撮影場所 福岡県 香月線
香月線は筑豊本線中間駅から分岐して香月まで3.5kmの短い路線です。
3.5kmに駅が四駅と書いてある。
一時一番短い路線であった時期があった。
炭鉱からの石炭運送のために敷設されたが相次ぐ閉山で1985年(昭和60年)4月に廃線となる。
蒸気機関車が走っていた頃で赤字路線は国鉄の経営を圧迫していた。なかでも石炭運搬の赤字路線は廃線になるのは目に見えていた。
しかし、炭鉱を結ぶ路線の枝線には撮影にいっていない。
どうしても列車本数の多い筑豊本線の撮影にいってしまう。
私には枝線を回るだけの時間がなかった。
中間駅から一キロ歩いたところで香月線の蒸気機関車を撮影した。
8620形蒸気機関車の引く普通車だった。客車には冷房はなく窓を開けて走っている。
ほのかに石炭の匂いが車内にも入ってきたであろう。
客車の鉄板はリベットで留めてある。溶接でなかったのだ。
北九州では閉山で廃線になった路線は多い。
室木線、宮田線、添田線、上山田線、勝田線、幸袋線、漆生線があった。、
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香月線は筑豊本線中間駅から分岐して香月まで3.5kmの短い路線です。
3.5kmに駅が四駅と書いてある。
一時一番短い路線であった時期があった。
炭鉱からの石炭運送のために敷設されたが相次ぐ閉山で1985年(昭和60年)4月に廃線となる。
蒸気機関車が走っていた頃で赤字路線は国鉄の経営を圧迫していた。なかでも石炭運搬の赤字路線は廃線になるのは目に見えていた。
しかし、炭鉱を結ぶ路線の枝線には撮影にいっていない。
どうしても列車本数の多い筑豊本線の撮影にいってしまう。
私には枝線を回るだけの時間がなかった。
中間駅から一キロ歩いたところで香月線の蒸気機関車を撮影した。
8620形蒸気機関車の引く普通車だった。客車には冷房はなく窓を開けて走っている。
ほのかに石炭の匂いが車内にも入ってきたであろう。
客車の鉄板はリベットで留めてある。溶接でなかったのだ。
北九州では閉山で廃線になった路線は多い。
室木線、宮田線、添田線、上山田線、勝田線、幸袋線、漆生線があった。、
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