撮影場所 肥薩線
撮影場所は定かでない客車と郵便列車が一緒になったオハユである。
一両の半分が客車で半分が郵便物を収納する。
郵便物の扉は施錠されていて廊下になっている。
乗客が少ないので荷物と郵便と人を運ぶ
こんな列車もいまとなっては貴重だ。その当時は目にしたのであろうが消える蒸気機関車は気になったが貨車や客車には関心が向かわなかった。
通学の高校生が出たり入ったりしている。
国鉄が民営化するときに郵便輸送はトラックにほとんど切り替えられた。
消えてなくなる物であれば蒸気機関車も駅名も客車、貨車ももっと撮影しておくべきだった。これは偶然撮ったものだろう。時代の先読みなどなかなかできないものだ。
撮影場所は定かでない客車と郵便列車が一緒になったオハユである。
一両の半分が客車で半分が郵便物を収納する。
郵便物の扉は施錠されていて廊下になっている。
乗客が少ないので荷物と郵便と人を運ぶ
こんな列車もいまとなっては貴重だ。その当時は目にしたのであろうが消える蒸気機関車は気になったが貨車や客車には関心が向かわなかった。
通学の高校生が出たり入ったりしている。
国鉄が民営化するときに郵便輸送はトラックにほとんど切り替えられた。
消えてなくなる物であれば蒸気機関車も駅名も客車、貨車ももっと撮影しておくべきだった。これは偶然撮ったものだろう。時代の先読みなどなかなかできないものだ。