋愛部分に関しては共感できませんでしたし、全体的にあっさりしてて、若干の退屈さは否めませんでしたが、でもでも、1930年代のアメリカの田舎の美しい風景は、とても見ごたえありました。
そして、歴史上有名な人物の、知られざる素顔・・・という点では興味深い作品だったと思います。
でも、デイジーだけが心に秘めておきたかったであろう秘密を、私達が覗き見ちゃったみたいで・・・・・・ちょっと申し訳なかったかな?