撮影場所 岡山市妹尾(せのう)
岡山市妹尾に少し古い町並みが残っている。
駅周辺は道は狭く再開発が難しい。
今も道は狭く車で入ると行き止まりもありびくびくする。
郊外に出れば土地は広いので商業地や宅地は新しく開発された。
そんな狭い町の中に糀屋(こうじや)があった。
これを撮ったのは昭和49年、今もこれとほとんど変わらない姿で残っていると思う。10年ほど前にみた。
糀の看板は掛けたままだった。
昔は糀も味噌作りや甘酒作りに欠かせなかったが現在も需要はあるのであろうか
現在と昭和の違うところは荷物用の太いタイヤの自転車であろうか
これは昭和の風景である。
妹尾の地名は平安時代の末期の平家の武将、妹尾兼康に由来すると言われている。
1180年代に干拓地だったこの地に用水を引いたといわれている。
余談だが苗字の妹尾といえば先祖が岡山出身者が多い。妹尾は岡山の苗字ひとつでもある。「せのう」と読めない人は少ないようだ。
苗字は地域性があり古賀といえば福岡県南部の大川市や柳川市に多く石を投げれば古賀に当たると言われている。
作曲家の古賀政男や柔道の古賀も福岡県の出身である。
岡山市妹尾に少し古い町並みが残っている。
駅周辺は道は狭く再開発が難しい。
今も道は狭く車で入ると行き止まりもありびくびくする。
郊外に出れば土地は広いので商業地や宅地は新しく開発された。
そんな狭い町の中に糀屋(こうじや)があった。
これを撮ったのは昭和49年、今もこれとほとんど変わらない姿で残っていると思う。10年ほど前にみた。
糀の看板は掛けたままだった。
昔は糀も味噌作りや甘酒作りに欠かせなかったが現在も需要はあるのであろうか
現在と昭和の違うところは荷物用の太いタイヤの自転車であろうか
これは昭和の風景である。
妹尾の地名は平安時代の末期の平家の武将、妹尾兼康に由来すると言われている。
1180年代に干拓地だったこの地に用水を引いたといわれている。
余談だが苗字の妹尾といえば先祖が岡山出身者が多い。妹尾は岡山の苗字ひとつでもある。「せのう」と読めない人は少ないようだ。
苗字は地域性があり古賀といえば福岡県南部の大川市や柳川市に多く石を投げれば古賀に当たると言われている。
作曲家の古賀政男や柔道の古賀も福岡県の出身である。