懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,456  美山町で空襲の話

2018年07月03日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 京都府南丹市

美山町の北地区は茅葺き民家の保存地区だか余り撮影していない。
車椅子を家内に押してもらうのも坂がきつい。
私には撮影が難しい。

平坦な下の方で撮影していたら地元の女性が話掛けて来た。
美山町で生まれ外へ出ることなくずっと暮らしているいう。
終戦前に実家に焼夷弾を落とされ三軒焼きだされた。
隣に製材所があり実家も爆撃を受けた。
女性はその当時小学四年生で姉とともに一歳の弟を連れて逃げた両親は働きに出て不在だった。その後は焼け残った倉で一家は家を建てるまで暮らした。


こんな山の中にも空襲は来たのだ。
アメリカの空襲も当初は高度の高い所から軍需工場中心に爆弾攻撃をしていたが命中率はわるかった。木造の多い日本の町並みは焼夷弾で消火のできない火炎で都市を焼き払い戦闘意欲をそいだ。最後には列車や人の動く物すべてを攻撃する無差別攻撃になった。
戦争は敵味方を残酷な人間にする。
無差別攻撃では学校や駅、走行列車も襲われた。
日本の首脳の決断のなさでポツダム宣言以降に60万人が犠牲になった。
その当時の首脳や天皇は自決して戦争を終わらせなかったのかと思う。
天皇の命も庶民の命も命に差はない。