懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしい物  公害の島

2018年05月14日 | 懐かしい物
撮影場所 瀬戸内海 宇高連絡船より直島を撮影

瀬戸内海には銅の精錬所が何か所かあった。
銅の精錬は二酸化硫黄を排出するため酸性雨が降り木々は枯れ禿山が多い。
直島は三菱金属の精錬所があった。あたりの山はほとんど禿山で緑は少ない。
別子銅山や四阪島は住友鉱山があった。大分の佐賀関も精錬所がありあたりの山は禿山だった。炭鉱や鉱山は財閥系が多かった。

一度禿山にすると再生には30年以上かかった。
昭和40年代は高度成長期で公害施設も着けず大気や排水は垂れ流しであった。
昭和45年に東京湾を川崎から千葉側に渡った。
スクリューで海底の泥が掻き上げられ黒い航跡が残った。
東京湾の中央部に来ても澄んだ海水はなく色の付いた海流が混ざりあっていた。
東京湾は死んでいると思った。


千葉側から東京の空を見ると晴れているのに灰色の空に覆われていた。・
このまま工場の煤煙や排水を放置すると公害列島になっていた。
公害患者も発生し奇形の魚も発生した。
昭和43年に大気汚染防止法 昭和45年に水質汚濁防止法が出来て公害防止施設が義務付けられ徐々に改善に向かった。

高度成長期、公害列島時代に私は生きてきた。
しかし、そんな事には関心もなく他人事のように生きて来た。
時代の問題はスクラップなり現地まで足を運び写真を残しておくと他人事ではなくなる。
今思えば人生を生きるというのは世の流れに関心を持ち新聞記事や写真を残しておけば私はこう生きて来たと胸が張れるのだが
外国に30ケ国行ったと自慢する人がいるが物見遊山の話はどうでもいい捨てる新聞を長年切り抜いて分類している人の話しを聞きたいものだ。