粉もんというのは大阪で使かわれている言葉だそうだ。
道理で大阪のテレビ放送に「こなもんや三度笠」というのがあったかなあ。
それを言うなら藤田まことの「てなもんや三度笠」だろう
粉もんは小麦粉、米粉、そば粉など穀物を粉にして加工した食品だそうだ。
子供の頃は食料が乏しく大豆を煎って粉にした黄粉や麦を煎って粉にしたハッタイコがご飯の友やオヤツだった。
粉もんは何でも好きだが年寄りになり讃岐うどんよりホウトウやキシメンの方が柔らかく食べやすく好きである。
昭和40年に宮崎県に就職した。
宮崎県にはお好み焼き、たこ焼き、焼きそばのソース文化がまるでなかった。
大判焼きのような饅頭が主体だった。これも粉もんである。宮崎で饅頭、饅頭いっていたら公然と言ってはいけない用語(隠語)だったのだ。
昭和が終る頃には宮崎のスーパーにも粉物ソース文は伝播していた。
お好み焼きは関西を起点に全国にどう広まったか調べるとおもしろいかも、お好み焼き屋の無い地域や食べた事のない人を調べてみるのも面白い。
子供の頃はお好み焼きは洋食といっていた。〇銭洋食という好み焼きの原型から来ている言葉が残っていたのであろう。ソースをかける料理は洋食であった。その頃のお好み焼きは肉も入っていなかった粉と野菜と練り物だけだった。洋食と聞くと食生活の貧しさを思い起こす。